第二章 目覚めた朝には夢もおぼろげ
11話 奏譜は淡き期待に釣られる
 その夜、夢を見た。いつもと同じ、ぼんやりした夢。でも今日はそれまでとは違った。
 自分の隣に誰かが立っているのを見た。どんな姿なのか、ポケモンなのか、ニンゲンなのかさえ判別できなかったけれど、たしかにそこにいた。

「レント、さん……」

 ちゃんと、声が聞こえた。高くて、儚くて、優しい、女声だった。

「あなた……に……」

(えっ、「ニンゲン」、「役目」……? 聞き取れない、ノイズが……)

 かすかに聞こえる音を繋ぎ合わせてもはっきりとした意味は取れないまま、声に掛かるノイズはクレッシェンドして、やがてそれも音を小さくしていく。
 あぁ、目覚めの時なんだ。諦めて夢の中のレントは目を閉じた。今日もまた、一日が始まる。わからない夢を胸中に抱えたまま。





「ふーん。ニンゲン、役目、ねぇ」

 シルムはレントの家で朝ごはんをほおばりながら、昨夜の夢の話を聞いていた。机の上には、まだ読まれていないポケモンニュースがきれいに畳まれたまま置いてある。
 シルムがレントの家に朝起こしに来るのも、そのときにポストを確認するのも日常になっていた。それはただのルーティンでもあり、依頼が入っていないかという期待が突き動かした本能でもあった。滅多に来ないが。
 口の中のものをごくり、と飲み込むと、シルムは口を開く。

「レントはさ、ニンゲンに戻りたいって思うの?」

「ううん。ポケモンの中で暮らすの楽しいから」

「即答だね……」

 満面の笑みのレントに、シルムは呆れ顔だった。てっきり戻りたいと言うものだと思っていたし、それが自然だと思っていたからだ。

「たぶん、ニンゲンだった自分もポケモンとは暮らしていた? ような気はするんだけど、やっぱり、自分もポケモンになるとまた違うなぁって。この前ウタちゃん……ウパーの子と泳いだのも楽しかったんだ」

 開けられた窓からは、涼しい風と共に熟れた木の実の甘酸っぱい香りが流れ込んできた。シルムはサンドイッチをつまみながら、続くレントの話に耳を傾ける。

「あと、やっぱりニンゲンのときの自分のことって何もわからないから。気にならないわけじゃないんだけど、他人事みたいっていうか、今の自分とは別の話っていうか、過去の話だなって思っちゃうんだ」

「あー……。でも、ニンゲンの世界でレントのこと待ってる子がいるかもしれないよね?」

「そうかもしれないけど、妄想の中みたいで、本当にいるって思えないんだ。忘れちゃったから、なんだけど」

 コップを抱えたままレントは目を伏せた。身近な人々でさえ、自分の中のどこにもない、面影すらもわからない。天涯孤独だったのではなんて思った方が自然なくらいだった。
 いるはずだ。そう思うけど、掴めない。見えない。空気みたいに、あって、いて、自分を形成したはずなのに、認識できない。

「それに、今はポケモンの生活が楽しいから。今はこれでいい。もう少しして、自分の過去が知りたくなったら戻る方法でも考えるよ。それで、戻って、待ってる人がいたら『ポケモンになってきたよ』って自慢できるようにね」

 笑うレントの顔に、哀も悲もなかった。ただ、今は今を見つめる、それだけだった。

「そっか。……そう、なんだ」

 シルムは朝ごはんを食べる手を遅らせた。食べかけのパンの中からは、眠気覚ましに入れたカゴの実が覗いていた。

「ところでシルム、ポケモンニュース読んでいい?」

「あっ、うん、いいよ。文字の勉強にもなるから」

 レントは半分残ったままのコップを机に置くと、ポケモンニュースの見出しをじっと見始めた。一文字ずつ解析していって生まれた文章が、というと。

「新ダンジョン発見……?」

 シルムに奪われるまで、わずか0.5秒。

 ララバイは広場に来ていた。レントはポケモンニュースを手に読みながら歩く。ときどき、ポケモンとぶつかりそうになれば、シルムが手を引いて教えてくれていた。

「仮称『異変の洞窟』、かぁ」

 既に調査に入ったポケモンにより、ニュースにはダンジョンの詳細が示されていた。ダンジョンは短く難易度も低い、が出現するポケモンの種類は多様。その他、わかったことがあれば追って連絡するらしい。

「気になるね」

「気になるね」

「ここ行こうよ」

「依頼は?」

「今日はお休みで。ほら、休日ってことで」

 レントの押しに、シルムはじっと考え込む。確かにここ最近毎日依頼を受けていたのは事実だ。そのおかげでレントも随分と戦い慣れたものなのだが、たまにはそういう日もありかもしれない。

「じゃ、今日は異変の洞窟。でもそこから依頼が来ていないかの確認のために、掲示板にはいくからね」

「はーい」

 あるのなら助けよう、ということか。シルムの真面目っぷりが伺えた。そうしたら休日ということにはならないのだが、レントからしたら行けるだけで満足なのでなんだってよかった。
 そのとき、横から声をかけられた。声の主、青い体に橙色の頬を持つポケモンは、レントの持つポケモンニュースをにっこりと見つめていた。

「ねぇ、キミたちも異変の洞窟に行くの?」

「うん。そうだけど」

「あ、キミたち……!」

 レントだけは心当りがあったから、ぱっと顔を輝かせた。が、その場にいた他の三名はきょとんとするばかり。

「会ったことあったっけ?」

 青いポケモンと一緒にいた橙色のポケモンは、三歩離れたところからぶっきらぼうに問いかけてきた。尻尾の先でちらちらと炎が燃えているのが見える。
 さて、どう説明すべきか。会ったことと言っても、レントがスカーフを選ぶ際に見かけただけなので、「街で見かけた」としか言えなかった。今日もスカーフを巻いていたふたりを見て、レントも自分のスカーフをぴしっと整えた。

「ボクたちは救助隊『レナトゥス』。まだ駆け出しなんだけどね。ボクがルーフ・リゾルート、ミズゴロウだよ」

「僕たちは救助隊『ララバイ』、ゼニガメのレントです」

「同じく、シルム。種族はヒノアラシだよ」

「スフォル・ツァーティ。なぁルーフ」

 ぶっきらぼうに、さらに一歩離れたところから名を述べたのはヒトカゲのスフォル。彼も救助隊『レナトゥス』の一員らしく、ミズゴロウ色、もとい透き通った海のような青色のスカーフを巻いている。
 何か嫌われることでもしたか、とレントとシルムがハラハラする中、彼は思いもよらぬ一言を、相変わらず不愛想に投げ込んだ。

「ララバイについてけば?」

「おおっ、いいね! どうかな、ボクたちと一緒に異変の洞窟に行かない? ちょうど行こうとしてたところなんだ〜!」

「いいの? じゃあ行きたい」

 レントは即答、シルムも少し考え込んでから「いいよ」と口角を上げて返した。
 救助隊の知り合いが増えるのは歓迎だし、たまには大人数で行ってみるのもおもしろそうだ。それに、にこにこと提案されれば、断るに断れなかった。
 ララバイの返答を聞くと、ルーフは尻尾を振って「ありがとう〜!」と顔を輝かせた。一方のスフォルは、こちらにくるりと背を向けてしまう。

「じゃ、俺はこれで」

「スフォルぅぅぅぅぅ!!!!」

「俺がいなくてもいいだろ! 一緒に行ってもらえるってんならさ!!」

「すぐそうやってサボろうとするじゃん〜!!」

「知らんうちに救助隊にしたのは誰だ!」

「え〜? でもスフォル、誰かの役に立つの好きでしょ?」

「違ぇよ、くだんね」

 首に飛びつかれたスフォルは、まとわりつく虫に向けるような目でルーフを引きはがそうとする。が、ルーフの側も粘り強くしがみついている。
 何の攻防を見せられているんだ。ララバイの率直な感想がそれだった。
 ルーフの言うことからして、これがレナトゥスの日常茶飯なのだろうが、目の前でやられても対応に困る。他人の顔をするのが精いっぱいだった。

「そんなでスフォルとも行くから!」

「行かねぇっつってんだろルーフぅぅ!!」

 レントとシルムは顔を見合わせる。思うことは同じだった。

(どうしよっか)

 ――やっぱり、ララバイだけで行きますか?
 真顔で、そんな質問を、互いに視線を介して投げかけた。






 結局スフォルは諦め半分、引きずられ半分でついてくる運びとなった。本人は不満げなので、ララバイ側は心配になったし、実際にシルムが言ってしまった。

「無理しなくていいよ?」

「これ日常だから大丈夫〜!」

「そこの泥人形に戦闘役として使われてるだけだからな」

 告げるスフォルの顔は不機嫌ではあったものの、ダンジョンに入ってからはチーム一番の戦闘力を見せていた。今も、少し離れたところからこちらに向かって来ようとしたパラスを、「はじけるほのお」を放って一撃で倒したところだ。赤いはさみで焦げたキノコを押さえるように去って行くパラスを、レントは横目で追っていた。

「泥人形……」

「コイツ、いつも俺の家で起きるの待ってるんだよ。で、その間に泥遊びして泥人形になってる。朝からやられるから余計に一日のモチベーションがなくなるんだよ、あの野郎」

「家に来てくれるんだね、シルムと同じだ」

「全然違うからね。スフォルは自分で起きるけどレントはオレに起こされてるからね。あと朝ごはんも持って行ってるし」

 ここぞとばかりにシルムは毎朝のことを強調する。レントは「いつもありがとう」とふんわりした笑顔、スフォルは無反応、そしてルーフはというと、シルムをまぶしそうに見上げた。

「へぇ〜、シルムくんってお母さんみたいだね」

「なんでみんなそう言うの!? いや、言うのはいいけど、本当に同じセリフをここ数日で3匹に言われたことになるよ?」

「お世話になってまーす」

「カルみたいになるのやめて本当」

「えへへ、バレた」

 一切寄らなかった声真似でも正解に辿り着いてもらえて、レントはこらえきれずに、口の端から笑い声をこぼした。

 そんな歓談もつかの間、ダンジョンである以上、いつだって敵ポケモンはすぐそばにいる。

「ポニータだ。あわ!」

「どろかけ!」

 炎タイプの相手には、水タイプのふたりが前線に立つ。反対にナゾノクサのような草タイプや虫タイプには炎タイプのふたりにバトンタッチと、相性よく戦えるように陣営を組んでいた。
 スフォルが強いのはもちろん、ルーフも実力はあるようだった。通路の影から大きな影がのそのそと動いている、かと思いきや、姿を現したのは巨大なポケモンだった。

「イワーク……! レント、ルーフ、お願いね!」

「任せて。まずはあわ!」

 といっても、レントが使える技は現状これとあわしかない。一応「からにこもる」も使えるのだが、咄嗟に出すにはまだ練習が必要なので、レントは習得済みとは思えていなかった。
 いくら水が四倍となるタイプとはいえ、素人の放つあわでは威力は弱い。雄たけびを上げたイワークは、加速しつつレントとの距離を詰めてきた。時折体が光り磨かれていく技、――「ロックカット」を使いながら。

「避けれない……あわ!」

 まだ甲羅に籠もる動作がぎこちないレントは、失速を期待して攻撃に移る。が、ロックカットで加速されたイワークはその程度では止まらない。レントまであと一歩のところで、大きな口を開けて何やら叫んだ。

「みずでっぽう!」

 一筋の水流が、雄たけびの波を突き抜けてイワークを撃つ。
 ルーフはイワークを見据えたまま、みずでっぽうを当て続ける。願わくば、このまま倒れてほしいと。それを見て、レントも意を決したように口にエネルギーを溜める。この動作もだいぶん板についてきたところだった。

「僕も加勢する……!」

 はじき出された泡は、ルーフの水流と合わさって、イワークを無事戦闘不能に追い込んだ。巨体が地面に倒れこみ、フロアを地震のように揺らす。
 後ろに控えていた炎タイプ二匹はニドランと戦っていたのだが、相手がこの地響きで逃げたようで、ふたり涼しい顔で戻ってきた。

「うわぁでかい……」

「こんなん普通に歩いてるダンジョンって危険だろ」

「まぁまぁ、ボクたちでも倒せたから」

 二度と来たくないと顔で訴えるスフォルにも、ルーフはにこにことご機嫌である。体の大きさ=強さでないとは言っても、自身の何倍もの体格を持つポケモンに勝利できた達成感が、彼に自信を与えていたのだ。
 そんなルーフを見て、レントは思い切って声をかける。

「ルーフ、今度みずでっぽう教えてもらえないかな?」

「いいよ〜! まだ使えないの?」

「うん。たいあたりとあわくらいしかちゃんと使えないの」

「うわ……。かみつくくらい練習してみれば?」

 スフォルはそれだけ言うと、数匹のポケモンが闊歩するひときわ広い部屋を見渡した。するとちょうど壁をすり抜けてきたゴースと目が合い、二人の間でゴングが鳴る。
 スフォルは道具箱の中に手を入れた。そこで何かを握ったまま、ゴースとの距離を詰めていく。先に動いたのはゴースの方。吊り上がった目が妖しげな紫色に光る。

「さいみんじゅつ!? スフォル……!」

「わかってるっての!!」

 スフォルは左手に持っていたそれを丸ごと口に放り込み、勢いよく咀嚼する。身をかがめ、それを飲み込んでから、地面を蹴ってゴースに手が届きそうな距離まで近づく。

「かみつ――!?」

 スフォルの目の前で稲妻が弾けた。かと思いきや、スフォル自身にもそれは降りかかる。耳をつんざく弾音とともに、足は痺れついに立つことすらままならなくなる。視界が暗転するまで長くはかからなかった。

「スフォル!!」

 倒れこむスフォルに、見守っていた三匹は慌てて駆け寄る。声をかけても苦しそうにうめくばかり。戦闘不能状態だった。彼の目の前にいたゴースも同じ状態である。
 無策で飛び出してしまったが、ここまでの強敵が近くにいる以上、危険行為であった。自分たちも同じ攻撃を食らう危険性があるからだ。駆け出し救助隊である2チームは、それに気が付かない。ただ、息をするのもやっとなスフォルの安否のみに気を取られていた。
 だから、たとえ真後ろにポケモンが来ようと、認識できない。向こうがアクションを起こすまでは。

「新しい種類のダンジョンポケモン……では、ない?」

「スカーフと道具箱、救助隊か?」

 それがダンジョンのポケモンとはちがう、理性を持つ声だから、まだ猶予はあったのかもしれないが。
 ルーフはスフォルをかばうように彼の前に立つ。レントとシルムも、技を出す準備を万全にしたうえで、彼らを睨んだ。

 二匹のポケモンだった。一匹は桃色の体を綿毛で包んだモココ、もう一匹は灰色の体を持ちふわふわと浮いているカゲボウズ。彼らは、顔を見合わせると、スフォルに手を伸ばそうとした。が、それをルーフが叫んで阻止する。
 彼ら胸にきらめくバッジは、ララバイやレナトゥスのものとは違う。そして、部屋にいたポケモン――もちろんスフォルを含めて――を瞬く間に一掃する放電の破壊力。

 彼らの間で、厳しい視線が飛び交い、空気は緊迫する。
 先に口を開いたのは、モココの方だった。

音々 ( 2020/10/20(火) 00:11 )