71話 秘密裏の画策
「……くしゅん」
流れた時間で言うのならば、およそアルトとリィがシュトラに追いついたくらいのタイミングだろうか。
朝陽に包まれたトレジャータウンの中、フリューデルはカクレオン商店へと向かっていた。そんな中、シイナはエルファの前ににょっと顔を出して彼を指し示した。
「ねぇエルファ、なんでくしゃみそんな可愛いのか聞いてもいいかなぁ!?」
「……してないので知らないですねー?」
「はい嘘をつかない! リズムも見たでしょー!?」
「ふふ〜ん、ばっちりだよ〜!」
「あのさぁ?」
味方がいないのを察してエルファは肩をすくめた。シイナにも少し元気が戻ってきたおかげで、フリューデルの賑やかさも再熱しつつある。
そうは言っても街全体の不穏な空気が消えたわけじゃない。それはもちろん、メテオとメロディの失踪事件の話も大きいのだが。
(この事件の中心地ってここになってると思うんだよね。メテオさんもここを拠点にしてたし、それに)
エルファはちらりと後ろを振り返った。崖の上にあるおかげで、街からもその姿を確認できる巨大プクリン。すなわち我らがプクリンのギルドのテントであるわけだが、エルファはそれを見て吐息をもらした。
(アンタの影響大きすぎるんだよ、ラスフィア?)
ギルド関係者にして時の歯車盗難事件の主犯、とまではいかずとも準ずるものとなったブラッキー。
そのせいでギルドはちょっぴり厄介なことになっていたのだ。それはまぁ、そこまでの重要人物を抱えていたので当然なのだが。チャトの目の回しっぷりはエルファからも不憫に見えるほどだった。
(諜報なら、ギルドが本格的に動き出したときにこそいるべき。メテオさんから逃げるならそもそもギルドになんか……本名なら尚更目立つでしょ?)
本人が名乗ったものもメテオが告げた名も同じであったのは確かだ。だからこそ、エルファはラスフィアの目的がわからなかった。
あれ以来メテオ、それとラピスやラスフィアのことばかり考えているなと、エルファは自身に向けて笑う。
正面にいたままだったシイナが「何!?」と食いついてきたのを適当にあしらうと、彼は到着したばかりのカクレオンのテントを見上げた。
「……ほんと、アイツらは」
「んん、エルくん何か言った?」
「何もー?」
「ねえぇだからそういうの気になるんだってばー!!」
「いや、だからねシイナさん、俺何も言ってないってば?」
そうして騒ぎながら前にいたパチリスが買い物するのを眺めていると、エルファのスカーフがくいと後ろに引かれた。長めに垂らしているせいで誰かが引っかかりでもしたかと予測。
だが視線を後ろに投げると、それが外れているとすぐにわかった。
「うふふ、フリューデルさんは朝から賑やかですねっ」
「あーヴァイスさん。まぁシイナのせいですけど?」
「いやいやなんで!? そういうエルファだってさぁ!」
「おはよう〜! 一人でここに来るのって珍しいねぇ」
「リズムぅ!!」
統制とは、と思わず言いたくなるフリューデルテンション。それが俺たちのルールと言わんばかりの混戦っぷりに、未だ慣れていないヴァイスは困惑していた。
それでもなんとかリズムの言葉に返すという正解論を引き当たヴァイスは、きちんと笑顔を作り直す。
「木の実の入荷リクエストをしに来たんですっ。この辺りだとあまり見かけないものなんですけどね」
「ふむふむぅ。どういうのなの〜?」
「ミクルの実って言うんですけど……ご存知です?」
彼女の視線は真っ先にエルファに向かった。チーム内で一番知識量に優れているのが彼だろうという算段からだ。実際それは正しくて、リズムは首を傾げているしシイナは最初から知らないと宣言していたが。
エルファはしばらく考え込むと、組んでいた腕を解きながら言った。
「……緑色のやつです? お菓子作りに使うこともあるっていう」
「わぉ、さすがですっ。ご存知でしたか! ちょっとレシピ開発に使ってみようかなって」
両の手を合わせると、ヴァイスは片目をつむった。
「上手くできたらフリューデルさんにも伝えますねっ」
「本当!? 楽しみにしてるね!」
きゃっきゃと話しているうちに、前の客の買い物は終わったらしい。店主に呼ばれるのを聞いて、リズムとシイナはとことこと前へ進んだ。
今日はちょっとだけ雲が多い。流れた雲が太陽を覆い隠し、そしてまたどこかへと旅立っていく。
ゆらゆら移り変わる足元の明暗を眺めていたエルファは、顔を上げると、ふっと普段通りの笑い方。
「……あ、俺からも楽しみにしてますね?」
「あんまりハードル上げるのはよくないですよっ?」
それに苦笑を返すと、エルファも買い物に加わり始めた。
こうしてわいわいと時間に、早くアイツらも戻って来て欲しい。どこまではしゃいでも、どれほど楽しげにしていても。やっぱりエルファの頭は彼らのことを考え始めてしまう。
――いや、それがエルファだけ。そんなわけはもちろんないのだけれども。
「……暗そうな顔してるの、すごくわかりやすいですよ、エルファさん」
ヴァイスも当然のように同じことを考えつつ、影の消えないエルファの表情から目を逸らした。ヴァイスの小さな独り言は、シイナの声にかき消され、当の本人には届いていないようだったけれど。
(エルファさん。あなたの表情はただの心配から? それとも……他に何か知っているの?)
ヴァイスは瞑目し、とある映像を瞼の裏に呼び起こした。
それはメロディがリンゴの森へ行った日の夕方。
マリーネオは一旦カフェに戻るとのことで、ヴァイスは単独行動をしていたときのことだった。帰宅する前に採ってきたものを整理しよう。そうして街へ向かおうとした彼女は、交差点でとある影を目にして足を止めた。
「あ、エルファさ」
「……会いたくなかったんだけど?」
その影ことエルファは、突き放すような物言いとともにある一点を睨みつけた。一瞬氷の世界に突き落とされる思いがしたが、その視線が別方向に向けられていると気づくや否や落ち着いた。
エルファが話しかけた相手は、少し離れたところで佇む茜を纏ったアブソルらしい。ただ、その色彩は夕陽によるものだけではないようだった。
何度か瞬きしてみるが、橙色を夕陽で更に染め上げた風貌は変わらない。
彼らは共に、十歩ほど離れた場所に立つヴァイスには気が付いていないようだった。
(珍しい。色違いなんてそうそういるものじゃないはず、なのに)
その美しい容姿から、ヴァイスは茜の化身をまじまじと眺める。
色違いのポケモンは、さしものヴァイスもとある例外を除いては見たことがなかった。まぁ彼らはそういう目で見られることを嫌う者が多い、と思い返してすぐに考えを振り払ったが。
二人の間の緊迫感は、目に見えそうなくらいに明確なものだった。ヴァイスがそっと耳を立てると、アブソルの低く落ち着いた声が流れ込んでくる。
「……気になることがあってな。貴様の情報ヅテでも役に立てばと思った次第だ」
「相っ変わらずさぁ、そんな言い方するくらいなら俺に関わってくる必要無いでしょ?」
敵意を隠さないエルファ、そして色違いのアブソル。
正直、普段飄々とアルトやシイナをからかってる様子からは想像し難い態度だった。隠していたナイフを煌めかすようで、見ているだけなのに肩が強張る。
「こちらも貴様などとは関わりたくないがな」
「本っ当に、俺もアンタなんかと一刻も早くおさらばしたいんだけど?」
話しにくい内容なのだろうか。二人が少し街から離れたところへ向かうのを見たヴァイスは、しばしの躊躇いの後彼らを追った。
ヴァイスは咄嗟に手近な木の陰に身をひそめると、二人の会話に聞き耳を立てた。
その会話の内容は、はっきり言って頭に入ってこなかった。というか、部外者にはさっぱりな程に抽象的な話だったのだ。
「……ま、時空の叫びって実在するのね」
それなのに、溜め息混じりのエルファの声だけはいやに耳に残った。
時空の叫びについては、ギルドのポケモンから聞いていたのでヴァイスも一応は知っていた。だが、その知識を引きずり出すことに気を取られ、耳は音を拾っていなかった。
(時空の叫び、が……? なんのことだったの)
そうこうしているうちに、会話は終わったようだ。いつの間にかアブソルは姿を消しており、エルファも気だるげにその場を立ち去ろうとしている。
それを見たヴァイスは即座に交差点へと戻った。
走り、駆け、着き、止まる。
例えスキップしながらだとしても、ここまでは労せずに辿り着ける距離のはずだった。それなのに、胸に当てた手の下で、心臓が酷く波打っている。
ヴァイスは止まらぬ動悸と悪寒に襲われながら、交差点の道標に体重を預けた。
(エルファさんは何を知っているの……そしてあのアブソル、は)
頭に紡がれる言葉はそこで途切れた。なぜこんなにも思考が鈍っているのだろう。盗み聞いた罪悪感も合わさって、ヴァイスの視界から色が抜けていく。
「あー、ヴァイスさん? ちょうどよかった」
いよいよ心臓が止まるかと思った。
体が跳ねたのを悟られないようにと願いつつ、ヴァイスはどうにか笑顔を貼り付ける。
ただ、エルファはそんなヴァイスの心情も知らずという風に言葉を続けた。
「ちょっと聞きたいことあるんですけど大丈夫です?」
「え、あ……はいっ」
まさか盗み聞きが察せられていたのか、とヴァイスは身を縮めた。視界も頭も白に塗りたくられて、ただ息を吸うだけでも緊張が伴う。それに加えて、普段通りのエルファの様子がかえって不安を掻き立てた。
表情に細心の注意を払いながら、ヴァイスは掠れた声で繋げる。
「私で答え、られること、なら」
声色はさすがに訝しまれたようで、エルファは眉を寄せたが、特に言及はしないまま本題に入った。
その内容は、とあるダンジョンについて知らないかという話だったのだけれども。ヴァイスは上の空状態で答えつつ、エルファの一挙一動に警戒の刃を向けた。
聞かれたダンジョンがなんだったのか、ヴァイスは覚えていない。
焦りでそれどころじゃなかったせい、それもある。だが一番の原因は、やはりあのアブソルの存在だった。
(嫌ってるというか、敵意みたいなのは終始向けていたみたいだけど……。表面はそうなだけで実は友達とか?)
とにかく、無意識的に話していたせいで、いつエルファと別れたのかも定かではない。気がついたらトレジャータウンを歩いていて、街のポケモンに声をかけられたことからは記憶として存在していた。
そんなことを回想した上で、ヴァイスはもう一度エルファを見やった。
時々考え込むような仕草をするのも、あの日以来意味深に思えて仕方がなかった。何か知っていそう、だけどそれを聞いたら盗み聞きのことまで話さざるを得なくなりそうだ。だからヴァイスは何も聞けぬまま、ただ時の流れに身を任せていた。
(って、疑うように見ちゃうのは違うとわかっているつもりなんだけど……)
最近人を疑いやすくなってきたのは悪い傾向だ。直さねば、とヴァイスは気持ちを切り替える。
それと同時にフリューデルは買い物を終えたらしい。リズムが挨拶し、シイナが手を振るのにヴァイスは笑顔を返した。
そうしてエルファに視線を向けたとき、衝突したかのような勢いで目があった。
「……えっと」
「それじゃあ、またカフェお邪魔しに行きますね?」
長いスカーフの尾が描く軌跡に目を取られつつ、ヴァイスはフリューデルを見送った。
余裕を見せつけるようなエルファの雰囲気は、それなりに年上であるヴァイスさえも少したじろぐほどである。
(うーん。やっぱりもやもやする……詮索したい、けどなぁ)
ヴァイスは営業スマイルの裏、そう画策していたのだった。