9話 火花は酔い溺れる
「あああぁーー……。いいと思ったのになぁ……」
「フられちゃったね、シルムくん」
「フられたっていうか、まぁフられたんだけど」
シルムはポストに寄りかかって沈んでいた。その肩をカスピドがポンポンと叩いて慰めるが、シルムはなかなか顔を上げない。レントは声のかけ方に困った結果、水路に浮いていた枯れ葉を拾い始めた。
シルムがうなだれるに至った経緯は実に単純である。コイルたちに仲間にならないかと誘ったら断られた、それだけだ。
「今回の救助はオレたちだけじゃできなかったわけだし、今度は仲間が必要だって思ったんだ!」
「面白ソウダガ……、救助ニスグニ駆ケ付ケルニハ、我々ノ住処ハ遠イカラナ」
そんなわけで仕方がないと断られてしまい、冒頭に戻る。近くにコイルたちの住処を作れと言われても、そうすぐにできるものではない。救助基地でレントと一緒に住む提案でもすればよかったか、いやそんな条件で頼めるわけもない、とシルムは頭を抱える。
見かねたカスピドは、ぽんと手をたたき合わせると、うつむいたシルムと目の高さを合わせた。
「じゃあさ、マルスに会ってみるのはどう?」
「誰それ?」
「プクリンだよ。ほら、たまに広場でお店開いている。あそこならいい場所紹介してもらえるかもしれないよ?」
「あー……」
横耳に聞きながら、自分には理解できない話と察して、レントは水路から集めた葉をその辺の地面に捨てた。自分もウタちゃんも泳ぐとあって、水路はある程度綺麗なまま保っておきたかったのだ。
「じゃ、さっそく行くよ! レント!」
「わかったー」
話を一切聞いていないので、これからどこに行くのかもわかっていないが、ついそう返してしまった。
「そういえば、カスピドは誘わないの?」
「あ、昔に誘われてはいるけど断っちゃったから!」
カスピドが明るく返すと、シルムはこくりとうなずいた。前から知り合いだったらしいから、誘えそうなもの、むしろ先にふたりで救助隊を組んでいてもおかしくないのに、というレントの考えは、一瞬で打ち砕かれる結果となった。
「俺ね、保安官になるのが夢で、今は勉強と修行をしていてね。だから、今日みたいにたまにダンジョンに付いて行くくらいなら構わないけど、正式な仲間にはなれないんだ」
語る彼の目はきらきらと輝いていた。すごい夢だな、とレントは感嘆する。保安官ということは、相応の正義感はもちろん、実力も知識もなければ務まらない。しかも、申請を出せば一応は誰でもなれる救助隊と違って、試験で合格しなければ資格ももらえない。
だから、そんなカスピドがカッコよく見えた。それはそれとして、だ。
「じゃあ毎回来てもらおうよ」
「毎回!?」
「あははっ、それはちょっと大変だけど……でもこの近くに住んでいるから、呼んでくれればいつでも!」
レントの冗談半分の提案は、意外にも肯定気味の返答をもらえた。それにシルムはばっと顔を上げて、カスピドの手を掴む。
「え、じゃあ実質仲間……!」
「うーん、シンティラの方にも同行させてもらうことがあるから、チーム掛け持ちみたいになっちゃうね」
「そうだったんだ。みんな知り合い……」
まだ日が浅いながら、ここも繋がっていたかとなるポイントが多い。レントは数少ない知り合いの相関図を頭で組み立てて、その幅の広さに感服する。
きっと、みんなが仲が良い。そして、つながりの輪の中に混ざる形となったから、余計にどこもかしこも繋がっているように見えるのだろう。少しだけ、自分がそこにいていいか不安になったレントだったが、これまでの皆の雰囲気から杞憂だと即座に心配を切り落とすことができた。
ポケモン広場に来て、目的の店の前に立つ。シルムは机に手を置いて、じとっと後ろに控えていたカスピドを睨んだ。
「……いないけど?」
「そういう日もあるよ。なんだっけ、これが本職じゃない? とか何か聞いたことがあるし、あと雰囲気もふわふわしてる」
「ふわふわしてる」
「確かにふわふわしてた気がする」
それならいなくても仕方ないか。しばらくは通って様子を見ると決めて、三匹は店を後にする。
相変わらずポケモンで賑わっていた。ニンゲンだった自分もポケモンが好きだったのだろうか、こういう風景になじめることにレントはわくわくしていた。マダツボミ、ブルー、ハスブレロ……。そして、スカーフを選ぶ際に見かけた、橙と青の二匹の救助隊の姿もあった。
「あ、ツマミくんだ!」
「シルムさん、レントさん! それにカスピドさんも!」
通りかかったキャタピーことツマミに手を振る。彼の隣には、さなぎポケモンのトランセルも一緒にいた。友達同士らしい。空もオレンジ色に染まっていたから、会話はあいさつ程度にとどめて、ふたりの帰路を見守るだけにする。
「あの子たち、ララバイの初依頼の子なんだよ」
レントは緑色の背中二つに手を振りながらそう言った。初依頼の経緯を語ると、カスピドはふんふんと乗り気で聞いてくれた。
「そうだ! せっかくだからみんなで一緒に晩御飯食べない? 初依頼の話とかもっと聞きたいし!」
「いいよ。楽しそう……!」
「オレも大丈夫。これから食材買おうとしてたところだったから」
「やったー!」
カスピドはぎゅっとこぶしを握ると、ありがと、とにっと笑顔を見せてくれた。
三匹が向かったのは街の南にあるキッチン。一風変わったメニューもあることや、入りやすい場所や価格で人気の店だった。
通された席は、小さいポケモン用の低い椅子や机だ。店の奥を見れば、体格の良いサイドンがどっかりと座る頑丈そうな石の椅子も見えた。ポケモンだけの世界ならではの工夫だった。ウェイターのマリルが持ってきてくれた水を口に含み、何枚にも連なるメニューを机いっぱいに開く。
「俺ね、この限定メニューの『ホッピング・サマーサラダ』が食べたくて! あとね、これおススメ。いつも食べてるんだ」
カスピドが指さしたところには、おいしそうなメニューが書かれていた。が、慣れていない足形文字を解読するのは厳しかった。レントは視線でそーっとシルムに助けを求めた。
「カイナの潮風パスタ、ね。塩味効いてて美味しいし、マリン風の盛り付けがかわいくて人気のメニューなんだ」
シルムの解説を聞き逃しながら、レントはメニュー名と足形文字を照合する。確かに時間をかけて読めばそう書いてあるとわかるが、やはりすらすらと飲むにはまだ練習が必要だった。
「あとこのゼリーも海モチーフで、可愛くて美味しくて……」
「それはデザートだから後で頼もう。まずはごはん」
「はーい。本当お母さんだね、シルムくん」
「プレストにも言われたけど?」
それぞれメニューを決めて注文票に書くと、店員のマリルに手渡した。てこてこと厨房に消えるとともに、威勢の良い返事が聞こえてきた。
そこからは救助隊を始めてからの色々を語って聞かせた。レントとカスピドが出会ったタイミングの話では、ふたり、顔を見合わせて笑った。
「ウタちゃんって、この近くに住んでるの?」
「そうだよー! 俺の家とも近くてねー、それで一緒に帰ることもあるの」
そうしてウタちゃん自身や、彼女とカスピドの話を聞かせてもらうなどし。盛り上がってきたところで、最初の料理が届いた。頼んだ本人たるカスピドはもちろん、他の二人も、ポケモンの料理として、新しい料理のネタ探しとして興味を示していた。
「ホッピング・サマーサラダ」。夏らしくカラフルな野菜がこんもりと盛られ、黄色の粒が散らばるドレッシングで彩られていた。
「このドレッシングがぱちぱちするーってことで……おー! すごい! 本当にぱちぱちする!!」
ほっぺを押さえて笑顔を見せるカスピド。よほど気に入ったらしく、長い尻尾もぶんぶんと揺れていた。
「ぱちぱち……?」
「うん。少し食べてみる?」
レントはお礼を言うと、端っこの方からドレッシングの多くかかっているベビーリーフを一枚引っこ抜いた。口に含むとなるほど、ぱちぱちしている。頭の中ではじけるような、食感のようでまた違うような、ふしぎな感覚が楽しい。
「シルム、あとで追加で注文していい?」
「はいはい。別に今でもいいよ」
シルムが注文票をめくりとろうとすると、近くをポケモンの影が通って、ふと顔を上げる。
「よー、お前らも来てたのか」
「カスピドくんもいたんだね」
「カルにぃ、プレにぃ! やったー、今日ここ来てよかったー!」
シンティラの二人だった。カスピドはフォークを机に置くと、プレストにぴょんと飛びついた。まるで兄弟のようだった。
二人は近くにあった中型ポケモン用の机に座る。
「プレ兄! あのね、聞いてよ。今日俺ララバイと一緒に救助に行ったんだけどね、スパーク結構上達したんだよ!」
「お、いいじゃん! ピカチュウだと得意不得意分かれるから心配してたけど、順調そうだな」
「うん、プレ兄が教えてくれるおかげだよ!」
カスピドがプレストと話している間、カルはメニュー表を広げながらララバイの本日の活動について聞いていた。
「ハガネ山ねぇ。あそこのエアームドが話聞いてくれなくて、普通にダンジョン攻略しただけの救助隊もケンカ吹っ掛けられるとか言われてたなー」
「侵入者だー、みたいな? 想像つくけど」
「ま、それよりかは理にかなってる勝負だったんじゃねーの?」
「いや、さらった理由が理由だったし……」
やっぱり話は聞いてほしいよ、とシルムがため息をついたのを、カルは軽快に笑い飛ばした。
「そういやさ、カスピド強かったろ」
「うん。メロメロが」
「あれをあんだけうまく使いこなすヤツそうそういないぜ。メロメロが解けても後遺症残っちゃうってやつもごくまれにいるからなー」
どんなだ、とレントとシルムはツッコみかけた。が、あの手慣れた対応を見てなんとなく感じ取った。
シンティラの方も注文を出す。入れ替わるようにして、レントとシルムが頼んだ料理も届いた。レントは見慣れない料理にきらきらと目を輝かせる。
(すごくこう、尻尾振って喜びたくなる気持ち……!)
レントが頼んだのは、カスピドイチ推しの一品「カイナの潮風パスタ」だった。てっぺんにはボーダーのフラッグが立ち、キャモメを象った木の実の飾り切りがその横に添えられる。イラスト通りのこだわった飾りに目を奪われて、食べるのを躊躇しそうにすらなる。
が、意を決してレントはフォークにパスタを絡めた。慣れないゼニガメの手で、何回やり直しても数本しか巻き取れず、カルにいじられたりシルムに代わりに巻いてもらったりしながら、口へと運ぶ。酸味のきいた柑橘風味のソースと、海らしいさわやかな塩味が、軽やかな細いパスタを極上に仕立て上げていた。
「美味しい……!」
「でしょー!! 飾り切りがたまにペリッパ―になったり、マリルになったりするのも面白くてつい頼んじゃうんだよね!」
「そうなの? 見てみたいなぁ」
レントはすっかりその虜になってしまって、メニューを再び開くとポケモンがモチーフとなっている料理を探し始めた。すべてではないものの、飾り切りが乗っていたり、まるごとポケモンモチーフになっていたり、個性が溢れていていつまででも見ていられそうだった。
「あ、そうだレントくん」
プレストに呼びかけられて、レントはメニューを手に取ったまま、首を傾げた。プレストは一旦自分の席を立つと、レントにしか聞こえない程度の距離で、声で、こう問うた。
「レントくんって、出身遠かったりするの?」
「……! え、えっと、うん。結構、かな」
「そっか。シルムがちらーっと文字がどうこう言ってたし、相当遠くなのかなって気になってさ」
ララバイのリーダーがどっちか、なんて論争の時に、ついシルムの口をついたのが「文字が読めない」というひとことだった。シルム自身は無意識だったが、プレストは引っかかる部分があったために覚えていたのだ。
「俺もだいぶ遠くから来たから、最初は足形文字にも苦労したなって思い出して。今でも読むの時間かかるし、昔使ってたやつ使いたくなるくらい」
「そうなんだ……。ちゃんと読めるようになるかな」
「覚えるだけなら大丈夫だよ。でもどこの大陸でも足形文字は共通で使われているし、読み書きはすらすらできないとすごく困るよ」
明るく言われながらも、レントの中にはふわっとした疑問が浮かび上がった。
「あれ、じゃあプレストってどのあたりの出身なの?」
「ただの辺境だよ。カルも知らないような場所だし……。まぁ、俺と同じ境遇のキミなら聞いたことくらいはあるのかもしれないね」
プレストは冗談っぽく笑って、レントのパスタに飾られていた、今は皿の端に避けられたフラッグを手に取って眺めた。
――ニンゲンもいるような場所?
レントはむむむ、とうなる。さすがに突飛な思考と自覚はあれど、足形文字に不慣れだったという共通点のせいでこの考えがぐるぐるとめぐる。もしかしたら自分と同じく元ニンゲンなんじゃないか。そんな期待も湧くけれど、聞いてよいものか、それと同時に自分が転生者であると公言してよいものか。そんな思いが口を閉ざす。
黙り込んで考え込むレントに、プレストは明るく笑いながら弁明する。
「ああごめん、冗談だって。そんな困らせるつもりはなかったんだ。ちょっと言ってみただけだよ」
プレストは「ごめんね」とひらり、前足を振ると、自分の席について飲み物に口を付けた。一気にそれを飲み干してから、プレストは眉をひそめた。
「カル、自分のとカップ入れ替えたろ」
「おー? あーすまんすまん、手癖出たかもー。飲んじゃった?」
「がっつり飲んだ。たぶん明日一日ぶっ倒れるわ」
「ちょっと!? いつも以上に飲んじゃったの!?」
シルムは机をたたく、のを寸前で押しとどめつつ、シンティラの二人を睨んだ。ふわり、とアルコールの香りが流れた。カルは、自分のなのかプレストから強奪したものなのかわからないカップを傾けつつ、けらけらと笑った。
深いため息をつきつつも、プレストは笑顔だった。それが素か、酔い初めによるものかは判断しかねるのだが。
「俺に酒入るの、大体カルのせいだから」
「そうそうー、俺のせい」
「悪びれろ!! プレストもなんか学んでよ!?」
「んー、まぁ美味いのは事実なんだよな。だから飲んだらそんとき。体の方がいつか慣れないかなって」
「体に良くないでしょ!!」
プレストは酒に弱い体質だった。だから、自分から頼むようなことはしない。飲もうものなら二日酔い必至、しばらく頭痛と戦う、などが起こるからだ。そしてそうなったときに頼る相手がシルム、というわけだ。
世話の焼ける大人だ、とシルムは呆れながら、自分の料理を不愛想にほおばり始める。明日もやることが多い、とタスクを並べながら、いよいよ完食というところまで食べたところで、肩に圧力を感じた。
「んー、しうぅ……」
「なんて!?」
「んー? んん、ん……」
「ちょっとレント!? え、レント……まさか?」
突然、甘えた声で寄りかかってきたレントの頭を支えながら、シルムはレントの前のコップを覗く。半分くらいには減っていたか。カップのサイズと、ゼニガメの体格を考慮すると、そこそこ多く摂取したらしい。「酒」を。
「いやー、プレストのをすり替えるついでに手が滑ったかも。ほら、酒って大体二種類以上は机に置いとくもんじゃん? 飲み比べできるし、料理に合わせれるし、それで」
「あああぁもう! レント未成年かもしれないじゃん!!」
悪びれる気のないカルに、シルムは耐えきれず叫ぶ。これ以上世話するポケモンが増えるのはごめんだと、手遅れながらに思った。
カルとシルムが言い合い始めたのを聞いて、カスピドはこてんと首を傾げた。
「年齢知らないの?」
「し、知らない……今度聞いてみるけど……」
「じゃあ大丈夫かもしれないな」
「大丈夫じゃなかったときの方が大変でしょ!?」
「くははっ、わかってるって」
本当にこの大人は反省する気があるのか。シルムは幸せそうに目を閉じているレントに、仕方なく肩を貸した。
「……レント、大丈夫なの?」
「ん〜? んー……ん」
「お酒で眠いのか普通に眠いのか酔ってるだけかどれなの?」
すっかり日も沈んだ時間帯、どちらの可能性も十分にあって、シルムは大きなため息をついた。
その後、レントはお店で完全に寝落ちてしまって、お詫びということでカルが背負って家まで連れて行った。プレストは普通に歩ける程度ではあったから、カルとシルムが言い合う様を後ろから眺めつつ帰路に。
シルムはカスピドに謝ったが、「楽しかったからいいよ! また行こうね」と笑顔で手を振ってくれた。シルムからしたら唯一の良心だった。
そんな、夜の一幕。一粒の流れ星が、大地を貫かんとする勢いで、空を駆け抜けていた。