63話 時空の揺らめき
外に出たと実感するのに使った五感は視覚くらいだろう。明らかにダンジョンではない風景を見て、二人は体を縛り付けるような緊張感を解いた。
少しはヤミラミと距離が取れたことを願いつつ、リィはとあるものに目を留めた。
「あれ何だろう……暗くてよく見えないけど」
とは言っても道は前と後ろにしか続いていないため、半強制的にその物体を確認するはめになるのだが。
慎重にそれに近づいて見ると、その正体はすぐにわかった。
「滝みたいだな……。それなのに水が流れていない、って」
定義に反していることを自覚しつつも、アルトは滝でない滝をじっと観察した。
その水は動くこともなければ光ることもない。まるで石にでもされたかのごとく、飛沫一つとして動き出しはしない。
時間を一瞬だけ切り取って貼り付けたとでも言うのが正しいか、流れの無さはそんな不自然ささえ生み出している。
ふと、アルトの中で以前行った滝壺の洞窟が想起される。あれに比べたら随分と小規模なものだが、水の勢いは劣らなかったのだろう。止まりつつも伝わる躍動感はそう語りかけた。
「星の停止が起こったっていうのは本当なんだな」
「うん……。どこもこんな感じ、なのかな」
リィは滝から逸らした目にほんのりと涙を浮かべた。いざ目の前にした寂しさ、辛さ。それらが一気にリィへと降りかかっていた。
「なんでメテオさんは私たちを未来へ連れ込んだんだろう……。私も尊敬していた、の。それなのに」
今にも泣きそうな声を聞き、アルトはすっと目を閉じた。
ギルドの皆から彼へと向けられる尊敬の念。リィこそ最初はあまり知らない相手ではあった。それでも皆の話から浮かぶ人物像にエレキ平原での出来事、時空の叫びについて教えてくれたこと……それらは彼女の中に絶対的な信頼さえも呼び起こしていた。それは彼女自身も口にしていたし、アルト自身も勘付いていた。
「何を、誰を信じたらいいのかわからないよ……。せめて本当のことを知る手がかりくらいあったらいいのにね」
そう沈んでいたリィの声だが、不意にあれっと言葉を漏らした。どうしたのかとアルトが聞くと、リィは魂が舞い戻ってきたかのような元気さとともに答える。
「手がかりならあるよ! 時空の叫びを使えばもしかしたら……!」
「そっか、これなら見えることは全部信じられる……はず、だから」
信じられる、と口にした瞬間に湧いた懐疑は語調を下げた。けれどもリィの案は価値がありそうだとアルトは思った。損はないだろうし、それなら何もしないよりはずっと良い選択だ。
アルトは流れない滝にあと一歩のところまで近づく。どうかお願いします、とそんな想いを込めて、呼吸を整え。そっと滝に手を伸ばした。
「……どう、かな。何か見えた?」
この間に十は数えられたか。それくらいの間をおいて発せられたリィの声はきちんとアルトの耳にも届いた。意識ははっきりとしているし、脳裏にも耳にもそれ以外の新しい情報は刻まれていなかったのだ。
「いや、全然。……悪ぃ」
「う、ううん。大丈夫なの、私こそ無理言っちゃったから」
アルトは滝から手を離し、奪われた温度をもう片方の手で温める。意外と冷たかったのは、単に流れていた水がそうだったのか、はたまた星が停止した中で新たな温度を与えられなくなったからか。
「チッ、これも狙ったタイミングで起こせたらいいのにな」
そもそも時空の叫びというのも気まぐれで、思ってもいないタイミングで起こるのが常だった。水晶の洞窟へ向かうときは良いタイミングであったが、その後のラスフィア戦では大きな隙になってしまったり。
それでも頼りにはしていた。だからこそ、アルトの中には道が閉ざされたような失望感がふわりと巻き上がる。
「まぁでも、嫌なもの見ちゃうよりは良かったから……。ごめんね」
「こっちこそ、何も手がかり見つけられなかったから」
リィは無理やり口角を持ち上げると、ツルで道の先を示した。
「そろそろ行こっか。この先もダンジョン、かもしれないね」
「そう言われると絶対そうな気がしてくるんだが……!」
「うぅ……まぁダンジョン化も時間の歪みが影響してるし、こんな状況なら結構広がってはいそうだよね」
初めての依頼だかなんだかでそんなことを聞いた気がしないこともないような、アルトは不思議な気持ちに駆られた。あの時は初めてのことばかりで、時間の歪みについてちゃんと覚える暇もなかったのだ。
しばらく進んでいくと、一匹のポケモンと目があった。そのポケモンことムウマは音も立てずに浮かび上がると、目を怪しげに光らせる。
そこから生み出された虹色の光線をどうにかして避けると、リィははっぱカッターで反撃。その隙にアルトもまねっこで体力を削りに行く。
「チッ、まねっこしか使えねぇ!」
「ゴーストタイプなら草タイプでも戦えるから……が、頑張るね」
さっきはアルトが戦ってくれてたから今度は、とリィは自身を鼓舞する。不規則に踊るムウマにマジカルリーフを見事命中させると、相手の戦意を奪うことに成功した。
よかったと胸をなでおろす暇もなく、今度は背後からの“不意打ち”。リィは小さく悲鳴をあげつつ振り返ると、壁から覗く大きな目と視線があった。
「きゃああ!?」
足がすくむリィを見てその目は笑った。そうかと思うと目はするりと壁を抜け出してポケモンの形を取った。
大きな目の付いた夜色のコア、それにまとわりつく紫の霧。ゴース、という種族名が導き出される。
「壁に潜れるのかよ……っ!」
そう言いながらアルトは先ほどのゴースの技、不意打ちを真似て叩きに行く。
ダンジョンのレベルの高さもさることながら、自分たちとの相性の悪さがかなり侮れない。ゴーストタイプと戦いながら、アルトはとにかく早く抜けたいと歯を食いしばった。
ランプの中の炎は不可思議に揺れながら部屋を照らしていた。月明かりの弱い夜、それだけでもだいぶん強い光には感じられる。
エルファは机で腕枕をするようにして、その揺らめきを見つめていた。ランプの下には文字ひとつない一切れの紙と羽飾りのついたペン。それらを手に取ることなく気だるげに伏せたエルファの後ろで、シイナは欠伸をしながら寝転んだ。
「ふわぁ……うちは眠いからそろそろ寝るね」
「うん〜、おやすみシイちゃん」
二人の平和なやりとりを聞き、エルファはそっとランプの炎を吹き消した。途端に互いの姿が見えないほどに暗くなる。
「思ってたより暗いんだねぇ」
「あっ、ごめんリズム。もう少し点けてた方がよかった?」
「僕もすぐ寝るから平気だよ〜。……メロディ大丈夫かなぁ」
リズムの寂しげな声に、エルファはそっと窓の方へと視線を逸らした。その向こうに広がる空は雲ばかりで、星も月もすべてを覆い隠している。
「あれさー、なんか今日のことっていうか、現実にあったことっていう実感が湧かないんだよね」
あの召集、つまりはメロディが行方をくらませてからのトレジャータウンは慌ただしかった。その中でもギルドは特に顕著で、チャトだけでなくマルス直々に色々と動き回っていたくらいだ。
まぁ彼は彼で普段仕事はしているのだが、フリューデルたちがその姿を見ることなどあまりないが故にこう感じてしまう部分もある。
(とにかくアイツらが無事ならそれでいいんだけどさ?)
ラスフィアとマリーネオの攻防の中、ふと横に向けた視線。そこで考えていたのは“ラピス”は何者なのか、だった。
彼女は無愛想かつ人見知り。アルトやリィを挟んでなら話したことはあるけれど、およそ黙っているのでさして話したという実感は湧かない。
そんなラピスがチームメンバー以外で話しに行く相手、それがラスフィアだった。
(ラピスから話しにいくのなんてあの二人とラスフィアくらいだった、と思う)
前にちらりと、ラピスとラスフィアは前から仲がよかったと聞いた。現にギルドにいるときも、二人一緒にいる場面は何度か見た。
しかし水晶の洞窟から帰ってきたアルトの不自然ともとれる言動。
<ラスフィアと会ったときだよ! お前あのときどこへ――>
でもエルファが水晶の湖に辿り着いたとき、ラピスの姿はあれどラスフィアの姿はなかった。
ならラピスとラスフィアはそこで会っていないのだろうか。そもそもラピスはどうしてそんな不可思議な行動をとったのか? エルファの疑問はとどまることなく溢れ続ける。
(ラピスもラスフィア側かとも邪推したけど、こう考えると違う気もしてくるし。……あーあ、わからないことだらけじゃん? 結局メテオさんも怪しい感じだよね)
エルファの嘆息により窓が一瞬だけ曇る。それが消えていくのを見ながら、エルファはぽつりと声を出した。
「……ねぇリズム、シイナ。まだ起きてる?」
「僕はまだ起きてるよ〜。シイちゃんは……あはは、もう寝ちゃったみたい。この前アルトたちとそんな話もしてたんだよねぇ」
振り返ると、暗さに慣れてきた目はリズムの輪郭をぼんやりと映した。確かにシイナは寝息を立てていてこちらの会話を聞いている風には見えない。
エルファは窓辺にもたれかかると、リズムの影にまっすぐな視線を向けた。
「リズムはさ、もしメテオさんが実は敵側で、ラスフィアがやっぱり味方だったって言ったらどうする?」
「うん〜? でもラスフィアは時の歯車集めていたの認めていたよねぇ?」
「まぁそうなんだけどさ。それ関係無しに考えてどう思う?」
無表情のまま淡々と紡いでいくエルファ。今の彼自身は正直両方敵側だと踏んでいるのだが、ひとまずはそれを隠して話す。
リズムはしばらくの間を置いてから、質問の答えとは違うけどと前置きして語り始める。
「僕なら信じられない、かなぁ。びっくりするっていうよりは、どれが本当なのかわからなくなりそうなんだよねぇ。だからどうするかは……うーん、わからないや」
「……ま、それが普通だよねー」
仲間だと思っていたらそうじゃないし、不明瞭なところが多すぎるし。この状況の中で誰が前を行き誰が裏を進むのか、いちいち考えていたら他人を信じられなくなりそうだ。
「んん〜、じゃあエルくんは〜?」
「えっ俺?」
ぼうっとしていたエルファは、リズムの投げかけの示すことがわからずにきょとんとする。
「うん。さっきの質問、エルくんならどうするのかなぁって」
エルファは口元を片手で覆うようにして考え始める。我ながら答えづらい質問だったと後悔しつつも、慎重に言葉を繋ぎ答えていく。
「まぁ敵側っていうならそれは信じるし、戦う必要があれば戦うつもりだよ。それが世界を守ることに繋がるなら尚更ね」
「あはは、いきなり壮大だねぇ」
「一応は星の停止が賭けられてるからさ?」
それだけ言うと、エルファはすっと目を細めた。
星の停止、その言葉からとある顔が想起される。エルファはその顔に苦々しい反応を示すと、振り払うかのように思考回路を切り替えていく。
今日はここまで誰にも話してこなかった。エルファも正直信じ難かったから。けれどこれは紛れもない事実だと自身の目が語るから、一応リズムくらいには相談しておこうか。そんな意図で重い口を開く。
「実はさ、俺はメテオさんがアルトたちを狙ってた的なこともあると思うんだよね」
「……どういうこと?」
リズムの声色はくるりと変化する。間延びした口調も少し息をひそめるくらいには。
エルファは見たことをそのまま伝えながら、ちまちまと考察を組み上げていく。頭には相も変わらずとある知り合いの顔。
(アンタが時空の叫びの使い手を探しているように、メテオさんもその使い手であるアルトを……? ううん、リィも連れ込まれていたから時空の叫びは関係ない? そもそも時空の叫びってアンタたちが狙うようなものなの?)
――わからない、誰一人として。
一行に解決しないどころか、考えるほどに混迷を深めていく難題。エルファは頭を抱えながら、アルトたちが無事に戻ってくることを願った。