80話 光への一歩
「おはよう〜……ってあれ、シュトラがいない」
しばらくベッドの上で身じろぎしてから、リィはそう発言した。太陽は水平線の上を泳ぎながら、さざなみをもてあそんでいる。
「あー、アイツならもう出発したぞ」
「そうかなって思ったよ」
アルトが挨拶を返しつつ告げた一言には苦笑い。彼のことだ、一刻たりとも惜しまないで行動するのはわかりきっていたのだけれど。
「……で、証のこと」
そんな彼に近いスタイルなのがラピス。寝起きであろうと関係なしに、いきなり本題をぶつけていく。
「遺跡の欠片がどうか、っていう話も含めて、改めて長老には会いに行きたいかなというのが私の意見ね」
そして、挨拶も軽く交わしつつ、そう提案したのはラスフィア。彼女は水平線の先を眩しそうに睨んでいた。
「それともう一つ厄介なのが、幻の大地へ行くために海を渡る方法も考えなきゃいけないってところかな」
スカーフの結び目を少し後ろにずらして、ラスフィアは嘆息した。改めて並べられて、その難度を肌で感じる。
そう。今の五人は誰も、海を渡れない。すなわち、誰かの手を借りざるをえないのだ。
一刻も早く幻の大地の場所を突き止め、時の歯車を納める。それに対して、こちらが持つ札はお世辞にも十分とは言えない。
(星の停止だけはなんとしてでも食い止めねぇと。……そのためには)
自然と頭に浮かんだ顔がある、手を伸ばせば届く光がある。
だがそれを案として出すのに、アルトはしばしの躊躇いを要した。リスクが否定できないのだ、それもかなり大きな。
だから諦める。そんな単純な考えに対して、アルトは首を横に振る。
(この五人じゃ絶対間に合わねぇってのは確実だから)
無意識のうちに取り出していたのだろう、右の手には例のペンダントの感触があった。それを確かめるように手に力を込めてから、アルトは顔を上げた。
言おう、伝えよう。光ならそこにあるってこと。
「なぁ。ギルドに協力してもらうのはどうだ?」
「ふむふむ……ってええっ!?」
「……はぁ?」
「すごいところ突いてきたわね」
それぞれの反応はおよそ予想通り。向けられる視線が痛くて、アルトは少しだけ顔を下に向けた。
とんとん拍子に賛成が貰えるとは思っていなかったけれど、やはり目の当たりにしてみると言った後悔がわずかに芽生える。
「うーん。私も皆に会いたいけど、私たちはいきなり消えたことになっているんだよ? それに」
彼女の中では二つの意見が渦巻いているのか、言葉自体の歯ぎれはあまりよくない。リィは、落ち着かなげにリボンの端を触りながら続けた。
「私が未来で見てきたこと、もちろんシュトラやラスフィア、メテオのこと……それにアルトとラピスの過去。それを皆に話したとして、皆は信じてくれるのかな?」
ギルドの面々を疑うなんて意図はなく、ただ不安なだけなのだろう。それでもアルトには、リィが彼らを信じていないように思えてしまった。
正直に言おう、アルトだって未来での話を完全にのみ込めたわけではない。だから、彼女の不安だって理解はできる。
「……リィちゃんと同じかな。私も手酷く裏切ったわけだし、メテオの夢話を信じている彼らを説得するのは厳しいと思う」
ラスフィアは寂しげに目を逸らす。潮風がスカーフを、そして彼女の耳を揺らした。
「それでも」
アルトは口に溜まっていた唾を飲み込んだ。
未来で何を信じていいのかわからないまま、ただ闇雲に逃げ続けるだけの時間を過ごして。そこから何も学ばなかったわけじゃない。
「信じなきゃ始まらないだろ」
全てを疑った。
隣に立ち、共に逃避行をするリィでさえも疑ったアルトだから。
裏切られたことを忘れたわけじゃない。でも、だからこそ、信じることの大切さは身に染みたつもりだ。
だから信じる。
道を知りたくば、光を欲するならば、例え賭けでも前を見るのが始めの一歩だ。アルトはあの闇夜にそうして手を伸ばしたから。それがなければ、シュトラとも合流できず、きっと今だって未来を駆け回っていたはずだ。
「俺やリィ、ラピスなら、たぶん話を聞いてくれる。それで誤解を解けば、証や幻の大地を探すのは楽になるんじゃないのか?」
誰もそれに答えない、いや、答えるだけの考えがまとまっていない。
なんて飛躍した理論だ、とラピスは瞼を下ろした。無意識のうちについた溜め息には、飾りも誇張もない本音が乗る。
「……アンタとリィなら、ね」
ラピスはうっすらと目を開けると、瑠璃色の中にアルトの影を閉じ込めた。
「あたしは信じてもらえない。……だから二人で、行って、言ってきて」
「いや待てよ! お前だって」
反射的に返しつつ、アルトは半拍遅れて気がつく。
それが肯定だと、彼女はギルドの手を借りるつもりなのだと。
「……何?」
「……なんでもねぇよ。リィは?」
相変わらず、ぼうっと聞いていたら本心を見落としそうになる。信じてもらえないという言葉の真意はともかくとして、一応ラピスの同意は得られたのだ。
再び話題の中心となったリィは、視線を辺りへ彷徨わせる。何事かを口ごもってから、大きめに深呼吸をした。
「うん。……そうだよね、ちゃんと話せばわかってくれる。きっと、たぶん」
言い聞かせるようにして、リィはこくこくと頷く。
やがて彼女は顔を上げると、儚げな笑顔を作ってみせた。彼女の桃緋の瞳は、うっすらと映り込んださざなみによって宝石のようにきらめいた。
「人手は多い方が絶対にいいもん。それに皆、宝探しとか好きそうだからね」
「まぁ探検隊って名目だもんな」
「ねっ。それにまた皆と会えるなら私は嬉しいし……」
えへへっと恥ずかしげに笑うと、リィは未だ不安そうな表情のラスフィアに向き合った。
「アルトと私で皆を説得してくる。そしたらきっと、ラスフィアとシュトラのことだって信じてもらえるよ。……だから」
次の句を繋がせることなく、ラスフィアは重く溜め息をついた。
「わかったわ。まずは二人を、そしてギルドを信じろってことね」
その溜め息の終わりには隠しきれぬ苦笑い。アルト、リィの顔を交互に見比べると、頭を下げた。
「私もこのメンバーで探し切れるか不安だった。だからお願いします」
「ああ! 絶対皆を信じさせてやる」
「……騙し屋っぽい言い方」
「そう言うならお前も来いよ!!」
緊張感の欠片もない雰囲気に、張り詰めていた空気がふわりと和らいだ。
ギリギリ朝礼が始まるかどうかという時間だ。今行けば皆いるだろう。アルトは横目で朝日の位置を確認しながら、そう思った。
「う、うーん、これは……」
第一声、リィはちょっとだけ畏まった口調にはなってみようとはしてみた。別にそうなる必要もないのだけど、なんというか、久しぶりにしっかりと眺めたときの気持ちをいかに表現しようかと血迷った結果だった。
そんな彼女とは対照的に、はっきりと感想を述べる者。
「相変わらずヘンな建物だよな!!」
「それに尽きるよ……」
見れば見るほどに感じる独特すぎる雰囲気。そして眺めるほどに、じわじわと可愛く思えてきたりもする。
いずれにせよ、当初の目的はこの建物の観光ではないのだ。アルトとリィは気を引き締め、その建物の手前、足元にある怪しげな格子を見据えた。
もちろんこれも牢獄などではないし、どこに繋がるかというのも二人にとっては既知の事実だ。
「それでも、いざ来てみると入りづらいよね……。突然いなくなったわけだし、ただいまって入るのもちょっと恥ずかしいし……うぅ」
「……なんか、お前がギルド入れないって言ってた理由も今ならわかるな」
「つ、ついにわかってもらえた……! って喜んでいいのかなこれ?」
「いやよくねぇよ!」
確かにここ、すなわちプクリンのギルドに一人で挑むというのもなかなか精神的な厳しさがある。一応名の通るギルドらしいから尚更なのだろう。アルトは風で波立つテントを睨んで、気持ちを切り替える。
「でも、皆に会って事実を話さなきゃ」
すうっと深呼吸して、リィは一歩を踏み出した。恐る恐る、それでもしっかりと。見張り穴の格子の上に立って、とくとくと小刻みな心音に耳を傾けた。
「ポケモン発見! ポケモン発見!」
「誰の足型? 誰の足型?」
そのやり取りを聞いた時、心構えをしていたにも関わらずリィは肩を跳ねさせてしまった。致し方なし、容易く慣れるものでもないのだ。
緊張に固まるリィを、そして固唾を飲んで見守るアルトをよそに、懐かしい声同士のやり取りは続いていく。
「足型は……この足型は!」
「あっおいラウン! 穴掘ってどこへ行く!?」
焦っているのは、耳に響き残るような大声。その場を離れたらしき幼く元気な声は、少ししたら再び聞こえ始めた。それも、
「だってこの足型は……リィさんなんです!!」
「えっ……」
「な……」
「なんだってぇぇぇええええ!?」
弟子たちの大合唱に揺れる地面から。
見張り穴の近くの土がもこりと盛り上がり、赤い鼻がにょっきりと顔を出した。
「やっぱり! アルトさんにリィさんだ!!」
「ラウン! 久しぶり……!!」
瞳を潤ませながら、リィは照れ臭そうな笑顔を見せた。変わらずで何よりだ。
アルトも久しぶりと言おうとしたが、それはしばらくのお預けとなった。
「本当にアルトたちだーぁああああ!! ほんとほんと、すごく心配したんだからねっ!?」
勢いよく飛びついてきた橙の弾丸。耳元で叫ばれてうるさいと叫びそうになったものの、文字は喉元ですり替わった。
「すげぇギルドに帰ってきたって感じだな!」
「でしょー!?」
シイナがどんと胸を張ると、彼女が開け放ってきた門からまた別の影が現れた。
「ヘイヘイ、本当だ!!」
「帰ってしましたわー!」
「お前たち生きてたんだな!」
「な、何気ない言葉なのに重みがすごい……!!」
カティ、ソラ、ジオン。
ジオンの言葉を聞くと、今生きているのも辛うじてだったのだなと改めて思う。命の危機に瀕してきたからこそ、それはすっと心に落ちた。
「こっちも大変だったんだぜ、グヘヘ」
「待ってましたよ!」
「うぅ、あっしは、あっしは……」
グレイ、リン、アクラ。
アクラは今にも零れ落ちそうな涙を必死に堪えていた。本当に懐かしい。ギルドのメンバーの顔を再確認するたび、そう感じる。
「ふふん〜、未来楽しかった〜?」
「俺も未来紀行のことは聞きたいかなー。楽しめたってんなら尚更、ね」
「お前らも行ってこいよ! 全ッ然、楽しいなんて言ってられねぇぞ!?」
「……というくらいに楽しかったと?」
リズム、エルファ。
彼らしい半笑いで煽ってくるエルファに、気遣いの一言くらいないのかよと思ったアルトを間違いとは言えまい。
「ふざけんな!! すっげぇ辛かった……」
「まったく楽しくなかったよ……」
「あ、あー、本気なのね……?」
さすがの彼も、二人の遠い目に罪悪感を覚えたようだ。笑顔を固めて、腰に手を当てた。そんな様子を見守るリズムは残念そうに眉を下げていたが。
「帰ってきて早々賑やかだな……」
そう額に手を当てるチャト。そして彼と共にギルドから出てきたのは、
「おかえり、二人とも♪」
誰よりもシンプルで、何よりも心に響く一言。マルスの安心したような笑顔は、二人の胸の中にふわりとした暖かさをもたらした。
無意識のうちに笑顔と、そして帰ってきた実感が言葉として紡がれた。
「「……ただいま!!」」
――おかえり。
声を揃えて、そしておかしそうに皆で笑って。
ひとしきりその波が広がったところで、ふと口を開いたのはリズムだった。
「ところでなんだけどー、ラピスはどうしたの〜?」
こてんと首を傾げた彼に、皆がそういえばと辺りを見渡す。アルトたちが帰ってきたという衝撃で目がくらんでいたのだろうか。
リズムがラピスのことだけを聞いたのは、きっと、シュトラとラスフィアは無事未来で処罰されたと考えているからだろう。
アルトとリィは顔を見合わせて、こくりと頷き合う。
「詳しいことは後で話すけど……私たちだけじゃなくて、皆戻ってきているよ」
「ってことはメテオさんもか!!」
「ちげぇよ! アイツは……ッ」
「ん?」
思わず声を荒げてから、まだここではメテオが信じられているということを思い出す。自分たちはそんな彼らを説得しにきたのだ、わかっていただろ。
アルトはペンダントトップがあった胸に手を当て、すっと朝の空気を吸い込む。
「俺とリィなら信じてもらえるけど、自分はそうじゃないって言いながら逃げた」
「信じてもらえるか、ねぇ……」
裏の意味を推し量るように、エルファは目を伏せた。先程の和やかな空気が一転、ぴりぴりとした緊張感に包まれる。
それに居心地の悪さを感じたリィは、手、もとい蔓を恐る恐る上げた。
「そのことなんだけどさ……あっこれ言っても大丈夫かなぁ」
「なんだよ?」
「いや二人で情報共有してないんだね!?」
シイナのツッコミには苦笑いを返しておき。リィは視線を彷徨わせ、おずおずとした声で切り出した。
「その……色々言ってたけど、本当は皆に会うのが気恥ずかしかったりとか、ない、か、な……」
「…………」
しんと静まり返るギルドメンバー。ここまでの人数がひとえに黙り込むというのも、それはそれで威圧感がある。
やがて口を開いたのはアルト、そしてエルファだった。
「ほんっと素直じゃねぇなアイツ!! ……ってか、この場にアイツいたら凍らされてそうだな」
「ははーん。今度あったら二人がこう言ってましたーって言っておきますね?」
「い、言わなくてもいいよ……!」
そんな三人のやり取りからは、再び和やかな笑顔が広がった。
ラピスならあり得そうだ、いや十中八九そうだろう。この先も何かと理由をつけてギルドに戻るのを拒みそうである。
サメハダ岩で待っているラピスが、ラスフィアに「アイツら変なこと口走ってないか」と不安を零したのは、ちょうどこのタイミングだった。