プロローグ
それはきっと、記憶に留めてはおけないけれど。
冷え切った自分の手を、華奢な手が静かに包み込んで温めてくれていた。
怖い、怖い、震えが止まらない。伝わる温かさとは裏腹に、心の奥底は凍えたままだ。震える度に、その手の温かさがじんわりと染み込んで、目元から涙があふれる。
「いいな、私も――になりたいのに」
頭をたたくのは幼さの残る少女の声、彼女は、自分と、……どんな関係だったのか。
「ううん。絶対なってやる! そしたら会いに行くね、とびっきりカッコよくなってさ!」
頭の中が霞む。生まれ育った自分の部屋が、思い浮かべようとした大切な少女の顔が、名前が、存在が、霧中に紛れて形を失う。一刻を経る度に、頭が溶けていくかのように、記憶が、消える。
「だからそれまで待っててよ。何年先かわからないけど、絶対また会おう! ね、約束だよ」
だから、怖い。
忘れたいと願ったって、本心では忘れたくなんかなかったんだ。
体の感覚さえなくなって、ついに上下も認識できない浮遊感に見舞われたとき。聞こえたのは、先ほどの記憶の中の声とは違う、直接耳に届く柔らかな声だった。
「あなたなら大丈夫です。……いってらっしゃい」
――自分なんかで、大丈夫なわけがないのに。
どうしてそんなに、まっすぐな声で、背中を押してくれるのだろう。