03-繰り返してマイネーム
沈んだ思いのまま、ステミラーはリピィテの後をとぼとぼと歩いた。会話はしない。しないとまた、忘れられるかもしれない。そんな危惧があってなお、話題も言葉も見つからない。
冗談ならどれほどよかったか。
むしろ、これが全部冗談で、リピィテが根っこからの意地悪で。そう思えたほうが気楽だったのかもしれない。
それならまだ、仲良くなる希望もあったのかもしれないから。
(こんなに忘れられるんじゃ話にならないよ……)
思わず頭を抱える。キャスケットに付けられた歯車の飾りが、触れ合ってかちゃんと音を立てた。
どうしたら、忘れてもらえないのか。いっそ、演技でもいいから、インパクトの強いキャラクターでも演じればいいのか。――それで、彼の興味を惹けるか?
機械の名称に関してはすらすらと述べていた。そのような類、たぶん彼の興味ある領域であれば、記憶は持続するのだろう。でも、じゃあ彼の興味にあったキャラクターを演じるとして、それはどういったものか。
結局、彼のことを知るしかない。
彼が極度に忘れっぽいことは理解した。それ以上の彼の情報を得ない限り、彼と共にいてもまた同じ事故を繰り返す。
ステミラーが悶々としていると、突然何かに衝突した。何か、の正体は自明で、ステミラーはむっと頬を膨らませた。
「ねぇ、急に止まらないでよ」
「あぁそういえばいたんだっけ。他のポケモンとなんて会わなくて、いるだなんて思わないさ」
メモ1:彼は他のポケモンと会わない。
これは、本当に何か月も他のポケモンと会っていないということか。先ほどの会話からして、会ったことさえ忘れている説も否定はできないが。いずれにせよ、一人でいることが当たり前になっているのは間違いない。
「私はね、ステミラーっていうの。もし覚えにくかったら、スティって呼んでね」
メモ2:短いあだ名を名乗って覚えてもらう作戦決行。
ステミラーが長くてまどろっこしいというのなら、「スティ」なら二音のみなので覚えやすいだろう。
「ふーん。……もう一回教えて」
「一音も覚えてなかった!? スティ、です」
「ステー」
「スティ」
「ス、ティ」
「スティ、いえす、あいあむスティ」
「ティ、……ん?」
「スティ」
「スティ」
メモ2(追記):それでも難しいかもしれない。
この二音のために、なめらかな発音を得るまでに、5回のチャレンジ。内1回は一音も覚えていない。そこからさらに定着させるためには、もっとたくさんの繰り返しが必要になる。
「10回繰り返してどうぞ、スティスティスティ……」
「スティ、ステ、ィ? ス……ツ?」
「ス、テ、ィ! じゃあ私と一緒に言おう、せぇの」
そうしてこうして、何度もリピィテが脱落しつつも、どうにか10回呼んでもらうことに成功。最後のまとめとして、ステミラーはばっと片手を差し出してリピィテに問いかける。
「私の名前は?」
「スー……ティ?」
「スティね、スティ」
まぁ、合格でいいか。
本来の名前、ステミラーに関しては、タイミングがあれば覚えてもらえばいい、と彼女は結論付けた。
あだ名でさえこれだけの時間を要したのだ。「ステミラー」はもとより、「リピィテ」という名など、もう覚えてもらえる気がしない。もっとも、当初の彼は「名前なんて必要ないから好きに呼べばいい」などと発言していたのだから、最悪覚えてもらわなくてもどうにかはなるのかもしれないが。
「でも、結構練習には付き合ってくれるんだね」
「うん? 今の呪文のこと?」
「私のあだ名ですが!? ほら、興味ないから、こんなことやる気ないって言うかと思った」
それは正直な感想だった。この話の最初、彼が「もう一回言って」と発言し名前を聞いてくれたのを、ステミラーは聞き逃していなかった。
名前を覚えることが嫌いだとか、そういうことではないとわかっただけでも安心感は生まれてきた。
「あなたが繰り返せと言ったから」
「あっ義務感?」
「どうだかね。えっと、スィ……なんかさん」
「覚えてないじゃんーっ!! スティ! です!!」
「スティさん」
「そうそう」
本当ならステミラーと呼んでほしいというわがままはあえて言わない。
彼だって覚えようという努力自体はしているらしい。そうじゃないと、今の会話でわざわざ名前を呼ぼうとはしないのだから。
リピィテはおもむろに空、を覆うような木の葉を見上げた。気が付いたらここは、最初にリピィテがいたところだ。
自分たちからしてみれば十分すぎるほど大きな赤扉、謎に大きなカギの山、縦横無尽に駆け巡るツルの中に、木材がちらりと見えた。よく見ればはしご状になっていて、なるほどこれが彼が直そうとして部品を作るに至った、例の階段か。合点がいったステミラーは、手近なステップまで飛んで静かに降り立つ。それだけでも、木板が鈍く鳴いて、慌てて宙に浮かびなおす。
「これ、だいぶ傷んでない……?」
「そうだよ。だからこうして修理して、使えるようにしようと思ってさ」
「……えっと、木材はあるんだよね?」
ステミラーは引きつった笑顔で問いかけた。一見、張り替えるような木材が見当たらなかったのだ。
リピィテはしばし考え込んで、ぽつり、こぼした。
「用意はしたはずだよ」
「ほらやっぱ用意してないって言う……えっしてあったの!?」
「なんで?」
「いやあの、用意したことを忘れていたとか言うかとごめんなさい」
ぺこぺこと謝るステミラーをよそに、リピィテはいそいそと階段の下を漁り始める。このあたりかな、なんて呟きながら、しばし自由気ままに生え栄えた草をかき分ける。時折錆びた工具や、穴の開いた金属の端材が放り出されてくる時点で、嫌な予感は加速した。やがて、手についた土を払って、こてんとゴーグルで重そうな頭をかしげて。
「どこやったっけ」
「ほらあああああ!!!!」
予想を裏切らない回答を得られて、ステミラーは彼と出会って以来最大のツッコミをかますのだった。
「ありがとね」
「ほんとだよもう……」
結局あれ以来、木材を探し出して、階段の修理を完了させた。用意してあったのが事実だっただけでも幸いだ。木板作成からやれと言われたら、無視して帰り道を探していたまである。
実際、手伝う時に「探すのと作るのどっちやれと?」と聞いてしまった点、彼女は反省していない。
修理自体は簡単に終わった。とはいえ、壊れている段以外も全て、つまり階段全てを作り直すなどしたのだが。段数が少なかった点と、そもそもの材料探しの手間、そしてリピィテの手際の良さが光った結果である。
リピィテは満足げな笑顔で、新しい階段に座り込んだ。
「この階段が壊れてさ、上のベンチから降りられなくなっちゃって」
「降りてきましたよね? 飛んで」
「あれやらないほうがいいからね」
リピィテは片足をあげて、ふらふらと揺らしてみた。まもなく、眉をひそめて、だらんと足を垂らした。
「え、怪我したの」
「だって降りられなかったし。それになんか、珍しいもの見えたから」
「それ私だね」
「ふぅん」
改めて、ステミラーはリピィテの装備を確認する。
頭には装飾過剰なゴーグル、腰には中身があふれたポーチ、尻尾には金属のアクセサリー。そのすべてが、彼の体に対して大きめである。そしてもれなく重厚感がある。
ツタージャなのだから身軽、という偏見もこれでは通用しない。実際のリピィテの身体能力がいかほどかはともかくとして、こんな重装備で、自身の身長より高いくらいの位置から飛び降りたら、それは足に負担がかかっても文句は言えまい。
(……いや、リピィテ、実は貧弱な気がする)
はっとして、ステミラーは階段補修作業の様子を思い返す。
板を運ぶのにひきずる、それは足を痛めていたせいもあるし、深く言及するつもりはない。だが、
『その板ちょっと重くてさ、上まで運んでくれないかな』
『あなたより小柄だけど!? せめて一緒に運ぶにしない!?』
そんなやり取りは記憶に新しい。
しかも、だ。聞けばリピィテ、「通りがかりのポケモン見たから、ようやく階段の修理できると思って」と真顔で述べた。最初から手伝わせる気だったのか、そうステミラーがむくれるのも気に留めず、彼はこう続けた。
『俺、そもそもそれを持ち上げれなくて』
「――やっぱり貧弱じゃん!」
「いきなり突然どうしたの」
「いやあなただいぶ貧弱じゃない!? 私頑張ればひとりでも板運べたよ? えっ、ねぇ腕相撲しよう」
「……腕相撲?」
リピィテはきょとんとした顔で繰り返した。軽く説明をして、ステミラーはリピィテと手を組みあわせる。種族柄、いやそれ以上に薄くて軽そうな手は、ぎゅっと握るのもためらわれるほどで。
勢いで提案したのは自分だが、正直こんなことをしている暇はない。ただでさえ迷子歴が着実に伸びつつある中、なぜか階段補修まで手伝っているし、相当な時間を食っている。
でも、少し、確かめたかった。これなら、彼が足を痛めていようと関係のない、「本当の彼の実力」が見れるとわかっていたから。
もう一度だけルールを説明してから。
すぅっと息を吸い込んで、リピィテの瞳を見つめて。
「いくよ、よーい……ドン!」
元気な掛け声が、ポケモンの気配のない森に響きわたる。
ステミラーも、もちろんリピィテも、お互いの右手に力を込めて。
「え――」
直後、ステミラーは唖然とする。あまりにも一瞬で決着がついたから。板についた手とリピィテの顔を何度か見比べて、彼女は口ごもってしまう。
「その、ハッキリ言うけど……すっごく弱いね、リピィテ?」
「そっか。それでこれ、何がわかるの?」
「腕の力の強さかな……」
種族柄もあり、これで勝てた経験は今までゼロだったステミラーですら、圧勝。
――この子、大丈夫かな。
初白星の喜び以上に、そんな心配が彼女の胸を占めた。