6話 ポケモンとして暮らす
それは、二回目の小さな森へ挑むとき。
ふたりの出会いの場は通り道でもあったから、ちょうどここに倒れていたよね、なんて話をしようとした際に起こった。
「……! これ!」
レントは目にもとまらぬ速さで「それ」を拾い上げ、胸に抱いた。しばらくそのまま抱いてから、落とさないように両手を重ねたうえでそっと手を開く。
それは、八部休符をかたどったピンだった。艶めく黒色が、朝の陽ざしを柔らかく取り込んでいた。
「それ、レントのなの?」
「……わかんない。わかんないけど、でも今」
「無意識にそう思ったんならたぶんそうじゃないかな。落ちていた場所もちょうどレントが倒れていたところだし」
本当に自分のものと確証が持てない以上、レントは持って帰るのをためらった。けれども、シルムのその一言で決心した。自分のものと信じて、記憶の手がかりになると願って、それを道具箱に大切に入れた。
「そんなわけで、拾ったピンを身に着けたいなって思ったんだけど……」
ふたりは街に戻ってくると、周囲を見渡した。
ここは通称「ポケモン広場」。商店や銀行などが立ち並び、救助に行く準備をするにはもってこいの場所で、連日多くの救助隊が訪れていた。依頼を終えた夕方であっても、町は救助隊や住民たちでにぎわっていた。
いかんせん、服もなければ髪もないからピン単体で身に着けるのは難しかった。道具箱だってピンを止められるような場所はない。そこでシルムが提案したのが、というと。
「スカーフ巻いてそこにつけるのは? ほら、あぁやってスカーフ巻いている救助隊も結構いるんだよ」
シルムが指さす先には、青色のスカーフを首に巻いたヒトカゲと、同様に赤色のスカーフを巻いたミズゴロウのコンビがいた。距離はあったから向こうはこちらには気が付いていない様子だった。
「このモモンスカーフみたいに実用的なのもあるし、普通の布でできたおしゃれ用もあるんだ」
「いらっしゃいませ〜!」
シルムは二匹のポケモンが番をする店の前で足を止めると、桃色のスカーフを指さした。端が水玉模様になっていて、一枚でもかわいらしい。その上に毒を防ぐ効果も持つとのことで、人気が高いアイテムだった。
「シルムさん、新しいお友達ですか?」
「うん。一緒に救助隊ララバイをやっているレントっていうんだ」
「よろしくお願いします」
シルムの紹介につられて、レントも店主のカクレオンに頭を下げた。二匹のカクレオンは片方が緑色、片方が紫色で、ふたりは兄弟らしい。息ぴったりに出迎えてくれた。
「ほうほう、それでスカーフを探していると」
「うん。似合うやつ何かないかな、って」
細かい話は端折って、単にピンを付けたい、とだけ説明すると以上のような返答が得られた。レントは並べられた装備品の数々をじっくりと眺める。
良い効果もあればその方がいいのだろうか、とも思ったが、なかなかピンとくるデザインがない。凝った、ものによっては奇抜なデザインが多いのもそのせいか。
それに、この世界の金銭感覚がわからないレントなりにも、他より飛びぬけて高い値札を見れば察せる。さっきはそれで、「さすがに高いし本来の目的と違うし普段からそれ着けるのはやめて」と「みとおしメガネ」を却下されていた。
そんな茶番はさておき、レントはなかなか決め切れずにいた。たぶん、ここに救助を有利に進めるためのものばかりだからだろう。おしゃれ用を見ればまた気に入るものがあるのかもしれない、と要望して、レントはシンプルなスカーフ群を裏から出してきてもらった。
「これだと本当に単なるスカーフになりますね〜。レントさんはお好きな色はございますか?」
緑色のカクレオンに聞かれて、はてなんだろう、とレントは悩む。悩んだから、色とりどりのスカーフ群に目を落として、好みらしい色を探した。
まるでパレットのように、個性あふれる色が咲き乱れていた。見ているだけで楽しくなってしまって、レントは鼻歌交じりにひとつひとつの色を追う。
は、とレントは目を留める。一枚だけ、他とは雰囲気の異なる色が見えた。
「この色、好きだ」
「お、お目が高いですね〜! この色は限定カラーで、在庫がこれっきりなんですよ〜!!」
それが売り文句であるとわかっていたが、レントは迷わずそれを手に取った。傾き始めた太陽に照らされて、その淡い色はうっすら赤みを帯びた。
「これにする」
「うん。お会計は……あ、今日の依頼の報酬でぴったりだから払っちゃうね」
「毎度ありがとうございます〜!」
レントはさっそくそれを首に巻く。慣れない短い指は、不格好な結び目しか作れなくて、横で見ていたシルムが思わず結び直しに来てしまった。ありがとう、というとまったくもう、と呆れ顔で返された。
ともかく、レントはそこに八分音符のピンを取り付けた。
「うん。似合うじゃん」
シルムもうなずいて、装いを新たにしたレントをにこっと見据えた。
薄紫色のスカーフが、夕方の風にひらりとなびいた。淡くて儚くて、優しい色だった。
スカーフを身に着けたレントは、ひとりで基地に戻ってきていた。
遊びに来ていたウタちゃんに手を振ると、にこっと笑って喜んでくれた。一緒に遊ぼうとしたものの、日も傾いていたこともあって、今日はそのまま帰宅を促した。名残惜しい顔で水面に浮かぶ彼女に、
「早く帰ってきた日は遊べるから、また今度遊ぼうね」
なんて言えば、途端にご機嫌になっててくてくと帰っていくものだから、わかりやすい。無事に帰れるのか心配になり、ついていこうかと悩むも、家がどこかも知らないのに行けず。せめてもと背中が見えなくなるまで見届けると、後ろから声をかけられた。
「外にいたんだ」
「あ、シルム。いらっしゃい」
なぜ、彼が再びレントの家に来たのか。理由は彼が手に持ったノートと、救助に行くわけでもないのに背負っている道具箱にあった。
「勉強道具は持ってきた。あと、晩御飯も一緒に食べようって思って材料と調理器具少し」
「ありがとう。……え、ここで作るの?」
「そうだよ。簡単なのだけど大丈夫?」
「うん。作ってくれるだけで嬉しい。ありがとう」
約束していた文字の勉強のためだった。といっても、晩御飯についてはレントも今聞いたばかりだからサプライズもいいところである。
基地に入ると、シルムは持ってきた荷物を広げる。その中から紙とペンを出すと、レントの座る机の上においた。
「まずは基本的な文字からね。オレがご飯作っている間に書き取りしておいて」
「うん。わ、似た文字が多い……」
「ポケモンの足型から作った文字だからね。でも見分けるのは簡単だよ」
そういうと、シルムは一通りの文字の説明と発音を教えてくれた。見慣れない文字ばかりで、知っている文字に縋りたくもなるが、ポケモンとして生きていく以上これは大切な関門である。
シルムは木の実を刻み、レントは文字を写経する。シルムは材料を火にかけて、レントは書いた文字を音読する。しばらくレントが集中しているうちに、シルムはてきぱきと料理の品数を増やしていった。
「じゃ、ごはんにしよっか」
「うん。ありがとう。……簡単?」
「簡単だよ。これは炒めただけ、こっちは切って盛り付けただけのサラダで、これは家から持ってきた作り置きの漬物」
その品数があって簡単というのか。朝ごはんだった木の実入りのサンドイッチも、彼は簡単なものと言っていたのだが、さては簡単の幅が非常に広いのではなかろうか。
そもそも、レントはポケモンになって以来晩御飯を食べていなかった。というのも、疲れが先行してすぐに寝てしまったせいなのだが。それもあって、目の前に並べられた料理に尻尾を振るような思いをした。
「「いただきます」」
手を合わせると、ふたりはそれぞれ料理を口に運ぶ。
「文字はどう? 覚えられそう?」
「んー、まだ全然」
「最初はそういうもんだよ。ちょっと勉強したらわかるようになってくるから」
シルムの料理の腕もさることながら、誰かと共に食べるご飯も久しぶりで、レントは料理を口に運ぶ手をなかなか止められなかった。
「美味しい。またシルムの作ったご飯食べたいな」
「どうせしばらくは夜もここに来るから、簡単なので良ければすぐ作るよ」
食べ終わると、再び勉強タイムに突入。だが、おなかも満たされて、すっかり夜になって、という条件下、レントの眠気も徐々に強くなってきた。
「ふああぁ……。ごめん、今日はもうむり」
「うん。じゃあ今日はここまで。明日は復習と、できれば本も少し読んでみようか。簡単なの持ってくるね」
シルムが片づけをする間に、レントはふわふわとベッド代わりの石にころんと横になる。ひんやりとした感触に涼むうちに、意識は揺れて、瞼は完全に閉じてしまった。
「おやすみ。また明日もポケモンでいるね」
「むしろポケモンじゃなかったら困るんだけど……。また明日も起こしにくるね」
シルムが言い終える前に、レントは寝息を立てはじめた。寝つきはずいぶんと早いもので、シルムはひとさじのうらやましさを抱える。
「こんなに早く寝ても朝眠いのかなぁ……」
元々睡眠時間が短めな体質のシルムには、あまりにも早い眠気の到来が謎にすら思えたのだけど。
シルムはレントを起こさないようにそっと家を出ると、月明かりに照らされた帰路を歩き始めた。時折空を見上げては、満天の星を目に焼き付けて。