76話 幾日ぶりの再来
正直な話、足手まといだとか思ったことはある。
自分とは違って戦えないし。いや、こっちだって周りと比べたらだいぶ弱い方なんだけど、それでもだ。アイツ弱い。
守らなきゃいけない、って。そう思うのは至極当然のことだった。
アイツが心配というか……本当、一人でいたらどうなるかわからなくて、放っておけなかった。着いてくるって言ったとき、断るべきかなぁなんて考えたりもした。
まぁ結局ここまで一緒に来ちゃったわけで、それを今更後悔することもないんだけど。
アイツは、本当のことを教えたらどういう反応をするんだろう。まだ知らない真実を突きつけられて、何を思うんだろう。
……アイツのこと、わかりやすい奴だと思ってた。それでも案外、反応は想像つかないなぁって実感した。
いつか伝えなきゃいけない。目の前にある道がただの楽園へ続くわけがないんだって教えなきゃいけない。
だけど、それでアイツを惑わせるのが怖い。
……ううん、そんなの建前だ。実際には、固めた自分の決意が揺らぎそうで、前に進めなくなりそうで。そんなことばかり恐れている。
眩しいほどの空を見上げて、そんなことをつらつら考えていた。
あの空が変わってしまうことが、きっと、自分にとっては、何よりも怖いことなんだ。
瞼を焼くような光に、意識は強制的に叩き起こされていく。気だるげな体が睡眠を欲するのを無視して、アルトはうっすらと目を開けた。
眼前には光のパレード、もとい太陽に煌めく海面。耳から流れ込む波の音は心を鎮め落ち着かせてくれる。
(海……?)
波間の協奏曲は何度聴いても心に響く。そんな音と太陽の温もりに包まれていると、再び眠気が顔を出し始めた。
とはいっても、今はそれに気を取られている場合ではない。アルトは素早く手を付いて起き上がると、辺りを見渡し始めた。
「ふふっ、意外と早かった」
そんな彼にかけられたのは、大人びたソプラノの声。反射的に振り返ると、その声の主はおかしそうな笑みを浮かべた。
「ラスフィア。……ここ、は」
「過去の世界ね。ほら、あっちにギルドが見えるし」
ブラウンのスカーフを揺らしながら示す先には、なるほど異質さが隠しきれない巨大なプクリンが鎮座していた。アルトとラスフィアがそれを懐かしむように眺めていると、小さな唸りが耳に届いた。
「うっ……」
「シュトラもおはよう。ふふっ、一番最後はリィちゃんかな」
「……あ?」
体を伸ばすシュトラ、その隣で未だ倒れたままのリィを横目にしたコメントに、アルトは引っかかりを覚える。その正体にたどり着くのはたやすくて、ほぼ無意識のうちに疑問は口をついていた。
「ラピ……あー、えっと、テナー? は」
そう聞かれるのは見透かされていたのだろう。ラスフィアはくすりと笑うと、砂浜の隅っこ――海岸の洞窟の方を指し示した。
そこにちょこんと座り込んで光の乱舞に目を奪われている影。こちらの会話が届いていないのか、聞こえる距離だけど海に夢中なのか。とにかく食い入るように眺めているというのは傍目でもわかった。
彼女こそがチームメンバー、『ラピス・シャイニー』にしてアルトの姉、『テナー・エストレジャ』。
今でも信じられない。確かにきょうだいみたいだと言われたことはあれど、まさかそれが事実だと誰が考える。
「まぁ私も二人がポケモンになっていたのは驚いたけれどね。ほら、挨拶くらいしに行ってあげないと」
ラスフィアが悪戯っぽい顔でアルトとラピスを見比べるのを見ると、タイムスリップ前にふと思ったことが蘇る。
「なぁアイツ本当に……その、姉ちゃん、なのか? 妹の間違いじゃなくて」
「――聞こえてる」
不機嫌な声色は、紛れもなく彼女のものだった。振り返れば、フルートを手にしたラピスが頬を膨らませてこちらに歩いてくるのが視界に映る。
「……え、っと」
何を話せばいいのだろう。意外なところでの関係性を突きつけられて、なお今までどおりでいいのだろうか。そもそもどう呼ぶべきなのか。
アルトの頭でそんな渦潮が発生していることなど意に介せず、ラピスはフルートを持っていない方の手でリィを示した。
「……起こしたら?」
ラピスはアルトを、その次はリィに一番近いところにいるシュトラを睨んだ。自分がという選択肢はないようだ。
そんな思惑を察して、アルトがリィを起こそうとすると、
「う、えっと……あれ?」
別にそんなことする必要無かった。
彼女はぼんやりとした状態で辺りを確認すると、小さなあくびを一つ。ゆったりとした動きで目元を拭いながら、
「あれ、皆……? って暖かい!?」
未来世界に蔓延する、冷たくて淀んだ空気とはまた違う。透き通っていて生命の音がする風がうっとおしくない程度に吹いている。
体全体で感じる潮の香りだって、思えば随分と懐かしいものだ。
「ちゃんと過去へ来れたみたいだな」
シュトラが輝く海を物珍しそうに眺めながらそう言った。
ホンモノの太陽と、満ち溢れる光。アタリマエだと思っていたそれがいかに素晴らしく特別なものなのか。それはきっと、星の停止を迎えた世界を知るものにしかわからない感慨なのだろう。
「それにここって、私とアルトが始めて出会った場所でもあるんだよね。……ほら、この辺り! ちょうどここら辺にアルトが倒れていたのっ」
リィはくるりと振り返ると、白くて眩しい砂浜の一角を示した。
その表情は底抜けに明るくて、まだ言葉にしていない嬉しさが滲み出ているようだった。彼女はアルトと出会った経緯などを笑ったり怒ったりヘコんだり、そしてまた笑ったりしながら弾むように語っていく。
リィが一通り話し終えたところで、シュトラはキョロキョロと辺りを見渡した。
「そうなのか……。俺は東の森辺りに飛ばされたから、アルトとは随分と離れた場所だったんだな」
「私は輝きの丘辺りだったけれど……本当に皆バラバラね」
ラスフィアはそう呟いてアルトとラピスの顔を見比べた。二人が不思議そうな顔をすると、彼女は「まぁ」と話を繋げた。
「無事に来れて何より。ふふっ、これで二人がニンゲンの姿に戻ったらどうしようかな、なんて考えてたけれど……ひとまずはポケモンのままみたいだから」
「それどうなったら無事なんだよ!? 戻ればいいのか?」
「二人が好きな方でいいと思うわ。……ラピスは?」
「知らん」
思わず自分の体を確認するアルトに、いよいよ笑いが堪えきれなくなったラスフィアは肩を揺らし始める。
話し方を変えたせいなのか、前よりからかうのに長けている気がする。そんなことを思ったのは、この場ではアルトだけだったのだけれど。
「ねぇ、色々と聞きたいことがあるんだけど……ここで話すのもあれだから、ギルドへ行ってみない?」
よほど皆の顔が見たいのだろう。嬉々とした様子でリィはそう切り出した。だが、このメンバーではそれに素直に応じられはしない。
「待て、俺もラスもお尋ね者になったままなんだろう? そこに行ったらまた俺たちを捕まえようとするんじゃないのか?」
「……そういえば俺も二人を追ってたんだよな」
元は仲間、それも星の停止を食い止めるという使命を共にする相棒という関係だった。
いくら記憶を失っていたとはいえ、そんな彼らを制するためにアルトが動いていたのは事実だ。相対する二人の、いやラピスを含めた三人の気持ちはどんなものだったのだろう。
(裏切ったのはラスフィアでもラピスでもない、悪いのはシュトラじゃない。……全部)
考え始めると、名前すら曖昧なものも含めて様々な感情が湧いてくる。
特に最初から分かっていたであろうラピスやラスフィア。彼女たちがひたすらに抱えていた複雑さが、今になってようやく見えてきた。
苦しげに胸に手を当て、ペンダントが無いと知ってなおその手を離せない。どう謝ればいいのか、言葉を探しあぐねていると、氷鈴がふっと鳴らされた。
「……記憶、無くしたかったわけじゃ、ないんでしょ」
それは長い付き合いの賜物なのだろうか。アルトが考えていたことを完璧に見通した上での言葉だった。
「それでも」
「今はもう分かった。……気にしてないから、あたしも、皆も」
既に星の停止の真実も、皆の関係性も知った。ならそれでいいじゃないか。
言葉少なだけど、彼女が言いたいことはおよそそんな具合だろう。ラピスはフルートをしまいながら、リィに問いかけた。
「他は?」
「他?」
「ギルド以外。……アンタが一番詳しいから」
きょとんとしていたリィがあぁと蔓を叩き合わせた。元の話の続きと洒落込みたいのだろう。本当に言いたいことしか言わないな、などと苦笑するラスフィアをラピスはむっとした顔でいなす。
真剣に当てを探していたリィに、そんな攻防は見えていなかったけれど。
「……あっ」
「何か思いついたのか?」
シュトラが聞き返すと、リィはこくりと頷いた。
「うん。でも、トレジャータウンを通らなきゃ行けないんだよね……どうしようか?」
高くから顔を出す太陽は、空を明るい水色に染めていた。蒼穹を仰ぎ見た五人に、夜更けを待つという気は起こらなかった。真昼間なので探検隊はいないと仮定しても、店番のポケモンは当然街にいるはずなので結局は無理。
リィとアルトは他の当てを、シュトラとラスフィアはその目を掻い潜る方法を模索し始めた。そんな四人に一石を投じる者、その正体は言うまでもないだろう。
「っと。なんだこれ」
訂正、一石ならぬ一種、いや二種。
アルトとシュトラにぶっきらぼうに投げつけられたそれを、二人は難なくキャッチ。見れば投げた本人の手にも同じものが握られていた。
シュトラはそれをまじまじと眺めると、手のひらで少し転がしてみせた。
「ドロンの種か。なんでこんなものを持っているんだ?」
「……水晶の洞窟での余り」
ラピスはその種を太陽に艶めかせながら説明した。いや、何の説明にもなれていないのだけど。
「水晶の……あぁ、そういうことね」
「いやわかったのお前だけだよな!?」
ラスフィア曰く、この種は食べた者の姿をしばらくの間透明にできるというものらしい。何故それをラピスが隠し持っていたのか、という話は向こうから答えを出してくれた。
「……ラスと戦いたくないし」
「ふふっ、アルトやリィちゃんとも戦いたくなかったくせに」
「うるさい」
要約すれば、どちらにもつけないから傍観者として姿を隠した、そんな具合なのだろう。当然そんなことを知る由も無かった当時のアルトとリィからしたら、絶望感を加速させるだけの結果になっているが。
何はともあれ、街のポケモンたちの目を盗むという点において不足のないアイテムであることは確かだ。
「数が限られている、ということを除けばな」
そう正論をぶつけたのはシュトラだ。ここに関して異論はない。全員が次の句を探す間、その沈黙の居心地の悪さをふり払おうとしたのはアルトだった。
「あと二つ分はどうにかしないといけねぇんだよな。……ラスフィアが使っていたやつは?」
「変化の玉のことで大丈夫? それなら予備はあるんだけど……」
その個数は言われずとも察せられて、ラピスは気だるげに嘆息した。
姿を変えてドロンの種を買い足すという案も出たが、戻ってくるまで効果を保てそうにないと却下。その他諸々の案を次々と切り捨て、そろそろ思考回路も同じところでしか回らなくなってきた頃。
折衷案というのは、思いの外あっさりと出てくるものだった。
既に考える気を失っていた面々は、それを即座に採択。お尋ね者である二人が見つかりにくく、かつ話しやすいところ。
それがアルトたちにとっては案外長い付き合いになる場所だということを、このときは知る由もなかったけれど。