第一章 夢から覚めても夢心地
4話 泡と唄
「えっと……誰?」

 自分の家に他人、もといポケモンがいると、想像以上にびっくりするものなのだなぁ、などと、レントはその場に固まりながら。




 シンティラのふたりはまだ帰ってきていないようだった。シルムは一旦自分の家に帰る、とのことで、いったん解散。レントはひとり救助基地兼自宅に戻っていた。

(といっても、やることが寝るくらいしか)

 あくびひとつして、レントは自宅を見上げた。まぁ入ってやるか、と敷地に足を踏み入れた瞬間のことだった。

「うー……?」

 気の抜けるような、ゆったりした音が響いた。聞き間違いかもしれないと思いつつも、レントは振り返る。誰もいない。やはり気のせいか、なんて結論付けようとした矢先にもう一度。

「う! うー!」

 声の主と目が合った。相手は喜んだ。こんなにわかりやすく主張してくれたら誰でも居場所は特定できるものなのだが。
 ぴちゃん、と元気な飛沫を立てたその子に、レントは困惑の色を隠せない。

「えっと……誰?」

 水路でぷかぷかと浮かびながら、その水色――ウパーはにっこりと笑った。

「うー!!」

 その返答を聞いて、レントはすっと真顔になっていくのを自覚した。
 ほとんどないニンゲン時の記憶をたどれば、確かにポケモンとかかわりはあった気がする。が、彼らと話していたかというと、否。ニンゲンとポケモンは言葉を交わせない、というのが通説だったように思う。
 だから、レントは息を詰めた。シルムをはじめ、ポケモンたちと普通に話せていたのは自分もまたポケモンになったからだと思っていた。だから、いずれのポケモンとの会話にも困らない、と無意識に信じていた。

 いや、――もしかしたら、もうポケモンと話せなくなってしまったのかもしれない。

 そんな思考に背筋が凍り、レントは半歩後ずさる。その様子に、ウパーはくりくりした目をこちらに向けたまま、ゆっくりと首を傾げた。

「うー……?」

 それを聞いて、はた、と思いついた。
 ――もしかして、言葉を知らないのでは?
 幼い声と、無邪気なにこにこを見て、レントの不安は霧が晴れるように消えていった。それならば、この子が「う」としか言わないとて、シルムたちとの会話を心配する必要はない。
 この子の名前を知らない以上、種族名で呼ぶしかない。さっきの返答を真に受けて「うーちゃん」など呼んでもよかったのだが、なんとなく気乗りがしなかった。

「キミ、ここで何しているの?」

「うー? う!」

 ウパーは顔をきりっとさせると、勢いよく水面下に潜った。その水影は、レントが今立っている橋の下をくぐり、反対側からぱしゃりと浮上する。

「うっ!」

 どやああぁ、と得意げな顔だった。ふんすふんす、と鼻息を鳴らしているその子が何を求めているのか、それは非常に簡単な話である。

「泳ぐの上手だね」

「!! ぱああぁ……!」

 「う」以外の音をようやく引き出せたことに、レントは感心した。そこもほめてみると、もっと喜んで、水面をぴちゃぴちゃと波立たせた。浮かんでいる蓮がゆらり、と踊った。

「うーう! うー!!」

「わっ」

 ウパーは水から飛び出すと、ぴたり、とレントに張り付いた。懐かれたみたいだ。レントは思わず笑みをこぼしながら、ぐいぐいと押そうとする(押せてはいない)小さなウパーを見下ろした。

「えっと、一緒に泳いでほしいの?」

「うーっ! うう〜♪」

 ご名答と言わんばかりににこにことして、ウパーは再び水路に飛び込んだ。顔だけ出すと、尻尾を力いっぱい振った。早く来い、の意思らしい。
 さて、どうするか。レントの中で答えは決まっていた。

「水タイプになったんだし、泳いでみるの楽しそうだね」

 道具箱を草地に置いて、レントはそっと水路に足を踏み入れる。透き通った水が程よく体温を奪っていって、心地よい涼しさが全身に広がった。水路の深さはレントの身長と同じくらいだった。足をついて息継ぎできるわけではないが、泳ぐのに支障がない深さともいえる。

「うっうー!」

 ウパーがばしゃり、と水面下に飛び込む。それを追うように、レントは大きく息を吸い込んでから、きらめく水面を視界全てに映しこんだ。
 ぱしゃり、こぽん、涼しげな音がレントの緊張を癒した。

 潜ってみると、水の綺麗さはより際立って見えた。ウパーは潜ったレントを見るとにこっと笑って、先の方へと泳ぎ始める。待って、とかけた声は、空気の泡となって水面へと吸い込まれていった。
 だって、泳げと言われても、ゼニガメの泳ぎ方を知らないから仕方がないじゃないか。遠ざかるウパーの尻尾を見据えながら、レントは感覚だけで手足を揺らす。

 あぁ、こんなものか。適当に体を動かしていくにつれて、進みやすい体の動かし方がわかってきた。はじめは先に行っていたウパーも、レントが追い付くのを待っていてくれて、ふたり並んで泳ぎ始めた。

 水面に浮かぶ蓮の葉の隙間から、日差しが帯となって水中を照らす。見上げれば、宝石のように輝く水面がまぶしくて、思わず見とれてしまう。
 心奪われたまま漂っていると、突然ウパーがレントの手をくわえてじたばたともがき始めた。

(どうしたの?)

 首を傾げて前を見て、納得。レントは体を傾けて回避、避けきれない分は壁を蹴って転換。

(曲がり角にぶつからないように教えてくれたんだ)

 水路は急に角が訪れるから、よそ見をして泳いでいてはぶつかってしまう。助けてくれたウパーを撫でると、ご満悦な笑顔を浮かべてくれた。

 葉の影を潜り抜け、水中に沈んだ鮮烈な桃色の花びらを横目に、ふたりはぐんぐんと泳いでいく。一周する頃には泳ぎのコツをつかんで、二周する頃にはもっと速く泳げるようになった。
 三周目は体一つ分だけ泳いで、ふたりは水面へと浮上する。

「楽しかった。ありがとう」

「うー! ううー♪」

 撫でてあげるとたくさん喜んでもらえるものだから、レントもつい、予定より多くなでてしまう。もう一度潜ろうか。高揚感のままそう提案したが、それはウパーの返事を待つ前に第三者に遮られた。

「ウタちゃん! ここにいたのか……おっ?」

 家の前に伸びる街道か声をかけたのは、レントより小さめな黄色いポケモンだった。被っているフードからは長い耳がぴょこんと飛び出している。耳の先は黒く塗られていて、レントもすぐに彼の種族を理解した。
 ピカチュウは目元にかかったフードを持ち上げて首をかしげる。

「見ない顔だな。誰?」

「僕はレント。えっと、種族はゼニガメ、でいいのかな。昨日からこの家に住むことになったんだよ」

「き、昨日から。なるほどねー」

 そのフードのピカチュウは、驚いた様子を一瞬で呑み込んで、水面でにこにこしているちびっこと視線を合わせるためにしゃがみこんだ。

「んじゃウタちゃんもここで遊べなくなっちゃうね」

「うっ!?」

 ウタちゃん、と呼ばれたウパーはがーんと効果音が付きそうな勢いで驚きを示す。

「うー! うう、う、うー! うう!」

「えーっと……一緒に遊んでもらった? でいいのかな、レントさん?」

「うん。そうだよ」

「そっか、ありがとね。でもねウタちゃん、ここレントさんの家になっちゃったから、勝手に遊びに来るのは今度からダメだよ」

「う!? うー……」

 ウタちゃんはしょんぼりとうつむいた。今にも物理的に沈みそうである。
 レントは沈みそうなウタちゃんを抱いて、ピカチュウの男の子に向き直った。

「遊びに来るのは全然いいよ。今日泳ぎも教えてもらえたし楽しかったんだ」

「ぱああっ!」

「お、本当? よかったねウタちゃん」

「うーーーーっ!!」

 ウタちゃんはレントにぴったりと頬をすり寄せてきた。すっかり懐いてもらえたようだ。
 聞けば、この子は元からこの水路を気に入って定期的に遊びに来ていたらしい。であれば、いくらレントの家になったからと追い出すのも酷だろう。むしろ、レントとしてはたまに来てくれるくらいの方が嬉しかった。

「ウタちゃん、そろそろ家に帰る時間だよ。一緒に帰ろっか」

「うー!」

 よじよじと陸地によじ登ると、自慢げな顔をしてフードピカチュウの横に立った。そこで撫でられて嬉しそうに溶けていたから、やはり撫でるのは扱いとしては正解らしい。しかし、なんともまぁいい顔である。生活に幸せしかないかのような笑顔だった。

「またこの子が遊びに来るかもしれないけど、そのときに構ってあげたらすごく喜ぶから。よろしくね、レントくん!」

 さわやかに手を振ると、ふたりはわいわいと話しながら街の方へと歩いていった。仲良しなんだなぁ、なんて感想を持ちつつも。

「あの男の子、何て名前か聞き忘れた……仲良くなれそうだったのに……」

 遠ざかっていくギザギザの尻尾に、レントは遠くからそう声をかけることしかできなかった。






「昨日より難しくなっていた?」

 プレストはシルムの言葉を復唱した。カルの方は、ほーんと興味があるのかないのかわからない返事をした。
 日も沈みかけて、ホーホーが飛び交い始めるころ、シンティラはようやく帰ってきて、今は全員がレントの家=救助基地に集合していた。

「敵ポケモンの進化はまぁ、昨日運よく出会わなかっただけって可能性もあるけどなー」

「ダンジョンが深くなっていたってのは確かに気になるね」

 プレストは顎に前足を添えた。あまり聞いたことがない事例だった。ライボルトの特徴である赤い瞳は、真剣な色を宿しつつも、ララバイのリーダーをじっと見つめていた。

「新しいダンジョンってこともあるから、しばらくそうやって危険度が増していく可能性も高い。連盟に報告しといたほうがいいな」

「んじゃ報告書書いてー、ペリッパ―連絡所だな、レントくん」

 カルの語末は震えていた。それは、恐れでもなく、もちろん哀でもなく。

「レントーーー!! 起きて! 寝ないで! 大事な話なんだけど!?」

「ん、ごめん、泳ぎつかれた……」

「それでも話は聞いててよもう! この仕事終わったら寝て良いからちょっとだけ頑張って!」

「わかった……」

 うとうとと舟を漕いでいたレントは、ごしごしと目をこする。が、抗いきれずに傾いていって、シルムに頭を預けた。シルムはぐいぐいとそれを押し上げて、まっすぐ座るように促す。そんな二人の平和な相撲を、大人二人は笑顔で眺めていた。

「本当シルムってお母さんみたいだよな」

「オレにいつまでもお世話になってるダメな大人は誰だ!」

「俺でーす」

「ははっ、いつも悪いね。ごはん楽しみにしてるよ」

「これだから!!」

 レントを横から支えながらシルムは吠えた。が、シンティラの二人は笑顔で手、もとい前足を振るだけだった。ふたりの朝ごはんはいつもシルムが作っているし、たまに晩御飯もごちそうになっていた。それに加えて部屋の掃除とか、彼らがシルムのお世話になる場面は多かった。
 プレストは閉じかかったレントの瞼にそっとささやいた。

「レントくん。眠いなら寝て大丈夫だよ」

「甘やかすな! っていうかレントがリーダーなんだからさぁ!」

「プレスト、弱ーく電気流すとかできない? 強くてもいいけど」

「はは、力加減ミスりそうだから遠慮しとくよ」

 プレストはそう笑うと、咳ばらいを一つして場を切り替えた。

「とにかく、だ。それを連盟に報告するのはララバイの仕事だから、今から一緒に連絡所に行こう」

「え、オレたちがやるの?」

「当たり前だろ? まぁその依頼届いたのはうちだから報告は手伝ってやるけど、実際にダンジョンに行ったのはそっちだぜー」

 それもそうか。シルムはうなずくと、レントの頭を抱えて立ち上がった。

「ほらやるよ、レント! 立てそう?」

「カゴの実いるかー?」

「割と真面目に欲しい」

 カルの提案にシルムは食いつく。それを面白がったカルは、カゴの実を頭上に掲げる。

「ほれほれ、取ってみろよ」

「だあああぁすぐそういうことする! いじわるなんだから!」

「レントくん起きられそう?」

「ん、んー、……あと5分なら頑張れ、る」

「……本当に?」

 わやわやとした一幕を挟むと、シルムはカルやプレストの助言を聞きながら報告書をしたため始めた。その間レントは寝ていたが、「数分だけでも寝たら目冴えるかも」というプレストの助言と、レントを起こすのにもカルからカゴの実を奪い取るのにも限界を感じたシルムのためだった。

「サインくらいはレントくんの自筆の方がいいよね。起こす?」

「え、あー……いいよ。オレが書いちゃう。眠さで書き間違えそうだし」

 それは口実で、実際にはレントがこの世界の文字を知らないことを気遣っただけなのだが。シンティラの二人は彼の事情をそこまで深くは知らなかったし、今言う必要もないというシルムの判断の結果だった。
 ペリッパ―連絡所はチームの申請を出したのと同じ場所だったから、迷いなく辿り着けた。そのまま手紙をペリッパ―に預けると、受付のお兄さんはぴしっと敬礼をしてくれた。

「で、全部シルムがやってくれたんだ……ありがと」

 道中、レントはとろんと寝ぼけ眼のまま、そう呟いたものだから、

「これじゃオレがリーダーみたいじゃん! いや、本当はそうなる予定だったんだけど……」

 シルムがそう返して俯いて、カルとプレストは一歩後ろから見守っていた。

「本当不思議なコンビだよなー、ララバイ」

「ね。レントくんもどこ出身の子かわからないし、全然見たことなかったから、最初はびっくりもしたけど……」

「ま、そう珍しいもんじゃねーだろ? それに、あのシルムがようやく救助隊やれてんだからいいわな」

 カルは笑い飛ばすと、大きめの一歩でレントとシルムに並んだ。プレストも静かに、今にも寝落ちてその場で転びそうなレントを心配しつつ、頬を緩ませる。
 日はもう沈んでいて、景色の全てが透き通った青の向こうに見えた。
 

音々 ( 2020/09/02(水) 22:42 )