02-ガラクタまみれの機械街
木陰の闇をすり抜けて、木漏れ日の足跡を踏み超える。
そうしてたどり着いた場所は、またしてもステミラーに疑問を叩きつけた。
「す、すごい……なにこれ」
見上げても見上げきれず、見渡しても見渡しきれない。というのは、あまりに密度が高すぎて見通しが悪いだけなのだけど。
むき出しの骨組みに絡みついた配管からは、ときどきもくもくが顔を出す。そんなオブジェみたいな建物みたいな物体が、何十何百と不規則に連なっていたのだ。まるでおもちゃ箱のような、それでいて一つの都市のような、不思議な光景に心が躍った。
蒸気のせいだろう。じとっと湿った空気は、飛ぶには少し不都合で。仕方なく地面に降り立つと、ステミラーはゴーグルの歯車の装飾を弄ぶ彼を見上げた。
「ここはなんの場所なの?」
「俺の作業場みたいなの。これはSTM27-cycleの旧型で、あっちにあるのがこの新型。新型はここの部分を弄ったおかげで動きがなめらか、音も小さめで生産率はいいけれど、俺はこの音好きだから、旧型もどうにも捨てがたくてついこっちも」
「ごめんなさいもういいデス」
森にいた時のふわふわした雰囲気は何処へやら。真剣な眼差しで蒸気機関を叩くリピィテは、ステミラーが止めたのを聞いていない様子だった。あまりの饒舌っぷりに、先ほど踊っていた心はしゅんとしぼんでしまった。
「この部分もSTM旧系列にはなかったけれど、入れてみたら格段にかっこよくなった。多少燃費は落ちたけど、俺はこの見た目が気に入って、やっぱりこればかり使うんだ」
何か言おうにも、蒸気の噴出音と被ってしまい彼の耳には届かない。それを何度も繰り返し、もう聞き流せばいいかとステミラーは溜め息をつく。
改めて見てみても、やはり不思議な空間だ。錆びつき傾いた鉄柱は、今にも倒れそうなのに、巨大な機関に支えられ、そのバランスを保っている。
見飽きないほどの景色に目を奪われていたステミラーは、突如はっと振り返った。どうやらリピィテが呼んだらしい。ちょっと不機嫌そうな顔で、彼は腰のポーチを弄んでいた。
「俺の話聞いてた?」
「ごめんなさい聞いてません」
「薄々そんな気はしてた。わからなくもないけどね、俺の楽園理想郷。見惚れるのも無理ないでしょ?」
「随分と自慢げだね……」
「組み立てるのも楽じゃなかったからね」
すっと目を細めたリピィテは、どこか懐かしむようで。なるほど、彼もこの場所を建設した一員だったのか。
金属に象られ、蒸気に溢れた小さな街。リピィテの言う通り、確かにステミラーもこの場所は少し気に入った。蒸し暑くさえなかったら、またもう一段階評価は上がるのだが。
「それもいいけどひとまずは。あなたの名前はなんだっけ?」
「ステミラー」
またか、と言いたいのを飲み込みながら、棒読みで名前を告げる。
リピィテは、STM27-cycleとステミラーとを見比べて、ふーんと言いつつ目を細めた。
「STMって名前は蒸気って意味からとったんだけど、どうやらあなたの名前も合いそうだね」
「……あぁ、うん。確かに」
「だからさ、ステミラー」
すっと目を見開いた自覚はあった。かれこれ数回叫んでも、呼んでもらうことが叶わなかった名前を、ようやく彼の口から聞けた。
覚えた理由が理由すぎて、手放しで喜ぶ気はあまり起きないのだけれども。
「あなたの名前、これでちゃんと覚えられたよ」
そうやって純粋な笑顔で言われたら、
「ちょっと納得いかないけどもう覚えてくれたならそれでいいよ……」
こうやって返す他にないのです。
さてさて、リピィテがここにやってきたのにはちゃんと目的があるわけで。
機械の一つに近づくと、リピィテはポーチから小さな金属棒を数本取り出した。ツタージャの手にも収まるほど、落としたら見つけるのが大変そうなほどの小ささである。
「ゴーグル持ってないの?」
「持ってるわけないじゃん……」
「あとそれ、危ない」
リピィテが指さしたのは、ステミラーのマフラー。続いて、スカートの裾のようになっている部分にも同じことを言いたげな視線を向けた。
だが、そんなことを言われてもステミラーにはどうにもできない。
「アブリボンの体の一部なんですよ、これら、どっちも」
「ふーん。よくわからないけど」
「どこが!? わかりやすく言ったよね?」
「巻き込むとシャレにならないよ」
「えっ、あっはいわかりました」
ずばっと危険を告げられてしまって、仕方なくステミラーはリピィテおよび機械から離れた。
こうなると、彼の様子を眺めるしかやることがなかった。手近な止まっている機械のそばにぺたりと座り込んで、両手で頬を支えて機械いじりをぼうっと観察。
リピィテは手に持っていた小さな金属棒を機械にはめ込む。それがまっすぐになっているかを入念に確かめてから、頭に付けていたゴーグルを降ろした。ステミラーがそれを物珍しそうに見るのも気に留めず、彼は機械を稼働させた。
瞬間、リズミカルに金属が削れる音がステミラーの鼓膜を揺らす。
たった数秒のことだった。機械を止めると、リピィテは今しがた削った棒を取り外して、もう一本別の棒をはめ込む。それを繰り返して、彼の手元にはネジが数本残った。
「すごい、ネジってそう作るんだ」
「階段壊れて修理が必要、だからこうして自作したんだ」
「買うほうが早くない?」
リピィテはそれには答えないまま、作り立てのネジをポーチにしまい込む。
機械の間をすり抜けて、少しだけ歩くと、視界から機械たちは消えた。どうやらあの群生地を抜けたようだ。代わりに現れたのは、さび臭い香りと赤茶けた山。
迷うことなくリピィテはその山に手を突っ込んで、やがて適当な大きさの金属棒を取り出した。
「あ、これちょっと重いからやめ」
「そんな適当な……」
両手で抱え込んだ鉄棒をどすんと投げ捨てて、改めて二回り小さな金属棒を漁りだす。それと金属片のいくつかを持って、再びリピィテは機械の群生地へと戻っていく。
たぶんまた、これらを加工するのだろう。正直見ていても仕方ないのだが、見失うほうが後々困る。だから、ステミラーは彼についていかざるを得ない。
(そもそも、私ただの迷子だから道を聞きたかっただけなんだけど)
それがどうしてこんな工作場に来ているのか。
ステミラーがこの森に迷い込んでからどのくらいが経過したのか。体感はあてにならないくらい長く飛んでいた気もするし、案外少ししか経っていないのかもしれない。
気が付いたら帰り道はわからなくなって。来た道を引き返したつもりが、似たような景色ばかりで、元来た道をたどっているのかさえわからない。
そうして迷って幾千里、やっと出会えた初めてのポケモンがあのリピィテというわけだ。
しかし、あのリピィテが道を知っているように見えるかと言われたら首をかしげる。ただでさえ最初に話した時、知らないと言っていた。――当初、聞き掘れば何か手掛かりがあるのでは、なんて思ったが、そんな希望さえ打ち砕かれつつある。
ここまでの会話でかなりの偏屈なのは理解した。種族のこともあるし、なんならこの森でずっと暮らしているのかもしれない。
――ひとりで?
いずれにせよ、ダメもとでも聞いてみるしかないのだけど。そう思いなおして、機械街にひょこりと顔を出すと、ちょうどリピィテの背中が見えた。それも、少しずつ小さくなっていく。
「って置いていかないでよ!?」
そう叫んで、重い羽根を無理やりにはためかせて彼との距離を詰める。そんな飛ぶのに不利な状況とて、彼に追いつくのは案外苦ではなかった。リピィテ、歩くのがだいぶ遅かったのだ。
「ねぇ、帰るなら呼んでよ。危うく置いてけぼりだったじゃん」
「ん……? あれ、ポケモンいたんだ」
「一緒に来たよねぇ!? ステミラー・ブレイクって言うのですが!」
「へぇ」
「え、本気で忘れられている……?」
ぺたりと地面に降り立って、ステミラーはリピィテの顔をまじまじと見つめる。くりくりとした目は彩度が低くて、落ち着いた色合いをしている。そんな目はぼんやりとステミラーを映し出して、ぱちぱちとゆったりまばたきをしてから。
「まぁいいや。誰だか知らないけど」
「ねぇリピィテ!? さすがに冗談だよねぇ……!?」
「リピ、リ……なんとかって俺のこと?」
「そうだよ! さっき私が名前あげたんだよ!?」
「ふぅん」
興味なさげな目の色は、その筋ではずいぶんとまっすぐに見える。
――本当に、私のことを忘れている?
そんな結論に落ち着いて、ステミラーの頭はさあっと冷えていく。あまりにも、早すぎないか。さっきの今だ。名前だって、覚えたとか言ったところなのに、一緒にいなかったのだってほんの数分のことなのに。
なのに、なぜ、忘れられる。
「えっと、最近ポケモン見たりしませんでした……?」
「うん? わからないな、興味がなくて」
「私か、私みたいな方には」
「なんかいたかもしれないけど」
その返答で胸をほっとなでおろした自分に、ステミラーは嘆息する。
なんかいたかも、つまり私がいた痕跡が薄くでも彼の中に残っている。もうそれだけで、自分の存在の証明になる気がして。
「あの、このまま一緒にいてもいい?」
「それはあなたのご勝手に」
リピィテはそう言い残して、再び歩き始めた。もちろん歩幅は遅くて、それはたぶん、彼の歩き方がのんびりであるだけなのだけれど。
――本気で出口なんて、かけらも知らないのでは。
そんな諦めさえ、自身を忘れられたショックにヘコむステミラーの頭には浮かばなかった。