70話 群青の深淵
怒り任せに撃った大技は、瞬く間に辺りを焼き焦がし灰を舞わせた。体からありとあらゆる力が抜けていくような感覚に見舞われ、視界はぐらつき頭は掻き回された。
それでもあたしの心は変わらないままだ。
――許せない。コイツのことは、絶対に。
視界は徐々に憤怒に彩られていく。その視界を狭めると、そこに映る影は小さく悲鳴をあげた。
「けはっ、ごほっ。ほ、本当なんだって……っ!」
それのどこが本当なんだ、とあたしは吐き捨てる。コイツらの目的を思えば、きっと今言っていることは都合を良くするための嘘に違いない。
どうやら咄嗟に見切りを展開されたようで、こちらの技によってヤミラミにダメージが通った様子はない。見切りは連続では成功しにくいからと技を構えようにも、自分にそこまでの力が残っていない。唇を力の入らない歯で噛み締め、自身の無鉄砲さに悔いを覚える。
脳裏に浮かぶのはヘタレなチコリータ、頼れるジュプトル。そして色々と目が離せないリオル。
ヤミラミはあたしから逃げるために嘘をついているはずだ。なら、皆は――、
「――ラピス……ッ!! お前」
「アルト……?」
なぜ、あたしの目の前にいるのか。
「……なん、で」
ラピスは呆然とした様子でそう零す。いるはずがないと頑なに思い込み、いてほしいと一心に願った姿は、今確かに目の前にあった。
アルトの姿を見たヤミラミは後ずさり、燻る木に接しない程度にアルトたちと距離を取った。
「ほ、ほらな! 本当だっただろう!」
慌てふためきながらヤミラミはアルトを指差した。しかし、当のラピスはその話を耳に入れていない。
苦しげに咳き込むラピスを一瞥した後、アルトは改めてヤミラミに目をやった。正直ここにヤミラミがいることも驚きだったが、それも今は別の感情に上塗りされていた。
「ヤミラミ! お前がラピスを……ッ!!」
「違う! ソイツがボロボロなのは自分でやったことなんだ!」
「そんなわけないだろ! なんでラピスがそんなことする必要があるんだよ!?」
アルトは焦げ臭さにむせ返りそうになりながらそう答えた。そもそもなんでここに来たって、雷のような音と光の炸裂があったからである。それをアルトはヤミラミとの戦闘の痕跡だと考えていた。
「ふざけんな……ッ!」
「ああもう、どうして言う事を信じてくれないんだ!」
ヤミラミは嘆きながら頭を抱えた。真実を伝えても言葉を尽くしても相手は信じる気がない、これをどうしろと。
そうしている間にもアルトは戦闘態勢に入っていた。それを見るや否や、ヤミラミはもどかしさを盛大に叫び散らしたくなりながら足に力を込めた。
ラピスは戦力外と考えても、ここにはアルトとラスフィアがいる。リィとシュトラの存在も既に目に入れていた。
それを一人で捌けるか? 答えは否。そして、ヤミラミはそんな無謀に挑むつもりなど最初からない。
「なっ……おい待て!!」
今ここにいること自体の目的が彼女たちの捕獲であれば、息をひそめてラピスたちの後をつけてなどいない。最初から真正面に立ち戦っていた。
つまりそういうことだ。
「チッ、アイツ……!」
焦げた木の間を縫うようにして、ヤミラミは目にも留まらぬ早さで走り去る。それを追いかけようとしたアルトだったが、二歩走ったところでラピスが咳き込むのを聞いて足を止めた。
「…………」
アルトはヤミラミが消えていった闇夜を名残惜しげに睨んだ後、ラピスの方へと振り返った。彼女は苦しそうに肩で息をしていて、立つのもやっとなほどであろうことは容易にわかる。
今にも倒れこみそうなほど危なっかしい足取りで、ラピスはアルトの目の前へと立つ。
「お前、そんな傷だらけで動いたら――」
頬の電気袋も、黄色の体毛も。焦げ目がついていて痛々しくて、思わず目を逸らしそうになる。
けれどアルトは目を離せなかった。
「……無事で、よかったぁ……っ!!」
「ラピス……?」
らしくない勢いで飛びついてきたラピスのせいで、アルトは危うく後ろに倒れかけた。
それをどうにか押し留めると、アルトはスカーフに顔をうずめるラピスを見やる。
「ずっと、ずっと心配だった……ッ! 殺されてないかって、逃げ出せてるかって! ちゃんと、また、会えるか、って……ッ!!」
何度も処刑場に飛び込むことを考えた。
でも自分じゃ力不足なのはわかってる。ラスフィアのいう通りの、全員が処刑される未来を否定することができなかった。
後ろを振り返る度、戻っちゃだめだと自分に言い聞かせて、無理やり顔を前へと押し戻して。
「アンタも、リィもっ! あたしが……、あたしが守らなきゃいけなかった!」
ラスフィアに言った通り、ラピスにはこうなることは薄々わかっていた。だからこそ、一番側にいた自分がしっかりしなきゃいけなかった。
「未来になんて来なくてよかった、あたしが止めなきゃいけなかったのに……ッ!」
アルトもリィも、こんな世界で危機に瀕する必要なんてなかったのだ。
あと一瞬でも早く手を伸ばせば、助けられたかもしれない。あと一歩、彼らの近くに立っていたら守れたかもしれない。
「あたしが! ちゃんと、してなかったから……っ! アンタも、ラスも、リィも! 未来に来ることになって……ッ!!」
あのとき、ラスフィアの姿を見て安心した自分がいた。
……違うだろ。
どんなに強い味方がいても、どれほどの数の味方がいても。自分のやるべきことは変わらない。それを忘れて慢心していたのはラピス本人だった。
もし自分がメテオを止めていたら、アルトとリィを守れていたら。ラスフィアだって、こうして再び未来世界を駆けることなんてなかった。過去の世界でシュトラを待ちつつ、星の停止を食い止めるべく前へと進めていたはずだ。
自分の気の緩みが、皆の夢を、目的を、――命を危機にさらした。
「ごめん、ごめん……ッ! 全部、あたしが……っ」
零れた涙の数だけ、溢れてくる思いの丈。
頬はひどく濡れているのに、ラピスはそれを拭ったりしない。ただ感情に、後悔に身を任せていた。
ぶつけられる言葉の数々を、アルトは受け取ることなく浴びていた。
正直に述べると、よくわからなかったのだ。なぜラピスがそこまで守ることに確執しているのか、そこまで自分のせいだと責めているのか。
「わからねぇよ」
「……何、が」
「お前のことだよ、ラピス」
一歩分の間合いを取って、アルトは目を見開いた。
守ってくれようとしたことは素直に感謝できる。けどその先を言ったのは、ラピス自身への疑問だった。
「なんでお前がそこまでする必要があるんだよ。俺やリィ、ラスフィアが未来に来たことに、お前は何の関係があって」
前者はもう少し警戒しておけば、とか咄嗟に反撃できれば、とか。アルトやリィの判断不足はあるわけだ。そこに乱入してきたラスフィアだって、過去に残ろうと思えば残れた。
「だからなんで自分のせいだって泣くのかがわかんねぇんだよ。それに……」
アルトはそこで言葉を区切ると、ペンダントトップのあった位置に手を当てた。
それを見てラピスはようやく、アルトがペンダントを付けていないことに気が付いたようだが、口には出さずに次の句を待った。
「最初から謎なんだよ。サメハダ岩で倒れていた話とか、なんで俺らと一緒にいるのか、とか」
「……そんなの」
「ラスフィアと知り合いだったって言ってただろ? じゃあお前は、アイツが未来から来たことだって知ってたのかよ」
「当たり前。そうじゃなきゃ」
「そうならなんでずっと、俺とリィのところにいたんだよ!!」
ラピスはは、と息を呑んだ。スカーフを抱くように握りしめ、アルトから顔を背ける。
未だ木が焦げ行く音が消えぬ中、アルトは大きく息を吸い込んだ。灰が喉に絡みつき、不快感を与えてくるさえ気に留めず、アルトはラピスを睨んだ。
「そこまで知ってたら、なんでラスフィアと一緒に行動してねぇんだよ! 星の停止のことも知ってたんだろ!?」
「そう、だけど」
短期予定で入っていたラスフィアとは違い、ラピスは正式加入だった。だから簡単には抜けづらかったのかもしれない。
それでも星の停止と比べたら大した問題じゃない。それをせずになぜ、メロディの中に留まったのか。
「目立ちたがらなくて全然喋らないお前が、『アイツらは簡単に捕まらない』って言ったのも、ラスフィアたちの強さを信じてだろ」
「……そう、だけど」
意外だった。
ラピスがメテオの話の最中で発言するなんて思わなくて、幻聴かと耳を疑ったりもした。それはたぶんアルトだけじゃなくて、ラピスを知る皆が思ったことだろう。
「そこまで信じてて、なんでお前はギルドに――メロディに残ったんだよ!!」
「…………」
ラピスは答えない。俯いたまま、過熱するアルトの言葉に長い耳を揺らす。
「あんなの、今聞けば星の停止を引き起こそうとしてるようなものだろ。ならなんで、全部知ってたんだろ!?」
ラスフィアとは二人で会話することもあるほど仲が良くて、彼女が未来から来たことも知っていた。当然、星の停止の真実だって、原因だって。
ならラピスがギルドに残る道理はどこにある。
星の停止を迎えた未来を知ってなお、ギルドに協力する意義などどこにある。
頭が熱くなってくるのを感じながら、アルトは自身のスカーフを握る。口から流れ出る言葉に、頭が付いてきていなかった。
でもこれだけは今、ラピスに言わなきゃいけない、と。それだけは頭から訴えられていた。
「お前は、どっちの味方なんだよ――ラピスッ!!」
ラピスの瞳が揺れた。アルトの心は迷っていた。
倒木の向こうで事の推移を見守っていた3人さえもその息を呑んだ。アルトの言葉はそれほどまでに、心を揺らすものだった。
しばらく唖然としていたラピスだったが、やがて魂を取り戻したかのように表情を引き締めると、左手を前に突き出した。
「……何、でッ!」
「った!」
そこから走った電流は容赦なくアルトを弾いた。スフォルツァンドの反動が抜けきれない故に威力こそ高くはないが、ラピスの気持ちを表すには十分すぎた。
「なんで、そうなるの!」
「本気でわかんねぇんだよ! お前がどっちに協力してんのか、お前が何したいのか!」
「何が! あたしは星の停止を食い止める、それだけ!」
ラピスは地面に片手を突き、アルトを下から睨みつけた。まっすぐに天を指す耳には、細い電流がツタのように絡みついている。
アルトはそれを目線の高さに従って見下ろすと、自然の音の無い世界では余計すぎるほどに声を荒げた。
「だからそれを疑ってんだよ! お前がギルドに残る必要はなかっただろ!?」
「あった!」
「何がだよ!!」
「……なんでもいい、でしょッ!」
「よくねぇよ! あと今反応遅れたのなんだよ!!」
「うるさい……ッ!」
ラピスの左手に瞬く間に冷気が集まる。そこから放たれた冷凍ビームはアルトの利き手を凍らせた。
痛みとともに感覚が抜けていく氷技は本当に嫌いだった。アルトはそれに舌打ちをすると、反対の手をラピスに向けた。
「話を逸らすなよ! ……しんくうは!」
「……ッ!」
傷だらけのラピスに技を打ち込むのはさすがに気が引けたために弱めではあったが、それでも今のラピスには致命的だった。ラピスはしんくうはが直撃した右肩を押さえつつ、頬から電気を弾けさせる。
「答えろよラピス! なんでお前は――」
「――はい、そこまで」
アルトとラピスの間、そこに積もっていた灰が煙と化した。見ればその中心には紫を帯びた黒結晶、つまりメランクルスタロ。
まぁそれだけで犯人は容易く判明するわけで。アルトもラピスも、倒木の上に立つ彼女へと意識を向けた。
「ラスフィア」
「……ラス」
「二人とも熱くなりすぎない。気になるのはわかるけれど、あのヤミラミは逃がしちゃったわけでしょう? 私たちがここにいることだってすぐにメテオに伝わるはずよ」
自身の周りに浮かせた二本のメランクルスタロ。その切っ先をそれぞれへと向けながら、ラスフィアはトーンの落とされた声で告げる。
その目線が冷酷であることに気がつけば、彼女の感情の名前を察するのは簡単だった。
「いつ彼らと戦うことになるかわからないのに、ここで無駄遣いする体力なんてないはず。……わかるでしょう?」
迷いなき正論に、二人は口を噤んだままだ。
ラスフィアは俯く彼らを交互に見やると小さく嘆息する。そしてメランクルスタロを消滅させ、倒木からひらりと飛び降りた。
「あと……ラピスのことなら大丈夫、と。それは私が保証する。あなたが危惧するようなことはないわ」
ラスフィアはそこから一歩前へ進み出ると、まっすぐにアルトの顔を見据える。そこからはすでに怒りらしき感情は見えなかった。
アルトは右手を首の後ろにやると、言いづらそうに少し唸ってから話し始める。
「……お前の保証って信用していいのかよ?」
「それ本人に向かって言う? まぁ……少し前まであなたの敵だったのは事実だけれど」
「その前が仲間だったから余計にな!」
目を細めて口元に弧を描くラスフィア。ラピスはそれをちらりと見やると、重い体を引きずるようにしてリィたちのところへと向かい始めた。
といってもさすがに倒木を登る体力が無いためか、遠回りをして反対側へ行こうとしているが。
「それならそうと言ってくれれば、サイコキネシスでも使ってあげるのにね」
――素直じゃないんだから。
そう微笑んだラスフィアは、言葉通りにラピスの体を持ち上げて向こうへと渡す。一瞬睨みこそしたものの、すぐに大きな溜め息をついたラピスの心境はどんなものか。
満足げな顔をしたラスフィアが倒木に足をかけるのを見て、アルトもそれに続こうとする。
「そういえば……ラピスが前から私と知り合いっていうのは本当だから。さすがにああいう言われ方したら怒るわよ」
「そんなものなのか……。でも本当にアイツのこと全然わからねぇんだよな。お前なら少しは知ってるだろ」
「勝手に喋ったら私が怒られそう、ね。あの子自身が話したがらないことなのに」
そう苦笑すると、ラスフィアはひょいと飛び降りてリィとシュトラの前へと華麗に着地。それに続いてアルトも無事降り立つと、シュトラは溜め息とともに先へと進み始めた。
ラピスも頬を膨らませてその後を追うのを見て、リィはラスフィアとアルトの顔を見比べる。
「と、とりあえずついて行けばいいんだよ、ね……?」
「ええ。……あと、アルト」
ラスフィアはくるりと振り返ると、その顔に苦笑を浮かべながら、
「後で謝ってあげてね?」
――あの子、自分からは絶対に言わないから。
そう言われたアルトは、ラピスらしいなと思いつつ舌打ちを肯定の返事とした。