21話 ライメイの山
あくびで浮いた涙を拭って、レントは高い空を見上げた。澄んだ水色だった。これから雷鳴ひしめく山に向かうとあって、良く晴れた空はしっかりと見納めしておきたかったのだ。
「誘ってくれてありがとう! 難しい救助なんだって?」
「うん。サンダーと戦うの」
にこっと和やかなレントと裏腹に、黒フードの中は心配そうな顔である。
「大物だね……。メロメロ効くかな?」
雷鳴の山に向かう当日。いつもよりほんの少し早起きで、レントとシルム、そして助っ人たるカスピドは街の店を行き来していた。今日はいつもよりも買い物が多めだったが、てきぱきと買い進めるシルムの手腕はさすがだと、買い物の内訳を理解していないながらもレントは感嘆していた。
「あっ、おーい」
ふと広場の中央に目を向けたレントは、きりりとした黄色に目を留めて手を振った。向こうもこちらに気が付くと、「やぁ」と優しく声を掛けてくれた。
「おはよう。今日は三匹なんだね」
「おはようプレスト。……そっちは、今日ひとりなの?」
「カルはねー、今から寝るから準備してきて、だって」
苦笑するライボルトことプレスト。彼の言葉通り、相方であるヘルガーの姿は、街のポケ並みに目を凝らしても見えなかった。
彼の奔放っぷりに、一番深刻にため息をついたのはシルムだ。買ったものを片付けながら、「もう」と頬を膨らませて、愚痴モード一直線である。
「生活リズム狂いまくりじゃん。今朝行ったとき普通に起きてたしそう言ってたけどさ」
「この前夜遊びしてたら朝になったやつからリズム戻りきらない……って。あれ、レントくんも一緒にいたって言ってたけど、大丈夫なの?」
心配そうに顔色をうかがうプレストに、レントは胸を張って答えた。
「うん。いっぱい寝た日作ったからばっちり」
――というのは、「たまには救助を休む日があってもいいのでは」という以前のスフォルの言葉を盾に、レントが本能に従順となった先日の話なのだが。結局その日はシルムとカスピドのふたりで救助に行ったそうだが、レントがその話を子細に聞く前にユーフォニウムが届き、という具合である。
そんな事情も知らないプレストは、得意げなレントに素直に頷いてくれる。
「お、偉い。カルは生活リズム狂ったら起きて戻そうとするからね。丸一日狂わせれば元どおりってやつ」
「ほんと、朝まで起きてるのは良くないと思うんだけど。夜は寝ようよ」
シルムの止まらない勢いにプレストは「そうだね」と苦笑する。圧倒的に生活リズムが噛み合わないカルとシルム、ふたりの言い分は何度も聞き比べたし、その我の強さには感服さえしていた。
シルムが大きなため息で話を区切ったのを見計らって、プレストは自分の銀色のバッジに軽く触れた。
「そっちは今日はどこ行くの?」
「救助で雷鳴の山」
シルムの答えに目を見張ったプレストはひとこと。
「あっ好きな場所」
「「好きな場所」」
「ライボルトの性だよ」
得意げな顔の彼にどうして、と言いかけたレントは、その言葉を受けて今一度彼の容姿を頭からつま先まで眺めた。
雷雲あるところにライボルトあり、とも言われるくらいには、彼の種族は雷となじみ深い。ともだちエリアの一つである「カミナリ高原」も、日々雷鳴が轟いている土地だった。
「雷あるとテンション上がる……みたいな?」
「うん。ダンジョンの中なら自分で雷起こしてみたりね。カルに怒られるけど」
「カルって雷苦手なんだ?」
レントの中でその二つの情報がうまく結びつかなかった。あの自由で大胆な性格、むしろ面白い天気とでも称しそうだが、とレントが悩む傍らで、シルムもプレストも肯定として首を振った。
「うん、すごく。最初は雷鳴よ山もふたりで行ったんだけど、二度と行くかバカって怒られてね。それ以来俺ひとりで行くようにしてるの。シルバーランクになってひとり救助もいけるようになったしね」
「そこまで嫌いだったの?」
当時の再現ながら、口調はなかなかに勢いが強い。シルムまで「えぇ」と言い出す始末で、プレストもまた首をかしげて目を開く。
「え、知らなかった? シルムなら俺より付き合い長いのに」
「いや、嫌いとは聞いてたけど、どこまで本気かわからなくて……」
さて、盛り上がる二人の傍ら、レントは少しだけうずうずしていた。というのも、先の誰かさんの一言がレントの心にクリティカルヒットを決めてしまったためだ。目はキラキラと輝き始めていた。
「僕もゼニガメの性みたいなのほしいな。言ってみたい」
プレストはレントを一瞥すると、彼の背のあたりをにっこりと指し示す。
「甲羅にこもるとか?」
「あ、それ! 最近楽しいんだ、ほら」
「やんなくていいから! そろそろ行くよ」
気づけば随分と話し込んでいた気がする。朝早めにレントを起こし、他の救助隊が集まるより早く準備を終えようと思っていたのに、いつの間にか街の喧騒は少し遠くなっている。もう出発したチームも多そうだ。
「面倒見いいね、シルム」
「あ、それ、前にプレストに言われて以来三匹に立て続けに言われたんだけど?」
「満場一致ってことだね。それじゃあ今日も頑張ってね、今度趣味で雷鳴に行くときは誘ってよ」
いたずらっぽく笑うプレストの発言に、シルムは「あーもう!」とツッコミきれないことにしびれを切らした。
「誰が趣味で行くか!! っていうか今から来てよ!!」
「俺もプレにぃに来て欲しいなっ」
カスピドも乗ってみるが、プレストは柔らかく微笑むに終わる。
「こっちも依頼あるからごめんね。楽しんできてよ」
「楽しめるのプレストだけでしょ!? オレだって雷好きじゃないのにさあ!!!!」
今度こそ、お互い「じゃあね」と言葉を交わして、それぞれの依頼へと向かっていく。といっても、プレストはカルに頼まれた準備を済ませるところからなのだが。
「雷鳴いいなぁ、俺も行きたい。未だに出会えてないけど、一回くらいあそこの強敵とやらと戦ってみたいよね」
高まった気分で救助準備を始める彼は知らない。
その強敵ことサンダーが既に眠りから目覚めたことも――ララバイが今からそれと戦いに行くことも。
ダンジョンに近づくだけで身が震えた。
徐々に明度を落としゆく空、それを舞台に踊り輝く雷光。神秘さえ感じられそうなそこは、文字通り、鳴り響くことのない「ライメイ」に包まれた山である。それこそプレストのような種族でもない限り、近づきたくもないと思うのは必然である。
「う、うるさい……」
苦い顔をするシルムのぼやきも、彼と息ぴったりの雷鳴にかき消されてしまって、レントの耳には届かなかった。それはまぁ、発言者本人も轟いた音から察せたから良いとして。シルムは少し声を張って、レントの肩を叩いて彼の注意を引いた。
「そうレント。これあげるよ」
シルムに渡されたのは虹色に輝く円板。レントはそっと受け取りながらも、その正体がわからずに首を傾げた。
「たしか買ってたやつ、だよね?」
「うん。……急で申し訳ないけど、その技マシン使ってもらえない?」
技マシン――技を即座に習得できるというアイテムだった。
レントは気にも留めていなかったが、この類は決して安いものではない。普段計画的にやりくりしているシルムが突然買うというのも意味あってのことなのだが、のんきなレントはプレゼントだと喜ぶばかりである。
「使える技が増えるのは楽しいから全然いいよ。むしろありがとう」
「どういたしまして。今日はそれ練習しながら進もうね」
まずは技マシンの使い方から。シルムに教わりながら、レントは技マシンを短い手で精いっぱい掲げ、その光を浴びる。ニンゲンだったなら絶対に体験できないことだったから、レントはこれですっかり上機嫌だし、シルムへの感謝が尽きなかった。
使い終わった残骸さえも宝物に思えて、街に帰ったら捨てて良いと告げるシルムに、持っておきたいと笑ったら呆れ顔をされた。
「レントがそうしたいならいいけど……。あの、今はまだ物少ないから大丈夫だけど、そういうのばっかりやって部屋片付かないってなるのはやめてね?」
「はぁい」
使用後マシンを抱えてレントは微笑む。そうなったらそうなったで、シルムはあれこれ文句を言いながら片づけを手伝ってくれるのが目に見えていたからだ。実際、片付け力が壊滅的なカルの部屋は、シルムとプレストによって体裁を保っているし、シルム自身は片付けるのはむしろ好きなのだが。
ダンジョンは当然のように電気タイプが多かった。レントはなるべく遠距離から攻めるように努めていた。というのは、向こうの技を受けないためがひとつ、以前うっかり触れた敵ポケモンの特性「せいでんき」に苦しめられた経験のためがひとつだ。――もっとも、一番苦しかったのは、クラボの実の辛さだったのだが。
ただ、それで簡単に行く敵ばかりではないのがこの山である。中腹はとうに超えただろうという段階で、一向は通路で出会った一匹に目を見張った。
「ライボルト……」
ここ、雷鳴の山を好きと称した身内同種族の、「ライボルトの性だよ」のひとことが三匹の中によみがえった。
たしかにダンジョン序盤から、その進化前であるラクライとはよく出くわした。だからといってご丁寧に進化系、それも見るからに強そうな敵を用意しなくてもいいじゃないか。しかも、戦闘を避けられない、こんな一本道のど真ん中で。
「この道幅じゃあ戦いづらいしもううぅ……。カスピドは待ってて。危なそうなら援護お願い。レントは遠距離技お願いね。……強くなきゃいいけど!!」
「りょーかい!」
「はーい」
シルムは文句を言いながらも先陣を切った。まずは火の粉。相手の電気ショックに掻き消される。――想定の範囲内。
そこで生まれた煙を穿つのはレントの水鉄砲だ。カルに練習相手となってもらった甲斐あって、もう安定感のある技にまで成長していた。
一撃を食らったライボルトは吠え、シルムに牙を向ける。かみつくをもろに食らったシルムは腕を押さえながら、でんこうせっかで反撃を試みた。ふたりが触れた瞬間、バチッと鮮烈な火花が散った。――特性「静電気」の発動である。
「痛い……けど!」
彼が放ったパンチは、それまでとは一線を画した力を得る。「からげんき」の技が本領発揮した瞬間だった。
ライボルトを倒し、クラボの実を口に放り込むシルムに、レントはずっと抱えていたもやを吐き出す。
「知り合いと同じ種族と戦うの、抵抗ない?」
「いや。普通に顔違うし、別ポケモンってわかるから」
「そういうものかぁ」
答えてから、ニンゲンも同じだなと気が付いて、レントは納得する。髪の長さや色味、顔の雰囲気があるから、服が変わっても誰だか容易に見分けられる。でも、レントはまだ同種族のポケモンたちの個々を見分けられるほど、ポケモン生活に馴染めてはいない。以降ライボルトと出くわすたびに、少し心臓が縮こまってしまった。
進むにつれて雷は激しさを増し、頂上に辿り着く頃にはひっきりなしに雷鳴が轟くほどだった。防音対策を講じてくれば良かったと後悔するには少しだけ遅い。
シルムは一切の気配なき頂上で、大きく息を吸い込み、雷鳴に負けないほどに声を張った。
「やいサンダー! 約束通り来てやったぞ! 隠れていないで出てこい!!」
「おぉ……!」
随分と挑戦的な物言いにレントは感嘆した。フレデリックの前で述べたように、サンダーへの恐怖心は克服したようだ。
シルムの声に呼応して、空を覆う雷雲は一際強く光を放った。
「――言ったはずだ! 邪魔する奴は容赦しないと!!」
「うわっ」
撤回、克服なんてしてなかった。
雷雲から降りてきたサンダーの姿を見るや否や、シルムはレントの背にすすっと隠れた。甲羅越しでもかれの震えは感じ取れる。「お腹痛い?」と聞けば、「そんなわけないじゃん」と頬を膨らませて再び顔を出してくれたが。
改めて見て、サンダーの荘厳さを肌で感じる。降り注ぐ雷霆を背景に、広げた翼のシルエットはくっきりと瞬いた。
レントは胸に手を当てて深呼吸をする。シルムは「……怖くなんかない」と呟いて顔を上げる。カスピドはそんなふたりの背を目に焼き付けてフードの中に手を入れる。
「オレたちは救助隊だ。ダーテングを――カザカミを返してもらう!!」
「そこまで言うのなら向けてやろう。我が怒りを、お前たちになッ!!」
サンダーの叫びが空を裂くと共に、鮮烈な雷が一筋、彼らの間で弾け散った。