ポケモン不思議のダンジョン ――青む夜明けの子守唄―― - 第一章 夢から覚めても夢心地
2話 救助隊ララバイ
 本能的に危険を察知。レントは自分の手を掴むヒノアラシの横顔を眺めることしかできやしない。地割れに頭から飛び込むなど、自殺もいいところだ。
 しかしそんなレントの心配とは裏腹に、シルムは完璧に着地。レントもバランスを崩して倒れたが、案じたほどの怪我をすることもなかった。深くなかったことが幸いか、それともポケモンになった手前当然なのか。

 手についた小石を払いながら、レントは周囲を見渡す。地割れの中のはずなのに草木が生い茂り、岩陰からはポケモンの体が見え隠れしていた。

「あ、タマタマがいる」

「危ないよレント! 火の粉!」

 手を振り、近づいてみようとした頬を一筋の炎がかすめていく。それに焦がされて、タマタマたちは揃って悲鳴を上げた。レントが絶句している間に、シルムは追撃を放って彼らを倒す。

「何、してるの?」

「ここは不思議のダンジョン。ここで暮らしているポケモンたちは狂暴化していてね、戦わないとこっちがやられちゃうんだよ」

「……そっか」

 レントはタマタマの後ろ姿に哀し気な目を向けるが、そうとあれば仕方がない。思い返せば、さっきのタマタマは目が血走った状態でこちらに向かってきていた。あのままだったら攻撃されていたかも、と思うと背筋が冷える。

「ところでレント、戦える?」

「ううん。何もできない」

「ああああぁもう!! なんでついてきたの!?」

「シルムが引っ張ったからだよ?」

「あぁうんそうだね、そうだったね!」

 今日からゼニガメという事実に偽りはなく、ニンゲンが戦う術は乏しいし貧弱、すなわち、だ。ゼニガメが使えそうな技を思い浮かべても、あわやみずでっぽうや、今すぐやれと言われてできそうなものでは到底ない。

「でも少しは戦ってもらえないと、オレだけで全部戦うのは大変だから。うーん……ひっかくとか体当たりとかはどう?」

「どうって、あ、いいところに来たからごめんね。えいっ」

 とことこと歩いていたケムッソにツメを立てる。が、それは相手の赤色の肌を撫でるに終わる。ダメージどころか、むしろこちらへの怒りを買ってしまった。

「できない……? じゃあ、えっと、たいあたり!」

 撃たれた紫色の針、おそらくは毒針であろうそれを、慣れない体でなんとかかわして、レントはケムッソに全身でぶつかる。先ほどとは違い、体の奥から力が湧いてくるような感覚があって、ケムッソは小さく叫び声を上げる。

「いいじゃん! じゃあオレも、たいあたり!」

 シルムの攻撃も全身で受けてしまったケムッソは目を回す。勝利を確認してから、ふたりはタイミングのズレたハイタッチを交わした。

「そんな感じで戦っていけば大丈夫だよ。他は使えそうな技ある?」

「今すぐには使えそうにないや。練習するね」

「うん。まだダンジョンは続くだろうから色々試してみなよ。どうせ戦闘スキルは必須なんだしね!」

 さらりと言われてしまい、あぁポケモンだなぁ、なんてレントは微笑む。自分がどんな技を使えるのか、使えるようになれるのか、まだイメージしきれないものの、ポケモンになったという実感が湧いてきた。

 あれこれ技を試しながら進むうちに、ふたりは広い空間に出た。ダンジョンの1番奥のようで、太くたくましい木々が競るように伸びていた。
 そこで小さくなっていた1匹のポケモンは、こちらに気づいてはいない様子である。

「ううっ、ぐすっ、お母さんー……」

「あの子で間違いなさそうだね!」

 シルムはぱたぱたと緑色のポケモンに近づくと、しゃがんで目線を合わせた。そのポケモンことキャタピーは、涙で濡れた顔をおそるおそる上げた。怯えてはいたが、大きな怪我をした様子はないようで、シルムはほっと胸を撫で下ろす。

「ツマミくん、でいいかな? お母さんが探していたよ。一緒に帰ろう」

「うん……。お兄ちゃんたち、ありがとう」





「あぁもうなんてお礼を申し上げたらよいか! 本当にありがとうございます!」

 帰還するや否や、母親のバタフリー、ブラッセは涙を流して喜んだ。比喩ではなく、だ。ツマミ自身も、先ほどの不安で濡れた顔とは打って変わって、安堵に満ちた表情であった。そんなふたりが、しばらく親子で抱き合う様子を、レントとシルムは微笑んで見守っていた。
 ひとしきり再会を喜ぶと、ブラッセはレントの手に小さなかごを持たせた。

「本当はもっとお礼をできたらよいのですが……」

「ううん、お礼なんていいくらいなのに! どういたしまして」

 かごの中には、数種類の木の実と、花柄の布に包まれたコインが入っていた。どちらもレントからしたら見慣れないものではあったから、物珍しそうに眺めていた。ひょこんとシルムが横から顔を覗かせて、「ちょうど欲しかった木の実だ」なんて笑顔を浮かべる。
 そんな彼らを、ひとり、きらきらと眺めているのが。

「か、カッコイイ……!」

 件のキャタピーちゃん、ツマミくんである。
 憧れのまなざしで見つめられて、レントは困ってシルムに目を向ける。彼は「いいじゃん」なんて笑った。そうではなく、今どうすべきかを教えて、とレントは心の中で訴えたものだが。

(まぁ、こういうのもヒーローになったみたいで悪くないかな)

 その後、ツマミはブラッセに抱かれて去って行った。戻ってくるときにも、ツマミはいつ地面が裂けるのかと歩くのを怖がっていたくらいだ、ブラッセの側も気が気でないのだろう。
 バタフリーの白い羽が遠くなるまで見送ると、シルムはその場にぺたりと座り込んだ。

「いやー、でも成功して良かった。緊張したよ」

「僕も。ゼニガメになってはじめてだったから……。あっ、でも思ったより戦えて、ポケモンになったんだなーって思った」

「まぁ見た目は完全にポケモンだしね……」

 戦えたと言っても、まだぎこちない技や失敗率100%の技も多く、今日のところはほとんどシルムが前線に立っていたのだが。
 シルムはぐいと体を伸ばし、動き回った体をしばし休める。

「ねぇ、この後も暇でしょ? ちょっとついてきてよ」

 それをきっかけとして、ふたりは森を抜けて街道を歩いていた。ダンジョンの感想を語るうちに景色は変わっていて、シルムはぽつりと建つ家らしき建物の前で足を止めた。透き通った水で満たされた水路もあって、なかなか雰囲気の良い建物だった。
 それに気を取られているレントに、シルムは口角を上げた。

「レント、どうせ行くアテがないならさ。……オレと救助隊やらない?」

「救助隊……?」

「うん。ああやって困っているポケモンを助ける救助隊は人気なんだよ。それでもまだ足りていないくらいには最近災害が増えているんだけど……。どこも自然変動で大変なんだよね」

 レントは先程の救助を思い出す。レントが目を覚ます前に地震でもあったのだろうか。ポケモンが落ちてしまうほどの地割れが発生する辺り、相当地盤は緩んでいたと見える。あんなものが頻繁するようであれば、救助隊も需要は高くなるわけだ。
 思いを巡らしているレントに、シルムは返事を待ちきれないとばかりに問いを重ねる。

「どうかな、レント?」

「うん、断るかな」

「ありが……えっ!?」

 シルムは半回転の勢いで表情を変える。レントの返事にかぶせるようにしてお礼を述べようとしたから仕方ないのだが。にっこりとした笑顔のままのレントに、シルムは困惑の色が濃くなるばかりである。

「な、なんで!? レント、戦うの初めてって言ってた割には結構いけてたじゃん? それにほら、あの子もカッコいいって言ってくれてたよ?」

「それなら僕じゃなくていいと思うよ。元からポケモンだった子の方が戦えるだろうし」

「そ、それはそうだけど! でもオレ、レントと救助隊やりたい、って思ったんだ! レントだってこの先どうするかわからないんでしょ? ならさ」

 シルムは引き下がる気はないみたいだ。必死にまくしたてる様は、一周回ってかわいらしくも思えてくる。
 正直、やるつもりがないのは事実だった。この先がどうなるかわからない、というのは、明日突然ニンゲンに、ニンゲンの世界に戻ってしまう可能性も孕む。それに救助隊という危険が伴う職業。自分に務まるとは思わなかった。
 でも、シルムの言う通りで、今身寄りがなくて生活のアテもないのも事実。そしてここまで一心に頼まれているという現状。加えて、ツマミの憧れに満ちた視線も記憶からきらきらと訴えかけてくる。
 悩んだ。悩んで、ちらりとシルムの顔色を伺って、目を伏せた。

「うん。じゃあいいよ。しばらくお世話になるね」

「お世話に!? え、ええー、いいけど……あっ」

 何が引っかかったか、シルムは「あー!」と悶絶し始めた。

「カル達ほっといたまんまだった……! あぁもう、ちゃんと仕事行ったのかなあの二人、今日は休むかとか言ってそうだなああああぁ」

 カル、が誰を指すのかもわかっていないレントは完全に置いてけぼりを食らっていた。シルムがここまで心配らしきものをする相手だから、少しだけ興味は湧いたが。

「まぁいいや、後でちゃんとふたりのところ行こう。とにかく」

 シルムはレントの手を取ると、にかっと笑った。

「ありがとうレント。救助隊、ずっとやってみたかったんだ!」

 シルムの嬉しそうな様子につられて、レントも笑みをこぼす。承諾した瞬間に表れた「これでよかったのか」の思いも、それで掻き消えていった。

「そしたら、救助隊の名前を考えなきゃいけないんだけど……レント、何かいい案ある?」

「僕が決めるの? んー……」

 てっきり自分で考えているものだと思っていたから、突然決めろと言われる準備はできていなかった。それに言及してもよいのだが、楽しそうになったり頭を抱えたりとせわしない彼に言うのがはばかられたし、こう述べた時点で彼が明確な案を持たないことは明白だったから中止。
 レントは頭をひねる。正直困った。語彙を引っ張り出そうとしても、自分がどんな人物だったのかもあいまいだから、どのジャンルから切り込めばいいのかすらわからない。

(……あっ)

 やがて、あくびひとつし始めたとき、レントの頭の中のチョンチーが手を上げた。

「“ララバイ”でどうかな。子守唄って意味」

「おお、かわいい名前……! なんで子守唄?」

「眠いから」

「眠いから……早くない?」

 まだ空は赤み一つ帯びていなかった。シルムは呆れ顔をしたが、今日からゼニガメということで疲れていたのだろうと結論付ける。それは正解の半分にしかならなかったと知るのは、そう遠くない未来の話なのだけれど。

「気に入ったよ、“ララバイ”! じゃあこれで登録するよ」

 シルムはよしっと言いながら手を握った。

「今日からここが! ララバイの救助基地だーーー!!!」

「きゅ、救助基地?」

「兼レントのお家。ほら、どうせ泊まる場所にも困ってたでしょ? ここ空き家なんだ。好きに使っていいよ」

「そういうもんなの……?」

 いろいろと疑義はあるものの、雨風をしのげる家があるのはありがたい。雰囲気も良ければ、ポストも備え付けてあるし、レント一人で暮らすには十分な広さがありそうだった。こんな良い家に初日でありつける己の幸運さと、許可を出してくれたシルムと、建てて空けておいてくれた知らない誰かに感謝が尽きない。

「それじゃあこれからよろしくね」

「うん。じゃあ申請書出しに行こうか。あぁわくわくするな……!」

 そこからは早かった。様々なポケモンで賑わう街を抜け、海風の吹きのける崖に出る。そこに構えられた建物に飛び込めば、何匹ものペリッパ―がカバンを持って飛び交っていて、レントは思わず感嘆の声を上げた。
 シルムはてきぱきと紙に色々書き込んで、受付のペリッパ―に手渡した。

「この前も新しい救助隊ができてたっけな。ま、せいぜい頑張れヨ」

 そういって、受付のペリッパ―も門出を祝ってくれた。


 これが、救助隊『ララバイ』のはじまりだった。
 レントからしてみれば波乱万丈な一日も、まばゆい夕陽によって閉じられようとしていた。

音々 ( 2020/08/25(火) 14:29 )