05-退屈しのぎも楽じゃない
「ひまだーーーーぁ!!!!」
小さな体、めいっぱいに響かせて。ステミラーは叫ぶ。息が続く限り、叫び、続ける。
溜まっていた感情が、疲労が、退屈が、全部羽が生えてどこかに飛んでいくような開放感。こんなに叫ぶのが気持ちいいことは、きっと他にはないだろう。
やがて声はフェードアウトして、気の抜けたステミラーはぺたりと草地に座り込んだ。
「ねぇリピィテ、飽きないの?」
「全然全くこれっぽち」
「まぁあんだけ鍵作り続ける根性があるお方はそうでしょうけどー」
ステミラーは半目で例の山を見やる。
遠目に見ればガラクタ山、近目にみれば宝山、上に乗ったら崩落トラップ。
鍵をもらって以来、たぶん3日は経過した。時計たちが正常に作動しているおかげで、経過した時間の把握には困らないのだ。
その間、制作探索、いろいろやったのだが、すでに飽きが限界に達した。初日こそ寝れはしたのだが、その後はあまりに寝れなくて、暇つぶし手段が一つ減っていた。
(ここにある鍵好きに使っていい、っていうから漁ってたけど、さすがに毎日じゃあ嫌になるよ……)
始めは宝の山に見えたそれも、今やさび臭いだけの鉄屑にしか見えなくて。崩れた鉄錆を払って、ステミラーはこてんと寝ころんだ。
散歩も、ここに近い部分は大体探索し尽くした。この前訪れた機械街――あれもリピィテが“ひとりで”作り上げた街らしいが――、その他には水が透き通ってひんやりとした泉、古ぼけた倒木に咲き乱れる花々。良い場所だ、と素直に思えた。
けれど、それに浸り続けるわけにはいかない。
帰ろうと思って、帰り道を探そうと思って、遠くまで行こうとは思った。でも、同じ景色の繰り返し、いつしかリピィテがいる場所さえも見失いそうで、怖くなって引き返してしまったのだ。
(なんて言っていたら、一生帰れないんだけど)
とにかく、この森を抜けないことには話にならない。
念のために木の上まで登って、飛んで、見渡したこともあった。そこで見たのは、辺り一面に広がる森だった。
パターン柄のように、どこまでも、どこまでも。地平線の先にまで続くほどの森。全部似通っていて、特出して高い木も、色の違う木も、ない。染められたような森が、見渡す限り広がっていた。
(あれじゃあいくら飛んだって、森を抜け出せそうにはない)
ステミラーが飛べる高さにも時間にも限界はある。そこまで飛んでなお、一様なままであったのだから、まさに迷宮。まさに迷子。
「リピィテー、ちょっとお散歩してみない? 他の町とか探そうよ」
ステミラーはリピィテのゴーグルをつんつんとつつきながらそう提案した。万一遠くに行ったとて、リピィテと一緒ならまだ不安感は薄れる気がしたのだ。
ひとりで、同じ景色を繰り返す森を歩み続けるのは、言いようのない孤独感が募るのだ。それも、誰かがいれば半減はする。それに、これはあまり期待できないかもしれないけれど、ある程度ならここに帰って来るのも楽になるかもしれないし。
けれどもそれでもリピィテは、表情一つ変えぬまま、鍵を両手で抱え込んだ。
「俺は遠慮しておくよ。出歩くことは好きじゃない」
「運動、大事だよ?」
「これでも歩いてはいるんだよ」
「機械街との間くらいだよね!? 大した距離じゃないよ」
「これ付けてるし」
「あぁその重そうなアクセサリー類ダンベル代わりだったの……?」
しばらく冗談めいたことを混ぜつつ説得し、それでも気持ちは変わらぬまま。ステミラーはむっと頬を膨らませた。
「いいよ、ひとりで行ってきます。帰ってくるの遅くなるね」
「どうぞご自由ご勝手に。そもそもあなた、住民だっけ」
「……迷子の迷子の居候ですよ」
適当にあしらったリピィテに、ステミラーはふいと背を向けた。
わかってはいたが、彼はステミラーのことには一切の興味を示さない。どこへ行くにも、作業を見ても手伝っても、あぁ何かいるなと思ってもらえれば上出来なくらい。
ただでさえ、停滞している森の中、唯一の話し相手がこれだから、ステミラーの心にはすぅっと風が吹き抜けた。つまらない、退屈、さみしい、仲良くなりたい、――帰りたい。散らばった言葉を拾い集めて、ステミラーはぐんぐんと森の奥へと進んでいく。
木のトンネルを潜り抜け、赤い実付けた草花を、横眼で眺めて高度を上げる。
さらさら降り注ぐ木漏れ日は、確かに気持ち良いけれど。あまりに毎日こればかり、少しうんざりしつつもあった。
やがてたどり着いたのは、赤い実四つ落ちている、暗い茨道への入り口だった。この木の実は、昨日ステミラーが目印に置いていったものだった。
すぅっと息を吸い込んで、引っかけて落とさないように帽子を手に持ち、ステミラーはその中へと潜っていった。幸いアブリボンの体は小さくて、マフラー状の部位にさえ気を払えば進むことは容易だった。それでももちろん当然だけど、自然そのままの茨は自由すぎて、壁を形成して行く手を阻むこともあった。
「痛っ。やっぱり、ここを通るのは無理があるかぁ」
かき分けるには少し厳しかった。棘は手のひらくらいの大きさがあるし、枝だってステミラーの腕くらいの太さは十分にあった。
使える技も多くはない。ステミラーは息を詰めて、ギリギリ通れそうな隙間を縫って、先へ先へと進んでいく。やがて視界は晴れ渡り、手に持った帽子をかぶりなおしてから、うんと体をめいっぱい伸ばす。
新しいところに来たようだ。いつもの森とはちょっと違う、ような気がして、ステミラーはきょろきょろしながら、木々の小道を飛んでいく。
やがて、森らしからぬ色が見えて、ステミラーは駆けるように飛んで行った。もしかしたら抜けたのかもしれない、と。しかし、その期待はすぐに打ち砕かれた。
「機械街……?」
だが、見たことあるそれとは雰囲気が異なっていた。
それも、リピィテがよく行くところに比べれば、機械はずっと錆びていて、わかりやすく部品が取れたり折れたり曲がったり、とにかくぼろぼろであった。
(工業都市では活躍していそうな機械なのに、こんなに古びているんだな)
これらの機械には、「steam」という文字が刻まれていた。蒸気機関で間違いないようだ。この発明によって、ステミラーの故郷に近い町は工業都市として急速な発展を遂げていたのだ。最も空気が悪くなり、通るだけでも咳が止まらず、今や遊びに行く街ではなくなってしまったが。
物音ひとつ立てない機械の間を、ステミラーは注意深く通っていく。初めて来たところだから、何か帰るための手がかり、具体的には地図なんかがないかという期待を抱いてしまうのだ。
「……いや、設計図しかないよ、これ。機械の中の地図ばかりだよこれじゃあ。あっこれは使い方のメモっぽいけど字汚いな」
工作機械のものから、蒸気機関、機械式時計の組み立てに至るまで。油で文字がにじんでいるものや破れているものも多いが、読めるものにしてもステミラーには解読できなかった。
途中で見つけた時計のテンプを、お土産にと確保して。しばらく古びた機械の周囲を調べてから、少し先で白く霞んでいる木の方向へと歩き出した。
そこにたどり着くのに、そう長くはかからなかった。錆び付いた匂いのする廃棄場の上を飛んでいくだけでよかったのだから。近づいていくと、時折、無機質な音が聞こえてきたのも、歩んでいる安心感につながっていて。
「……やぁ。なんだっけ、居候さん」
「名前覚えないくせにそこだけ覚えてるのひどくないですかね、リピィテさん」
機械をいじるリピィテは、一瞬こちらに目を向けたものの、すぐにまた機械の内部に注意を向けてしまった。相変わらず、こちらにかけらの興味も示しやしない。顔、もとい存在を覚えていてくれただけでも進歩なのだが。
リピィテは機械の中から鉄くずを取り出すと、底を鉄板で補強してあるバケツに流し込んだ。それを両手で抱えると、少し離れたところにある廃棄場に中身を捨てた。
「ねぇリピィテ、ここいつもの機械街だよね?」
「そうだよ。あぁ、ここの廃棄場溜まってきちゃったな。昔の機械街から部品回収しないといけないけど、廃棄場がこれだから、使えそうなものでも探そうか」
リピィテが額の汗をぬぐいながら何やら独り言を言っていた。その中の一つに、ステミラーの耳はぴっと反応した。
「昔の機械街、ってあっちにあるやつだよね? さっき通ってきたんだ」
「へぇ」
「あとこれ、そこで拾ったの」
ステミラーはテンプをリピィテに手渡した。時計の心臓部となる部品だ。ぶら下がっているヒゲゼンマイも重要な役目を果たすのだが、不規則に曲がりほどけたそれはとても時計として使えそうなものではなかった。
「ああこれ、欲しかったけど自作するの面倒だったんだよね。どうも」
「使えるの?」
「ひげゼンマイは作り直しかな。あれ疲れるから好きじゃないんだけどね。……あ、あの機械昔の方にしかないか。そこから修理か、あぁもう一回作ってもいいや。せっかくなら改良してもいいし。設計図どっかにないっけ。それも昔の方かな」
製作が絡む話をすると饒舌になってはくれるが、こっちに耳を傾けるかといえば話は別。昔の機械街たるものが気になって仕方がないのだが、あまりに聞ける状況ではなかった。
「あーもう……。機械の設計図っぽいの、昔の機械街にあったよ」
「あぁどうも。じゃあ俺は旧機械街にでも行ってくるよ」
バケツを適当に放り出して、リピィテはゆっくりと歩いていく。ステミラーはため息をついて、その後ろを飛んで着いていく。
(遠くに行くつもりでわざわざ茨道通ったのに、これじゃあ意味なかったじゃん)
傷だらけになったマフラー状のそれを眺めて、ステミラーは再び古い機械街へと足を踏み入れた。
結局今日も、帰る手がかりなんてかけらも見つからなかった。
何も思っていないようなリピィテは、たぶん明日からしばらく機械いじりをして過ごすんだろうけど。
「リピィテ、私家に帰りたいんだけど」
「あぁそう。どうぞご自由ご勝手に」
「本っ当にキミは、他人事だね」
「だって俺には関係ないから」
ステミラーはぴたりと歩みを止めた。それでもリピィテは歩いたまま、気づいていないだけかもしれないが。
あまりに冷淡すぎた。最初から優しさなんて期待はしていなかったが、それでもこの対応は堪えるものがあった。ステミラーの中でふっと糸が切れて、リピィテの背中を唇を噛みながら睨んだ。
ステミラーは踵を返して、普段リピィテがいる扉の方角へ向けて羽ばたいた。
茨のせいで切り傷も負ってしまった。今日のところは休もう。そしてもう、明日になったら、ここに戻ってくるのはやめにしよう。
彼女がそんなことを思っていることは露知らず、むしろ知っていても気に留めないまま。ぼろぼろの機械街に到着したリピィテは、頭のゴーグルをきちんと目元にはめた。錆ついた風を浴びながら、崩れかけた機械の一つに手を添えて、ミニチュア都市をぐるりと見渡した。
「やぁやぁ久しぶり、俺の作った二つ目の機械街。何年何十何百年ぶりだろうね」
その発言の真偽に首をかしげるべき存在は、とっくに離れていってしまったけれど。