77話 はじめましての前日譚
長きに渡る議論、決死の覚悟。以って挑んだダンジョンを苦心して制覇し――というのは大仰な嘘で。
気楽な提案にも万一の身構えは忘れずに。それを杞憂として、平和なトレジャータウンを難なく通り抜けた、というのが現実であった。
こうして辿り着いた場所は、トレジャータウン西方。ここはリィ以外の四人にはあまり馴染みのない場所だった。
「でもラピス……ええっと、テナー? はここに着いた、って話だったよね」
「……知らん」
本人はこの反応である。といってもそのとき気を失っていたのだから致し方あるまい。
そう、彼らが訪れたのはサメハダ岩と呼ばれる崖の上だった。サメハダーというポケモンに似ているところから名付けられたそうだが、実際に遠くから見てみるとそれも頷ける。
「岩になったサメハダーが街にくっついた」。こういう歴史があってもおかしくはないくらい精巧な形を成していた。
リィはこんもりと盛られたような植え込みの前で立ち止まり、それを少しつついてみる。そして他の四人が見守る中、
「えいっ」
「え、は!?」
さも当然のように退かしてみせた。
アルトは目を丸くした。およそ彼女らしくない大胆な手段に、というのももちろんのこと。植え込みと思っていた葉の塊、その下に隠し通路のようなものがあったので二重に驚いた。
「えへへ、これでサメハダ岩の中に入れるの。ほら!」
リィは誇らしげに通路を指し示した。
階段状の通路は、小柄な部類のアルトたちなら余裕で通れる程の幅があった。その時点で中の広さは想像がつくのだが、とにかく目的を果たすには十分すぎる。
「こんな風になってたのか……」
アルトは思わず階段を駆け下り、その勢いのまま空洞を少し走ってみた。床にあたる部分は平らに整えられているために、走り回っても躓く心配はなさそうだ。
サメハダーの歯にあたる部分が天然の柵になっていて、その向こうには雄大な海が煌めいている。時折吹き降りてくる潮風や程よい日当たりも、星が動くことの心地よさを演出していた。
「とりあえず入り口は閉じてきたけれど……。よくこんなところ知っていたわね」
五人入ってもなお、ゆとりのある部屋に苦笑するのはラスフィア。
水もどこからか引っ張ってきているのだろう、湧き水のような感じで水飲み場が設置されている快適ぶり。端的に述べるなら良物件、となるだろうか。
「ここはね、ギルドに入る前に住んでいたところなの。荒らされていなくてよかったよ」
リィは部屋の隅に重ねてあったベッドを出しながらそう説明した。シュトラとラピスに手伝ってもらいつつ、それを窮屈にならないように円状に並べる。
「一人で暮らしていたんだよな?」
「うん。そうだけど……ってこれのこと?」
分配作業を眺めていたアルトは肯定の意を返した。それを耳にしたシュトラも話に乗じてくる。
「確かに一人にしては多すぎるな」
「あははは……。えっとね、前に住んでいたポケモンが残していってくれたみたいなの……ふわぁ」
家主曰く、自分がここに来たときにはすでに五つあったとのことだった。それがリィ一人に見合わぬ数のベッドの正体らしいのだが、とにかく今は元住人に感謝すべきだろう。
「それじゃあ、色々と聞き、たい、……すぅ」
言い切る前に寝息を立て始めてしまった。リィは今しがた並べ終わったベッドの上で身を丸め、規則正しく呼吸をしている。
「……寝た?」
「寝たな」
「寝たわね」
「早ぇな!? ……そういえば、俺たちが未来へ行ってからどれくらい経っていたんだ?」
リィに誘発されるように巻き起こった眠気と戦いつつ、アルトはまだ水色の景色を見やる。昼間なのはわかるが、それが何日後かという話とはまた別だ。
「少なくとも丸一日は経っているだろう。実際は知らんがな」
「知らんっていうのすげぇラピスっぽいな」
「うるさい」
真面目に答えてくれたシュトラに対する申しなさも悪気も無く、アルトは最後のみに反応してしまう。ラピスがむすっと頬を膨らませたのもまぁ仕方ないことだろう。
複雑そうな表情をするシュトラに適当な言葉をかけてから、ラスフィアは二人を止めに行く。
「寝る暇なんてなかったでしょう? 疲れているのはお互い様だし、とりあえずはね」
それだけ言うと、リィの隣を開けた位置にあるベッドに腰を下ろした。
「質問は起きた後でいいだろう。……全員眠たそうだしな」
「シュトラもね」
アルトは睡魔に操られるがままに横になった。
言われてみれば、最後に寝たのは牢屋の中……を含めるにしても随分と前だ。眠気に構う余裕のない逃避行とすり減った体力。思わず倒れこみそうになるほどの眠気に襲われるのも無理はない。
当然意義を申し立てる者がいるわけもなく、五人はただ静かに眠りの世界へと落ちていった。
おもむろに目を覚ましたのは星煌めく深更。とはいえ即座に眠りの世界に引き戻されてしまったために、アルトにそのときの記憶はない。
なにがあったかを説明できるのは、茜空の刻まで時が流れた頃。寝起きの体を伸ばしているときに、リィが横からひょっこりと顔を出してきた辺りからだった。
「あ、アルトおはよう。……うーん、おそよう?」
「そう言われると何て返せばいいかわかんねぇな!?」
夕焼け空におはようというのは始めてかもしれない、とアルトは思った。ニンゲン時代はもちろんのこと、ギルドでも朝型生活を送っている上に昼寝というのもあまりしないからだ。
漣が光の紙吹雪を散らすのを眺めていると、背後から嘆息する音が聞こえた。
「……一番遅かった」
案の定、その張本人はラピス。ラスフィアとシュトラも何やら話していたのだろうか。とにかく彼女の言葉通り、起きてからはしばらく経っている様子だった。
リィはラピスとアルトの顔を見比べると、まだ幼さの抜けぬ声で小さくうなる。
「じゃあおそようの方がいいのかな? えっと……改めて、おそよう」
「なんでそれやり直すんだよ!?」
「ほら挨拶はきちんと返さないと」
「怒られる必要ねぇ!!」
「よく寝起きからそんなに騒げるな……」
「寝起きなのコイツだけ」
「そんなに遅かったのかよ!」
これ日常的にやっているシイナすごいな?
アルトの頭では、そんな新しいツッコミが生まれていた。前に何が戦友だと思ったりもしたけれど訂正、お前こそが戦友だ。
反論しきれず歯噛みするアルトにラスフィアは苦笑。
「疲れを取るのは大切だから、ね?」
「慰められてるのか……?」
最早何を言えばよいかわからない。そもそもそういう皆の睡眠時間は、という点は気になったものの、聞く前に話は転換してしまっていた。
「しかしまぁ、お前たちがアルトにテナーか……。信じられんな」
そうアルトとラピスを見比べるのはシュトラ。彼もあのときメテオに聞いて始めて知った身だ、にわかに受け入れられないのも無理はない。
「俺だって全然実感湧かねぇよ」
「でもその割には驚いてなさそうね」
不思議そうに目を揺らしながら、ラスフィアは素直に問いかけた。
いつの間にやら黄昏もどこかへ行ってしまい、互いの顔も少し見えづらくなっていた。それを察したリィは、輪を描く五人の中心にランプを置いて明かりを灯す。
再び夕刻の色が射すのをぼんやりと眺めつつ、アルトはベッドに座り直した。
「なんていうか……納得したんだよな。ラピスに対して思ってた何で、っていうのがだいぶすっきりしたし」
灯火に過去を重ねながら、アルトはそう心の内を口にする。
ふとヴァイスに言われた「きょうだいみたい」という一言が頭をよぎる。まさか彼女も図星を突いていただなんて思いもしなかっただろう。
一瞬あの双子も未来世界の関係者ではと思ったが、チェローズとの関わりを考えてさすがにそれはないと一蹴。
顔を上げるとちょうどラピスと目が合った。アルトからすると、リィを挟んだ隣がラピスという形のせいで、意外と正面に近かったりするのだ。彼女は即俯くと、わかりやすくため息をついた。
「……アンタが余計に喋ってくれたおかげでわかった。でも、そうじゃなかったら」
「そんなに色々と喋っていたのか」
シュトラに怪訝な顔をされて、アルトはうっと息を詰める。確かに刺客に追われていたことを考えれば、あれほど話すのは無用心にもほどがあった。元ニンゲン然り、時空の叫び然り。
「うーん、私も全然信じられないんだけど……。とりあえず、ラピスもニンゲンだったってことでいいんだよね」
アルトと同じ反応してたもん。
そこに本名を重ねれば、つまり姉弟ということを鑑みれば、同じ反応をするのも無理はないだろうなと思える。リィが微笑ましげに口元を緩めると、ラピスから冷たい視線をプレゼントされた。
「あっそうだ。ならさ、二人はどっちが」
「あたし」
「そ、即答だね……」
姉なのか兄なのかと聞きたかったのだが、そこはお見通しのようだった。ラピスは頬を膨らませると、アルトをむすっとした調子で睨んだ。
「昨日言われた。……なんであたしより年上って思うの」
「いやそういうもんだろ! リィにも疑問に思われてたんだから」
「……リィ」
「あれ、なんで私責められるの……っ?」
なぜか矛先を向けられて、リィは一歩後ずさった。それがヒートアップしていくのを察したラスフィアによって、場は沈静化されたが。
「はいはい。まぁアルトの方が背高いものね」
「っ、ラス!!」
訂正、ラピス以外は。ラピスはぷくっと頬を膨らませると、立ち上がっての爪先立ち。案外バランス感覚は良いらしく、それをキープし続けるのも苦ではなさそうだ。
「……アンタもピカチュウになればよかったのに」
「お前こそ文句言うならブイゼルとかになっとけよ!」
「やだ」
どんな議論をしたところで、身長など伸びるわけもないのだけれど。
ちなみに、エルファは身長が高めな方だとシイナが地団駄を踏みつつ言っていた。種族平均と比べると、リズムは割と、シイナはほんのすこしだけ低めらしいが。
ポケモン案をぽんぽん出しては即座に切られる。そんな応酬を眺めていた三人は、
「ニンゲンのときはあまり差なかったのにね」
「そうだな。それに『アルトはこれから伸びる時期』って知ったとき絶望してただろう」
「あっ、そっか成長期」
「うるさい!」
それぞれに苦笑なら何やらを向けられて不服そうなまま、諦めたように嘆息。
場が収まったのを確認したシュトラは、呆れた顔で話を軌道修正。
「とにかく、姿が変わってもお前たちなんだというのはよくわかった。離れ離れになったあとはすごく心配したものだが……」
シュトラはふっと息をつくと、アルトとラピスの顔色をそれぞれ見やった。
「アルトも、テナーも。また会えてよかった」
「ん。……あと、ラピスでいい」
ラピスは目を伏せ、腕のリングに指を添える。嵌められた石は何よりも深い瑠璃色をしていた。
ラスフィアはそれにくすりと笑いかけると、安堵したように目尻を下げた。
「過去に来てから、全然会えないから捕まっちゃったんじゃないかって焦ったわ。そんなこともなくて、アルトと合流しててくれたからよかったけれど」
結果的に、ラピスはアルトといたおかげでラスフィアとも会えたようなものなのだ。その再会を数日で成し遂げるラピスの運命力には感服するものが――。
「……あれっ、全然会えないって言った?」
違和感に最初に辿り着いたのはリィだった。続いてアルト、そしてラピスも同じところで疑問にぶつかった。
ラスフィアはその三人の反応に対して首を傾げる。
「そうよ。どれくらいの時間かは定かじゃないけれど、かなり探したもの。何回も朝陽を見たし」
「……は? え、ラスフィアはテナー……ラピスと時渡りをしていたんだよな?」
「もちろん。シュトラとアルトとは色々あって別だったのだけれど、テナーとは一緒に時の回廊に入ったから」
――おかしい。
ラピスがチームに加入したのはラスフィアと出会う数日前。それは到底「かなり」「何回も朝陽を見た」に届きそうな時間ではない。
「私たちがラピスと出会ってからは数日しか経っていないよ? もっと前に過去に来ていた、とは考えづらいし……」
ここサメハダ岩で倒れていたとのことだが、それが何日も放置されるのも不自然だ。少なくともリィがギルドに入る前にはいなかった。
仕事放棄しそうになる頭を無理やり動かしつつ、リィはラピスの隣にいるラスフィアの方へ身を乗り出した。
「ねぇ、具体的にどれくらい探していたのかっていうのは覚えてる?」
「正確には覚えていない。それでもそんな……数日なんて時間じゃなかった。暑くなったり寒くなったりする……えっと、季節? も経験できたから」
季節を経験できたというのもなかなか独特な言い回しだが、今はそれどころではない。置いてけぼりを食らっていたシュトラも、ようやくその矛盾に疑問を感じた。
「……なぜそこまで差があるんだ?」
噛み合わないのだ。話を照らし合わせる限り、アルトとシュトラの間に時間の差異はなさそうだ。それなのに彼女たちの時間がここまで食い違う理由は何なのか、それぞれが神妙な面持ちとともに考え始める。
「……嵐みたいなのに遭った。過去に来る間、で」
ラピスは目を鋭く細めた。それには思う節があったようで、アルトを除く未来組三人は顎を引いた。
そう、ここの「三人」が。
「いや、それなら俺たちも遭っている。その事故のせいで俺はアルトとはぐれたのだから」
「……全く同じ状況ね」
シュトラ側もラスフィア側も、鏡に映したかのように状況がトレースされている。その違和感はぐるぐると思考にまとわりついていた。
同じ事故、姉弟に起こった同じ変化。
といっても差異はある。おそらくはテナーが記憶を失わなかった代わりとして、ラスフィアの降り立つ時間軸がぶれたということだろう。
「そういえば、二人と会う前日は天気悪かった気もするけど……」
リィも歯切れの悪い話しかできない。
ますます姿を似せるその当時。聞けば聞くほどに、類似点が豪雨のごとく転がり落ちる。
「でも私たちが戻ってくるときには何もなかったよね……っ?」
単に時の回廊が壊れていた、というわけでもなさそうで。
混迷する五人はそれぞれの考察を組み立てるのに精一杯で、誰一人として他の顔など見る余裕はない。
悩み沈黙に溺れゆく未来からの帰還者。
空はすっかり藍染め模様、瞬くべき星は分厚い雲に覆い隠されていた。