72話 革新エレメント
それからダンジョンの入り口へと至るまで、五人の間に会話は無かった。
先陣を切っていたシュトラ、ラピスコンビは言わずもがな。それに続く三人はというと、アルトがラスフィアへの話づらさを抱えているという状況のせいが大きいだろう。リィが会話を繋ぐべく頭を捻る場面もあったが、結局彼女が発言する前にダンジョンへと差し掛かろうとしていたのだった。
相も変わらず、枝葉は揺れなければ誰も話さない。足音さえも遠慮がちにひそめられている窮屈さを、アルトとリィは息苦しく思う。
そんな一行は黒っぽい霧のかかる森が少し開けたところへと出た。その一面には暗闇が広がる部分があり、経験則からそれがダンジョンの入り口とリィは判断。
「えっと……あの、さ」
そのままそこへと突入しようとするシュトラを呼び止めた声は、話さなさすぎて少し掠れたいたけれど。
当然全員の視線が発言者に向くわけで、居心地の悪さにリィは顔をしかめた。けれども言い出したからには、と頭の中を整理し直しつつ言う。
「シュトラもラスフィアも……えっと、ラピスは……どうなんだろう。とりあえず二人は、過去に戻ったらまた時の歯車を集めるんだよね?」
「……そうよ。そうしなきゃ星の停止は食い止められないから」
ラスフィアは目を伏せると、そっとそれに返した。やはり指名手配とまでされたことや、トレジャータウンのポケモンたちとの軋轢が気にかかっているのか、その声は沈んでいる。
「……それがどうしたの?」
「わ、私は、まだシュトラとラスフィアのこと、信じきってはいないの。だから……その」
無神経な言い方をしてしまったか、と後悔が芽生え始め、リィは視線を彷徨わせる。
現段階では、まだ過去の世界に行くという共通目的のために行動している状態だった。だからその後、もしものことがずっとリィに引っかかっていた。
「もし星の停止と時の歯車が関係無くって、シュトラの話が間違ってるってことだったら……私は二人を止める、から」
そんなことないとは思うけど。
そう笑顔の一つでも向けられたらよかったのだが、頬が引きつって失敗に終わった。なぜこうも、大事なときに限って笑えないのか。
シュトラはリィを一瞥しフンと鼻を鳴らした。
「好きにしろ。但し……今お互いに大切なのは無事に過去に行けるかどうかだけだ。だったら今はそれに集中しろ」
それだけ言うと、足早にダンジョンへと入って行ってしまった。ラピスとラスフィアがそれに続き、リィも、と思ったところでふと足を止めた。
アルトは意識だけがふわりとどこかへ飛んでいったかのようにぼうっとしていた。それに気が付いたリィは首を傾げる。
「……アルト、どうしたの?」
(やっぱり……やっぱり何か感じるような)
この森を目にして以来、ずっと心の奥で渦巻いていた違和感があった。どこか懐かしくて、でもよくわからなくて、けれど確かに覚えていて。
と、記憶を手繰り寄せるときに一つだけきらりと光るものがあった。それを取り出して見て、アルトははっと息を呑む。
(そうだ、ベースキャンプ! あのときの感覚と同じなんだ)
悪夢に叩き起こされて夜風を浴びていたとき、確かに「来たことがあるような」と感じていた。辺りを見渡せばなるほど、白と緑で塗ればベースキャンプの景色を再現できそうな森である。ここは未来の濃霧の森、なのだろうか。
それはそれで、結局新たな疑問を生むことになるのだが、それに気がつく前に意識は現実に引き戻された。
「おい! 何をしている、早く行くぞ」
耳を突き抜けたその声がシュトラのものと気が付いて、アルトは視点を変えて森を見渡す。既に半歩ダンジョンへ足を踏み入れているシュトラも、怪訝な顔をしたリィも。さっきは目に入っていなかった。
「大丈夫、アルト?」
「え、ああ、大丈夫。だけど……ほんとアイツせっかちだな!」
アルトがリィに答えている間に、その姿は暗闇の向こうへと消えていた。それにラピスが足早について行くのを眺めつつ、アルトたちもダンジョンへと足を進めた。
ラスフィアはその二人が行くのを見届けた後、静かに後ろを確認した。
(いつ追いつかれてもおかしくはない。……本当に、ギルドで呑気に暮らしていた時間が懐かしい)
メテオと再会する前は、自らのやるべきことをしつつも平和に暮らせていたのだが。
ラスフィアは瞑目すると、リィの後ろ姿が消えぬうちにその後を追った。
ダンジョンの中でもやはり変わらず、技名さえも宣言しない――とまではさすがにならなかった。
「メランクルスタロ!」
「リーフブレード!」
あたりに計五匹ほどいた敵は、その二人の攻撃で瞬く間に戦意を喪失していった。一応戦えなくはないようだが、一撃の重さに慄いたということか。
散り散りに逃げ出したダンジョンのポケモンを見て、リィはほあぁと感嘆した。
「つ、強い……」
彼らの強さを見る機会はあったわけだが、それが共闘するとなるとまた話は別だ。
とにかく無駄がない。メランクルスタロを受けてなお戦おうとするガバイトもいたのだが、それを最初から知っていたかのごとく、シュトラが加勢することで撤退へと追い込んでいた。
鮮やかなまでのコンビネーションは、アルトやリィの目を惹きつけて止まなかった。
「……なんか、申し訳なくなってきたよ……」
「ふふっ、じゃあ前線を張ってみる? リィ……リィさ、あ、えっと」
突然言葉を濁したラスフィアに、当のリィだけでなくアルトも首を傾げた。
ラスフィアはしばらく何事か呟いていたが、やがて顔を上げると、そこに苦笑を浮かべた。
「そういえばギルドにいたときってずっと敬語だった、なと……ふふっ」
「そういえばな!! 確かに水晶の湖はラピスと話すときみたいな話し方だったけど!」
「だって敬語って、始めてのポケモンや目上の方に使うものでしょう? あそこでは敵同士だったわけで、ほら、こう……敬う必要ないかなって」
「そ、そうなんだけどさ……」
ラスフィアは悪戯っぽく笑った。そういうところもラピスと話すときみたいだ、とアルトは思う。
「ねぇ、ラスフィアってそう思いながら敬語使ってたの……?」
「そうよ。そもそも未来で敬語使う相手がいなかったから新鮮だったわ。まぁ使っている子は一人いたけれど」
「そんな気持ちだったのかよ……!?」
丁寧なポケモンだと思いきや、単純にしきたりというか、定義を遵守しているだけだった。いやそれを丁寧というのか、敬語をあまり使わないアルトやリィにはよくわからなかったが。
「……どうしよう、ギルドのときみたいに戻した方がいい?」
「それを聞いてくれるだけで嬉しくなるんだよな!」
「ええっと……?」
「あっ、あのことだよね。あのねラスフィア」
きょとんとするラスフィアのために、リィは引きつった笑顔のまま解説を挟んだ。
敬う心から始まり、面白いから続け、やめろと言っても楽しいから止めない。そんな奴、つまりはエルファのことがアルトの頭をよぎったのだ。
ラスフィアはそれを聞いておかしそうに笑った。それを見たリィは、「えっと」と話を元に戻す。
「ラスフィアが話しやすいほうで大丈夫だよ?」
「俺も……あー、やっぱり敬語使われるとアイツの言葉思い出すから嫌だ」
あれ以来、敬語を聞くたびに遊ばれているような感覚に陥るという呪いじみた状態に陥っていたのだ。けらけらと笑うエルファが脳裏に浮かんで、アルトは小さく舌打ちをした。
「ふふっ、仲良いのね」
「よくねぇ!! どうしたらそう見えるんだよ!?」
アルトが全力で否定しても、ラスフィアのおかしそうな笑みは消えないままだった。
「じゃあ敬語は止めておこうかな。呼び方はアルト……く、ん。それとリィちゃんでいい?」
二人がこくりと頷くのを確認すると、ラスフィアは染み込ませるようにその呼び方を復唱した。そしてくすりと笑ったとき、ラピスから冷たい視線が飛んできた。
「どうしたの、ラピス?」
リィが聞き返すと、ラピスは黙って少し先の道を指差した。そこには小さくなりつつあるシュトラの背中がある。
それだけで三人とも合点がいき、それぞれの反応を示した。まったく彼らしい。
三人が納得したのを見届けると、ラピスは即座に身を翻してしまう。ラスフィアは彼女の後を追いながら、すっと目を細めた。
「本当、いつまで拗ねているつもりなんだか。……アルト、くん」
「……わかってるよ」
わかってはいても、話すタイミングが無さすぎる。そして話しかけたところで取り合ってもらえない状況が容易に想像できるために二重につらい。
小さく唸るアルトを、口元で弧を描き眺めるラスフィア。その光景を目に映したリィは、
(アルトとラスフィア、いつの間にか仲直りできてたんだね……)
その二人の間の「話しづらい」という雰囲気が消えていたのを感じて、そっと頬を緩めた。
そんな調子で、戦力過剰な一行は難なくダンジョンをクリア。
木はまばらになり、霧らしきもやも少し薄くなる。その代わりに露出してきた岩肌はきつめの坂を形作っていた。
リィは相変わらず色のない景色を寂しげに眺めながら、シュトラに問いかけた。
「ここにキルシェがいるの?」
「前に出会ったのがこの辺りだったからな。闇のディアルガに知られていたらここを離れているだろうが……まだならここにいるはずだ」
シュトラは大きめに息を吸い込んだ。その仕草を見て耳をふさぐ、というのはギルド生活で身についた四人共通の知恵である。
「キルシェ! 俺だ、シュトラだ! いるなら姿を現してくれ!!」
「えっ!? ええっと、いいの……? 大きな声出してヤミラミたちに見つかったりとか……」
「あの電撃の時点で手遅れだろう」
正論でございます。
シュトラがラピスに冷たい視線を送ると、向こうは頬を膨らませて目を逸らした。確かにそのせいで目立った上、ヤミラミを逃してしまったが、アルトたちが確実に合流するという役割を考えたら無駄ではなかった。と思いたい。
ただ、そんなやり取り以外に音はしなかった。耳が聞こえなくなったのではと錯覚するほどの無音環境。自分たち以外の気配一つしない空気の中、リィは恐る恐る口を開いた。
「出て、来ないね……。もうディアルガに見つかっちゃったのかな……?」
アルトも耳の感度を上げるべく目を閉じていた。
それなのに頭には、瞼の向こうにある景色がはっきりと形を成していた。ただ、処刑場でのものと同様、青みがかかっていて波目が不可思議に揺れていた。
「まさかもう捕まっていたりとか……」
その模様は、隣にいるリィやラピス、その場にいるポケモンを中心としたところで強く波打っていた。
なら、自分の目の前中空。そこで強く歪みが発生しているのはなぜなのだろうか。
「――捕まるですって?」
高く透明感のある声を聞き、アルトは目を開けた。途端にあのスクリーンは途絶え、鮮明な本物の景色が頭に記録されていく。
そう、自分の目の前中空。そこに新しい姿があったことだって、アルトは特段驚きはしなかった。
その声の発生源は、自身を包んでいた光の粒子を解き放った。
桃色の体はラピスと同じくらい。彼女の後ろではためく透き通った羽は、光の欠片を乱反射して目を奪うほどの輝きを見せた。
彼女が顔を上げるのに従い、頭から伸びた二本の触覚が優雅に揺れ踊る。
「私が捕まるなんて、絶対にありえないわ!」
そのポケモン――キルシェはその場で縦に一回転してみせると、得意げに笑って見せたのだった。