83話 チグハグシュシュパニック
溜め息をついた。それはまぁ、癖になりつつあるけれど、でも乗せる気持ちのほどが甘くなったりはしていない。というか寧ろ強くなっている、何故。
っていうのは本当にどうでもよいことで。あたしは無意識に俯いていた顔を半分だけ上げると、騒がしさから逃れるように耳を折りたたんで。
「……帰りたい」
そう言ってまた、溜め息を零して。真後ろにいたヤツを、おまけの風圧もろとも尻尾で引っ叩いた。
そもそもどうしてこうなったか。それを遡ることほんの数十分。
ラピスは手元の紙と目の前の建物を見比べ、再度見比べ。そして三度めにして、ようやくその二つともから視線を外して、すぐ横にいるポケモンに声をかけた。
「……本当にここでいいの?」
「うん。まぁ間違ってたら、ここのポケモンに道を聞けばいいかなぁって」
えへへと笑うチコリータに、ラピスは微かな頭痛を覚えた。
リィは、ラピスなら絶対言わないようなことも平気で口走る。それは先程の発言然り。別に悪い意味ではないのだけれど、価値観の違いというか、それをひしひしと実感した。
「マリーネオに聞いてからずっと気になってたから……来れてよかったよ」
セカイイチ回収戦リターンズに巻き込まれた、と言うのはラピスが勝手に語っているだけなのだが。そのとき裁縫談義に明け暮れていたリィは、マリーネオからこの店のことを聞いていたのだという。
ちなみに今手元にある地図も、彼から聞いた話をリィが独自にまとめた結果生まれたものらしかった。
そう、今二人が前にしているのは、小さな小さな手芸屋さん。
ふんわりした赤色の三角屋根に、建物を囲むまん丸の木。民家と言われても納得できそうだが、 立てかけてあるブラックボードを見る限りお店で間違いないようだった。
(あたしはチェーンだけ買えればそれでいいけど……長引きそう)
ラピスは今にも扉を開けようとしているリィを冷ややかに眺めた。
何故手芸屋さんか。答えるならば、アイツの装備品でも直してあげてやろうかという思いから。
ただ、リィにその材料を買えそうなお店を聞いた瞬間、「私も行く!」と目を輝かせられた。そのため意外と珍しいコンビで訪れているのだが。
「ほら、早く入ろうっ?」
「……ん」
可愛らしく木目の並ぶ扉を押し開け、宝箱よろしくのお店に出迎えられ。リィが感嘆の声と共にお店に飛び込む。
なんて、それは。
「うわああああぁっ!?」
――幻想だった。
なぜ叫び声なのか、ここは手芸屋さんではなくダンジョンだとでもいうのか。それとも手芸屋さんは平和な場所ということすら間違いなのか。
思わず耳を折り曲げたラピスが、その声の発生源を不機嫌に睨むのも、至って自然な反応である。
「あたたたごめんなさいごめんなさいぃぃ!!」
「だ、大丈夫!?」
「シュシュはいいけどむしろレレちゃんがあああっ!!」
目を背けていてはなんの状況も理解できない、というのは既に察してはいる。が何も見なかったことにして扉を閉めたかった。
扉に付いていたチャイムの余韻が消え、ラピスは諦め半分で現状を理解する。
「……うるさい」
「え、ええっと……大丈夫?」
散乱したビーズ、引っ張り出されたリボン。
カラフルなその中心にいる二匹のポケモンは、気が付いていなかったであろう来客と店内の有様を見比べると。
「い、いらっしゃいませ?」
「な、なんかごめんねっ!?」
それぞれ、なんとも反応に困る反応を示してくれた。
二匹のポケモンのうち片方、先程シュシュと自身を称した方が、散らばったリボンを見て「わぁ」と眉を寄せた。
耳の先にある綿毛のようなものには、より取り見取りな色合いのビーズが埋もれている。現場の状況を見るに、それらは元々アクセサリーとして装着していたものらしい。ぶちまけられたものが引っ付いた、というわけではなく、だ。
ビーズ状アクセサリーのポケモン、ミミロルは、リィたちの方に向き直るとコホンと咳払いをして、胸に手を当てて。
「いらっしゃいませ、どうもこんにちは!」
「……白々しい」
「随分はっきり言うねぇ!?」
ばっさりと切り捨てたラピスにも、営業スマイルを崩さないシュシュは店員としての意地が感じられる。……というわけではなく、確かにと真顔に頷いた。
そして、だ。随分と盛大なアクションと共にツッコんでくれたもう片方の子を見たリィは、一目見た瞬間から思っていたことを、口に出さずにはいられなかった。
「も、もしかしてヴェレ、ちゃん?」
その場の視線が全てリィに集まり、続いて話しかけられた方へと流れていく。
最初レレちゃんと呼ばれていた橙色は、目をぱちくりとさせると、
「……あれなんでヴェレのこと知ってるのっ!?」
やっぱりシイナそっくりな声が、小さな手芸屋さんにこだました。
「……それでシイナ達から聞いていたの。合っててよかったよ!」
残りの三名は、それぞれの相槌を打ちながらリィの話に耳を傾けていた。
ミカルゲ報告会が脱線し暴走し変貌していく最中、彼女のことも飛び出していたのだ。当然ラピスはそれを知らなかったため、目の前にいるのがシイナの妹と知った途端、露骨に面倒そうな顔をしたという一幕もある。
――それはさておき、だ。
ヴェレはわなわなと震えたかと思うと、ぱっとリィの前足を取った。不意を突かれて声をあげるリィをよそに、ヴェレは勢いよく顔を上げた。
「おししょーと一緒に暮らしてるのっ!?」
それを聞いた途端、ラピスだけでなく、リィも否応なしに察する。
――これ、実際面倒な相手かもしれない。
「……語弊が」
そう呟くラピスの傍ら、リィは必死に記憶を手繰り寄せる。
確か、ヴェレはエルファとリズムのことをあだ名で呼んでたはずだ。そしてその一つがお師匠、だった気がする。
「ええっと……エルファ、かな? 部屋は違うけど、ギルドはおんなじだよ」
「すっごい! いいなぁーあっ!! ね、ねっ、お師匠すごいでしょ!? ほらほらあのね、あの感じとかとにかくすごくすごいよね、ねっ!?」
完全に燃え上がっていた。ここまで誰かを熱弁するものがいただろうか。ひとまず、リィの記憶上は存在しない。
というのはさておき。一応正解を引くのには成功したらしい。顔の輝きが一段と増したヴェレを前に、リィは困惑気味に周囲に助けを求める。
だが、ここにいるのはシイナでもアルトでもない。つまりは助けてもらえるわけもなく。
「……頑張って」
「えっ……」
ラピスには冷たく見放されたリィは、彼女と輝くオレンジとをせわしなく見比べる。うん、二人の雰囲気の差がすごい。
これでヴェレに加勢しない辺りまだマシ、というのがラピスの持論だ。当然エルファなら乗ってただろうし、暴走していただろうし。それに比べたら自分は優しい判断をした、と言い張る。
そのままラピスは、散乱したリボンを華麗に避けて棚の間へと探検しに行ってしまった。あちらはあくまで本題をこなすのが最優先なようで。
そしてもう一方、はというと。
「あの子、目の色綺麗……すごい……」
(こっちの状況目に入ってない……!)
ラピスを熱心に目で追っているシュシュに、散らかった店内を片付ける気は無さそうだ。いや確かに、あの子の深い瑠璃色は、まるで宝石みたいで綺麗なんだけれども。
「ふふーん、それからね、これとか本っ当にすごいところなんだけど! えっとねだねっ、へへ」
胸を張ってにっと笑う彼女に、なんて反応すれば良いのだろう。
それ以上に、そもそもの現状が、改めて考えると謎のシチュエーションだ。シュシュかヴェレのどちらががドジを踏んだ結果、この店内の有様ということでよいのか。
リィがきょろきょろとし始めたせいだろう。1人燃え上がっていたヴェレは小首を傾げ、やがて何かを思いついたのか手をぱちんとたたき合わせた。
「そっか、お店片付けなきゃいけないよね!? ……ってあー! ヴェレ、お姉ちゃんの名前聞いてなかった!」
「ええっと、うん、その方がいいかなって。あと私はリィっていうの。よろしくね」
――これ、実際は中々良い子だと思う。
てきぱきとビーズを回収し始めたヴェレを横目に、リィはそんな感想を抱いた。掃除が行き届いていると一目でわかるほど綺麗な床ではあるのだが、それでもハンカチで軽く拭きながら戻している辺り、ヴェレの律儀さが伺える。
「あっ、そうだ! ねぇヴェレちゃん。ヴェレちゃんはよくここに来るの?」
片付けを手伝いながら、リィはふとそんなことを口にする。
ヴェレはふと顔を上げると、片付けの手を一旦止めた。そして、斜めがけのバックに手を入れながら、「あのね」と答え始める。
「最近はよく来てるんだよ! あのねあのねっ、こういう羽根飾りとかやってみたくて!!」
見せてくれたのは、グラデーションの入った羽根飾りをトップに持ったビーズのネックレス。ところどころ絡まっていて、歪んでいて。お世辞にも上手いとは言えない代物ではあるのだが。
「ヴェレ、手芸とかすごく全然だからシュシュちゃんに教えてもらってるの! それで最近はここに通っててね!」
そう答えつつ、彼女はあれとこれと、と同じものを出してきた。少しずつ違うし、物によって巧拙の差がすごい。どうやら、幾つかシュシュのお手本が混ざっているようだった。
「あのねっ、この羽根はちょっとモチーフにしてるものがあるの! なんだと思うー?」
ちょっぴり得意げなヴェレの顔に微笑んでから、リィはそのネックレスを眺めた。
まじまじと眺めても、リィにはさっぱりわからなかった。色合いが可愛い、ということくらいが関の山だ。
苦笑いしながら首を横に振ると、ヴェレは指を一歩立てて口元に当てた。
「ふふーん、じゃあ秘密っ!! とにかく、これ上手に作れるようになりたいんだよー!」
試作品を胸に抱き、ヴェレは肩に付いている黄色の飾りを揺らした。ひらりと跳ねたそれにリィが既視感を覚えている間に、ヴェレはそっと視線を落としていて。
「……ヴェレ、ちゃん?」
「えあっ、と……どうしたのリィお姉ちゃん?」
「ぼうっとしてたけど大丈夫?」
小首を傾げたリィを見て、ヴェレははっと伏せていた目をそちらに向けた。「なんでもないよ」と手を横に振ると、試作品をしまいながら再び喋り始めた。
「へへへー! それでねっ、お師匠のお兄ちゃんがカミサマなんだけど!!」
「エルファってお兄ちゃんいたんだ……」
ヴェレについては聞いていても、そっちは初耳だ。
というかそのあだ名なんだろう。単なる聞き間違えか本当にそうなのか、という疑問と探究心が渦巻いているから質問してみたいのだけど、も。いかんせん口を開く前に向こうが話を続けてしまうのだ。
ここ大事だよ、と添えながら、ヴェレは両の手をぐっと握りしめる。
「もおおおおうううほんっとうにすっごいのっ!! ほんとほんと、ちょーうすごくてね!!」
「え、えっと……?」
「とにかく本っ当にすごいんだよ!! それでねそれでね、特にすごいなって思ったのが――」
頼むから口を挟ませて欲しい、質問できる間が欲しい。
そんな思いを込めながら相槌を打つリィとは裏腹に、相手のさらなるヒートアップは止まらない。何が彼女をこんなに駆り立てているのかも、すごいの羅列の中ではさっぱり読み取れず。
その間、何度困惑したものかわからない。それくらいに熱く早く、ヴェレの猛烈な語りにただただ圧倒され続けて。
「ねっ、すっごくヴェレたちの神様なの! すごいでしょ!?」
「うん……すごくすごいんだなぁって思ったよ」
気押されるリィは、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
(というか、すごい以外のことが伝わってこなかった……!)
どうにもこうにも、詳細がさっぱりすぎるのだ。でも、向こうはそこだけ伝われば満足なのか、それとも単に完璧な説明だったと思い込んでいるのか。
ヴェレはばーんと両手を広げると、一段と目を輝かせて。
「さっすがその血を引いてるだけあるなって感じなのがお師匠なの!」
「そうなんだね……」
リィでさえ、そろそろ反応するのが苦しくなってきた。但し、ごめんねヴェレちゃん、と謝るのは心の中のみだ。
「カミサマ、ユメ見てばかりなんだから、たまにはお師匠みたくぴょーってばーんってきりゅあーってやってもいいのになー!」
(効果音全然わからない!)
「へへへっ、久しぶりに会いたいなー! ねぇねぇリィお姉ちゃん、お師匠たちどんな感じなの? お姉ちゃんとかドジ踏んでない大丈夫っ!?」
「え、ええ……っ。うん、いつもすごくすごいよ。あとシイナはすごく頑張ってるよ」
もはや会話を諦めたい、けれど振られた話を無視はできない性分だから。
シイナへの言及を聞いたヴェレは、目をじとーっと細めると、それまでとはまた違う弾んでない声で問いかけた。
「頑張った結果ドジばかりとかない? ヴェレ無しで本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ……!」
「まぁお師匠とせんせーがいるなら大丈夫かー! いいなぁいいなぁ、ヴェレも一緒にいたいなぁー!!」
なんて言いながら輝かせた目の向こう、リィはせんせーが示す相手がリズムだということを必死に思い出していた。
そんな風なやり取りをしていると、突然リィの葉っぱがぐいと後ろに引かれた。見れば、ラピスがむすっと頬を膨らませた状態で、葉っぱをつんつんいじっている。
店の奥では、ラピスを観察してインスピレーションを得ていたシュシュが引っ叩かれた事件などが起こってはいた。のだが、その痕跡は、今彼女たちがいる場所からは確認できない。
未だ夢心地なヴェレをしらっと睨んでから、ラピスはその向こうにあった木枠の窓を眩しげに見つめた。
「あたしもう帰りたいんだけど」
「えっ、もう用事終わったの?」
「……そっちが喋りすぎなだけでしょ」
それは実際正論で、窓辺に置かれた小物に差した光の色は暖かかった。リィは今更気がついたと言わんばかりに、反対側の窓を確認。さすがに東側の窓はまだ昼色だったけど、でも、もうすぐ暖色に染まり始めそうだ。
ずっとうるさかったんだけどと文句を言われる傍ら、リィは今度は声に出して、手の代わりのツルを合わせて謝りつつ。
「も、もう少しだけ大丈夫?」
「……好きにして」
ちゃんと猶予をくれる辺りは、やっぱり優しいラピスなのだった。
街が一段と賑やかになったことくらい、二人も既に気がついている。トレジャータウンやカフェにいるときは、その違いには否が応でも触れるものだ。
そんな中でマリーネオは、カフェの喧騒をバックに、使い終わった食器を洗っていた。
(どうにも彼らの影響力はすごいですね。いるといないで音が全く違う)
一報、真実を聞いた時の驚きと言ったら、彼の生涯でも指折りの衝撃と称せるほどだった。
双子は、まだ未来帰還者の誰にも再会していなかった。アルトとリィは幻の大地の手がかり探し諸々に奔走しているのはもちろん、残り三名は知っての通りだ。
ふととろけるような甘い香りがして、マリーネオは顔を横に向けた。焼き上がった生地を取り出した彼女は、まぁ今日もいつも通りの様子である。
「……ヴァイス」
「どうしたの?」
声のトーンから、そして月日を共に過ごした経験から。言いたいことはわかりきっていて、聞く必要などないほどなのに。ヴァイスは耳をぴんと立ててしまっていた。
「僕は……ラスフィアさんに、どんな顔をして会えばいいんだろう」
洗い途中のカップを持つ彼の手が、ぎゅっと縮こまった。ヴァイスは目を逸らして、カフェエプロンの裾を握った。
マリーネオは、表情を偽るという点ではヴァイスよりも長けている。顔に出た本音を繕うことなど朝飯前で、いつだって笑顔、というのが彼の印象だという者も多い。
そんな彼が、気にしていることを隠しきれなかったのがラスフィアの件である。時折見せる暗い表情に言及される度、なんでもないですと慌てて取り繕う。
「なんて、実際会ってみなきゃわからないし、悩んでいても仕方ないよね」
嘘っぽく笑うと、マリーネオは洗いかけだったコップに水をかけた。はぐらかすようなその仕草も、ヴァイスはきちんと目に留めている。
(マリーネオ、ラスフィアさんのことずっと気にしてたし……。確かに、いざ顔を合わせようとなると、これがまた難しい)
厨房に流れた沈黙は、澄んだ音色によって即座に破られた。例のト音記号形のベルが鳴らされた、要は客が来たということ。
「あっ、僕が行ってくるねっ! ヴァイスは飾り付けやっててよ」
逃げるように去っていく相方の背中を見た後では、聞こえてくる明るい声も、わざとらしく聞こえてしまう。
手が止まっていたことに気がついて、ヴァイスは慌ててクリームのボウルを手に取る。
そう、未来のことなど誰にもわからないのだ。どんな風に会うことになるかすら判然としないのに、どうして今、その第一声に頭を悩ませる必要がある。
刷り込まれた動きで飾り付けながら、それでもやはり、ヴァイスは彼らのことを考えていた。