第二章 目覚めた朝には夢もおぼろげ
7話 誘拐事件とフード少年
 また夢の中だった。いつも見るような、ぼんやりとした夢だ。
 一体何の夢なんだとレントは霧中に問いかける。当然返事はない。その代わりか、視界がガタガタと振動し始めた。

(揺れている? 夢にしてはずいぶんとリアルだけど……)

 体が半回転する感覚をもってして、夢の中の自分にも感覚があったことを知る。手をついて顔を上げると、うすぼんやりと、でも確かに、誰かの影が見えた。
 待って、キミは、そう上げた声は、届かないまま。




「はっ……」

 レントは勢いよく起き上がった。重い甲羅がのしかかって、そのまま前へ転びそうになった。ひどい動悸を抱えたまま、視界も揺れるほどの鼓動と共に周囲を見渡す。
 そこは、まだ慣れない自分の家だった。机も椅子も、でも見知ったところにいることは事実で、安心できたから、レントはもう一度寝床に横になる。

 何の夢を見ていたか。いつものぼんやりした夢だ。
 いつもと何か違ったか。――ひどく、揺れたことだ。

 レントは思わず胸に手を当てた。夢にしてはずいぶんリアルな感覚と、消える気配のない不安。実際に地震が起こったのだろうか。シルムが来た気配もない夜明けの太陽は、まだレントの起床には早い時間だと彼に告げていた。
 でも、二度寝はできそうにない。やけに冴えた目でそう察しつつ、レントは静かに瞼を閉じた。しばらく落ち着く時間が欲しかった。ここ一週間は特に地震が多かったが、ここまで恐怖を覚えるほどに大きいのは初めてだった。

「あのー、もし?」

 それなのに、そう声をかけられたから、仕方なく上半身を起こした。
 だが、確かに聞こえたはずの声の主は確認できない。外にいるのだろうか、起きるのが気だるいな、など思いながら、レントはゆっくりと立ち上がる。

「あ、もしかして姿が見えていらっしゃらない? これは失礼いたしました!」

 言うが早いか、それは姿を現した。
 ――扉も、窓も、閉ざしたままに。

「床から出てきた……」

 夢と思いたかった。少し寝ざめの悪い夢を見たせいで、その延長戦がここにあるのだと思いたかった。でも本当にまばたきひとつせぬ間に、来客は床を突き破って登場したから、認めざるを得ないレントは絶句しかできない。

「救助隊、ララバイさんですよね! 私たちの息子を助けていただきたいのです!」

 ダグトリオは、床から入ってきたことに一切言及しないまま、そうまくしたてた。三匹の頭が奏でる三重奏。セルフエコーボイスが気になって、正直内容が頭に入ってこないのだが、かろうじて耳に残った単語を復唱する。

「助けて……?」

「はい。昨日の夜地震があったあと、わたしたちの息子のディグダが高い山の頂上にさらわれまして」

(わたし“たち”っていうんだ……)

「そんなところ、わたしたちはとても登っていけないし……。ですのでここはひとつ、ララバイさんにお願いしたいのです」

(山だと地面掘るの大変、とかあるのかな)

「息子を攫っていったのはエアームドというとても凶悪なポケモンです。なにとぞよろしくお願いします。ではっ!」

(エアームド? ってたしか鋼タイプだったよね……って)

 レントがはっと目を向けると、そこにはすでにダグトリオの影はなかった。たしかに「では」と聞こえたような気がするから帰ったのだろうが、あまりに一方的である。

「あんまりちゃんと話聞いていなかった……。えっと、場所どこ?」

 実は具体的な場所は言われていなかったのだが、話をきちんと聞いていなかったレントはそこに気づかず、そーっと目を逸らした。
 シルムが来たら相談しよう。そう決めた矢先、扉は開け放たれた。

 シルムは一連の話を聞くと、じとっとした目でレントを睨んだ。

「はぁ、それでせっかく救助依頼をもらったけど」

 シルムの機嫌は悪かった。最初は依頼を受けたことに目を輝かせたものの、続く話があれだったからだ。コイルたちの依頼をもらってから二週間、やはり指名はなかなか来なくて、毎朝のように彼は落胆していた。シルムは額に手を添える、には短い手を宙に浮かせて、ため息をついた。

「場所がわからなきゃ行けないよ……」

「場所はハガネ山の頂上です!」

「うわああっ!?」

 シルムは俊足で二歩後退した。屋内なのに、なぜ床から飛び出してくるのか。いやそもそも地面から出てくるのが、シルムの言いたいことは募るばかりだった。

「わたしたちの息子をよろしくお願いします! では!」

 だが、ララバイの様子には目もくれないまま、ダグトリオは再び消えていった。
 水路に囲まれているから、敷地内に入るのも大変なのでは? とレントの中に一抹の不安がよぎったが、本人がいない以上問いかけもできなかった。
 ひとまず、今日の予定は決まった。新品の薄紫色のスカーフを巻き、八部休符のピンで留めると、レントはシルムと並んで外に出る。まだポッポたちの朝のさえずりが聞こえる時間帯だった。雲一つない快晴が心地良い日である。

「で、えーっと、ハガネ山でディグダを助ける、でいいんだよね? 本当に」

「うん。大丈夫なはず……っていうとまた出てきそう」

 レントが冗談1割で言うと、シルムはやめてくれと苦い顔をした。驚かされるのは得意でないらしい。
 そんな一面もあるんだなぁ、とレントが頬を緩めたときだった。


「その話、俺も乗らせてくれないかな?」


 突然の声、しかしそれはダグトリオとは違うものだった。
 ポストを調べようとしたレントは、くるりとスカーフを翻した。朝の涼しい風によって、結び端はゆるやかに舞った。

「よっ、この前のゼニガメくんじゃん! レントくん、でよかったっけ?」

「あ、この前の……名前わからないピカチュウくん」

 ひどい呼び方をしてしまったが、事実なので致し方ない。
 そのピカチュウは、やはりフードを被ったまま、「あははっ」と軽快に笑って見せた。笑顔の似合う男の子だ。
 彼とレントとのやり取りを見て、シルムは「ちょっと待って」と口を挟む。

「レント、いつの間に知り合ってたの?」

「この前ウタちゃんと遊んでいたときに出会ったんだ。まさかシルムくんと救助隊をしているだなんて思わなかったよ」

 この子もシルムと知り合いだったらしい。顔が広いなぁ、なんて思いながら、レントは二人の歓談にしばし耳を傾けていた。

「それで、ディグダの子のことなんだけど、この前一緒に遊んでたから俺も気がかりなんだ。ほら、あそこに穴があるの見える?」

 指さしたのは、基地から少し離れたところにある街道のそば。近づいてみればなるほど、深い穴が口を開けていた。覗き込んでも闇しか見えないほどに深く、思わず身を乗り出しそうになってしまう。

「これを掘っているところで出会ってさ。トンネル使わせてもらったりもしたんだ。これは岬の方まで続いているトンネルだね」

 「入ってみる?」と持ち掛けられたが、汚れるのを危惧したシルムに、乗り気なレントも従わざるを得なかった。後でひとりで通ってみよう、とひそかに決心して、しゃがみこんでいたレントは立ち上がった。

「ま、そんなところで、同行させてもらいたいんだ。大丈夫かな?」

「うん。一緒に来てくれるのは嬉しいから、よろしくね。えっと、名前……」

「カスピド、だよ。カスピド・チャック。よろしくな、ふたりとも!」

 そう言って、フードのピカチュウ――カスピドは、にっと笑って見せた。





 ハガネ山は、鋭い丘陵と、金属らしき岩肌が見える山だった。なるほど、ダグトリオが登りづらいというのも納得がいく。
 カスピドは、フードを手で押さえながら、太陽光を鋭く跳ね返す頂上を望んだ。

「この頂上にディグダくんがいるわけだね」

「そうです!!」

「わ、っと!」

 唐突に地面から現れるダグトリオ。カスピドは声こそ少し裏返ったものの、相手の種族を見て察したらしく、「行ってくる」とさわやかに応対していた。適応力が高いらしい。
 レントはというと、三回目ともあって一切動じず、シルムがびくりと跳ねた後に重いため息をつくまでを観察する余裕まであった。
 ダグトリオが地中に消えるのを確認して、三名は顔を見合わせた。

「行こっか!」

「う、うん……あぁいうのやめてほしいんだけど……」

「……ふふ」

 レントがこらえきれず笑いをこぼすと、シルムはむっとして文句を言い始めた。今日は特別不機嫌らしかった。が、文句を言うポイントのせいで微笑ましくもあった。

 山は普通に登るわけではなく、ダンジョンを攻略して頂上まで至る、ということだった。たしかに、坂という言葉で表現しきれないような急な岩肌を見た以上、むしろダンジョンから行く方が簡単にも思えてしまった。

「お、ジグザグマだ。俺が行くね!」

 カスピドは素早くレントの前に出ると、頬から火花をちらした。「電気ショック」に毛を焦がされたジグザグマは、歯をむき出してカスピドに「たいあたり」を繰り出す。

「でんこうせっか!」

 それを技で素早く動ける一瞬を活かして避けた上で、そのまま技としてジグザグマにぶつかる。カスピドの鮮やかな戦い方に、レントは思わず声を上げた。

「かっこいいね」

「ありがと! まだまだ練習中なんだ、ほめてもらえると頑張ろうって思えるね」

 カスピドはぱちっと片目をつむってみせた。流れるように自然なウインクは、種族の愛らしさもあって、つい見惚れてしまいそうになった。
 そんな歓談に割って入ってきたのは、岩と見間違えそうな質感を持つポケモン、イシツブテだった。高く掲げた両手を振り下ろすと、空中に形成された岩がシルム目掛けて落下し始めた。

「っ、ああもう危ないなぁ!」

「よし、出せるはず! ――あわ!」

 シルムが走って避ける間に、レントは口に力を蓄えて、イシツブテに向けて泡を吐き出した。技としてはかなり安定してきて、失敗はほとんどしなくなったし、泡の数も勢いも当初よりずいぶんと向上していた。
 イシツブテははじける泡のために両手で顔を覆う。そこにカスピドがでんこうせっかを放つと、イシツブテは力なく倒れた。

「レント、だいぶ戦い上達したね」

「ありがと」

 努力したのをほめられるのは素直に嬉しい。お礼の言葉は、意識するより早く口から出てきた。のだが、

「……カスピドの真似しなくていいよ。レントのウインク下手」

「言われちゃったね、レントくん。どんなウインクだったの?」

「いいよもう二回もしなくて! カスピドも乗せるな!」

 少しあこがれを持ったカスピドのそれには遠く及ばなかったようで、シルムからは「顔をしかめて笑っているみたい」と称された。眠くて半目の時であれば、片目だけ開けるのは得意なのに、とレントは反論しようとしたが、シルムの表現が気に入って笑ってしまったので不発に終わった。

「地面タイプや岩タイプの相手はレントくんに頼んでもいい?」

「うん。任せて」

「だから! もうやらなくていいってばウインクは!! カスピドが上手すぎるから余計にレントが下手に見えるの!!」

 緊張感はどこへやら、誰かが呟いてもなお、緊張感は訪れない。
 わいわいしつつ、もちろん戦闘も着々とこなして、三名は順調に階段を上って行った。






 やがて、一行は広い空間に出た。さんさんと降り注ぐ太陽を確認して、ここが頂上であると理解する。地面は整備されているのか、平らで歩きやすかった。

「あ、あれがディグダくんだよ!」

「本当だ。おーい! 助けに来たよ、降りてこれそう!?」

 カスピドが指さした先には、ダグトリオを一匹にしたようなポケモンが小さくなっていた。まだ種族確認がようやく、という距離ではあるが、声は問題なく届いたらしい。彼は、シルムの声を聞くと、震えながら顔を上げた。

「うう、怖いです……」

「そっか。今から助けに――っ!」

 呼びかけたカスピドの頬を一辻の風が引き裂いた。レントとシルムも、到来した風がポケモンによるものと察して、一歩後ずさる。

「アンタたち! ここへ何しに来たザマスか!?」

 天から滑空してきた銀色の翼は、昼下がりの太陽を鋭くはじき返した。風を切る音は、背筋が凍りそうなほどに大きく、疾走感を持っていた。
 目の前に降り立った銀鳥に、一行は警戒の色を強めた。間違いない。これが、ディグダをさらった張本人――エアームドだ。
 シルムはエアームドの目をまっすぐに見つめると、すっと息を吸い込んだ。

「ディグダを助けに来たんだ! 早くその子を放せ!」

「何言っているザマス! 毎晩地震が起きて怖くて眠れないのも、コイツら地底で暴れるせいザマス! 全部コイツらが悪いザマスよ!!」

「それは違う! 確かに最近地震は多いけど、ディグダたちが暴れたくらいじゃ地震は起きないよ!」

 エアームドの、金属をこすり合わせたような甲高い声に負けないように、シルムはさらに声を張った。だが、その反論は、相手の神経を逆なでしてしまったようだ。

「うるさいっザマス! 文句があるなら戦ってみるザマス!!」

「あちゃー、これ話聞いてくれてないね」

 カスピドはフードの上から額を押さえた。興奮するエアームドは、こちらの弁明など耳に入れない。このままではわかりあえない。それなら、彼女の言う通り戦ってみれば、糸口はつかめるだろうか。
 エアームドは一度、大きく翼を振るって風を巻き起こす。それが、戦闘開始のサインだった。

音々 ( 2020/09/22(火) 19:01 )