73話 時の回廊
「こ、これがセレビィ……?」
リィはキルシェとシュトラ、それにラスフィアの顔を流れるように見比べた。後ろ二人が動揺していないことを見る限り正解のようだが、リィはにわかには信じられなかった。
「ちょっとキミねー。あなたにコレ呼ばわりされる筋合いはないんだけど?」
「あ、ごめんね……えっと、はじめまして」
時渡る伝説ポケモン。その字面の荘厳さからはかけ離れた容姿に、リィは何度か瞬きを繰り返した。当然その姿が変化することはない。
「まぁいいわ。こちらこそはじめまして。私はキルシェ、種族は……さっき言っていたので合っています」
「そっか、よかった。私はリィ、よろしくね」
挨拶もそこそこに、リィはキルシェの姿を頭から爪先までじっくりと眺める。といっても小柄なせいで大した時間もかかっていないが、その感想を素直な言葉でまとめるとこうなる。
「なんていうか、もっとすごそうなポケモンを想像していたんだけど……」
「失礼ね。見た目で判断するのはよくないわよ。でも……まぁいいわ。だってそれって」
キルシェはリィにぐいっと顔を近づけると、満面の笑みを浮かべた。
「私が思いのほか可愛くって特別ってことでしょう? ウフフッ!」
「う、うん……。もしかして、ディアルガもキミ…… えっと、キルシェみたいな見た目なの?」
それに後ずさりながら、リィは浮かんだ疑問を口にした。キルシェと対になるような見た目のポケモンがメテオたちを暗躍させている、というのが思い描きにくかったのだ、威厳的な意味で。
それに答えたのは、苦笑いをするラスフィアだった。
「そんなことはないわ。キルシェよりはずっと大きくて……たぶんリィ、ちゃんが想像していた通りの見た目かな」
「そうなんだ……。ちょ、ちょっと怖そうなの想像してるんだけど」
「まぁ怖いのは間違いないわ」
「真顔で言われた……!?」
ラスフィアの言う怖いとは。リィの脳内ディアルガ図があらぬ方向へ飛躍していくのを察したのか、ラピスとシュトラは重い溜め息をついた。
「そんなわけでお久しぶりです、シュトラさん、ラス」
リィから離れたキルシェがにこりと笑うのを見ると、シュトラは時間が惜しいとばかりに本題に入った。
「キルシェ、また時渡りをお願いしたい」
「わかってます。こうしてシュトラさんたちがまた来たってことは、過去の世界で失敗したから戻ってきたんでしょう?」
「ま、まぁそうだが……」
眉を寄せたシュトラを翡翠の瞳に映し、キルシェは腰に手を当てた。
「しっかりしてくださいよね。私もう嫌ですから、こんな暗い世界で生きていくの」
色のない森を見て、キルシェは目を伏せた。
アルトはその様子から星の停止にかける思いの大きさの一端を感じられた。寂しげな話しぶりには、心にのしかかるような重みがあった。
申し訳なさを感じ、アルトは唇を噛んだ。
(やっぱり星の停止を防ぐっていうのは並大抵のことじゃない。俺らは、それを何も知らずに止めようとしていたのか……)
「……というか、この二人で行動してたんですか?」
顔を上げたキルシェが首を傾げるのを見て、ラスフィアはラピスへ視線を渡した。当然のように無視されたが。
シュトラはそんな様子を気にも留めていないようだった。
「いや、途中までは別行動だったが……。聞き忘れていたな、なんでお前未来にいるんだ」
「……成り行き?」
「はぁ。後できちんと説明してもらうぞ」
声がオクターブ低くなったためにラスフィアは肩をすくめた。といっても、後でというのがいつ頃になりそうなのか予想できなかったが。
「そんなことより、こっちはヤミラミに追われている。早く行かないとここにも迷惑がかかる」
ヤミラミという単語が出てきたところで、それまで静かに事の推移を見守っていたアルトとラピスの表情が引き締まる。
ただ、キルシェの反応はその逆を全力疾走していた。
「ウフフッ、心配しないで。私、ヤミラミが来たってどうってことないですから!」
「すごい自信だな……」
アルトでさえも呆れたような顔を隠しきれなかった。そのくらい、疑いの欠片もない宣言だったのだ。
キルシェはその場でくるりと一回転すると、堂々と胸を張った。
「それに、もし星の停止を食い止めることができて、この暗黒の世界が変わるのなら……私も命をかけて協力します」
その言葉を迷いなく言うために、どれほどの覚悟を決めたのだろう。
今まで聞いたどの言葉よりも、重くて、強くて、尊かった。それをどこまで軽くて、適当で、淡い気持ちで踏みにじろうとしていたのか。
アルトとリィはそれを思い知ると、息を呑み目を逸らした。
「……で、時の回廊は?」
ラピスが嘆息するように聞くと、キルシェは口を一文字に結んだ。ただそれをすぐに解くと、高く透明感のある声で聞いた。
「えっと、あなたは……」
「……ラピス。そう、呼んで」
(そう呼んで?)
アルトはその文言に引っかかるものを覚えたが、すぐにキルシェが話し始めたせいで考える暇はなかった。
「時の回廊はこの先の高台にあります。今回時の回廊を渡るのはこの五名で大丈夫ですか?」
「そうよ。と、いうわけで今回もお願いね」
ラスフィアが微笑むと、キルシェは任せてという風に胸を張った。
「では皆さん。行きましょう、時の回廊へ!」
その宣言とともに、一行は坂道を登り始める。冷たくてごつごつとした石の感触が足先から伝わってきた。
といっても例外が一名。キルシェだけはふわふわと飛びながらの移動なので、リィから楽そうだなぁという羨望の視線を向けられていたが。
「そういえば、時の回廊って何なの?」
それに答えたのは、一番先を行くシュトラだった。
「時の回廊は時渡りに使われる……時空を超えられる秘密の道だ」
「小さな時渡りなら私だけでも行けるんだけど、時代を大きく超えるようなものは時の回廊の力を使わないといけないの」
「そんなに離れた時間なのか……」
乗っかってきたキルシェの言葉は、アルトの想像力を優に超えたものだった。時代を大きく超える、というのがどれほどの規模なのかが気になったが、日の昇らない世界で日にちを数える文化があるとは思えずにリィは口を噤んだ。
シュトラはアルトたちに目を向けたまま話を繋げた。
「時の歯車の在りかさえほとんど伝わっていなくて調査が難しい。少しでも動きを見せたら闇のディアルガに追われる。……ここまでやれるまでにかかった時間は短くない」
「あそこまで行けたんだから、次の時渡りで……絶対に食い止める」
ラスフィアの目の色が、今まで見たことがないようなものに変わる。
「時間は短くない」。キルシェの話も合わせると、それこそ自分たちのところからは何世代も隔てた上でのラスフィアたちの世界。
「……ごめんね、二人とも。それにキルシェも、何も知らずに止めようとなんかしちゃって」
「ふふっ、いいのよ。……というか、もう疑っていないの?」
「……うん。キルシェの話を聞いて、それでも間違っているなんて無いかなって」
「あら、私そんなに信用されてたんですか? ウフフッ!」
リィが言いたいのは、口裏合わせするタイミングの無いキルシェまでもが揃って自分たちを騙したりしないだろうということだ。そこはアルトまでにしか伝わっていなかったが。
ただ、キルシェの顔を見た二人はそれを言うのは野暮だと口を閉じた。なんというか、かなり嬉しそうな顔をされたのだ。ラピスに白い目を向けられているのも気にせずに。
そんなやり取りがありつつも、一行はダンジョン、森の高台へと歩を進めていた。ここでも苦戦するということはなく、むしろキルシェが加わったおかげで戦力過剰に拍車がかかったくらいだった。
「「マジカルリーフ!」」
リィとキルシェが声を揃えたと同時に、極彩色の葉の壁が彼女たちの前に展開された。二人が目を合わせ、頷きあった瞬間にそれらは眼前の巨体に降りかかった。
その巨体ことハガネールは、銀色の体に虹色を刺されてよろめく。が、見かけ通り耐久には優れているようで、大きなダメージとはなっていないようだ。
ハガネールはリィとキルシェのずっと上から、ラピスと同じ大きさと言っても齟齬がないほどの目を二人に向けた。それにリィは小さな悲鳴を上げたが、キルシェはなんてことないという風である。
そうして二人に気を取られている状態だからこそ、本命の一撃を当てるのは容易かった。
「サイコキネシス! ――アルト、くん」
「ありがと、ラスフィア! しんくうはッ!!」
ラスフィアのおかげでしんくうはは相手の急所へと直撃。音などを反射しやすそうな体なのもあってか、ハガネールの表情はかなり苦しそうだった。
「はっけい!」
その一撃が止めとなり、ハガネールは倒れた。このダンジョンは意外とアルトと相性が良く、こうして先頭で戦うことも多かった。
「お疲れ」とアルトとリィが言葉を交わし始めると、キルシェもその輪に加わってきた。相性が良いとは言えど一体がなかなかに強力なので、こういうやり取りも何度かしていた。
「そういえば、あなたはアルトっていうの?」
キルシェが首を傾げて問いかけるのを見て、アルトは肯定の意を返した。彼のなぜそれを聞くのかという疑問は瞬時に答えへと結びついた。
「……自己紹介してなかったな、悪ぃ」
「……いいえ、こちらこそ。それにしても……」
キルシェがじっとの目を覗き込んできたので、アルトは一歩分距離を広げた。その真意が見えずに困惑するアルトを差し置き、彼女は「まぁいいか」と手を叩いた。
「あっ、そうだ。ちょっと内緒の話なんだけど……シュトラさんって実はすごくせっかちなの、知ってた?」
キルシェは上機嫌に鼻歌を奏でながら、アルトとリィの目の前でふわりと踊った。
「ああ、さっきのダンジョンで何回も追いていかれそうになったから」
「でしょう? ほんと、もう少しゆっくりしたらいいのにって感じよね」
アルトの返答を聞くと、キルシェは腰に手を当てて嘆息した。
現在の陣形は前からシュトラ、ラピス、少し間を空けてラスフィア、そして残り三人という状態だった。囁くようなキルシェの言葉はラスフィアまでにしか届いていない。
「……その方が私も嬉しいんだけどなぁ。できるだけ長い時間一緒にいたいし」
「確かに。ちゃんと話す時間も無いまま過去に行っちゃうもんね」
リィはしんみりとした調子で、目を伏せるキルシェと早足のシュトラを見比べた。久しぶりに戻ってきたと思ったら要件だけ告げてさっさと時渡り、実にせわしない。
「せっかく会えたんならもう少し話すことあるだろ……」
仲が悪い風には見えないし、積もる話もあるんじゃないのか。
件のせっかちを睨むアルトを見ていたラスフィアは、おかしそうに笑った。それにアルトが首を傾げている間に、キルシェはその頬を燃えるような夕焼け色に染めていた。
「ちょっとラス、私何も思ってないからね!?」
「ふふっ、ちゃんとわかってるわよ」
「本当にわかってる!? ヘンな意味に取ってないよね!?」
「大丈夫よ……たぶん、ね」
と言っておきながらもラスフィアの笑いは止まっていない。そのせいで頬に赤みが差し始めるくらいには。
ラスフィアがここまで楽しそうにしているのを見るのは初めてだったので、どこか新鮮な気持ちになるアルトとリィ。
「そっ、そんなことより! ほら、たぶんあの階段が最後だから! 早く行きましょ!」
「あ、ああ……。よく数えてたな」
「キルシェ顔真っ赤だけど大丈夫……?」
そんな二人が会話の内容を理解していたのか。それには恐らく、否定の語を答えとする必要があるだろう。
ダンジョン内で騒ぐなと先導二人に怒られつつ階段を通過。開けた視界と雰囲気の違いから察するに、キルシェの言葉通りダンジョンを抜けたようである。
そんな一行の目を釘付けにしたのは、正面で淡く光る空色だった。
「あれが……」
「はい、時の回廊です。行きましょう」
心なしか早口な気がするのは気のせいか。
キルシェに合わせて近づいてみると、手の平に収まりそうなほどだった光はどんどんと大きくなっていった。
(綺麗だ……)
近づくほどに、その光は時の歯車に似たものだとアルトは感じ始めていた。
混じり気のない眩しさ、せせらぎの音が聞こえそうな光の粒。未来世界を覆い尽くす淀んだ空気も、時の回廊へ近づくにつれて浄化されたものになっていくというのは錯覚だろうか。
思わず目を奪われ、そして取り込まれる。そんな美しさを携えていた。
「ウフフッ、素敵でしょう? ここを通れば過去に行けるの」
キルシェは回廊を指し示して自慢げな表情を浮かべた。否定などできるわけもない。それこそ時間を忘れて見ていられるものだった。
「俺たちが過去に行くときにも通ったんだ。……キルシェ、扉を開けてもらえるか」
「はい、任せてください!」
そう言って時の回廊へと近づいたキルシェ。扉を開ける、という言葉に興味津々なリィ。過去に戻れるという安堵感に包まれたアルト。いや、この場にいた六人全員が、その直前まで忘れていた。
「――そこまでだ!!」
そう、この声を再び聞くまでは。
もう一度聞けば、記憶から引きずりだすのは容易かった。強張らせた顔は、自然と時の回廊の前に現れた影へと向けられる。
「……姿を見せなかったのはそういうことか」
歯をくいしばるようなシュトラの言葉を聞いて、そのポケモンは面白がるように目を細めた。
「わざと泳がせることで、キルシェも含めた六人をまとめて捕らえる。……本当に、あなたは」
嫌でも耳に飛び込む印象的な掛け声。四井から感じる気配。
違うわけもない。認めるしかない。
「出来れば二度と会いたくなかったけどな!」
吐き捨てられたアルトの言葉に、ラピスがかすかに頷く。 キルシェが無言で影を見据える。
「――メテオ、さん」
絞り出すようなリィの声に、時の回廊を背にしたメテオは、彼女を見下ろすようにして笑い声を上げた。
高らかに、そして、愉快そうに。
「随分と逃げ回ったようだが……残念ながらおしまいだ」
立ちはだかるメテオ、取り囲むヤミラミたち。
やはりあのヤミラミから情報が流れてしまったのだろうか。一名だけラピスの挙止動作を注視している者が見受けられる。
シュトラはその状況を冷静に見極めると、フンと鼻を鳴らした。
「こんな事になるとは……悪いな、キルシェ」
「あら、謝るなんてシュトラさんらしくないですよ? それに……私が捕まると思います? ウフフッ!」
キルシェは口元に笑みを携えたまま、挑発的にメテオを睨んだ。メテオの目には既に勝利の色が浮かんでいて、焦りの一つさえ見せていなかった。
「お前たち! 戦う準備はできているか!」
張り上げたその声に、全員が強く頷いた。
ここまできて引き下がれるわけがない。なんとしてでも過去へ行くという思いの確認など、この際時間の無駄であろう。
「ああ!」
「……ん」
「もちろん。……あなたたちを倒して、時の回廊へ飛び込ませてもらうわ」
既にアルト、ラピス、ラスフィアに至っては技を即座に発動できる状態である。
アルトは一度大きく息を吸うと、目の色を変えるようにして周囲を見渡した。向こうが七にこちらが六と、数で大きく劣ることもなかった。
やってやる、そう地面を蹴りかけたアルトを見て、メテオは嘲るように笑い声をあげた。
「抵抗するのか? 勝ち目などないというのに」
「っ、そんなこと、やってみなきゃわかんねぇだろ!!」
アルトの神経を逆なでするには充分すぎた。
戦力に不足はない。そう思えるのはダンジョンで皆の力量を見せつけられたから。だからこそ、アルトは確信された勝利に酔うメテオに苛立ちを覚えた。
それだから、負ける気を持たぬメテオは愉快がっていた。
「……お前たち。ここに来たのが私たちだけだとでも思っているのか?」
「……どういう意味か説明してもらおうか」
投げたシュトラの言葉は、途中で息と共に飲み込まれた。
暗幕が落とされたように、辺りから光が消えた。
隣にいる者の顔さえ見えぬ暗闇。鋭敏になった耳に届くのは、緊張感に震える息遣い。身体をあらゆる方向から押す圧力。それが威圧感だと理解するのに、長い時間は必要なかった。
「なに、これ……っ?」
止まらぬ悪寒に、リィは身を縮めた。本能が鳴らす警鐘、それが頭の中で幾重にも響きあっていた。
どうか、どうか杞憂に終わってくれ。そんな儚い希望さえも塗りつぶして。
「――ディアルガ様」