79話 幻を繋ぐ鍵
「聞き忘れてたんだけど、時空の叫びって何なんだよ?」
リィが戻ってくるまでの間の話題として浮上したのはそんなことだった。
「……アイツが言ってた通り」
「アイツって……あー、メテオか」
ラピスは恨みがましさがにじみ出た手つきでスカーフを外した。膝の上に置かれたマリンブルーは端がずれていて、畳むことの適当さが垣間見える。
メテオが時空の叫びについて解説していたのは水晶の洞窟へ行く前。更にはギルドの面々にその能力を公開する一幕もあった。
あの時のラピスはきっと蒼白だっただろうと考えると、心に小さな針が刺さるようだ。
「気をつけてって言った。……はぁ」
「それだけじゃわかんねぇよ!? 今思うと俺も何で喋ったんだって感じだけどな!」
呆れ顔に対する反論なんて、しようも無いのだけれど。
二人のやりとりを、まるで子供を見守るように眺めるラスフィアにラピスは小声で文句をつけた。それにくすりと笑うと、ラスフィアは「そうね」と路線を元に戻す。
「時空の叫びは……簡単に言えば時の歯車の位置を探るもの、かな」
座った姿勢のラスフィアは、片方の前足を立てるように上げた。
「ふふっ。時の歯車に反応して発動するって感じのものだから、すごく頼りにしていたの」
「……は、時の歯車に反応する?」
けらんと説明されてしまったものの、引っかかる部分が耳に残った。
時空の叫びが発動した場所を思い返そうとして、最初に浮かぶのはトレジャータウン。忘れもしないトゲトゲ山に関するものだった。
「あそこ時の歯車に関係あったのか?」
滝壺の洞窟然り。しかし、未来で頼ろうとした際に発動してくれなかったのも、この説明の後なら頷ける。
という事象について話すと、ラピス以外は怪訝な顔。
「未来とはまた性質が違うのかもしれないな。後は、その洞窟の近くに時の歯車があったか」
「その線もあるけれど……うーん、未来ではそんな場所について聞いたことないわね。ちょっと調べてみたいかな」
ラスフィアがそう提案すると、約二名はじとっとした目で彼女を見据えた。
「……そんな暇ない」
「今は時限の塔についてを優先したい」
「わかってるわ。……二人して同じ反応しなくてもいいじゃない」
わざとらしく頬を膨らませてみせるも、じきに堪えきれぬ笑いに弾けさせられた。こうしてみると案外子供っぽいなという感想は胸の内だけに留めておき、アルトは視線を海へと投げた。
相変わらず穏やかな波模様を目に入れることなく思考を整理。潮の香りをまとった風が、にわかにスカーフをたなびかせた。
「そうだな。あとは信頼できるパートナーがいなければ発動しないから……」
「あ?」
潮風に掻き消され、話の一部分を聞き逃す。けれどシュトラもラスフィアもそれに気が付かぬまま、話を続けてしまった。
「それだけリィちゃんのことを信頼しているってことかな」
「ただいま……って何の話しているの?」
すると新しい声が困惑気味に響いた。確認するまでもないその声の主は、入り口のところできょとんと首をかしげていた。
「時空の叫びについてだが……」
「えっ、それ私関係あったの? それに、私もその話気になるんだけど……」
自身も興味のある話を先走られていたのが悔しいらしく、遠回しに聞きたいとの要求。隠すのが下手すぎるそれは、当然のように、皆にいとも容易く見破られた。
そんなわけで、二回目の説明が始まるのは自然な流れだった。
さっきよりはやや丁寧めな解説と共に、リィとも時空の叫びの情報を共有する。聞き飽きたラピスがあくびをしたところでちょうど話が区切れ、リィが感嘆の息をついた。
「そうそう、トレジャータウンで探ってきたことについてなんだけど……状況はあまりよくないみたいなの」
ようやく踏み込んだ本題、告げるリィの表情は暗い。寝転がった姿勢で頬杖をついていたラピスが続きを促すと、リィは小さく頷いた。
「ユクシー達は確かに時の歯車を元に戻した。それなのに時は止まったままで……むしろ、時が動かなくなる場所が増えているみたいなの。それで皆なんでだろうーって」
「時の歯車が入れ替わったっていうか、戻し違えたりとかはしてねぇよな?」
「それはたぶん平気、時の歯車自体は全て同じだから」
すかさずフォローしたラスフィアの声も、いつもよりは随分凛としていた。割に顔は俯いたままだ。
「じゃあどうして……」
「……時限の塔が壊れ始めた。たぶん……絶対」
はっと息を呑む音が誰のものなのか。
アルトは冷水を浴びせられたような衝撃を感じていた。告げられた事の重さに、頭は一面真っ白に塗りつぶされて。
「壊れ始めた、ってことは」
「時を司る塔が壊れるのに伴って各地の時も止まり始めている。……つまりは、星の停止に向かって世界が本格的に動き出したのだ」
シュトラは眉を寄せてじっと考え込み始めた。
遠い未来の話と達観したい、じっくりと対策を練った上で戦いたい。そんな思いは儚く撃ち砕かれて。
猶予の無さは明白だった。
「一刻も早く時の歯車を集め、時限の塔に納めなければ……。ラス、それにテナー――いや、ラピス」
「ふふっ、これでもだいぶん調べてたのよ? もう少し問題は残っているけれど」
ラスフィアは得意げな顔をしたかと思いきや、即座に声色を落とした。心を落ち着かせるようにふぅと息をついてから、ラピスの横顔を覗き見る。向こうからの反応は、無。
ずっと探検隊やってたもんな、と口をつきそうになるのを、アルトは浮かんできた疑問で押さえる。
「なぁ、調べてたっていうのは? 流れ的に時限の塔に関係してそうなんだが」
「その通り。少し前に私とテナー、シュトラとアルトで別れて行動していたって話はしたわよね」
ラスフィアは名前を呼ぶのに合わせて、それぞれを前足で指し示した。
「シュトラとアルトが時の歯車担当。私たちは情報収集――時限の塔がある“幻の大地”についての、ね」
その名前の荘厳さは、時限の塔と並べることで更に際立つ。今しがた聞いたばかりのアルトとリィでさえ畏敬の念を抱きそうになるほどだった。
「ひとまずは情報の概要だけ伝えておくわ。海の向こうの隠された場所にあって、そこに行くためには証が必要。……まずはこの証を探さなきゃいけないのだけれど」
苦笑さえもせず頬を強張らせた様子から、いかに彼女が焦っているかがわかる。椅子代わりにしていたベッドからは、握られた藁が折れる音がかすかに響いた。
なるほど、それなら探検隊というツテもなかなか役立つものだったのだろう。リィは、てっきりラピス、それとアルトの様子見程度の気持ちだろうと勝手に思っていたのだが。
いつだったか、例の埃臭い図書室に向かう彼女を見たことがあるのも、それが関係していたのだろう。
「その証については、何か情報はないの?」
リィが手、もとい蔓を上げて質問する。
相対するラスフィアはしばらく口を閉じたまま、やがて小さく嘆息すると、すっと目を細めた。
「不思議な模様が描かれているものってことくらいね。その話はポケモンづてに聞いたから、私も正確にわかるわけじゃないの」
「不思議な模様……」
妙に引っかかるその言葉を、アルトは無意識のうちに反芻した。
一応これでも探検隊の端くれだから、不思議と言われたら興味をそそられる。だからだろうか……いや、確かにそれ以外にも何かある。
いつしか音が聞こえなくなっていたことさえ気が付かぬまま、アルトは記憶の波を掻き分ける。
不思議、模様、謎、紋様――。
「そうだ、遺跡の欠片!」
「えっ?」
途端無音状態は破られて、耳には少しぶりの声が弾ける。
思わず立ち上がっていたことは意に介せず、アルトはきょとんとするリィと目を合わせた。
「ほら、遺跡の欠片って何か描いてあっただろ?」
「確かに……! でも本当にその証かはわからないよ、というか絶対違うんじゃないかなっ、て……」
トレジャーバッグに片蔓を入れ、リィは目尻を下げる。彼女の言うことももっともだが、出た案は全て試す気負いでなければこの道は拓けない。
「……最初から手探り。違ってても別にいい、から」
それを端的に伝えたのはラピスだった。スカーフをバッグにしまい、寝転がった姿勢から一転してベッドに座り直した。
他の面々も何かしらの肯定の意を返す。それならばとリィは遺跡の欠片を取り出しすと、円形に座る五人の中心に置いた。
「これが遺跡の欠片なんだけど……どうかな?」
小さくも存在感を放つ石片。はじめの一歩であり、心の支えであり。更には時の鍵へとなり得るのかどうか。
「……これ」
ふっとラスフィアの瞳が揺れる。彼女が遺跡の欠片を目にするのは始めてのことだった。
一瞬だけ息を止めて、その不可思議な模様に前脚をかざした。光ったりするわけはなかったけれど、ラスフィアは何か感じるものがあったのだろうか。やがて顔をあげると、真剣な眼差しを欠片の持ち主に向けた。
「その、模様があるところまでしかわからないのよ」
苦笑した彼女を映す目を、何度か閉じたり開いたり。
「……は?」
「えっ、えっと……?」
どことなく嫌な予感がするのは、たぶんアルトだけじゃなく。疑念を込めた声には様々な色が混ざっていたのだけど。
「え、ええっと……口頭じゃ正確には伝えられないでしょう? だからほら、証の模様がどんなものかなんてはっきりわからなくて……」
「……馬鹿じゃないの?」
「否定できないわね」
二人揃っての溜め息。ラスフィアは苦笑気味、ラピスは完全なる呆れの色でだ。眉間を押さえているシュトラも、ラピスと同じ気持ちだろう。
「う、うーん……。じゃあさ、その話は誰に聞いたの?」
「グレン長老。あの温泉のところにいた方よ」
その記憶を取り戻すのにしばしの時間を要したが、場所を添えてもらった後は一瞬だった。
オレンジの体に炭のような甲羅を持った風貌、確かコータスという種族だったか。
「懐かしいな!? ……もしこれが本物だったら、見たときに何か思い出してもらえるかもしれねぇってことか」
アルトは遺跡の欠片を睨んだ。とりあえずは長老のところに会いに行き、証について聞いてみるというのが得策だろう。
「とはいっても、どうやってびっくりさせずに会うか、だよね……」
複雑そうな顔のリィの言い分は最もだ。
アルトとリィでさえ、見つかった場合には少々面倒ごとになりそうなのだ。芋づる式にラスフィアとシュトラのことが判明した場合を考えると、どうにも解決策の遠さがまとわりつく。
「とりあえず、幻の大地と証についてはそっちに任せる。その間に俺は時の歯車を集めにいく」
シュトラは赤みが差し始めた空を見上げた。いつの間にか一日の終わりも近づいているようだ、遥か遠くの一番星がきらりと瞬いた。
「ああ! 明日からはその証についてと幻の大地への行き方を調べればいいんだよな?」
「そうね。今からは動けないし……あっ、でもむしろ夜の方が姿見られにくいから」
「それはそれで怪しいだろ!?」
冗談だとラスフィアは口元に弧を描き、そこに正論をぶつけるアルトにうるさいと一喝するのはラピス。それに苦笑いをこぼすリィと、懐かしいやり取りだと感慨に浸るシュトラも。
来るべき時を迎えないために、幻と謳われる地への道を描き始めていた。
前を歩いていた影は静かに振り返った。肩までの長さの髪が揺れるのは、およそ彼女が動いたときくらいのものだろう。
彼女に呼びかけた張本人は視線を下げ、上げ、逸らし。なかなか次の句を繋ぐのに腐心している様子だ。
「……何?」
痺れを切らした彼女は声を不満で塗りつぶしていた。深い青色の瞳は深海のようだと例えても齟齬がないほど、色が似ているし様々なものを抱え込んでいた。
「……なんでもないなら行く」
「ああもう待てよ! ……本当に過去へ行くのか?」
「決めた。アンタもでしょ?」
スカートを翻し、彼女ことテナーは首を手で包んだ。長らく太陽が顔を出さぬ世界。ある程度の寒さは慣れっことはいえ、ときには冷えると感じることもある。
アルトは首から下げたペンダントを握る。手袋越しの硬さと、そこにあるという実感は彼に安心感をもたらすものだ。
茜の双眸に映る、冷ややかな態度の姉。彼女は小さく溜息をつくと、首を温めていた手を下ろした。
「来たくないならいい。足手まといなだけ。……戦えないくせに」
首を絞められたような感覚が走った。異論は出せない、戦えないのはアルト自身もわかりきったことだったから。
がむしゃらに体力をつけても、結局戦闘は仲間頼り。強くなりたくても、思うように成長しない。
「……迷ってるくらいなら来ないで。あたしの気持ちが揺れる」
容赦の無い一言に何一つ反論出来ないアルトを置いて、テナーは再び歩き出す。足早な彼女を慌てて追いつつ、アルトは未だペンダントから手を離せてはいなかった。
確か、そんな夢だった気がする。
アルトは瞼裏に二人のニンゲンを思い浮かべてからうっすらと目を開けた。波音だけがやけに大きく響くのが、落ち着くようで落ち着かない。
サメハダーの歯に当たる尖った岩に寄りかかり、アルトは静かにバッグの中に手を入れた。
手でチェーンが踊るくすぐったい感触。ほんの少しだけ冷たくて、でもどこか落ち着きを与えてくれる紅石。
ペンダントを月明かりにかざすと、星空がルビーに映り込んだように見えた。
(時空の叫びについても、むしろわかんねぇことが増えたし……ああもう)
思わずしてしまった舌打ちを、本人以外に聞いた者はいなかった。
(そういえば、これがきっかけになったこともあったよな)
トゲトゲ山でシルヴィと戦っているときのはそのうちの一つだ。そして、決定打となる悪の波動を使えたきっかけにだってなった。
「……は?」
思わずとり落としそうになったペンダントを慌てて握り直した。
巻き戻せ、今自分は何を考えていたのか。
時間で風化しつつあるのを手繰り寄せて、あのとき聞こえたソプラノボイスを再生する。といっても信用できるほど明確には再現できない。
それでも、だ。
「いや、さすがにそれはねぇよ。……でも、もしかしたら」
もし、悪の波動を完全に習得できたのなら。
それはたぶん、希望的観測にすぎないのだろう。すぎないけど、だからこそ。
今は夢世界の探検を謳歌している彼女に聞いてみたい。
アルトはペンダントをバッグに戻すと、すっかり冴えてしまった目の上に手を置いた。