66話 封印レクイエム
そこは無造作に転がされた岩が点在し、無機質な空間が生み出されてた。その岩の間に生まれた道を歩いていたシュトラはおもむろに足を止めた。かと思うと後ろを振り返り、その光景に目を細めた。
「あの二匹は無事なんだろうか……」
ヤミラミに捕まっている、という想像が頭をよぎったため、シュトラはゆっくり首を振った。
大丈夫なはずだ、きっと逃げのびている。
自分にそう言い聞かせると、後ろへ向けていた足を前方向に戻す。
「自分の使命を優先させるのが先だ。……早く過去に戻ってラスと合流した方がいいな」
彼女が情報収集に徹しているのか、それとも時の歯車を集めてくれているのか。後者は彼女の分担ではないのだが、共にお尋ねものとして知られた以上そちらに精を出していても納得がいく。その担当のシュトラがここにいることもきっと承知の上だろうし。
もっともそのラスフィアというのも未来にいるため、シュトラの推論はすべて外れてはいるのだが。
「犠牲を払ってでもやりとげる。その誓いを忘れてはいない。……行こう」
「オイ、待テ!」
いつか交わした誓いを胸に踏み出した足は、一歩のみでその歩みを止めた。一瞬幻聴を疑うが、耳に確かに残る残響はその説を否定していた。
「誰だ!?」
「我ノ縄張リニ勝手ニ立チ入リ……ソノママ立チ去ロウトスルノカ!」
声はシュトラの問いに答えず、ただ自分の言い分のみを繋いでいく。
思いもよらぬ声の出現に、シュトラは岩の間ひとつさえ見落とさぬ勢いで視線を巡らせる。当然あのリオルやチコリータでもなければ、メテオやヤミラミとも似つかないものだ。
「我ガ眠リヲ妨ゲタノダ、ソレナリノ償イハシテモラウ!」
「どこにいる! 隠れていないで出てこい!!」
最早私怨もいいところだが、その相手の姿を未だ捉えられぬシュトラはそれどころではない。
前後左右、更には上下。それでもポケモンらしい影はどこにもない。あるとしたら足元にあるおぼろげな自分の影のみだ。
「隠レテイルダト?」
そのシュトラの狼狽ぶりを見て、見えない姿はおどけていない道化師のような声で語りかける。
「隠レテナドイナイ。我ハ――ココニイルッ!!」
しばらく思案に沈んで、いや、記憶の波を掻き分けていたようだった。
アルトは何かしらのリィの言葉を耳にして顔をあげた。いつしかダンジョンは抜けたようで周囲の様子も異なる場所へ出ていた。入り組んだとは程遠い一本道は、アルトが四人ほど並んで歩ける程の幅がある。
「ダンジョンを抜けた?」
「うん。早くシュトラに追いつけたらいいけど……」
どうだろうね、とリィは苦笑した。
走り、逃げ、休み、進む。無心で繰り返す中、二人の間の会話は徐々に消えていっていた。
といっても前のように不安だとか不信感とかからではなく、単なる疲労からなのでそのベクトルは違うのだが。だからこそ会話すること自体がどこか新鮮に思えたりもする。
一本道を歩いて行くと、やがて見晴らしのよい広間に出た。一見なんの変哲もない空間ではあるが、アルトとリィの目はとあるものに気付くや否やその一点のみに吸い寄せられた。
「な、なんだろう……ヤミラミじゃないよね……っ?」
「緑っぽく見えるからそれは無い……だ、ろ」
「自信無さげに言って欲しくない場面だよ……!?」
遠目にその物体を伺う二人は冷たい緊張感を覚える。
岩に囲まれつつも広さが確保された空間。その中心部にあるのは、緑と紫が重なっている謎の物体。
正直なところ、あれが何かわからない以上近づくのは勘弁願いたい。けれど道はそちら側にしか続いていないため、心を諦めと警戒で半分こしてそれに歩み寄る。
呼吸を最小限に抑え、砂一粒蹴らぬ足取りで。けれどそれも、物体の正体を知った瞬間に瓦解した。
緑色の何かにまとわりつく紫煙。その緑色の正体というのが、
「シュトラ……っ!?」
見間違いようが無い。それは倒れこんでいるシュトラだ、と。
背中を悪寒が駆け抜ける。 何かあったのは明白で、その脅威も生易しいものではないというのは想像に難くない。
「ね、ねぇシュトラ、大丈夫? どうして……」
「来るなッ!! 近くに敵がいる!」
苦しげな声に、リィは思わず伸ばした前足を止めた。一拍置いて内容を頭で復唱する。
「て、敵? そんなのどこに……」
辺りを見渡しても、人影らしきものは三人分、すなわちアルトとリィ、シュトラのものしかない。それ以外にあるものなんて地面と岩壁、あとは足元に転がる石くらいのものだろう。
何もないだろ、とアルトが石から目を逸らすのは失敗して。
「え、は……?」
石が動いた。比喩でもないし、風だって吹いていない。もちろん誰も触れていないはずの。
カタリ、コツン。寝返りをうつように自ら転がるけれど、やはり誰も触れていない。
「えっ、えええちょっと待ってよ……!!」
リィが涙目で距離を取るのを面白がるように、今度はカタカタと震え始める。彼女が悲鳴を上げるのは当然の帰結だった。
時間を経るごとに揺れは大きく激しくなっていく。それに従いぼんやりと煙のようなものも石から立ち上ったかと思うと、そこからくぐもった声が聞こえ始めた。
「ヒッヒッヒッ!!」
「きゃああああ無理ぃぃぃぃ!!」
「あっ、おい! ……って俺までシュトラ置いて逃げるのは違うよな」
「そこの心配は別にいいんだが……ソイツが敵だ!」
シュトラの言葉を聞き、アルトは戦闘態勢に入る。
ゆらめきながら笑い声をあげる紫煙など心霊現象としての模範解答とされていてもおかしくはない。ついにアルトたちから十歩ほど離れたところまで飛んでいってしまうリィも、このときばかりは咎めようがなかった。
けれども戦わざるを得ないのは明白だ。アルトは瞑目し気持ちを切り替えた。
「お前は…… 」
「我ノ事カ?」
ゆらめきはぴたりと止まり、そこから浮かび上がった双眼がアルトを捉える。ああ、と肯定の返事を返すと、その目は楽しげな弧を描いた。
「我ハミカルゲ。108個ノ魂ガ集マッテ生マレタ者ダ!!」
「そこまで教えてくれとは言ってねぇよ!」
ご丁寧でよろしい。色々言いたいことはあるものの、一番はそれだった。案外素直な性格のようだ。
アルトのツッコミを受けた煙ことミカルゲは、口角を吊り上げ笑い声を呼び出した。
「我ガ折角自己紹介シタノニ……何カ不満ナノカ?」
「いや不満とかじゃねぇよ! っていうかお前、なんていうか」
くいっと背伸びした、こちらを見下ろすような姿勢。それを見てある姿を思い浮かべたのは、アルトもリィも共通のようで。
「エルファみたいだ……」
「エルファっぽい……」
気楽なリズムの笑い声、更にはシイナのツッコミの幻聴が聞こえたところまで同じだったようだ。二人で顔を見合わせると、堪えきれずに小さく吹き出した。
当然そんな二人の内事情など知る由もないミカルゲとシュトラはそれぞれ不満そうな、後者は更に呆れたような顔になる。
「エルファ?」
「誰だよソイツ……」
「うちのギルドで一番変わってる奴……あーでも親方も?」
この話をギルドに持ち帰ったとき、アイツはどういう反応をするんだろう。
そう考えている時点で、アルトもリィも当初の状況を忘れていた。当然、このまま平和にお開きですなどとなるわけもなくて。
「――ッ! あぶね」
ミカルゲから伸びた影がアルトの足を薙ぎ払う。アルトはバランスを崩しかけるが、地面に手をつく程度で済んだ。
かがんだ姿勢のまま影の主を見やると、その主は眉を吊り上げて高らかに叫んだ。
「トニカク! 我ノ眠リヲ妨ゲル者ハ容赦セン!」
「そういえば敵だって言ってたな!」
「忘れてたのか……」
「……た、戦わなきゃだめ、だよね……?」
忘れていたのは事実なので何も答えられない。でもあのシュトラを負かすほどの実力、油断していたこの時間がいかに危険だったのかを今になって思い知った。
集中しろ、と。アルトは間合いを詰め、右手をミカルゲにかざす。
「しんくうは!」
「ソンナ攻撃ガ効クトデモ?」
「だよな……チッ」
避ける気を微塵も見せないままの直撃。それなのにそよ風を感じているような態度は、ミカルゲにほとんどダメージがいっていないことを示していた。
「ゴーストタイプ持ちほんとめんどくせぇな!!」
アルトは再び距離を取りながらそう吐き捨てる。粘ればダメージは与えられないこともないが、いかんせん効率が悪すぎる。
そのアルトと入れ替わるようにして、今度はリィが技を構える。
「マジカルリーフ!」
「不意打チ!」
「え、きゃっ!?」
突如リィの背後に現れたのは影でできた手。リィのマジカルリーフも当たってはいるが、不意打ちにより集中力を削がれたため大した威力は保てていないものだ。
「まねっこ――不意打ち!」
ミカルゲと同様、影の手で殴りかけにいく。ミカルゲはそれを反り返るようにして回避すると、歪めた口から笑い声をもらした。
「ヒヒッ! 怪シイ風!」
走ったときを例外とするならば、この未来で初めて実感した空気の流れ。どんよりとしていて重い空気が押し流されるように動き始めた。
感じる冷たさは、単に技の性質か、それともここが太陽の無い世界だからか。
両足と左手は全体重とともに地面に預け、右手は背筋の凍る強風から目を守るように目元に添える。
「やっぱり足りねぇよな、火力も技のバリエーションも」
そうしてミカルゲを睨みながらアルトはつぶやいた。
動きを封じるにしても、アルトやリィでは出せる手札が無いに等しい。それにメロディ内の火力順位はそれぞれ二位、三位となっている。
火力もあり多彩な技を扱う彼女にどれほど頼ってきたか。未来に来てからはそればかり思い知らされる。
「ラピス……ッ! なんでお前はいつも大事なときばっかりいねぇんだよ!!」
こう叫ぶことでちらりと顔を覗かせてくれたら、これほど都合のよい事の進みはないだろう。そんなことを考える暇さえないのだけれど。
第一回北の砂漠探索はまぁいいだろう。あれはラピスが居てくれたら多少涼を得る術があったというくらいで。
問題は水晶の洞窟、そしてこの未来世界。
特に前者はラピス自身の意図、すなわちおよそラスフィアと対峙したくないなどという理由での不在だ。それも、彼女らが元々つながっていたと考えると納得できるのだが。
はっきり言って間が悪すぎる。ラスフィアにしろこのミカルゲにしろ強敵にあたるのだ。
(やっぱりあの方法を試すか……?)
頭の中には、道中ゴーストタイプ戦をやり流しながら思いついた戦法がある。正直上手くいく確率なんて無いに等しいけれど、対メテオの予行演習と思えばここで失敗しておいた方がまだマシだ。
そこまで考えが行き着くと同時に風が止んだ。アルトは呼吸を整え、やってみなくちゃわからない、と意を決してリィに耳打ちする。
「悪ぃ、ちょっと時間稼ぎお願いしてもいいか?」
「えっと……少しくらいならできる、かな……。何か思いついたの?」
ちらちらとミカルゲの動向を確認しつつ、リィは曖昧な答えを返す。
「たぶん上手くいかない方法なら、な!」
「自信ありげに言わないで……っ!?」
頼んだ、と言い残し、アルトは一旦フィールドから距離を置く。そこから背を向けないようにするのは、万一の流れ弾の危険も考えてだ。
「うぅ、ちゃんと出来るかな……」
二つの意味での恐怖に震える足を叱咤して、リィはどうにかミカルゲを見据える。正直瞳は潤んでいるし、喉も乾いてきている。稼げる時間などあったら褒めて欲しいレベルだ。
「早く戻ってきてね、アルト。毒の粉……っ」
「怪シイ風ッ!」
撒き散らした粉は易々と風にあおられてリィを標的に定める。
それなのに風に耐えることを第一に考えてしまったのはリィの判断ミスだ。背筋を駆け上がる悪寒とともに、頭が掻き乱されるような気持ち悪さが襲い来る。
「ヒヒヒッ! オ前一人程度敵ニモナラナイ!」
「そ、それは……わかっている、よ」
ぐらぐらと揺れる視界の中で、ミカルゲは高らかに笑い声を上げていた。
あまり突かれたくないところを突かれたリィは唇を噛みしめる。自分が弱いことの自覚はずっとあるけれど、改めて言われると心が抉られるのだ。
「とにかく少しでも時間、を……は、葉っぱカッターっ!」
「ダカラ効カヌト! ヒヒッ、怪シイ風!」
「う、やっぱりそうくるよね……」
リィの示した軌道からことごとく逸らしていく風はあまりに厄介すぎる。相手の弾切れを狙うのも悪くはないが、こちらが耐え切れる自信がない。
おまけに風の強さも最初より上がっている気がする。それはリィの体力が少なくなってきているためだけではなさそうで。
「やっ、やっぱり無理ぃ……っ!」
そう叫んだ悲痛な声に、別の音が重なった。
場違いにもほどがあるその音は、戦いへの注意力を散らして視線を発生源に集める。
「お前のやり方、俺も試してみるよ――ラピス!」
凛と輝く黄金色、ちょっぴり不敵に弧を描く口元。
そこから紡ぎ出されたのは――あの夕焼け空の下で奏でた旋律だった。