59話 無慈悲な執行
そこにひとさじの光を落としたとしよう。このとき、それを目視できる限界はどれほど遠くにあるのだろうか。
屋内らしき場所には、闇に埋もれながら数多のひび割れや瓦礫が散乱している。それらを見切ったように避け、一匹のポケモンはそこの最奥へと向かっていた。
最奥部には世界一精巧に作られた黒色が無造作に塗られている。ポケモンはそこの手前で足を止めると、音を立てずにひざまずいた。
「……ディアルガ様、お待たせいたしました。少し苦労はしましたがようやく捕らえることができました」
「グルルル……」
そのポケモン――メテオの声に反応するように、暗闇は唸り声を上げた。重く揺れる空気とともに、声の発生源からは赤い二つの光が鈍く光る。
「……十分に心得ております。歴史を変えようとする者は消すのみ。すぐに排除いたします」
その赤い光に目を合わせ、メテオは低い声で告げていく。けれどもそれは明瞭な響きを持っていて、淀みなく紡がれていた。
「グルルルル……」
「わかりました、必ず……。では」
光はその姿を闇に溶かす。完全に赤色が消えたのを見ると、メテオもまた踵を返した。
その建物の内部は既に無音となっている。そんな音も光もない空間を、メテオは一人後にしようとしていた。
「ぇ……ルト! ……ってば……」
ぼんやりとした意識の中、かすかに声が聞こえていた。途切れ途切れのそれを、アルトは鈍い痛みのする頭の中で繋ぎ合わせる。
「アルト、起きてっ!」
「……っ!」
それが繋がったからか、はたまた意識が完全に覚醒したからか。名前を呼ばれたと知るや否や、アルトは勢いよく体を起こした。危うく声の主と頭をぶつけかけるが、そこは相手が上手く避けてくれたおかげで防がれる。
「よかったぁ、気が付いたよ……」
その相手ことリィは、アルトの顔を見るとほっと安堵の息をついた。彼女のへにゃりと気の抜けた笑みは、薄暗い中なのでよく見えないけれども。
「なんか最初に会ったときみたいなこと言うな……」
「最初かぁ……あははっ、懐かしいね。あのときのアルトひどかったよね、突然なぐってくるんだもん」
リィは小さな頬をほんの少しだけ膨らませる。
「それはお前が盗られたくせに全然動かねぇからだろ!」
「うぅ……その節はお世話になりました……」
「まぁアイツらが弱くてよかったよな、取り返すのも簡単だったから」
そんなやりとりに郷愁を覚えている間に、アルトの目は暗さに慣れてきた。
足元やリィの後ろにあるのはごつごつとした冷たい岩肌。上、後ろ。さらに四囲を見渡していっても同じようなものばかりが目に入る。けれどもある一点だけは違うものがそびえていて。
「鉄格子……?」
アルトの目はその縦縞模様に吸い寄せられた。なぜそんなものが、という疑問に誘われるようにそれに近づいていく。そして錆びついた鉄格子の持つ弾くような冷たさに、アルトは伸ばした腕をそっと引っ込めた。
少し眺めたりいじったりしてみても、鉄格子は涼しい顔のままである。
「やっぱり開きそうにない、よね……っ? なんで私たちこんな、牢屋みたいなところに閉じ込められているんだろう……」
そう呟く声は震えていた。アルトは鉄格子を背にするように振り返る。暗さに慣れた目は、リィの力なくうなだれた葉を捉えた。
アルトは早くなっていた呼吸をなだめるようにゆっくりと息を吸い、ルビーに手を当てた。それをきゅっと握りしめると不安感は少しだけ和らいだ、ような気がした。
「……俺ら、何もしてねぇよな」
「うん。牢屋に入れられるようなことなんて一つも思い浮かばないの。ラピスもいないし……。本当にどうなっているんだろう……?」
リィの言葉にはっとして、アルトは再び牢屋全体を見渡す。ギルドの部屋ほどの広さではあるが、確かにこの二人以外の人影はなさそうだ。
目を覚ましたらここにいた。ならば覚ます前は何をしていた? 残っている中で新しそうな記憶を順に引っ張り出してみる。
まずシュトラが捕まった。そして広場に召集がかけられて、そこでシュトラは時空ホールに消えた。
「そしたらラスフィアが現れたんだよね?」
「ああ、気付いたらそこにいたんだ。あのヒメグマが変身してたみたいに」
あの一瞬で塗り替えられた空間はそんな錯覚さえ呼び起こした。変化の玉というものも、目にしたことはあれど使ったことはなかった。故に咄嗟にそこに結びついたヴァイスは素直にすごいと二人は思う。
「それでマリーネオがラスフィアと話して……そしたら後ろに引っ張られたんだよ、ね。あれメテオさんだったように見えたんだけど……」
「俺も。で、たぶん時空ホールに吸い込まれて……ってことは、もしかしてここは――」
二人は俯いていた顔を即座に上げる。
「「未来世界っ!?」」
見合わせた顔はお互いに青ざめていた。
確かに何かに吸い込まれた。広場の後方で繰り広げられていた攻防を眺めていた、そんな自分たちに対しての背後。そこにあったのは紛れもなく時空ホールだった、はずだ。
「ど、どうしよう……っ!? 本当に未来ならっ、そんな、どうやって帰ればいいの……!?」
過呼吸になりそうなほどの焦りが二人を支配する。タイムスリップの方法など当然知らないし、そもそもこの牢屋を出ないことには話は始まらない。
策を巡らそうとしても、頭は空回りを繰り返すだけであった。冷や汗が全身から出るのが体温でわかった。
パニック状態の頭に、突如ガチャリと重たい音が響いた。はっとして振り返ったアルトの手は、何かに強く掴まれる。
「起きていたか、お前たち」
「ッ! 離せっ、て!」
「あ、アルトっ!」
後ろ手に縛ったときのように手首は両方合わせて強く握られていた。引き抜こうとしても、その力は緩むことなくアルトの手首を掴み続けている。
「ヤミラミ……っ!?」
辛うじて振り返ると、アルトの目に映ったのは数匹のヤミラミ。目と腹にある宝石が怪しげに光っている。
「ちょうどいい。手っ取り早くやるからついて来い」
そう言ってヤミラミが取り出したのは黒い布。何をと思うのも束の間で、そのまま視界は布で塞がれる。
「きゃ、何っ!? なんでこんなこと……っ」
「うるさいぞ。早く歩け」
どうやらリィも同様に目隠しをされているようだ。アルトもヤミラミ達に押されるようにしながら前へと進み始めた。何度か足掻いてはみるものの、手を掴む力が強すぎてうまく抵抗できない。
(何が起こってるんだよ……ッ!)
時折聞こえるリィの声のみが、引き離されていないという安心感をもたらす。ただ、それで連行されているという不安を打ち消しきれるわけもなく。
歩かされている状態であるが故、何度か足がつっかえる。その度にヤミラミに強く押されるのに反論しているうちに、彼らは足を止めた。
「着いたぞ」
「着いた、って……」
アルトがそう言いかけると、何か冷たい物に勢いよく背中をぶつけられる。もちろん自分の意思でやったわけではなく。その温度に全身が強張るのを感じる……いや、正確にはそれは温度だけによるものではなかった。
「なっ……!?」
瞬く間に身体から自由という自由が奪われていく。それが縄で縛られているからだと気付いたのは、腹を中心とした胴体の半分ほどが動けなくなったとき。
ぎりぎりとした束縛感に眉をひそめていると、アルトの目隠しが外された。それでもなお情報量の少ない視界から、必死にリィの姿を探す。
「リィ……!」
「あ、アルト? ってあっ、目隠しが外され……っ!」
その声の方向へ首を捻ると、薄暗い中ではあるが辛うじてリィの顔が確認できた。リィは笑顔を作ってみせるけれど暗さは拭いきれていない。当然だ、彼女もまた柱に縛り付けられている状態なのだから。
「とりあえず怪我はなさそうでよかったよ」
「――フン、これからどうなるのかもわかっていないくせに随分と呑気なんだな」
「あ?」
皮肉めいた言葉にアルトは目つきを鋭くして振り向く。リィと反対の方向には同じような柱、そしてそこに縛り付けられている姿があった。
「シュトラ! なんでお前が……ッ!」
頭から伸びる細くすらりとした葉っぱや水浅葱の体。紛れもなく、アルトたちがここへ来る少し前に時空ホールへ投げ込まれていたシュトラであった。
アルトがここは本当に未来なのだと改めて実感している中、シュトラは冷静に続ける。
「そんなこと今はどうだっていいだろう。それよりもお前たちはここがどこだか知っているのか?」
「し、知らないけど……シュトラは知っているの?」
リィの震え掠れた声は聞き取りづらかったかもしれないが、シュトラはきちんと受け取っていたようだ。冷ややかにアルトとリィを見据えながらはっきりと告げる。
「ここは……処刑場だ」
「処刑場っ!?」
「ええっ!? う、嘘だよね……っ!?」
頭が白く塗りつぶされる。その言葉が聞き間違いだと何回も疑う、何回も別の言葉への置き換えを画策する。けれどもシュトラは確かにそう、“処刑場”と言ったことを、アルトもリィも理解していた。
「ま、待ってよ! シュトラが処刑されるのはまぁ……時の歯車を盗んでいたわけだし……。でも、でもなんで私たちまでっ!?」
「フン、そんなの俺の知ったところか。どうせロクでもないことでもしたんじゃないのか?」
「してねぇよ! お前なんかと一瞬にするな!」
そう反論するアルトの声は途中で裏返った。身に覚えはなくても何かやらかしていたのでは? この状況を鑑みたときに、そんな疑念が浮かんでしまったから。
アルトは顔を伏せた。彼の視界には自身を縛り付ける縄が何重にも覗いている。
(わかんねぇよ、何もしてないはず、なのに)
――ラピス、どうしたらいいんだよ。
彼女への救援信号は無意識のうちに声に出ていた。それを聞いたリィはふっと顔を背ける。
ラピスはアルトたちが時空ホールへ落ちる直前、こちらに走っていくような姿を見せていた。彼女が今過去と未来のどちらにいるのかさえもわからないけれど、この場にいないことだけは確かだ。
この後自分たちは処刑されるだろう。そしたらラピスは? そして過去にいるであろうフリューデルは、リサウンドは、ギルドや街のみんなは。
乾いた喉がひゅうと音を立てる中で、恐怖により全身から力が抜けていく。
アルトがそんな感情に支配されている中、シュトラはほらと顎で視線を促した。
「そんなこと言っている間にお出ましだ」
「な、何が……?」
シュトラに促されるまま、アルトとリィは顔をあげて正面を見る。そこにあった出入り口からはヤミラミが次々と場に入ってきた。その数計六匹。
「ねぇ、なんなの? あのヤミラミたちは……」
「奴らは処刑の執行人。そして……メテオの手下だ」
「め、メテオさんのっ!? て、手下……えっ?」
シュトラの言葉に、二人の頭はさらに混迷を深める。なぜメテオの名前が出てくるのか、と。
けれどその思考はすぐに中断された。なぜならヤミラミたちに続くようにそのヨノワール――メテオも姿を現したから。
さすがに目が慣れてきた今となって、その姿に目を疑うことなどできもしない。疑っても目は真実を突きつけてくるのだから。
「ね、ねぇメテオさん! 一体どういうことなのっ、なんで私たち……」
「メテオ様、三匹を柱に縛り上げました」
「よろしい」
リィの声は問題なく彼の元へ届いているはずだ。しかしそれに一切の耳を貸さず、メテオはヤミラミたちの顔を見渡した。彼の顔に申し訳なさなど微塵も映っていないことは明らかであった。
「それではこれより三匹の処刑を執行する。執行人は直ちに準備せよ」
「「「ウィィィーーーッ!!」」」
ヤミラミたちは声を揃えたかと思うと、何やら動き始める。メテオの言葉から処刑準備だとは思うが、それが具体的にどういったものなのかはアルトたちからは見えない。
「ねぇメテオさんってば! リィだよ、メロディだよっ!?」
心に届きもしない声を、リィは必死の思いで投げかける。パニック状態の頭にただ一言、間違いだったと言ってほしいから。
無慈悲なほどに冷酷なメテオの声。そこにリィの思い描く彼のイメージ像が重なることはなかった。