84話 気持ちなら届いてる
「っ、甘い!」
「は……ッ!!」
声に載せられた意味を掴む間に、容赦のない波が体力を削りにかかる。さすがの実力といったところか。相性の差を感じさせない重さだ。
アルトは咳き込み、舞い上がった砂を吐き出した。
「水晶の洞窟でも十分キツかったけど……!」
「それはさすがに手加減してたわよ。本気で戦いたいとは思っていたかったし……というのもあるけれど、やりすぎるとあの子が怖いもの」
ラスフィアは長い耳と尻尾を揺らすと、口元に笑みを添えた。
当然、彼女に煽りの意などはない。ただ事実を述べているだけにすぎないのだが、アルトの性格上やはり頭に血がのぼるのは避けられなかった。
「サイコキネシス使わねぇなって思った、よッ!」
「あ、気が付いてたのね」
投げつけた波動弾は、サイコキネシスによって容易く軌道を逸らされ撃沈。砂埃が舞い、潮の香りがふわりと立ち上る。
「一番使われたくなかったからな……!」
さらさらと不安定な足場では、得意とする近距離戦はやりづらい。相手と距離を詰めようにも、助走に勢いが乗らないのだ。
圧倒的に不利な条件。中距離攻撃がメインのラスフィアと対峙するには特に、だ。
――海岸の洞窟、奥地。
容赦のないラスフィアに、それでも追いつこうとアルトは足掻いていた。
「さて、と……。実践練習はこんなもので大丈夫?」
ぴりりとした雰囲気を和らげ、ラスフィアは足についた砂を払った。アルトはそれに肯定の返事をしつつ、上がった息を落ち着かせる。
時は温泉に行った数日後。温泉の日の時点でラスフィアとの予定を入れていたアルトは、ギルドの方の仕事を早めに切り上げてここに来ていた。
リィはリィで、ラピスとの用事がどうとか言っていたので午後は別行動となっている。アルト的には、案外意外なコンビではあったのだけど。
喉に引っかかった砂を吐き出すように咳き込んでから、アルトは顔を上げ、ラスフィアを見据えた。
「それでもう一個の方が」
「技を教えてもらいたい、ってことだったわね。誰かに教えるのって始めてだから上手くできるかわからないけれど……」
ラスフィアは首を回し、改めての準備運動をしていた。
ギルド、及びサメハダ岩から程近く、かつ技を撃っても迷惑にならない場所。目立たないと尚良し。
それが、アルトがラスフィアに特訓に付き合ってもらう場所の条件だった。
なんてことはない。ただ自分が超えるべき壁、すなわちメテオ達に対する対抗手段の乏しさに、アルトが歯がゆさを覚えた次第だ。
アルトも軽く腕を回すと、気持ちを入れ直すように深呼吸をした。
「全然構わねぇよ。最初から無茶なこと言ってるって自覚はあるし」
――「悪の波動の使い方を教えてほしい」。
アルトがそう言ったとき、ラスフィアが困惑しなかったと言えば嘘になる。
ルカリオならまだわかる。しかし、リオルの彼にその技が使えるのか。ラスフィアの知識では曖昧なままだったが、彼の一言を聞いてその考えを打ち切った。
(時空の叫びで、私らしいポケモンが悪の波動を使っている場面を聞いた。そして実際、そのときだけだけれど、技を使うことができた。……不思議ね)
頭の中で話を整理しながら、ラスフィアは塩っぽい香りを静かに吸い込んだ。
そんなことがあるのか。正直な感想はそれだ。単なる映像、どころではなくただの音声だからこそ余計に。
しかしまぁ、 ただでさえ謎の多い時空の叫びを使う時点で不思議さは尽きることがない。しかもそれが元ニンゲンだというのだから、最早考えるだけ無駄だという結論に落ち着いた。
(波動も多少は扱えるみたいだし、不可能ではなさそうね)
未来で少し読めるようになった、という趣旨の話は、奥地に来るまでの間に聞いていたものだ。その練習も積みつつ、実力を高めていけばよいだろう。
そんな結論を頭の隅に寄せつつ、ラスフィアは話の軌道を修正していく。
「そのときの感覚なんかは覚えている?」
「突然だったし、時期自体がお前と会う前だったんだよなー……すげぇ前に感じる」
実際にどんなものかは置いておくとして、だ。リィと出会ってから、すなわちリオルになってから怒涛のような時を過ごしていたせいで、本当よりずっと先の時間に立っている気分になっているのだろう。
ラスフィアも、アルトと同じように記憶のゼンマイを巻いていた。
「ふふっ。私もギルドにいた時代が懐かしいもの」
「いや戻れよ! シイナとリズムも会いたいとか言ってたぞ?」
名前を聞いて、ラスフィアは一瞬だけ目を閉じた。関わった時間こそ長くはないものの、鮮烈な印象と時たまの雑談の賑やかさもきちんと思い出せる。
……それでも。
「だってきちんと脱退手続きしたから」
「抜かりねぇな!?」
おふざけのつもりなのか、小さく舌を出したラスフィアはさすがの準備の良さ。元メンバーの時点で色々と危ういところはあるが、まぁそこには目を瞑ることにしよう。
「まぁそれはいいけれど……本当にゼロからのスタートね」
「それでも可能性があるならやってみてぇよ。てか、やんないとアイツらと戦えねぇし」
あのメテオだ。レベルが高いのは十分承知している。だから、次の手が見えきってしまうまねっこだけでは到底立ち向えない。
それに普段の探検でも、ゴーストタイプはずっと苦手としていたから、この機会に克服していきたかった。
「そうね。練習としては私の技をまねっこで感覚を掴んで、それで実践って形で行きましょうか」
「ああ。……便利だなこの技!?」
「本当にね。むしろ、覚えるのって大変なだけじゃないかって思えるわ」
悪戯っぽく笑うと、ラスフィアは中空に向かって悪の波動を放った。
冗談めかしてこそいるが、正論に変わりはない。アルトはうっと言葉を詰まらせると、誤魔化すように手を前にかざした。
「それでも単独で使えるようになりてぇんだよ!」
そう吐き捨てながら、続けて黒い波紋を呼び起こす。
ただ技を出すだけじゃない。何度か繰り返す中での感覚をなるべく残すため、ラスフィアの一挙一動さえもコピーするようにして体に馴染ませていく。
「……よし。それじゃあ普通にやってみ……普通って言っていいのかな」
「やる気削げるからはっきり言え!!」
的とする一点を睨み、呼吸を整える。意識を集中、的以外が視界から消え去るのが理想。
「――悪の波動ッ!!」
高らかな宣言は、洞窟にこだまして音の波を生み出す。そして、かざした手からはイメージ通りの波紋が迸り、などというのは流石に理想論だが。
それでも、手の平からは波紋がひょっこりと顔を出す程度には扱えていた。
「やっぱりまだ使えるレベルじゃねぇな」
「それはまぁそうだけれど、現時点でここまでこれていれば大したものよ。基本さえ出来れば後は伸ばすだけだもの」
「簡単に言うけどよ……!!」
外の様子は分からないが、そろそろ夕陽も沈みそうな頃合いだろう。
ダンジョンを発つ前にオレンの実でも食べておこうか。そんな気持ちで開いたバッグから覗いたものを見て、アルトはもう一つのことを思い出した。
「そういえばこれもずっと聞きたかったんだが……ラピスはなんでフルートをダンジョンで吹くんだよ?」
ラピスに聞いてもまともに答えてくれやしない。謎は謎のままでいて、だけどラスフィアなら何か知っているかもしれない。
トレジャーバッグに入れたままのトランペット。戦いで使おうというのは無謀なのだと、それはきちんと肌で実感してきたのだけれど。
小さな紋章の入ったトランペットケースを、ラスフィアは興味深げに眺めた。
「まぁ、氷タイプの技も使えるようになるからよ。彼女がフルートを吹いたとき、相手が凍っていたりするでしょう?」
口ぶりこそさも当然と言う風ではあるが、内容は中々に突飛だ。
「それがなんでなのかわかんねぇよ。俺のじゃ無理、だったし」
「だった、なのね?」
「未来でやってきたからな!」
「あぁ、キザキの森で、ラピスに馬鹿じゃないのって言われてたあれかな」
「それほんと口滑らせたなって後悔してんだよ! アイツとエルファだけには絶対この話したくねぇって思ってたんだけどな……!!」
こうしてみると、ラピスとシュトラに「情報喋りすぎ」と言われたのも頷ける。そしてエルファはエルファでエルファだから、そのまま手玉に取られるところまで考えて恐ろしい。
「ふふっ、やっぱり彼と仲良いじゃない」
そしてそこをちゃんと指摘してくるラスフィアも、結局は恐ろしいものだ。
「んなわけあるか! あとエルファにも言うなよ、ギルドにももう戻るなよ!?」
「じゃあ戻ろう」
「気変わり早ぇ!」
アルトのツッコミも、ラスフィアは笑顔で受け流す。
ギルド時代はお互いにどこか壁があるような。向こうも向こうで距離を感じさせるような話し方をしていたせいもあるんだけど、こんなにいじってくる相手だとは予想外だった。
サメハダ岩での会話を鑑みるに、未来時代はラスフィアだけでなくシュトラやテナーにもいじられ、な風だったのか。
「…….って今も変わんねぇよ」
その主な相手がフリューデル、というかエルファに置き換わっただけで。
考え始めたらエルファだけでなくラスフィアに対しても悔しさが芽生えてきて、彼女を睨むようにした、瞬間。
「……氷の心を奪う音色」
「は?」
話を聞くつもりじゃなかった耳は、不意に紡がれた言葉を曖昧なまま脳に伝えた。
「最初に言ってたフルートの話よ。長くなるから、また余裕のあるときにね」
「気になる言い方やめろ……!」
ダンジョンを出ると、ちょうど空に七彩が現れる時間帯だった。といっても灰色の雲に覆い隠されていて、その色を存分に味わうには至らない。
ただ辛うじて覗く西の茜は、より際立って鮮やかに見える。
「あまり練習に時間使ってたら、トランペットも吹けそうにないわね」
「あぁ。……やっぱりあれ使う技考えるか」
アルトとて、単なる思いつきでミカルゲ戦に起用したわけではない。と言っても、結局無謀なのに変わりはなかったけれど。
定期的にここに通い奏でていたせいだろう。西日と波音に包まれると、フルートやトランペットの音色が聴こえてくるような心地がする。
「別に氷とか炎出なくても、ハイパーボイスみたいな感じのでもいいんだけどな……!」
「まぁそう簡単にいかないのが現状よね。私も何か考えておくから……しばらくは忙しいかもしれないけれど、夕方はこんな感じでいきましょう」
それだけ言うと、ラスフィアはサメハダ岩の方へ戻って行ってしまった。
まだ彼女たちの真実についての情報が広まりきっていないとはいえ、この辺りならば既に知っている者のほうが多いはずだ。それでもやはり抜け道を使っていくのは、彼女自身の警戒心の表れという面もあるのか。
まぁ、彼女の意思が第一なのであって、そこにアルトが口を挟む余地などないのだけれど。
アルトもギルドへ戻ろうかと、階段に足をかけたとき。
「あっ、アルトー! ちょうどよかった!」
わずかに幼さを残したこの声を、今更聞き違えるはずがない。相手はアルトの姿を見つけて走ってきたのか、少し肩を弾ませていた。
「リィ! もう戻ってんのかと思ってた」
「私もそう思ってた……。どうだった、ラスフィア?」
「相変わらず強ぇのとなんかたくさんいじられた」
「あぁ……。え、えっと、技の練習はできてたようでよかったよ」
「……気遣われた感すげぇ」
「ご、ごめん……っ」
リィは二、三と辺りを見渡した。ラスフィアの姿を探していたようだ。
たぶん、せっかくだし雑談でもしておきたかったのだろう。アルトに帰宅済みだと告げられると、そっかと残念そうに呟いていた。
「ってかラピスは?」
「うーん、疲れたから帰るって」
そう告げるリィの目が心なしか遠くなっているのを、一段だけ上にいたアルトは見逃していなかった。
二人が行った場所については、アルトも少しは聞いていた。特に遠いわけではなく、もちろん戦うような場所でもなかったはず、なのだが。
「そこそんなに危なっかしいものなのかよ……」
「穏やかな場所だとは思うんだけど……きょ、今日は、ね」
「ホント何があった!?」
頬を引きつらせたリィに、アルトはそういう他なかった。
リィですらこれだ。ラピスがどんな感想を抱いていたのか想像するのは難くない。帰ったら即座にラスフィアに愚痴を言ってそうなところまでは想起できたものの、肝心の中身はさっぱり予想がつかなかった。
「でも、ちゃんと目的は果たせたからいいんだ」
そう言いながら差し出された紙袋は、手のひらに収まるくらいに小さくて。お店のマークらしきものが入っている、おしゃれなデザインだった。
開けてみてよ、とでも言いたげにリィに頷かれ、アルトは袋の封を切る。ラピスがいたらヘタクソだって言われていそうだったのは、この際おいておくとして。
「チェーン……?」
「うん。ほら、アルトのペンダントって、未来で壊れちゃってたよね? だからそれを直せるようにーって、ラピスが」
「ラピスが」
そこはお前じゃないのか、と思わず口をつきそうになった。リィはそれを見透かして、楽しそうに笑いをこぼす。
でも確かに、アイツらしいといえばそれまでだ。素直に渡しに来るとは到底思えないし。
銀色の細い鎖は、ごくシンプルな、本当にただのパーツなのだけど。アルトにとって長すぎず、短すぎずなバランスを考えてくれたのだろう。以前のものと同じくらいの長さだった。
石とチャームをチェーンに通し、首にかけたそれに力強く手を当てる。慣れた感覚が戻り、ふっと懐かしさが込み上げた。
「やっぱり、これが無きゃ落ち着かねぇよ」
「……えへへっ」
アルトの顔はちょっとした自信に満ちていて。
輝きだした星々は夕刻フィナーレの合図。はじめてこの階段をともに駆け上がった瞬間を思いだして、リィはちょっとくすぐったいような気持ちになる。
「後で、ラピスにありがとう、って言いに行こうね」
リィはぴょんと一段登って、アルトと同じ段につく。そのまま二人でギルドまで行こうとして、一旦足を止めて。
「……そういや、アイツに謝っとけって、未来でラスフィアに言われてたんだった」
「そ、そういえば……。あはは、言うことたくさんだね」
里程標に体重を預けていたラピスは、閉じていた目をそっと開いた。群青色は、いつしか雲が切れていた空を静かに見上げる。
全部聞こえてる。ありがとうもごめんねも、既にこっちには届いている。
(だから、別に、言いに来なくていい)
いや決して、直接言われるのがとかそういう意味ではなく。本当に、絶対。
あの二人のものが移ったのだろうか。無意識のうちの微笑みは隠さずに、ラピスは標識の柱から背を離す。
今日は疲れたんだ。早いところ帰って、ラスに愚痴でも言ってやろう。んでもって寝る、だって色々めんどいもん。
ラピスがトレジャータウン方面へと歩き始めたのは、アルトとリィが再び階段を登り始めたのと、ちょうど同じタイミングだった。