07-君を探して立ち止まる
ステミラーは唖然としていた。
見たこともないほどの大樹が目の前にそびえたっていた。上から見たときに気が付かなったのが不思議なほどの大きさだ。ステミラーが何匹いても幹を抱えられられないようなたくましい幹は、それでいてどこか優しく神秘的な雰囲気を醸していた。枝に宿ったツルも苔も、生き生きとしていた。
絵本の中に出てくるような大樹に、ステミラーの心は踊る。しばらく見惚れた後、畏敬で外していた帽子をまっすぐに被り直した。
「手がかりになったりしないかな……?」
ステミラーは手始めに木の周りをぐるりと一周してみる。何か落ちているということはなかったし、木の根の隙間に洞があると思ったら手を入れれば底をつくほどに浅いものだった。
でも、ステミラーの気分は沈んではいなかった。今まで見てきた中では、一番目的に関係がありそうなのだ。木の全てを調べつくす勢いで手掛かりを探そう、そう気合を入れた瞬間。
「……リピィテ?」
「ん?」
耳に届いたのは声。聞き間違いにしてはやけにはっきりしたそれに、ステミラーは勢いよく振り返る。
「いや違ぇな、んな腑抜けた声じゃねぇわ。あぁでも今誰かいんのには変わりねぇか」
「失礼な……!」
間違いではないのはわかったが、ずいぶんと身勝手な言いざまであった。しかも、見渡しても姿らしき影は一向に見えやしない。
「ねぇどこで喋ってるの!? 隠れてる?」
「隠れちゃいねぇぜ。俺とお前は同じ空間にいないから姿が見えないだけだ」
つまりは、テレパシーか何かを利用して語りかけているということか。ステミラーは視線のやり場に困りながら、声の大きさにも困りながら、声の主に話しかける。
「で、そんなあなたは」
「おいてめぇ、下手なこと言ったら首切りに行くぞ」
「むしろ来てくれるならありがたいんですが……えっ脅迫!?」
「お前鈍いか? ヤドンじゃねぇだろうな」
遮っておいてこの言いざまである。ステミラーはむっと頬を膨らませて、不機嫌を隠さない声を張った。
「何様ですか、あなた」
「俺? 俺は『庭園』――リフトラシールの門番、鍵刃のオーパーツ・ターミネ様、だぜ」
「てい……っ!?」
ステミラーに雷に打たれたような衝撃が走る。
『庭園』、別名リフトラシールというのは、ステミラーが暮らしている森からは少し離れたところにある緑豊かな土地だった。その内部には『聖域』があり、周辺のポケモンたちには大切にされ、あるいは崇められている場所である。故に普通のポケモンが立ち入ることは許されていない。
ステミラーもまた、そこをおとぎ話に登場する場所として、不可侵領域として認識していた。だから、このテノールボイスが言うことがにわかには信じられなかった。
「いやそんなわけ」
「ねぇって? はっ、お前が無事帰ってこれるんだったら確かめに来ればいいさ。もっとも、来園を俺が許可すれば、の話だが」
いたずらに『庭園』の名を騙るのはもちろんご法度である。それに普通のポケモンが、こんな場所に迷い込んでいるステミラーに話しかけられるなどあり得るだろうか。そう考えると、『庭園』の門番、オーパーツという肩書も本当のことのように思えてきた。
「なぁガキ」
「庭園のお方ってこんなに口悪いの……?」
「ほざいてろ。それよりリピィテだ。ゴーグル付けたツタージャ見なかったか?」
「は、はい。先日まで一緒にいました」
「先日……? 何のつもりだ」
オーパーツの声が一段低くなる。この場にいないと分かっていても、背後から刺されそうなくらいの殺気を感じた。
「えっいや待ってくださいって! 私はただ、ヘンな森に迷い込んじゃったから帰り道を探していて、そしたらあなたの声が聞こえたきただけで」
「じゃあリピィテはどうしていやがる、言ってみろ」
「えっと、扉を開けるための鍵作ったり機械いじりしたりしています……」
「はーん」
そこでオーパーツはしばし黙り込む。
ステミラーは体が震えていた。『庭園』の関係者と話をしている緊張はもちろん、オーパーツの威圧的な物言いもあって、言い間違い一つ許されていないような気分になっていた。
やがて、一瞬だけ、笑い声が聞こえた。それがオーパーツのものであると断定するのは容易であった。
「マジでリピィテ、なんだな。……安心したぜ。偏屈」
柔らかい声は、彼が今笑顔を浮かべているという情報を十二分に伝えうる優しさをはらんでいた。
でも、ステミラーはそこで緊張を解くことはできなかった。むしろ余計に表情が強張っていくのをひしひしと感じた。
「あ、あの、オーパーツ様」
「様を付けた点は褒めてやる。なんだ」
「リピィテのこと知っているんですか……?」
緊張のあまり、声まで震えてしまっていた。
どこかの向こう側で、声だけのオーパーツが、にかっと笑ったのが感じ取れた。
「おう。アイツ、管理者じゃねぇけど、『庭園』によく来てくれててな」
「許可もらっているお方だった!?」
「そりゃだって、俺が直々に許可だしたからな」
「すごいお方じゃん……」
何を考えているかわからない変化のない表情、独特のリズムを持った話し方。あの掴めないリピィテが、重要なお方だというのか。さあっと頭が冷えていった。
だが、そんな彼女の様子は知らないまま、オーパーツは「おいガキ」と乱雑に呼びかけた。
「そこ、さ。時間か空間かなんか歪んでて、こっちからロクに干渉できねぇんだわ。声が届いただけでも上出来なくらいで、任意に行き来できるもんじゃねえんだよ。だから」
一旦言葉を区切る。深呼吸の音が、ステミラーにも伝わってきた。
「俺は何もできねぇけど、さ。……リピィテを、連れ出してくれないか。俺もまぁそうなんだが、俺以上に、アイツの帰りを待ってる親友様がいんだよ」
さわやかな風がそよりと吹き抜けた。オーパーツの声に、先ほどまでの尊大な様子はなかった。本心での頼み。それは同時に、ステミラーの中に一抹のむなしさを呼んだ。
リピィテは、その親友のことを覚えているのか、なんて。そんなことを考え始めたら胸が締め付けられるようだった。彼自身の名前も覚えていないのだから、その親友のことだって――。
「おい聞いてやがんのかガキ、迷ってるなんて言わせねぇぞ」
「えっ……ごめんなさい! やります。リピィテが……ううん、リピィテを説得してみせます」
「説得ってなんだよ」
「私が帰りたいから道探し手伝ってって言ったらご勝手にって断られたんですよ」
「あの野郎。……安心しろ、アイツは基本そういうヤツだから。引きずりゃいける」
オーパーツ曰く、目の前の作業に夢中になると庭園に居座り続けるから適当なところで放り出していた、とのことだ。オーパーツの種族はわからずとも、その光景は容易に想像できて、ステミラーは「あー」と言いながら空を仰いだ。
「……ところでオーパーツ様、私は?」
「は、ガキ。庭園の門番様に気にかけてもらえると思ってんのか」
「ひどい!! いいですよ、別に戻るのがリピィテ一人だって、私は」
半分は勢い任せで言ったことだった。しかし、オーパーツは律義に全部を受け取って、重い重いため息をついた。
「……これだからめんどくせぇんだよ、若い奴は」
わかりやすく舌打ちをして、饒舌になって声を張った。
「お前も帰ってくりゃいいだろ。だが俺がわざわざ知りもしないガキを気にかける筋合いはねぇっつっただけだ。うるせぇな」
軽く流すと思いきや、本気の回答をいただいてしまって、むしろステミラーの方が困惑する。口が悪くて尊大なオーパーツも、根はやさしいのでは、なんて思いも抱いてしまって、思わず笑みがこぼれる。笑っているのが声に出ないように、というのは向こうに伝わったらひどく怒らせるのがわかっているからだけれども。だから口元だけをそっと緩める。
オーパーツはしばらく口をつぐんでいたが、やがてうんざりとした声で呼びかけてきた。
「なぁ、お前名前聞いてもいいか?」
「えっ!? えっと、ステミラーです。ステミラー・ブレイク。種族はアブリボンです」
心臓の音がやけに大きく聞こえた。向こうの意図が読めなくて、焦ってつい聞かれてもいない種族まで答えてしまった。
だが、オーパーツはそんなステミラーの動揺を知らない。淡々と本題に切り込んでいった。
「あーやっぱりか。『神隠し』二号。そこ行方不明者のたまり場みたいだな。リピィテ以外には誰かいそうか?」
「いえ、いませんけど……たぶん。見たことはないです」
「あー……そっか、どうも。まぁリピィテいるだけ十分だわな」
オーパーツの声は一旦途切れた。沈黙が流れるのが、掴んでいた手が消えるくらいに不安になってしまって、ステミラーは「あの」と呼びかけた。
「……有名ですか? その、二号ってことは」
「あぁ。よかったな、目撃者がいて。じゃなかったらただの行方不明で片付いていたぜ、おめでとさん。ま、それが俺なんだが」
「え」
「あの森に用があったんだよ。そしたらアブリボンが目の前で消えたんだよな。見事な消えっぷりだったぜ」
はは、とわざとらしく笑うオーパーツ。だが、ステミラーの顔には笑顔のかけらもなかった。
「まさかとは思いますけど、あなたが仕組んだわけじゃないですよね?」
心に浮かんだのは、暗疑。
そもそもこんな不可思議な世界で、声だけで更新してくる存在というだけでも謎めいている。それが、『庭園』――またの名を聖域、その名を使ってくる。
決め手は今の一言だった。まるで、全てがオーパーツの手の上のできごとのような口ぶりが、ステミラーの胸に影を落とした。
オーパーツは絶句していた。言われた言葉を何度もかみ砕いて、悩む。これ、どうしたらいいんだ。
やがて得た結論を、二度頭の中で復唱してから。オーパーツは声のトーンをひとつ下げた。
「――お前マジで一回首落とされに来い」
「ごめんなさい」
「『神隠し』のことなんか俺たちだってわかってねぇんだよ。第一、んなガキ送り込むくらいなら俺が自分で行くぜ。お前俺の話聞いてたのか?」
ステミラーは慌てて頭を下げた。見えないと分かっていて、それでも本気で怒らせたことに対して謝るのに言葉だけでは足りないことも同時に理解していたからだ。
「……私も、リピィテも、ここから抜け出す方法、探します。だから」
「……お前ら、帰ってきたら早急に『庭園』に顔を出せ」
「私に対しては脅しな気がする」
「てめぇ自分のせいってわかってんだろうな?」
そんな応酬を最後に、オーパーツの声はついに途切れた。静寂が戻った大樹の下、葉がこすれる音を聞くのもやけに久しぶりに感じた。
ステミラーはぺたんと地面に腰を下ろして、仰向けに寝転んだ。
「緊張した〜〜ぁ……」
せめて温厚な相手ならよかったが、オーパーツの威圧的な物言いのせいでなかなか気が抜けなかった。この会話の間、ずっと立ったままでいたことも。疲れを助長させていた。だが、優雅に座って話せるものでもなかったから仕方がない。
(二人で抜け出さなきゃ、かぁ)
脱出の手がかりなんてかけらもないままなのに、ふんわりあたたかな安堵感が生まれていた。目的はともかくとして、会うという約束をしたせいなのだろうか。
オーパーツからはいろいろと聞いた。その一つ一つを整理しながら体を起こして、軽い足取りで再び飛び立った。
「……あれっ」
その後、ステミラーが足、もとい飛行を止めるまで、そう長い時間はかからなかった。
「あぁクソ、あのガキムカつくな!! 俺が黒幕? ふざけんじゃねぇ。羽の一枚ぐらい切り落としてやろうか」
そんな憤慨は、誰にも聞かれぬまま霧散していく。その残響が消え去ってから、オーパーツは椅子の背もたれに顎を乗せた。
(ずいぶんとギルドも騒いでいやがったぜ。ステミラー・ブレイク)
体より大きな尻尾にツタを巻き付けたパチリスは、ぼんやりと空を仰ぐ。空、もといここは木の根の内部なので荒々しい木肌しか見えないのだが。
しばらくそうして物思いにふけってから、オーパーツは、椅子を蹴り倒して、走る。ありったけの、力で。
「――クソ、早く帰って来やがれ、偏屈!!」