04-明るい空でのこんばんは
ステミラーは空を見上げた。空を覆い尽くす木の葉の隙間からはきらきらと光がこぼれていて。とりあえず、まだ昼であることは間違いなさそうだ。
それにしたって、ずいぶん長い時間が経過した感覚は否めない。ステミラーはうんと伸びてから、何やらメモを取っているリピィテに問いかけた。
「ねぇリピィテ、今何時かわかる?」
「時計ならどこかにあったと思うよ」
「信用できないよー!?」
リピィテはポーチの中を漁り始めた。歯車や工具がぱらぱらと落ちるのも気に留めず、ポーチの奥に手を入れる。
「あった。これがひとつ」
「『ひとつ』? ……ねぇこれ分解したやつだよね?」
「これがふたつ」
「ポーチにぶら下がってるやつじゃん! なんで中身漁ったの!?」
「そこにみっつめ」
「木にかけてあるのおしゃれだね! デザイン一番好みかも」
「あとあそこもあった」
「多い! 今度は置時計タイプなんだね!」
「あとそこの鍵山にいっぱいたくさん大量に」
「本当にいくつ持ってるんですか!?」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、ステミラーは二つ目の時計をのぞかせてもらう。ゼンマイ式の懐中時計であり、カチカチとリズミカルに歌っている。しばらくその音に耳を傾けてから、改めて繊細な彫刻の文字盤に目を向けた。
「えっと、九時?」
なら朝の九時か、――まで考えて、ステミラーはぶんぶんと頭を横に振る。
そんなわけはない。
ステミラーはいつも朝の九時に起きている。今日も例外ではなく、起きてからハニートーストと淹れたての蜂蜜紅茶を口にした記憶は確かである。
それならこの時計が狂っているということか。ステミラーは時計のふたを閉めてから、三つ目――木に掛かっている壁掛け型の時計の元へ飛んでいく。
「でもこれも同じ時間だ……」
四つ目、ベンチに据え置かれていた置時計型のものも同様である。どうやら本当に九時であることは間違いがなさそうだ。
それじゃあ夜の九時なのか? はたまた翌朝九時なのか。
前者は絶対にない。だって降り注ぐ木漏れ日は、あまりにも光にあふれていて、とても月明かりによるものとは思えない。森自体もそれなりに見通しは良くて、夜だというのは信じがたい。
後者も絶対にない。だって夜になって、夜も明けた様子はなかったから。ここに来るまでずっと歩き、もとい飛び続けていて疲労はたまっている。それなのに、丸一日経過してなお眠気が来ないことがあり得るか。
「えっ、じゃあ今何時なの……?」
「九時だよ?」
「そうなんだけど、朝か夜かっていう」
「夜……そういやずっと見てないね」
「え、ええ……?」
全く予想外の返答が来て、ステミラーは言葉に詰まる。夜を見ていないってなんだ。ずっと森の中にいるから昼夜間隔が狂っているだけなのか。実はここは屋内で、朝も夜も一緒くたになっているだけなのか。
(でも、とても屋内とは思えない)
時折吹き抜ける風、歩いてる途中には葉がこぼした露がほほを掠めていった。時々木漏れ日が陰ったり、また現れたり、そんな現象も見てきた。
そしてリピィテの夜を見ていないという発言。これは単に忘れているだけ、で片づけるには少しもやもやするものあった。彼自身は長くここにいるようだから、日々繰り返す現象くらい覚えていそうなものである。
念のため、時計たちにもう一度目をやる。すべて、長い針は1の数字に近づきつつあった。時計が止まっているという線もなさそうである。
「どういうことなの……。とりあえず、こんばんは?」
「うん?」
「夜なら夜のあいさつをしなきゃ」
「夜……?」
「夜になってもおかしくない時間だもん」
怪訝な顔をして木を見上げるリピィテに、ステミラーはにこりと笑いかけた。
「こんばんは、リピィテ」
「こんばんは、……」
「黙らないで!? こーる、まい、ねーむ!」
「……なんだっけ」
「そろそろ冗談で言っている節はないですか?」
「全然まったくさっぱりと」
そんなやり取りの最中、リピィテはポーチから散らかした諸々の中から鍵を取り出した。
こげ茶色の鍵。ツタージャなら片手で持てる――リピィテができるかは別として――、アブリボンたるステミラーでも両手を使えば十分支えられる程度の大きさであった。
「これどうしたの?」
「作った」
「作った!? すごい、かわいい」
持ち手の部分にはチャーム代わりに小さな機械式時計が取り付けられていた。ゼンマイを巻いても動き出さないため、壊れたものであることはすぐにわかった。
それにしても、なかなかステミラーの好みなデザインであった。鍵も、時計も、少し古めかしい色合いも、つい集めてしまうほどに好きなのである。
(め、めちゃくちゃほしい……!!)
彼女が物欲しげに見つめる中、リピィテは真新しい階段を上って、その先にある板に腰掛ける。そして目の前にそびえる赤さび色の扉を静かに見上げた。深い紫色の瞳に、淡く赤色が重なる。
やがて、しばらくそうした後、彼は手に持った鍵をその鍵穴へと差し込んだ。
「…………」
沈黙の中、リピィテは何度か鍵を回したり、差しなおしたり。ステミラーはその間、思わず息を止めてしまうほどの緊張に包まれていた。
やがて、リピィテは鍵を取り出した。それを両手で持って、板の上、適当な場所で立ち上がってから。
「ちょっと――!?」
積みあがった鍵山の上で、手を離した。
ステミラーはとっさに鍵山の上まで飛ぶ。金属が触れ合う音と共に到着した彼女は、先ほどの鍵を無事発掘して、両手に抱える。
「なんで捨てるの!? せっかく作ったのに」
「これに合わない鍵はいらない。それだけだよ」
「それだけ、って……まさ、か」
ステミラーはもう一度自身の足元を見やる。
乱雑に積み重ねられた鍵、鍵、たまに歯車やネジや、そんな部品も見えるけれど――とにかくたくさんの、鍵。
工場もびっくりするくらいの量だ。高さはステミラーの身長を優に超えるし、裾野だって足場に困りそうなくらい広がっている。
――これ、全部?
「リピィテが作ったの、これ……?」
「そうだよ、何十何百何千年、作り直してその数さ」
「全部、ひとりでやったの?」
「それはもちろん。だって『俺以外』がいないから」
ぞっとした、と表現するのが正しいか。
こんなにたくさん大量に、リピィテひとりで、作り、失敗してきた痕跡が残っている。
何度、作り直したのだろう。何度、失敗をしたのだろう。
なぜ、――そこまでして、この扉の開錠にこだわっているのだろう。
「そんなにたくさん――わあっ!?」
突如、ステミラーの左足が沈みこんだ。慌てて左足を上げて、右足で鍵を蹴って宙に舞い上がる。
彼女の眼下、鍵山はけたたましい音を立てて高さを失う。裾野に散らばった鍵が、目に見えるほどに増えていく。
やがて崩壊が収まって、ステミラーはじとりとリピィテを睨んだ。
「なだれましたけど?」
「よくあることだよそれくらい」
「危ないでしょ! 私がリピィテだったら巻き込まれていたからね!」
リピィテが先ほど捨てた鍵は両手で抱えたまま、ステミラーはベンチへと降り立つ。
未だ心臓は高く鳴り響いている。本当に、ここまで自分がアブリボンで良かったと思ったことはない。
なんどか深呼吸をして、何度か何度も繰り返して、リピィテの肩をぽぽんと叩いた。
「これ、要らないんだったらだけど、もらってもいい?」
「どうぞご自由ご勝手に。あそこにあるのはゴミの捨て溜め。勝手に持って行っても何も言わないさ」
ずいぶんあっさりと承諾がもらえた。ステミラーはお礼を言ってから、まじまじと手元の鍵を見つめる。
(やっぱり、かわいい)
壊れた機械式時計も、アクセサリーとしては良い味を出している。
ステミラー自身が装着するためのネックレスにするにはいささか大きいが、何かオブジェかガーランドか、そういったインテリアにしてもよさそうである。
いずれにせよ、それを行うためには。
「帰らなきゃ、いけない」
「帰る?」
「うん。私気づいたらここに迷い込んでいたから、早く家に帰りたいの」
そのうえで、きっと彼はこう答えるって、わかりきっている質問を諦め半分に投げかけた。
「ねぇリピィテ、近くで街とか知らない?」
「知らないね」
「ごはんとか、どうしているの?」
「……そういや食べてないかもね。何十何百何千年と」
ステミラーは目を伏せる。
本当にリピィテは、何も知らない。ただここで、鍵作りを繰り返してきただけのようだ。――寝食さえせずに。
ステミラーの胸を、一抹の不安が駆け抜ける。
――帰れないんじゃないのか。
得体のしれない森の中、正体不明の技工士ひとり、こんな場所から抜け出せる気が、ただの一つもしなかった。