92話 不完全な旋律
「……あたしは、ここに、入る」
チャトが何か言う前に、ラピスはそう述べた。あくまでリィに隠れながら、だが。
「あぁ、元からそうしてもらうつもりだったから大丈夫だが……」
そう言いながら、チャトはメモを読み上げていく。
「基本的には磯の洞窟と同じ編成で行ってもらう。まずは――」
読み上げられた通りにチームが組まれていく。ただし、メロディ、フリューデルはそのまま普段通りのチーム、またシュトラとラスフィアはふたりで、という組み合わせになっていた。
「今回の相手だけど、アグノムでも太刀打ちできないくらい強い。だから戦って倒すことを目的にしちゃダメ。道具たくさん使っていいから、時の歯車を取り返すことを最優先にして」
マルスの助言に、一同は真剣なまなざしでうなずいた。
捜索範囲や機動性を確保するにあたって、今回のチームのメンバーは少人数で編成されている。だから、チームごとの戦力はそこまで高くないのだ。
もっとも、シュトラたちのチームと、あとひとつは例外になっていたが。
「リサウンドさんは……エート、相手が悪タイプなようですが」
「それなら大丈夫ですよっ。ちゃんと対策はあるので」
「あっはい、戦う分には大丈夫ですよ」
チャトがおずおず聞くのを、ヴァイスが即座に切り返していた。それを聞いているマリーネオが、横で気まずそうに目を逸らしていたが。
ラスフィアと一度対峙した時に使った技、“ミラクルアイ”。あくタイプのポケモンにエスパータイプの技が当たるようにするものなのだが、いかんせん彼にとって良い思い出でもなかったので胸がチクリと痛んだのだ。それはラスフィアも同じく、だが。
「それじゃあ解散!」
「……と言いたいのだけれども」
チャトの言葉を遮ったのはラスフィアだった。せっかちなシュトラが早くしろ、と視線で圧を送っていたが。
「時限の塔の崩壊はだいぶん進んでいるから悠長に時間は取れない。だから、……お願いします」
「当たり前、ですよっ」
マリーネオを筆頭に、ギルドの皆から口々に同意の声が上がった。
心強い。申し訳ない。嬉しい。成功への疑心。希望。諦心。いろいろな思いがマーブルを描いて、ラスフィアは口元を結んで目を伏せた。
まずは、シュトラが駆けるようにギルドを飛び出した。性格故もあるが、この状況の危機感を1番感じているためでもあった。
他の弟子たちも気合たっぷりに続いていく中、ラピスは背伸びしてくいとアルトのスカーフを引っ張った。
「……リィに、冷たくするの、やめたら?」
「あ?」
反射的にそう返してしまった。ラピスの顔は涼しげで、すっとアルトを見据えていた。が、内容が内容。心当たりがあるアルトは否定こそできなかったが、代わりに舌打ちで返した。
「お前にだけは言われたくねぇよそれ!! 世界で、一番!」
「あたしに言わせるほど、なんだけど」
返す言葉もなくなって、アルトは深い瑠璃色の瞳を睨んだ。
その場に唯一残っていたフリューデルがきょとんとしているのを、2人は気にしていなかった。無論、話題の中心にされたリィもだが。
「つーかお前全然こっちに顔出さないくせによくそんなこと言うよな」
「リィは会いに来てくれるもん」
「そういう問題じゃねぇし」
「あたしはラスと行動するって、言った」
「それはそうだけど! あークソなんて言えばいいんだ」
シイナが何か言おうとして口を開いたものの、明確な言葉の形を為さぬまま霧散していった。彼らも彼らで、メロディに言いたいことがゼロではないのだが、今は口を挟むべきではないことはわきまえていた。
ラピスはむすっとしたまま、アルトを睨み返した。
「……リィが、あたしに、泣きついてきたから」
「ラピス〜……! もうやめよ……?」
顔を真っ赤に染めて、涙目でリィが制止するのもラピスは気に留めない。リィからしたら、アルトに直接言えないからラピスに相談したのであって、それを暴露されるのは苦しい部分があった。
「全然口きいてくれないし、って、あたしに言われてもなんだけど」
「だろうな!」
聞いていた全員がアルトと同じことを思ったのは言うまでもないが。ラピスはリィの前に立って、深々とため息をついた。
「……正直、リィとアンタを二人で行動させるの、リィが、かわいそうだから」
「本当お前に言われるんのがイラつく」
「……そ。別に、言ってればいいじゃん」
ラピスはこれ以上言うことはないと言わんばかりに、すたすたと梯子に足をかけた。ひょいと身軽に消えていく背中を眺めつつ、アルトとリィの間には気まずい空気。
「えっと、ごめん、ね。あの、アルト悩んでるみたいだったのに、全然、力になれないなって」
「……リィのせいじゃねぇから。あとそれは、その、ごめん」
「あ、いいの! 私が全然、アルトのことわかってあげられなかっただけで」
言葉のつなぎはぎこちないまま、お互い思いついたまま謝っていく。が、根本的に解決するような、問題点に突っ込むことはどちらもしない。できない。
やがて、ラピスに怒られそうという結論の下歩き出したアルトは、視界の端に映った影に目を留めた。
「……お前らいたのか」
「うーん、聞くつもりじゃなかったんだけどねぇ」
「いや行こうとした瞬間だったから出てくタイミング逃したんだよね、ごめんね!」
シイナが勢いよく頭を下げる向こうで、エルファは無言のままアルトの目を見据えていた。
「…………」
しばらく二人は無言で目を合わせていた。その様子をリィとシイナが珍しそうに眺めて、リズムが普段より緊張感のある顔で見守っていて。
先に口を開いたのは、夏空色のスカーフの方だった。
「ちなみにだけど、俺はちゃんと奪還作戦参加するからね?」
「あ?」
聞き間違いか、と思ったがそうではなさそうだった。真剣そのものの表情に、偽りの色は混ざっていない。
エルファはふっと目元を緩めて、ちらりと窓の外を眺めた。雲間から漏れた光がちらちらと差し込み、舞い上がった塵をきらめかせている様を眺めながら、彼は続けていく。
「別にアルトが考えてる理由じゃなくて、単純に取り返したいだけだよ?」
「お前大事なとこだけわかりづらく言うよな! すげぇイラつく。俺が考えてる理由ってなんだよ」
「んー、じゃあまた後で答え合わせでもしようか? ま、奪還作戦が成功しない限りそんな暇はないんだけどね」
にやっと細めた目元は、いつも通りの表情。彼の行動基準がわからずアルトは頭を悩ませたが、二秒経過、一蹴。ひとまずはどうだっていいのだ、そのくらい。とにかく今欲しい結果を手に入れるのが最優先だ。
「……頼んだ、よ」
「あれ、言ってくれるんだ? ありがと、先輩様」
そんないつも通りの彼は、やっぱりアルトを少しイラっとさせるものだったけれども。
アルトは「うるせぇ」と言い残して梯子を瞬く間に登っていく。その後ろをぱたぱたと追いかけるリィまで見送って、エルファはくるりと身を翻した。そんな彼を止めたのは、彼女の一言。
「アルトと喋ってるの、久しぶりに見た」
シイナがぽつりと零したそれに、エルファは振り向かずに返答する。
「昨日も喋りはしたけどねー? ま、ほら。リィとあぁなるくらい不機嫌なアルト様に俺が話しかけたって仕方ないじゃん?」
「そうだけど! そうだけどでも、なんか、すごい不思議だったんだよね! エルファだってちょっと口数少なかったし」
「だってアルトがあんだけぴりぴりしてたら口開く気にもならないじゃん、って今言ったんだけど?」
「うちらといるときだってそうだったじゃん! ……アルトのこと、避けてた?」
図星、その中心を貫かれて、エルファは思わず唇を噛んだ。が、幸い彼女に背を向けていたから、そんな表情は向こうには伝わっていなかった。
「だからぁ、あのアルトに俺が話しかけてもでしょって言ってんの。いいから行かなきゃだよ?」
シイナに図星を突かれるのは初めてだった。正確にはわからないが、こんなにきちんと言い当てられるのが珍しくて、エルファはさっさと話を切って、ギルドを後にしていく。
「シイちゃん〜、行こうよ? 置いていかれちゃうよ?」
「うー、リズムもなんかいつもと違うなーって思わない?」
思うも何も、リズムはほとんど知ったうえで今の会話を聞いていた。だから、いま彼が出せる手札は一つだけだった。
「うん、まぁね〜」
そんな、ほんのりとした同意。それ以上は、特に述べることはなかった。
ギルドを出て、ラピスと合流して。トレジャータウンで準備をする間にされた挨拶を、ラピスは全部あしらってリィに対応を任せていた。
今回の作戦の関係上、道具はいつも以上に必要になる。というのも、時間の制約が大きいから何度もギルドに戻るのではなく、言うならば遠征と同じ気持ちで行った方がいいことが一つ。戦うべき相手への対応が一つ。
そしてもう一つはというと、ラスフィアのアドバイスだった。
『時間が止まっている部分が増えている。ということはおそらく、時間停止の波が動いていると思うの』
『時間停止の波……?』
『そう。時の歯車があった場所から、波紋のように時間の停止が広がっていくのだけど……それに触れたら時間が停止する。それは景色だけじゃない、私たちも同じ』
要は、時間の停止に巻き込まれないように気を付けろという話だった。
万一それに出くわした際の対処法というのが、古典的に反対方向へと逃げること、そして「ダンジョンの中に逃げ込むこと」だった。
なんでも、ダンジョンの中はそういった影響を受けづらいから、だそうだ。ダンジョンの存在が時間停止の進行を遅らせる、いわば防波堤としての役割もあるらしい。
そんな事情も踏まえて一日にいくつものダンジョンに潜ることを考えると、準備は万全にしておくべきという話だった。
ざわめくトレジャータウンを抜けて、交差点を東へ。現在目撃情報があるわけでもないから、とにかく手分けして大陸中をめぐるしかなかった。
会話のない交差点。そこからそう離れないうちに、彼らの目の前に立ちはだかる影があった。
「ケッ、お急ぎのところ失礼するぜ」
「あっ……」
リィが一歩後ずさった。ラピスが彼女の前に出て、頬から火花を散らす。
特徴的な笑い声を携えて、その紫色の三匹はあくどい笑みを浮かべた。
「これはこれはメロディさん。どうやらご無事に帰還したようで何よりです、ってな。クククッ」
「チッ、邪魔だな! 何の用だよ、それどころじゃねぇんだよこっちは!」
いつもに増して不機嫌なアルトが、探検隊「ドクローズ」のリーダー、デスポートに噛みついた。だが、向こうの三匹はひるむ様子もなく、笑顔を崩さなかった。
「どうやら未知なる大地があるらしくてな、メロディさんならご存じではないかと思った次第ですぜ、ケケッ」
(幻の大地のことを知っている……!!)
全員の顔が強張って、二の句を失った。それは同時に肯定のサインでもあって、より向こうの食指を動かしてしまった。
「おっと、良いもの持っている子がいるみたいだな?」
きらり、目が輝いたと同時にヤレンとデスポートが技の構えに入り、クルガンは身軽に飛んでメロディの後ろに回る。クルガンの狙いはもちろん、一つに定まっていた。だから彼らの行動を察すると同時に、メロディは動く。
「幻の大地は……俺たちのものだ!!」
「……させない!」
「させねぇよ!!」
アルトとラピスが声を揃えた、瞬間稲妻と青い波がクルガンの羽を撃ち抜く。バランスを崩したところに、アルトは一気に距離を詰めた。
「でんこうせっか!」
その間、ラピスは技を溜めている方への警戒を怠っていなかった。真打はこちらなのだ。阻止しなければ、確実に、やられる。
ラピスは左手を前に伸ばし、まっすぐに二匹の方を見据えた。
「電磁波!」
とにかく技を使わせない。そのためには、最速で動きを止めるのが最善。
ラピスの放った電磁波は、デスポート、そしてヤレンの順に体を痺れさせていく。放ちきれなかった技は、痺れによって霧散していった。
「ヘッ、容赦ねぇな」
「当たり前だろ。つーか、なんで知ってんだよ」
「通りすがりの爺ちゃんに聞いたまでだぜ、ケケッ」
ひとり、思い浮かぶ姿があって、リィはさっと顔を青くした。
「長老……!?」
「お前らアイツにも手出してたのか!」
「面白そうな話をしていたもんでな、ケケッ」
笑い声と共に、彼らの目元に影が落ちる。
どこまでもあくどい。拳を握りしめるアルトの表情を、ヤレンとクルガンは愉しむように眺めていた。
そのとき、見落としていた。この会話に、リーダーことデスポートが入っていないことを。
「隙あり! つじぎり!」
「しまっ……」
既に溜め終わった斬撃は、まっすぐにリィに向かっていた。リィが目をつむる中、アルトはせめて代わりに受けようと前に立つ。
だが、爪が触れた瞬間、技のエネルギーは解かれた。
「……呑気だねぇ」
そんな、間延びした声によって。
これには一同聞き覚えがあった。振り向いた先には、三匹のポケモンがスカーフをたなびかせていた。
「よかったね、俺たちが通りかかって? ま、そもそもそんな攻防をトレジャータウンにほど近い道でやる方も大概だけどさ」
「っていうか久しぶりだねドクローズ!? 気づいたら見なくなってたけど……元気、でいいのかな?」
木に背中を預けたエルファと、場違いな気遣いをするシイナが、そう言って。
リズムはとことこと歩いて、デスポートとアルトの間に入った。ほわわんと笑って、唖然とするデスポートを見上げた。
「アルトたちに何していたの〜? あんまり平和には見えなかったんだけどねぇ」
「クッ……久しぶりのご対面の挨拶だよ」
「そっかぁ。僕たちはねぇ、今そんなしっかりした挨拶してる場合じゃないんだあ。ごめんね〜?」
リズムはくるりと振り返って、アルトたちに笑いかけた。大丈夫だよ、そう口の動きだけで述べて。
デスポートは重いものを引きずるかのように後ずさった。ヤレンとクルガンもそこに合流する。
「クククッ、メロディさんどころかフリューデルさんとも会えるだなんて来た甲斐がありましたよ」
「そう? 光栄だね。大したもてなしもしていないけどさ……まぁ覚えていただけていて何よりです、っと。今度は俺たちとも遊んでほしいかなー」
それは単なる挨拶ではない、牽制の意味も孕んでいた。エルファが真顔で述べていることからも、そのことが読み取れた。
どこまで伝わったかはわからないが、ドクローズは身を翻した。
「それはそれは盛大なもてなしということでいいですかね、クククッ。ではな!」
言うが早いか、その影は一気に遠ざかっていった。逃げ足だけは随分と早いらしい。
アルトは手についた砂を払って、リィに向き直った。
「大丈夫か?」
「うん。アルトも、技大丈夫だった?」
「ダメージ受ける前に止めてくれたからな」
「ふふん、良いタイミングだったでしょ〜!」
「自慢するなら最初からいろよ!」
「贅沢だよ!? だいたいさぁ、うちらが通りかかったからその程度で済んでいるだけで!」
「……謙虚、って、知ってるのかな」
「えー、でも事実だよね? 一刻を争う状況なんだから、リズムが解決してくれたのはプラスだと思うけど?」
「それはそうだけど! お前らのそういうことが嫌いなんだって!」
「え、えっと……」
口を挟むタイミングを逃したリィが、おろおろとし始めた。こうなるとアルトたちはなかなか止まらないのだ。
だが、今日は例外。会話はすっと止んで、リィに注目が集まった。
「その、みんな守ってくれてありがとう……。でも、なんでフリューデルはここに?」
「さっき言ったとおりだよ。準備してトレジャータウン出たら皆様がいました、っていうね?」
通りすがりなのは本当らしい。もっとも、ほぼ一本道だったのだからそうなるのは当然だったのだが、
「それはいいんだけどね! リィ大丈夫? ああいうヤツら多かったら大変じゃない?」
「うん。アルトもラピスもいてくれるから。さっきはびっくりして動けなかったけど……私も頑張って戦うから。平気だよ」
にこっと笑ってみせた顔は、少し不安げではあるけれど、しっかりとシイナの目を見つめていた。その横で、アルトとラピスがふいと目を逸らしたのをエルファとリズムが目撃するまでセットで。
「じゃ、俺たちは行くから。じゃあねー」
「ばいば〜い! 頑張ってねぇ〜」
「気をつけてねほんと!? また後でね!」
そう嵐のように去って行くフリューデルを見送って、アルトたちも行くべき道を見据えた。こうしている間にも、時の歯車の行方はどんどん霧中に埋もれているのだ。悠長にはしていられない。
ラピスはしばし目を伏せると、アルトのスカーフをくいと引っ張った。
「……あの、ね。ラスから、聞いた」
「未来のポケモンが、って話か」
「ん。自分で、決めて。来ないなら、それでもいい、から」
そっと耳打ちされたそれは、少ない語数でも確実に意味を伝えうる情報を持っていた。
ラピスはそれだけ言い残すと、道の先へと駆け出した。それをアルトとリィが並んで追いかける。
(「来ないならそれでもいい」か……)
なんとなく、夢で見た過去の彼女の発言と重ねてしまって。色々と思いながらも、今はただ、それを深く考える余裕はなかった。