8話 銀鳥は酔いしれる
エアームドが翼を振るうと、鉄臭い風が砂を巻きあげた。「すなかけ」という技だ。三匹は目に入らないように、と反射で目を覆う、だからこそ相手の思惑通りと頭ではわかりながら。
「つつくザマス!」
降下しつつ、エアームドは鋭いくちばしを太陽にきらめかせる。ただでさえ慣れなくて動きづらいゼニガメの体ということもあって、避けようとしたレントはバランスを崩した。
「痛っ……」
「火の粉!」
レントに駆け寄りながら、シルムは炎の散弾を打ち放つ。近い距離から放たれたそれは銀色の右翼を焼きなますには十分。じりじりと蝕むような熱に、エアームドは金属をこするような声で叫んだ。
「熱いザマス! 何をするザマスか!」
「戦うって言いだしたのそっちなんだけど!」
叫び返したシルムは、瞬間、ぴたりと動きを止めた。エアームドの視線が一段と鋭くなったのを直視したからだ。それが防御を下げる技、「にらみつける」であると察するまでは、二秒と半分。
攻防の隙にレントはオレンの実を噛んで受けたダメージを回復していた。直撃した右腕も鈍りなく動かせるようになったことを、手を上げることでカスピドに合図した。
「じゃ、行くよ! しっぽをふる!」
カスピドは稲妻のようなギザギザの尻尾を動かし、エアームドの気を引く。そこで生まれた隙を、レントもシルムも逃さなかった。
「「たいあたり!!」」
ふたりいっしょにぶつかることで、エアームドを地面に叩き落とそう、という作戦だった。
だが、実際そううまくも行かない。いかんせん、エアームドはゼニガメやヒノアラシの3倍くらいの体長を持つのだ。そして細くも強靭な鋼の体。こちらの想定以上に、相手は手ごわかった。
「わっ」
「鬱陶しいザマスね! はがねのつばさ!」
いともたやすく弾き飛ばされた二人は、地面との摩擦に顔をしかめた。随分と勢いよく振り落とされたようだった。さらに分の悪いことに、エアームドはこちらの射程圏外にまで舞い上がってしまった。
ぎらぎらと主張する太陽を覆い隠すように、エアームドは翼を広げ、こちらを見下ろしていた。向こうを策を練っているのだろうか。しばし静寂のターンが訪れる。
先に破ったのはエアームドの方だった。急降下、急加速、そして急襲。銀色に光る「はがねのつばさ」は、見るだけで先ほどよりも鋭い一撃であると察するに足る。が、単純な回避では間に合うわけもなく。
「レント!」
一番攻撃を当てやすいと踏んでだろうか、エアームドの翼はレントに切りかかった。
だが、レントの側も無策ではなかった。
「甲羅に籠もったザマス!? ずるいザマスね!」
エアームドは、目の前でころんと転がる甲羅に踏みかかる。が、レント本人に届くダメージはかなり軽減されていた。甲羅のせいで回避できないのなら、甲羅を使って防御すればいい。そんなレントの算段は見事に成功していた。
「空飛ぶのだって同じだよね! ――火の粉!」
「練習中の技でごめんね、スパーク!」
からにこもったままのレントにすべての矛先を向けていたエアームドは、飛びかかる炎にも、稲妻をまとって飛びかかるカスピドにも寸前まで気が付かず。はっとした頃には、両翼それぞれに熱を帯びていた。
「それじゃ、本戦といこうか!」
カスピドは口に手を添えると、それをエアームドの方に投げた。要は投げキッスである。それと同時に、淡い桃色の光が現れて、くるくると旋回しながらエアームドを包む。
技の効果が現れるまでは、レントとシルムは何の技かわからずに首を傾げていた。
「メロメロ、だよっ」
ぱちり、と右目をつむる。それは、メロメロ状態にかかったエアームドには効果抜群だった。両翼を合わせて、目にカスピドだけを映して、エアームドは嬉々とした甲高い声で愛を語り始める。
「はあああぁぁ!! かわいいザマス! カッコいいザマス!!」
「ありがとね、ファンコールはいただいておくよ!」
「好きザマス! 本当にかわいいザマスね!! とても好きザマスよー!! 最高ザマスー!!」
一瞬でカスピド色へと変貌したエアームドに、取り残された二人はただただ困惑するばかり。
「う、うえええぇ……?」
「強くて気に入っているんだ。使う相手が限られちゃうのが難点だけどね」
「う、うん……? すごい技だね」
「ね、俺もそう思う!」
未だ困惑気味のレントに、カスピドは笑顔で流すと、エアームドに向かってウインクをしてみせた。
「いいよ、その調子でいて! ――しっぽをふる!」
これまでにも相手に隙を作り、防御を下げるのに一役買っていたこれも、メロメロ状態とあらば効果は倍、いや三倍にもなる。完全にカスピド色のエアームドは、ただ彼への愛おしさに悶絶するばかりだ。
「レントくん、シルムくん! 俺が引き付けてるから、そこからはお願いね!」
それは、エアームドが上空へと舞い上がったときにカスピドが提案した作戦だった。レントとシルムは刹那の難色を示したものの、彼の自信にあふれた押しに負けてそれに乗ることにしていた。
ふたり、すっと深呼吸をすると、エアームドの背に飛び乗る。それは、急所たる首元へと確実に技を当てるため。
「火の粉!」
「あわ!」
普通以上の威力をたたき出されて、エアームドは羽ばたいて逃れようとする。それに不意に振り落とされないように、レントもシルムも背にしっかりとしがみつく。
まだかろうじてメロメロの効果が残っているのを幸いとして、カスピドは地面を蹴った。頬からあふれ出た電気は、加速するカスピドを包み照らす。
「スパーク!」
カスピドしか目にない彼女は、たとえそれが攻撃としても避ける道を選ばなかった。だから、それは足元を確実に突いて、叫び声を天へと逃がす。
シルムとレントも、エアームドの転倒に巻き込まれないうちにと地面に飛び降りる。レントは失敗して転ぶも、手をついて無事な転び方をした。
「それじゃあまたね、電気ショック!」
カスピドはにっと笑顔を見せて、エアームドに手を差し伸べた。そこから迸る電流を見て、メロメロの解けたエアームドははっとするが、なすすべもないままその奔流を一身に受けた。
瀕死のダメージを負ったエアームドは、肩で息をしながらどうにか立つ。
「うむむ、一旦逃げるザマス……!」
とぎれとぎれの声でそれだけ言い残して、エアームドはばさり、と飛び上がった。銀色の羽は西行きの太陽を跳ね返しながら、その残響だけを残していずこへかと姿を消す。
三匹はふぅと息をつく。大きなけがをすることなく追い払えたのは大きい。なにせ、争うつもりではなかったのだから。
シルムはある一点に向かって走り出すと、そこにいるポケモンに手を振った。
「おーい! エアームドは追い払ったよ! 降りておいで!」
だが、助けるべき存在たるディグダは、青ざめた顔のまま震え縮こまっていた。
「ダメです……怖くて降りられないです……」
「わかった。そっちまで迎えに行くよ!」
にっと笑ったカスピドはすたすたと歩いていく。が、地を踏もうとした左足が宙を浮く感覚に、慌てて後ろへ飛びのいた。
「わ、すんごい深い谷だ……。これを飛び越えるのは厳しいよ」
「でも、超えないとディグダを助けられないじゃないか!」
カスピドが崖の縁に手をかけて下を覗き込むが、奥底がどうなっているのかは陰っていて曖昧である。良く晴れた昼間でこれだ、山のふもとに繋がっていると言っても過言ではない深さなのかもしれない。
言い合うふたりの後ろで、レントは策を巡らせる。
(飛び越える方法……エアームドをもう一回メロメロにしたら超えられたんじゃないかな)
巡らせて、これしか思い浮かばなかった。むしろ、これが最善とさえ思えた。けれども提案できる話でもなく、レントは黙ったままふたりの背中を見つめていた。
が、そこに新たなふたつの影が落ちるのを見て、はっと顔を上げた。彼の眼には太陽をはじき返す二つの影がはっきりと映り込んだ。
「ビビビ、話ハ聞イタ。我々ガ空カラ助ケヨウ!」
「あ、キミたちはこの前の!!」
それは、電磁波の洞窟で助けたコイルたちだった。レントもシルムも、思わぬ再会、そして救援に思わず顔が輝いた。
二匹のコイルは谷を悠々と超えると、二人分の磁力でディグダを抱え込んだ。
「本当に怖かったです……。ずっと高いところにいたせいか、まだ足が宙に浮いているような感じです……」
(あ、足?)
(足、あるんだ……)
救助基地の前まで戻ってくると、ディグダはか細い声でそう言った。それぞれ、引っ掛かりを覚えたが、誰も口にはしなかった。
「でもこうやって助かったんだからよかったよな!」
「はい……。フードのお兄ちゃんも、救助隊のみなさんも、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてお礼を述べてくれた。なかなか根の良い子のようだ。
カスピドが大丈夫だよ、と頭をなでているときだった。
「――おおーっ!! 助かったのか! よかったよかった!」
「うげ……っ!」
どこからともなく聞こえた声に、シルムは顔をしかめて全力で後ずさる。記録四歩、ダグトリオが飛び出した勢いで舞い上がった砂や小石を避けるには十分な距離だった。
「どうも、ダグトリオです」
(地面カラ出テクルノカ……)
これが初めてとなるコイルたちは、宙に浮いていてもなお、その勢いに驚きを示していた。最初は仕方ない。大抵はそういう反応になるものだ。
現れた親の顔を見て、おびえていたディグダの顔にぱあぁと光が差す。安堵からか、ようやく笑顔を見せてくれた。
「パパー!」
「おお息子よ! 心配したぞ、ケガはなかったか?」
親子の再会の様子、一見微笑ましい絵面であるが、レントの胸には小さな疑問が芽生えてきた。よく似た親子を見比べながら、うむむとうなる。
(一人称がわたしたち、だったから三匹で一匹と思ってたけど……あれ、パパってどの頭のことなんだろう)
「怖かったけど大丈夫! レントさんたちのおかげだよ」
ディグダの笑顔を見ると、ダグトリオの緊張で固まっていた眉間もやさしくなった。
「おかげで助かりました。ありがとうございます」
「お礼なら僕たちじゃなくてカスピドとコイルたちに言ってよ。みんながいなきゃ今回の救助はできなかったんだ」
シルムは手を横に振った。カスピドがいなければエアームド戦はもっと苦しかっただろうし、コイルがいなければディグダを連れての下山は不可能だった。これはララバイだけの救助活動ではなかったのだ。
「それはそれは、ありがとうございます」
「イヤイヤ。助ケタノハ当然ノコトダ」
「ソレニ、進化系ガ三位一体トイウ辺リニ親近感モ覚エテイルノダ」
「やっぱりポケモン同士助け合わなきゃね!」
「いやはや、かたじけない」
最初は家に押しかけてくるわ、床は突き破るわと、強引な印象を受けたダグトリオも、こうしてみれば良い親である。あの突飛な行動も、息子を心配してのことだったのだろう、おそらくは、たぶん。
「皆さん、ほんとうにありがとうございました。では!」
ダグトリオはお礼を、まるで魔法で錬成したかと錯覚するスピードでその場に置くと、地面にさっそうと消えていった。ディグダの方も、それを追って潜っていく。
さて、報酬の中身を確認するシルムの顔は、呆れの色に染まっていた。
「この道具、どうやって出したと思う?」
「手じゃない?」
「足あるって言ってたし、手もあってもおかしくないよね」
「ビビビ、素早スギテ見エナカッタ……」
「ドコニシマッテイタカモ謎ダナ……」
残された五名、そんな話題にしか花を咲かせられなかった。