19話 贈り物と頼み事
これがポケモン世界の「常識」なのか。
焦げていく香りと、灰になって崩れていくそれを見て、レントはひとり絶句する。
涼しい顔のシルムは、彼のその顔には気が付かないままだった。
事の発端は起きたてほやほやの頃に遡る。
「レント。レントってば」
シルムに揺さぶられて、レントの重い瞼はうっすらと開いた。すっかり夜は明けていて、差し込む朝日のまぶしさにレントはまた目を閉じる。
「レント宛の宅配便届いたから見て。スコアからのやつ」
「……はっ」
その一言で一気に覚醒。シルムが物珍しい顔をするのも気に留めず、レントは家の外へ飛び出した。
水路にかかる橋に堂々と鎮座するは立方体。どこかの街並みらしき絵が鉛筆のような筆跡で描かれているのが、なんとも異国情緒あふれている。
ただ、この箱の大きさと形のせいで、ヒノアラシたるシルムが家の中まで持ってくるのは厳しく、外に置いたままだったのだ。自分が両手を広げたのと同程度の幅の箱に、レントはうずうずと胸が弾むのを感じる。
「これ、どうやって開ければいいの?」
「え、ええ……。この大きさだと、うーん」
しばらく考え込んだシルムは、すっと息を吸い込んだ。背中の炎がぼわっと勢いよく燃え上がる。
「えっ」
香ばしい、というには少々焦げ臭かった。
焦げ、灰となって、箱の角は落ちていく。空いた穴からシルムはカッターを入れ、開封。
確かにテープをはがすより、刃物で切り開けるよりは早いとは思う。だからといって、焼くか。炎タイプの常識を知り、レントはひとり絶句したまま。シルムの開封作業が終わるまで待っていた。
中から出てきたのは黒いケース。背負えるような紐がついていて、表面には製作者を示すらしいロゴが金色に輝いていた。
「わあっ……!」
蓋を開けば、一面の銀色がレントを出迎える。映り込んだ自分の目は今まで見たものよりずっと輝いて見えた。
――「ユーフォニウム」という楽器だった。
異変の洞窟での探索を終えた後、スコアがくれると約束していた代物だった。実際、差出者欄には「スコア・グランディオーソ」と手書きされていた。
「一緒に楽譜と手紙も入れてくれてあるよ」
「本当だ。手紙は読むの時間かかるかな。後での方がいい?」
「それはどっちでもいいよ。読みたいならどうぞ」
そう言われたら即座に封を切るのがレントの性だった。
――レントくんへ。
この前は一緒に探検してくれてありがとう! 楽しかったよ。
救助隊はまだ始めたばっかりとのことで、大変なこともいっぱいあると思うけど頑張ってね。いつかうちのギルドにも遊びに来てくれると嬉しいな。
「この先は一緒に入れてくれた楽譜の説明みたいだ」
ぴらりと便せんをめくり、ページの半分を埋める概要をぱっと眺める。その最後に追伸を見つけ、レントはふふっと笑いをこぼす。
――追伸。
スフォルくんがまだ怒っていそうだったら代わりに謝っておいてください……!
「こ、これはどうなんだろう……。むしろ掘り返すなって怒りそうな気もする」
シルムがじとっと手紙を睨む。むっと頬を膨らませるヒトカゲの顔が鮮明に脳裏に浮かんだ。
「僕もそう思う。から聞かなくてもいいかなって」
レントは手紙を楽譜の間に挟んだ。そしてレントの中で闘志がめらめらと湧き上がる。
そう、学んだ足形文字が活かされた達成感。そしてさらにもう一段階活かせる可能性に対してだ。読むのに関しては、依頼やニュースで日常的に行うものの、文字を書く機会はほとんどなかった。だからこの手紙に返事を書くのはよいチャンスでもあって、やってやろうじゃないかなんて気持ちに胸が膨らむ。
「あ、あの〜……少し、よろしいでしょうか?」
楽器を抱えようと伸ばしたレントの手は、ぴたりと止まった。
話しかけられた方向を見れば、一匹のポケモン。腕のふわふわとした綿毛の中に顔を半分隠すようにして、こちらの様子をうかがっていた。その姿にはレントもシルムも見覚えがあった。
「キミ、もしかして……! この前広場でダーテングにお願いしていたワタッコ?」
「はい。ナガレと言います」
「そっか。あれからどう? 仲間は戻ってきた?」
シルムの問いかけに、ナガレの顔は曇る。あまり芳しい状況ではないようだ。
「……実は、あの後、そのダーテングさん――カザカミさんが戻ってきていないのです」
「えっ? でもあれってしばらく前の話だよね。それで戻ってきていない、って」
広場で起こっていた彼らの論争を思い起こす。FLBを初めて目にしたのもあの時だ。一週間は前になるか、救助一つにしてはさすがに長い期間である。
「私たちワタッコは風に乗って移動するのですが、その中で仲間のひとりが岩場にはまって動けなくなったのです。空は雷雲でいっぱいなのに、なぜか風が全く吹かなくて……」
「風が全く吹かない?」
「はい。ダーテングのうちわであれば強風を巻き起こせると思って、カザカミさんにお願いしに行ったのですが……」
「そのカザカミが戻ってこないと。そんなに難しい救助でもなさそうだけど」
手でもある葉っぱのうちわで仰ぐだけ、とあらば、特に問題となるようなことはないはずだ。実力もそこそことは聞いていたからこそ、より不自然さは際立つ。
「わかった。オレたちが探しに行くよ。いいよね、レント?」
「え、う、うん……」
「本当ですか! ありがとうございます!」
今すぐにでもユーフォニウムの試奏をしたかったレントは、咄嗟に返してしまったことに些細な後悔を覚える。だが、救助の依頼とあればそれが最優先。すぐに気持ちを切り替えて、シルムと顔を見合わせる。
「うん、さすがレント。準備オッケーって顔だね」
(でもやっぱりユーフォ吹きたい……)
そんな本音は隠して、レントはにこっと笑う。
ひとまずスコアからの贈り物は家の中に運び込んで、救助の準備を整えに広場へ。そこでこの件について聞き込みをしてみるも。
「逃げ出したんじゃないか?」
「フレデリックさんに言われて渋々行ったものの、本当はやる気がないんじゃないですかねぇ」
そんな意見ばかりで、レントとシルムは釈然としない気持ちになる。
確かに、それはないと完全に否定できるわけではない。だが、どうにも彼が救助を投げ出したとは思えなかったのだ。あそこまで言われたうえで救助に行かなかったりしたら、それこそ報酬云々以前の救助隊の面目の問題にもなるし、彼が持つであろうとふたりが勝手に推測する高いプライドにも傷がつく。
すれ違ったツマミとクィクリーの二人組に手を振って、救助の準備を済ませ。レントとシルムは、ワタッコのナガレと共に目的地へと向かった。
『沈黙の谷』と呼ばれるダンジョンだった。
足がすくみそうになるほどの高い崖の上に位置し、霧が遠景を霞ませる。荒々しい岩肌には一か所だけぽっかりと穴が開いていた。これがダンジョンの入り口になっているようだ。
「この奥に仲間がいるんだよね?」
「はい。無事だとよいのですが……」
何せ、実際に事故が起こってから随分と日が経過してしまった。たとえ怪我がなかったとしても、それ以外の点で生命に危険が及んでいる可能性は高い。
「オレたちに任せて。行くよ、レント!」
「あ、あのっ! ひとつ言い忘れたことが」
ナガレは慌てて呼び止める。ふたりは首をかしげて、小刻みに震えている彼女の二の句を待った。
「え、えっと、申し上げにくいのですが……。ここにはものすごい怪物が眠っている、っていう噂があるんです」
「か、怪物だって!?」
そう返したのはシルム。予想を超えて大仰な反応に、レントもびくりと反応してしまった。
「い、いえ! あくまで言い伝えなので。でもカザカミさんも戻ってきていませんし、一応お伝えしておいた方がいいかなと思いまして」
レントの視界の端で、シルムはずずっと後ずさった。
確かにカザカミがその怪物にやられてしまった可能性は否めないし、教えてくれたのはありがたい。ありがたいのだが、レントはその場にぺちょんと座り込んだシルムが気になって仕方なくて、いまいち話が頭に入ってこない。
どうしたんだろう。レントが首をかしげると同時に、シルムはうぐっとうめき声をあげる。
「あ、アイタタ。急におなかが」
「えっ、シルム?」
「! どうしたんですか!?」
「いや、急におなかが痛くなって! ううっ。朝食べたものが悪かったみたい」
シルムは座り込んだ姿勢からころんと寝ころぶ。おなかを押さえてうずくまる様子は苦し気で、レントも思わず彼に駆け寄った、のだが。シルムはささやくような声で、こう述べ始めた。
「ねぇレントもそうでしょ? おなか痛いよね?」
「え? 僕は別に……」
素直に返すレントを、シルムはキッと睨んだ。ご機嫌を損ねてしまったようだ。
「なんだよレント、付き合い悪いね! レントもオレと同じの食べてるじゃん、オレがおなか痛かったらレントもなの」
「あ、そっか。確かに言われたらちょっと痛いような……あれ」
普段からシルムの手作りご飯を食べているから、その理論自体はあながち間違っていない。問題は、それが今日にも適用されるかという点だ。
(今日朝ごはん食べたっけ?)
ユーフォが届いたことで飛び起き、そのまま救助依頼が届いて、出撃準備へ。思い返せば起きてから何も口にしていないのだ。水分一滴すら飲んでいないせいで、どちらかというと喉が渇いた心地がする。
「たしかにおなかに違和感ある気もするけど、これおなか空いているだけなんじゃ……?」
「レント!? 仲間なんだからもっと感じてよ!」
シルムはガバッと飛び起きて抗議。あまりにも元気いっぱいだった。ナガレは腕の綿毛に顔をうずめたまま、おずおずと口を開く。
「し、シルムさん……? おなかが痛いんじゃなかったんですか?」
「え? あっ、あー……」
バツが悪そうに目を逸らし、シルムは大きなため息をつく。
「痛い、って思ったけど気のせいだったかな。あはは……あはははは……」
「ねぇ。その怪物ってどんなのなの?」
乾いた笑いをするシルムを差し置いて、レントは純粋な疑問を口にする。もう少し情報があった方が、心構えもできるというものだ。
しかしナガレはまんまるの顔を横に振るばかり。
「私もよく知らないんです。言い伝えなので、本当にいるかどうかも……」
「そっか。じゃあその怪物がいないことを祈りつつ行ってくるよ」
「はい、気を付けて!」
むすっとした顔でシルムは洞窟の中を覗き込む。中は一寸先さえおぼつかないような暗さだった。といっても、ダンジョンの中に入ればある程度の明るさは確保されるのが一般論、心配には及ばないのだが。
「うげぇ……い、行きたくない……」
苦い顔をして、これ以上ないくらいに気乗りしていないシルムに、レントは何の言葉もかけられなかった。