89話 星との衝突、その暁
あれ以降ギルドに戻ってから、アルトもエルファも、お互いに口はきいていないままだ。
(誤魔化せたかな、今日のところは)
エルファは自室に戻ってから、小さくため息をついた。
普段、アルトで遊びすぎたと、今になって理解する。つまりは、自分がアルトと一切口を利かないことが、周りに怪しまれる可能性が高いということ。
幸い、あの日アルトがギルドに帰ってきたのは遅かった。だから、夕飯前に関して誤魔化すのは簡単だったし、その後は気丈にふるまうような素振りでリズムとシイナと話して普段通りを装った。
「まだ乾かないのね、これ」
部屋に着いて一番、エルファはそうこぼした。彼の手には、干したままの青いスカーフ。
「いやそんな長いスカーフにするからじゃん!?」
「だってカッコいいじゃん?」
「それは認めるけどさぁ!!」
トゲトゲ山にいたときはまだよかった。タウンに戻ってきてからというもの、徐々に雨脚が強まっていって。当初は倉庫に立ち寄ろうとしたものの、雨模様を見て、ギルド前の階段の途中で断念した。その時点で、スカーフは十分に濡れてしまったのだが。
実際それは正解で、夜になった今も外からは容赦ない雨音が聞こえてくる。当たったら痛いくらいの雨粒であることは、音だけでも伝わってくる。
「急ぐんだったら僕が乾かすけどねぇ」
「えー、火使うやつでしょ? 俺のスカーフが燃える以上にチャトさんに怒られるよそれ」
「それはうちも同感だよリズムぅ!! さすがにやめよう!?」
「えぇ〜、じゃあ仕方ないなぁ」
リズムはしゅんとしょげた様子を見せた。でも、にこにこと鼻歌を歌っているから、本心で楽しんでいる様子を隠す気はないことは自明である。
「ま、朝までには乾くでしょ」
「へっへっへ、エルファさん聞いて!?」
「えー……何?」
「興味なさそうな顔しないで!? なんと!」
シイナはばばんと効果音が付きそうなポーズを決め始めた。普段ならにやっとして煽るところだが、今日に限ってはなんだ、という気しか起こらなかった。
「うちとリズムのスカーフはもう乾いているんですよ!!」
「……え、そもそも濡れた?」
「濡れたよ!? ずるはしていないからね!?」
「別に誰もずるなんて言っていませんがー?」
口角を持ち上げてから、エルファは机に向き直る。机の上にあるのは、便せんが二枚と、羽根つきのペン。
「お兄ちゃん?」
シイナはあくびをひとつしながらそう問いかけた。探検の疲れと満腹感は、彼女にチーム最速の眠気を呼び起こす。浮かんだ涙をぬぐう彼女に、リズムはお疲れさまと声をかける。なんてことない日常のやり取りだ。
エルファはペンを手でくるりと二、三度回した。
「そうだよ。なんか色々起きすぎてさー、前に手紙書いたのもそんなに昔じゃないのに、書ききれないくらい話が積もっちゃった」
「うん、うちもそう思う。誰も知らない場所をこんな本気で探す羽目になるなんて思わなかったもん」
「未来から来たポケモンの話、なんてのもあるもんねぇ」
「ほんとだよねー? ま、探検隊のやりがいがあっていいんだけどさ」
エルファは頬杖をついて文章を考え始める。その横から、リズムがひょこりと紙を覗き込んだ。
「僕も見てていい〜?」
「いいよ。なんならひとことくらい書いてもいいしね?」
「えっなにそれずるい! うちも書きたい!」
「ヴェレちゃんに?」
「いやお兄ちゃんにだけど!? ヴェレは別にいいかな!」
「せっかくリィが会いに行ってくれたのに?」
「それ以上にラピスとリィがふたりでの方が意外だったんだけどね、あれ!」
わあわあと言いながら、シイナは便せんの上三分の一を文字で埋めていく。
内容は、「エルファのかわし方ちょっと上達した気がするのが悔しいんだけどどうしたらいいですか!」とか、そんな他愛もない話で。それをエルファにからかわれて、同じようなことをもう一度書いて、そんなことを繰り返した。
「よ、ようやく書けたけど……何この文章」
「大事なことは繰り返して言うといいって言うから大丈夫だよ〜」
「そうだね! 大事だもんね!!」
「……ヴェレちゃんに書かせたときに、ひたすらお兄ちゃんの好きなところ書きまくったラブレターを笑顔で渡していた話思い出したね?」
「しかも、お兄ちゃんも笑顔で受け取るし、嬉しそうに読むからねぇ」
「いやあれはね、愛の力を感じたよね。うちは妹とは似てないなって思ったよね!!」
「えっお兄ちゃんのこと好きじゃないんですかー?」
「そうは言ってないけど!?」
そんな話をしばらくしてから、シイナはおやすみと一声かけて、夢の世界へ足を踏み入れた。
先ほどまでとはうってかわった静けさの中、リズムも同じように筆を走らせる。奏でる鼻歌は、暴風に揺れる窓の音にかき消され気味ではあったけれども。
「うん、書き終わったよ〜。僕もエルくんの見てていい?」
「いいよ。……リズムなら、ね」
声のトーンが落ちたのを見逃すリズムではない。ふふんと鼻を鳴らしてから、ゆっくりと首を傾げた。
「やっぱり、ちょっと悩んでるふうには見えたんだよねぇ」
「……わかった?」
「僕にかかれば、だよ〜!」
かなわないな、とエルファは苦笑する。
エルファ自身、何か悩み事があるときにはまず自分で考える。考えるつもりなのだが、大体リズムに勘付かれて、結局そのまま相談してしまう。兄、バウムだって、直接相談に乗ると声をかけることはまずないものの、エルファが悩んでいるさまは大体見通している。ただでさえ鋭いリズムに、こういった様子を見抜く術を仕込んだバウムのおかげで、エルファはリズムに一切の隠し事ができなかった。
「ま、アルトを怒らせたっていう感じかな」
リズムはぴょんと頭を持ち上げた。少し意外だったらしい。
普段のエルファなら、確かに怒らせて入るものの、こうも真剣に怒らせるようなことはまずしないからだ。
「へぇ〜。なんか機嫌悪いなぁとは思ったけど、エルくんが原因なの〜?」
「うん。夕方、アルトに会ってたんだけどね。それでまぁ、今手紙に書いていることを、ね」
リズムが読みやすいように、エルファはランプの位置を少しだけずらした。リズムはふんふんとうなずきながら、みるみる紡がれていく文字を追い続ける。
「あ〜、お兄ちゃんがやってたことかぁ。詳しいこと知らなかったけど……」
「そういうこと。だから俺もまぁ、黙っておけなくなっちゃってさ」
エルファは注意深くシイナの様子を観察する。規則正しい寝息は彼女が眠っている証拠。だが、万一でも起きて聞かれていたら、おそらくはアルトのときと同じ流れになるし、それはエルファ自身も、もちろんリズムとしても避けたい事象だった。
「正直お兄ちゃんとこの話してたとき全然理解できてなかたし、どこか他人事に感じてた。それがまぁ、今日スイから話聞いて全部繋がってわかった感じなんだけどね。……お兄ちゃんのせいで、嘘じゃないってわかったの、本当皮肉」
「エルくんがお兄ちゃんのせい、って言った……」
リズムはぽかんと口を開けた。ヴェレほど露骨ではないにしても、エルファも大概兄に対しての偏心がある。何かあった、例えばおやつのモモンタルトが一つ少なかったとて、兄を疑うことは絶対になかった。たとえバウムがいたずらでやったとて、大体真っ先に疑われるのはシイナだったのだが。
ともかく、バウムが何か起こしたとて彼はバウムのせいとは主張しない。しても「仕方がなかった」とフォローしていたのだから。
「そんなレベルだよ、これ。まぁ悪いのはお兄ちゃんじゃなくてスイとアルトなんだけど。ていうかラスフィアが教えとけば俺がアイツの機嫌損ねなかったよね。明日から気まずくて仕方ないんだけど?」
「ううん、じゃあラスフィアのせい? それかラピスかなぁ、この場合は」
「とも言い切れないんだけどさぁ。……全部スイのせいにしていい? 俺アイツだけ本当に嫌いなんだ」
「エルくんが納得するならそれでもいいけど〜……」
リズムは反応に困って言葉を濁した。概要から察するに、誰が良い悪いがあるわけでもないのだ。それでも誰かのせいにしたくなるのは、それだけやり場のない感情だから。エルファが内心深くで悩んでいるからこそ、リズムも下手なことは言えなかった。
「お兄ちゃんが危惧していたこともそうだし、スイだって……癪だけどさ、同じなんだよね。星の停止を食い止める代償、タイムパラドックスの影響の大きさ、とてもアルトたちが手に負える規模じゃない」
エルファは目を細めて揺れるランプを眺めた。
「正直さぁ、いくらお兄ちゃんがどう言ったって、この状況下で俺だけ逆らうわけにはいかないでしょ。だけどさ、今日スイに会って、ようやく理解できて、もう後がないってわかって。……アルトならまだ、止めれるかなーって思ったんだよね」
『で、こっちは星の停止を食い止めるために全力を挙げているところ。結束力はさすがなもんだよ』
『予想通りだな。俺は最初から貴様の手など借りたくはなかったが、仕方ない』
『別に利害の一致が崩れたとは言ってないんだけど? あー本当に癪』
朝のスイとの会話を頭で繰り返して、エルファはペンを置いて机で寝る体勢になる。
エルファとスイはお互い嫌いあっていることもあり、この状況下でも協力するという結論には至らなかった。おそらく、スイはスイで、星の停止を迎えるべく動いている。
これが兄だったらどれほど気楽だったかと思う。今の状況を思慮するたびにイライラとしてしまうのは、大嫌いな相手と目的が一致してしまっているせいも大きいのだ。
「俺ね、できることなら星の停止を迎えてほしいんだよね。別に俺が星の停止を好むわけじゃないけどさ、世界を、時間を超えていくつも滅ぼすような真似をしてもらいたくはないからさ」
「まぁねぇ。大きな星を壊して世界を守った、っていうのとは違うからねぇ。シンプルにいいこと、なんて言えないよねぇ〜」
何年か前に世界中で話題になった事件。それを食い止めた救助隊の話を、頭の中でページをめくり進める。エルファもリズムも、もちろんシイナだって、自分たちが生きている時代で繰り広げられた壮大な冒険譚に心を躍らせて育ってきた。
伝説のポケモンに立ち向かうゼニガメの姿が描かれた絵本も、小説も、本屋に行けば手に取ることは容易である。
「ま、世界を守るような役割なんて、お兄ちゃんが一番似合うわけだけど、さ。そうも言ってらんないし、俺が動かなきゃもう、この流れを変えられないから。黙って、色んなポケモンが消えていく世界の下で、『世界を救ったヒーロー様』って崇めたたえるの、俺はちょっと許せないんだよね」
エルファは書きかけの便せんを封筒に入れて、カバンの奥底にしまい込む。その際、バッグからこぼれ出た道具を、エルファはゆっくりと拾い上げた。
「せいなるタネ」。トゲトゲ山で確実にアルトたちに追いつくべく、ダンジョンに行く前にカクレオンのお店で買い込んだもののあまりだ。本当は倉庫に預けるつもりだったものの、強まる雨風に辟易してそのままにしていたのだ。
「世界を救いに行くのがどっちかなんてさ、もうわかんないよね」
ランプの灯を吹き消して、エルファは暗さに慣れない目で自分のベッドに移動する。リズムも続いて、その隣のベッドでころりと寝転がる。
「エルくん、悩んでいるだろうなっていうの、本当はアルトたちが帰ってきたときからわかっていたよ。僕も、アルトたちがいるから、ちょっと悩んじゃうかなぁ」
「本当ね。おかげで信じてくれってのは簡単にうなずけたんだけどさ」
「ふふん、あのときのエルくん、カッコよかったよ」
エルファはリズムに背を向けて、口元を少しだけ緩めた。それは褒められた嬉しさが半分、自分の発言に対する苦笑が半分だった。
「言いすぎかなって思ったけどね」
「でも、間違ったことは言ってなかったんだよねぇ。……おやすみ、エルくん」
「おやすみ、リズム」
そんな夜が明けてもなお、雨は強いままだった。それどころか、風もさらに強くなってきて、外を歩くのも一苦労だった。嵐は収まらないまま、それでも幻の大地を探そうと探検に出るギルドメンバーも見かけた。
アルトも、エルファも、その様子を苦しげに眺めていて。頑張ろうと挨拶をしてくるメンバーには、作った笑顔で対応するしかなかった。
そしてそれは、リィに対しても同じだった。
こんな日々を数日間続け、アルトもうんざりとしてきたある朝のこと。
「――というワケで、幻の大地については依然わからないことばかりだが、私たちは諦めないよ!!」
「「「「おおーーーっ!!!!」」」」
威勢の良い掛け声が、曇り空の下のギルドを震わせる。その中にはもちろん、リィの声も混ざっていた。
しかし、リィはその波を一足早く抜けて、前に立つリオルの背中をぼんやりと眺める。彼の元気がないことは、リィも間違いなく感じていた。
だから、せめて。弟子たちが元気に散っていこうとする中、リィはにっこりと笑って、彼にこう声をかけた。
「アルト、今日も幻の大地探し、頑張ろうね」
――それが余計に心の傷をなでていると、知らないまま。
アルトが一瞬、ぎゅっとペンダントを握りしめたのも、リィには見えていなかった。
「足形発見! 足形発見!!」
見張り担当のふたりの元気のよい声がギルドに響き渡る。ずいぶんと朝早くの来客もあるものだ、そう思いながら歩きかけた二人は、二の句を聞いてぴたりと足を止めた。
「足形はコータス! 足形はコータス!」
「あっ、長老かな……? 何かわかったのかもしれないね」
リィははやる胸の内を抑えきれず、はしごを上って長老を迎えに行く。その間、アルトはぼんやりと彼女の背中を見送った。
一度散った弟子たちも、長老の来訪にふたたび広間に集まりつつある。それはもちろん、フリューデルも例外ではなくて。エルファは興味の彩度の低い目をしていたが、シイナの勢いに押されて再び戻ってきていた。
「あれっリィと一緒に迎えに行かなかったの!?」
「っるっせぇな俺行っても無駄だろ」
「えっなんかごめんね!?」
ほらね、とエルファはシイナに目配せしてから、アルトに感情のない目を向けた。
普段の自分ならなんと言っていたのか、不思議なくらい思い出せなくて。エルファは深々とため息をついた。
「前さー、幻の大地についてわかったことあるって言ったじゃん」
「……そうだっけか」
「あぁ別に覚えていないならいいんだけどね? あぁ言ったから約束くらい果たそうかなって」
弟子たちはばっとエルファの方に振り向く。幻の大地、と聞こえた瞬間だった。探検隊の地は伊達ではないとエルファは苦笑しつつ。
「あー……えっとね、海を渡るのは問題ないとのことだよ。資格持ってるヤツのところに渡し守が現れるから、とのこと」
「それ俺に言うのか」
「いやリィでもいいんだけどさ? で、証についてのこと前に言ってたからさ、それさえ見つかれば行けますよっていう。それだけは伝えるべきかなって思って。……さて、長老様がおでましみたいだよ?」
エルファはくるりと表情を変えて、はしごの方に体を向けた。
そこには、数日前に再会したばかりのコータスと、歩幅を合わせて歩いてくるリィの姿があった。
「はあはあ、このギルドまで登ってくるのは年寄りには堪えるのう……」
「ご、ごめんね」
「いや、お主が手伝ってくれたおかげで随分と楽だったわい」
コータスが上がった息を整えるのを待ってから、リィはゆっくりとした口調で話しかけた。
「それで、何かわかったの?」
「そうじゃ。お前さんが持っていた石ころをもう一度見せてはくれぬかの」
リィは素直に遺跡の欠片を取り出した。その瞬間、コータス――グレン長老、そして他に二名の顔に緊張が走った。
「やはりか……」
続いてグレンが取り出したのは、栞が挟んである本。そのページにあった絵と、遺跡の欠片とを何度も見比べて、グレンは息をのむ。
「まさしくこの模様じゃよ。幻の大地に行くための証じゃ」
「えっ……?」
リィも、アルトも、皆が言われたことを飲み込めないまま、きょとんと長老の方を見つめる。
リィの手元では、遺跡の欠片が、その模様をどこか誇らしげに輝かせていた。