第二章 目覚めた朝には夢もおぼろげ
18話 晴れときどき星天
「ね、寝れない……」

 それは、レントにとってはじめての夜。
 ――眠れない夜、だった。



 寝不足気味の日、昼間に食べたカゴの実、そしていつもよりもハードな救助。

 カゴの実の効果が切れた夕方からは、糸が切れたように寝ていた。そこから目が覚めた今、とても朝には程遠い、丑三つ時だった。
 さて、何をしようか、とレントはベッドの上で腕を組む。イマイチ本を読む気分にならないし、それはポケモンニュースのバックナンバーだってそう。料理もおなかが空いていないし、今ある木の実と調味料だけで作れるものも思い浮かばない。シルムはいつも彼自身の火を使って料理をする、言い換えれば、彼がいなければ火を使う料理が難しいのだ。
 暗いこともあって、いまいち何をする気も起きぬまま。レントはふらり、家の扉を開けた。
 涼しい夜だった。吹き込む風が心地よくて、誘われるように外へ出た。見上げれば、両手ではとても抱えきれないような星が空いっぱいにきらめいていた。

「こんなにいっぱいの星を見たの、初めてかも……」

 幸いにも満月の日だった、目が慣れてしまえば歩くのには困らない明度であった。レントは敷地外にまで出て、もっともっとと天界を見上げる。が、ここでレントは誤算をした。
 ひとつ、自分がこの体に慣れていないこと。ひとつ、ゼニガメの重心は甲羅のせいで後ろに偏っていること。

「わ、痛……っ」

 後ろから地面にダイブ。咄嗟に起き上がろうと手を伸ばしたが、すぐにレントは体の力を抜いた。
 視界の全てが空だった。これが一番、星を見るのに最適な体勢と気が付けば、もう動く必要などない。ひとつひとつ星をなぞっては、流れる筋雲をひとり見送って。

「レントくん?」

 不意に声を掛けられて、レントはちらりとその方を確認するも、夜闇に紛れているせいでシルエットさえおぼろげだった。

「ん。誰……あ、起き上がれない、待って」

「待ってる待ってる。マイペースだな、レント……呼び捨てでいいな。くん呼び笑いそうになるわ」

 ころんと半回転、手をついて起立。改めて顔を上げれば、闇に溶けそうな黒いからだと、月明かりにきらめく二本の大きなツノが見えた。

「カル。おはよう。夜なのに珍しいね」

「くははっ、お互い様だな。この前報告書書く前に寝ちゃってたリーダーさんがよ」

「普段は暗くなったら寝る準備始めてるからね」

「はっや。夏でもそんなことしねーよ。それで起きるのもシルムよりは遅いんだろ? ……で、それがなんでこんな時間に起きてんだ」

「寝れなくて。一回起きちゃったら、なんか冴えちゃったの」

「はーん。じゃ、暇ってわけだ」

 カルは「そうかー」とひとりごちると、ふっと目を細めた。


「一緒に夜遊びにでも行こうか」


 ――そんなわけで。
 カルとレントはふたりで夜道を散歩していた。夜道といっても、最初に訪れたのはポケモン広場、その探検。昼間には活気であふれる街は一変、しんとした静けさに包まれていた。商店を営むカクレオンたちは、まるで店番中に居眠りでもしたかのようにその場で眠りこけていた。

「夜に開けてるお店とかはないの?」

「ここにはねーな。ゴーストタイプが開いてる店だったら大抵夜までやってんだけど」

「へぇ。ちょっと寂しいな、もう少し色んなポケモンに会えるかと思った」

「わざわざこんな真夜中に広場に来るやついねーよ。で、ポケモンも来なきゃ店開ける必要もねーし、みたいな循環なわけ」

 それでも、初めての夜の色は新鮮に思えて、レントはしばらく街を探索していた。目新しいものはなくとも、普段と違う空気を感じるだけで楽しかった。
 ふたりはペリッパ―連絡所の前まで来ると、夜の海を見下ろした。波の音はいつもより良く響いて、レントは静かにそれに耳を傾けた。

「ここで寝るなよ」

「んー、寝ないよ。目閉じてただけ」

「それで寝るのがお前だと勝手に思ってたわ」

「合ってるよ。でも今日は眠くならなくて」

 薄く目を開ければ、満天の星空と底の見えない海。心地よさに身を預けながら、レントは「そうだ」と手を叩いた。

「最近ね、かみつくって技覚えたんだ。昨日実戦で使ってみて、結構上手に使えたの」

「うっわー、懐かしい技、十年くらい前によく使ってたわ」

 そのときはデルビルだったな、なんて話を織り交ぜながら、カルはひらりと前足を振った。

「今どんなもんなん? やってみろ。ほら、俺の右前足に」

「いいの? じゃあ、――かみつく!」

 こう言ってくれる以上、手加減はしない。その気持ちで助走をつけ、つけた割にはそんなに勢いに乗らないながら、レントは口を開く。確かな命中の感触、訓練所よりかはうまくいった自覚、それとは別に一切効いていない視線が刺さる。

「おー、かわいい」

「ゼニガメだから」

「わかるー。すげーかわいい」

 楽しそうな笑い声を上げても、そこから切り替えるまでは早い。

「ま、威力としては本当にかわいいもんだな。もともと悪タイプでもないし、覚えたてだったらこんなもんだろーって程度ではあるけど」

 すらすらと所感を述べる声色は淡々としていた。普段との違いに少しの不安を覚えたが、これが彼の真面目モードだと理解すればそんなものは消え去って行った。
 アドバイスでも考えようか、とカルはまぶしい満月を仰いだ。

「参考程度にすんごい手加減したやついる?」

「え、うん。お願いします」

「加減ミスったらごめん」

 冗談っぽく言い残し、カルは音もなく立ち上がる。黒い体は夜闇に紛れ、輪郭はぼやける。だから来るタイミングもうまく掴めず、レントの身構えは手遅れに終わる。

「い……っ」

 この数週間のポケモン生活でもトップを争うくらいには重い一撃だった。実際カルがどれほど手加減したのかはレントにはわからないが、少なくともポケモン歴の浅い相手に対しては十分すぎるほどの威力だ。

「ま、こんなもんよ。ほれ、オレンの実」

「ありがとう」

 ダメージを受けた腕に果汁を絞ろうにも、ゼニガメの手で思う握力が出ずにカルに任せて。形が崩れ、水気の減ったオレンの実を一口に入れると、受けた傷はみるみるうちに癒えていった。
 カルは頬杖を突きながら星をなぞって、夜明けまでの時間を大まかに見積もる。

「まだ眠くならねーんだったら、ちょっと訓練でもつけてやろうか?」

「いいの? じゃあお願いします」

「ただし、だ」

 月影に照らされての笑顔は、いつもとは違って妖しげに見えた。

「持ってきたオレンの実それだけだから、スパルタになるかもしれんけど許してなー?」

「……一回家戻って持ってきていい?」

「くははっ、全然いいぜ。無理させるつもりはねーからな」

 オレンの実を適当な数回収して、レントはカルとともに夜の街道を歩く。時折ホーホーやヤミカラスが歌うおかげで、物さびしさとは無縁の道だった。

「好きなダンジョンをどうぞ」

「好き、って。えっと、えっ、考えたことなかった」

「いやそんな真剣に考えなくていいからな。遠慮なく技出せる場所ってことでダンジョンに行きたかっただけだから。……んー、じゃあ例の小さな森ってところ行ってみるか」

「でもあそこって、ダンジョンが難しくなってるって」

「言ってたなー。だからこそとも言う。ちなみに推奨ランクはブロンズ以上、あと興味本位で行くなとかいう通達も来てた。まー、最近探検隊が調べてくれた感じ、あれから更に猛威になってるわけではなさそーだけどな」

 なんて言いながらも、そのランクを超えているカルは涼しい顔でダンジョンへ飛び込む。ヘルガーの身体によく似合う銀色のバッジがきらりと光って、レントは彼らのランクをようやく知った。
 部屋であればまだ多少光はあるのだが、通路は深夜なだけあって足元もおぼつかないほどに暗かった。はぐれないようにとレントはカルの背に乗せてもらい、辺りを見渡す。
 さすがのダンジョンのポケモンたちも寝静まっていて、警戒を張っても気配はめったに感じない。起こさないようにと息をひそめながらの道中。それでもカルは笑顔だった。

「あー楽しい。プレストと出会ったときもこんな感じだったわ」

「こんな感じで出会った?」

 どんなだ、の思いでレントは聞き返した。その声はささやくほどに小さく、ダンジョンのポケモンたちにも聞かれないような音量だった。

「夜に出会って適当に喋って。そっからだったなー。レントが今思ってるアイツの印象とは全然違うだろうけど、だいぶ無愛想だったんだよな。話しづれーのなんの」

「うん。全然違う。カルのおかげ?」

「そー。俺が偉大だから」

「……ふふ」

 返してから、レントはひとつのことを思い出す。

「そういえば、プレストって、このあたりの出身じゃないんだよね?」

「そうだな。すんげー遠いとこ。それ以上もまぁ、聞いたことあるけど俺からは言わねーよ。あんま勝手に言って怒られてもこえーしな」

「怖い」

「こえーよアイツ。俺じゃ手も足も出ねーもん」

 談笑は、突如巻き起こった風に切り裂かれた。カルはひょいと避けて直撃を回避、闇夜に浮かんだ紫光の目から種族を判別。

「お、都合の良いヤツ来たわ」

 未だ種族を断定できていないレントを背に乗せたまま、カルは身軽に跳躍し、相手ポケモンの翼に照準を合わせる。

「かみくだく」

 夜闇に溶けるカルの牙が相手の翼を撃つのと同時に、レントもそれがドクケイルであると確認する。レントとシルムが以前かろうじて倒した相手のはずだが、カルにかかれば一撃だった。
 相手に気づかれたのは、話し声がだんだん大きくなってきたからだろう。気をつけなきゃ、と口を両手で塞ぐレントを、カルは笑顔で静止する。

「どうせアイツが暴れ始めた時点でお仲間さんも来るわけだ。練習にはちょうどいいだろ?」

「……結局スパルタじゃ?」

「そうとも言う。ま、危なそうだったら火炎放射で一掃するから安心しとけ」

 同じ群れらしきドクケイルたちは、激昂してこの場に集う。いくら正気を失ったダンジョンポケモンであれど、仲間意識は存在しているようで。矢継ぎ早に技を撃ち放つドクケイル、ときどきアゲハントに、レントは泡を吐くことでしか対応できない。
 少し後ろの方から攻防を観察していたカルは、しばしの戦況を見てから口を挟む。

「かみつくの練習じゃねーのな」

「だって技当てられないし……」

 機動力に欠くゼニガメの体では、先ほどのようにジャンプして狙いを定めることはできない。すればむしろバランスを崩し、相手に好機を与える結果になるのだ。そして向こうは距離を取りながらの攻撃、とてもかみつくなどできる状況ではなかった。

「相手は空中、遠距離攻撃。でも近接技で攻めたい。じゃあどうするかってわけだが」

 レントは相手を見上げる。複数いる敵は、皆手を伸ばしても届かないような空中に浮いていた。泡でダメージを食らったはずだが、まだ皆涼しげな顔だ。

「基本は相手の翼を狙う。すばしっこいヤツを相手にするときにちょこまか動かれたくねーだろ、それと同じ」

 巻き起こる風を甲羅に籠もってやり過ごす。その中にいても、淡々と語るカルの声は確かにレントに届いた。

「俺なら炎を撃つ。プレストなら雷を降らせる。もしあわじゃうまくいかないってんなら他の策で攻めりゃいいだけさ。鉄のトゲでも、いしのつぶてでも、――新しい技、でもな」

「新しい技。でも、僕に使えそうなもの」

 回避、反撃の泡攻撃、敵の動きの把握。その合間で思考に割ける体力はごくわずかだ。その中で思いつくものなど、もう一つしかない。彼が使っていた様子を思い出しながら、レントは口元に意識を集中させる。

「みず、でっぽう!」

「――かえんほうしゃ」

 直撃はせずとも、させずとも、翼の横を掠める熱風に、ドクケイル二匹は甲高い悲鳴を上げる。
 炎がレントの頭上を走ったのは、レントの技が不発に終わってから。やはりいきなりだと思うようにはできないか、と。落胆はしないが焦りはするものだった。

「ありがとう」

「さすがに今のは危なかったし手出したけど、まぁこーいう感じでやんのよ。じゃ、本命の技練習どうぞ。みずでっぽうも習得したいってんなら一緒にやればいいし、その辺はご自由に」

 技を外したのはわざと。それはレントの練習を邪魔しないように、かつ炎に弱い相手が一生残るようなやけどを負わないようにという配慮の面も孕む。
 カルは上げた口角から、愉快そうな笑い声をこぼす。

「まだ夜は長いんだ。やれるだけ楽しんどけ」

 ――楽しめるほどの余裕はないのですが。
 レントはそう反論したい気持ちを抑え、迫りくる敵を見据えた。





 ダンジョンを抜け、最奥部へと到達してもなお、カルを相手に技の練習を繰り返す。レントが何度技を当てても彼の涼しい顔を崩せないまま、ついに森は淡い光に覆われ始める。

「明るくなり始めたけど、お前このまま活動できるの?」

「んー……あっ、今ならたくさん寝れそう。だから今からは寝たいかも」

 バッジを起動し、ダンジョンを脱出。そこからは徒歩で帰路につく。

「今からじゃお昼寝程度しか寝れねーと思うけど。ま、いいや。いろいろ喋れて面白かったわ。今日もがんばれよー」

「うん。おやすみ」

「おやすみ、か。ちなみにシルムはそろそろおはようの時間だぜ」

 早いな、なんて言葉から始まる雑談をするうちに、ふたりはレントの家の前まで戻ってきていた。またねと手を振って、シルムに怒られるなよと笑って。家の扉を開けたレントは、急激に襲い来る眠気に抗いながらなんとかベッドまでたどり着く。

 その日もいつも通りに起こしに来たシルムと、宣言通りに寝たレントと、眠気覚ましの代名詞「カゴの実」。
 近年まれに見る大接戦の末、なんとかレントの起床には成功したのだが、その日一日カゴの実が手放せないくらいには彼は睡眠不足だった。ダンジョンの中でも時折こてんと首を倒すレントの口に、残り二つめのカゴのみを押し込んで、シルムは呆れ顔である。

「あんま食べて生活リズム狂っても困るし、今日は早めに切り上げるからレントも早く寝て。昨夜何してたの」

「えっと、夜中に目が覚めた」

「で?」

 さては、そのまま寝たと言った方が信じてくれるのだろうか。そんな思いが胸をよぎったが、彼はその辺りの信用に足るポケモンだと踏んでレントは素直に白状する。

「……カルとお散歩したり、お話したり、技の練習に付き合ってもらったりした」

「あー、うん。わかった。すごくよくわかった。レント、今日は起きないで寝て」

 シルムはぶつぶつと文句を言いながら、その場に落ちていた木の実を拾って「珍しい」と興味深そうに眺める。シルムも単純だなぁなんて思いながら、かじりかけのカゴの実をまた一口かじった。この渋みにも慣れてきたものである。
 太陽が真南に来る前に、持ってきたカゴの実は底をついた。

音々 ( 2021/01/18(月) 02:06 )