57話 相反する声と心と
それは、トレジャータウン一帯――いやこの大陸を震撼させるに値する知らせであった。
相次ぐ時の歯車消失事件、止まりゆく時間。その光景を見た者は言う。「あんな寂しい世界は見たくない」と。
失われること計四つ、守ること一つ。いざ犯人との決着を、そう動き出してから二回目の日の出を迎えていた。さぁ朝が来た、僕たちは僕たちの役目を果たそうか。そう意気込む者たちを取り囲む耳うるさいサイレン音。
思わず耳を塞いだ彼らにも、それに続く報告はしっかりと届いていた。
「コノ度――ツイニ! 大盗賊シュトラヲ逮捕致シマシタ!!」
今日の喧騒は押しつぶされそうなくらい。さらに詳しく言うのならば、会話をしようとしたのに諦めて口を閉じてしまうほどのものであった。それでもなお話そうとする者たちの声は一段、また一段と大きくなり、その度に耳が圧迫されていく。
早めに来ていたメロディは、トレジャータウン広場の人混みの最前列に位置していた。次々とポケモンが集まってくるものだから、ラピスに至っては耳を折りたたむようにして縮こまっていた。
「あれなんだろうね……」
「……なんか不気味だよな」
そんな彼らの視線を釘付けにするのは、広場の前方にぽっかりと空いた穴。いや、これを穴と形容しても良いものか。禍々しい渦のようなものが、保安官たちに守られるように佇んでいた。
昨日まではなかったはずのそれが放つ異様な存在感、煽ってくる不安感は並大抵のレベルではない。
ポケモンの波を掻き分けるようにしながら、リズムはとことこと前へ進み出てその渦に近づいた。保安官越しに観察しつつ、彼はにっこりと問いかける。
「これはなぁに? ふふ〜、まさかシュトラじゃないよねぇ〜」
「コレハ“時空ホール”デス。ココニ入ッタラ最後、未来ヘ飛バサレテシマウノデス!」
ビビッとサイレンを鳴らすジバコイルに、リズムはそっかぁと相槌をうった。その表情は心なしかしょんぼりとしている。およそ、未来へ行ってみたかったという好奇心が折られしおれたからだろう。
それでも時空ホールと呼ばれた渦への興味は失せていないようだ。エルファ達のもとへ戻りつつも、その視線を幾度となく時空ホールへ向けていた。
そんなリズムをよそに、アルトはきょろきょろと辺りを見渡した。周りにはカクレオンやヒメグマなど、しばしば会うポケモンが多々見受けられる。
現在、広場に時空ホールこそあれど、肝心のメテオやシュトラはいない。どこにいるのかという答えを探すつもりであったのだが、それよりも先に気になる姿が目に入った。喧騒の中、アルトは思わずその名を呼ぶ。
「アグノム、ユクシー、エムリット!」
自分の予想に反する大きな声となったが、それは本人たちに届いたので気にしないこととする。エムリットはぎゅいっと飛ぶ速度をあげ、アルトの目の前に到達した途端身軽に宙返りをした。
「エムリット……! 作戦成功したみたいでよかったよ!」
にぱっと微笑むリィに、エムリットは堂々と胸をはった。三人とも特に怪我したようすもなく元気そうである。
「ふふん、当然よ!」
「さすがメテオさんだよ、完璧だった。……盗まれた時の歯車もこの通り、ちゃんと取り戻したんだ」
そう言うアグノムの手には、いびつな形の革袋がぶら下げられていた。セカイイチほどの大きさのその中に四つの歯車が詰まっている。そう考えるとどこか不思議な気持ちになる。
「これは僕たちがちゃんと元の場所に戻しておくよ」
「うん、ありがとうアグノム!」
アルト達が革袋をまじまじと眺めていると、広場の歓声が一段と高鳴った。アルトは思わず耳を塞ぎ、リィは呻くような声とともに眉をひそめ、ラピスは丸くなって。
歓声の端々から聞こえる単語を汲み取ると、状況はどうにか掴み取れた。それを基に、観衆の視線と自身の目線を平行にしてアルトもそちらを見やる。
「メテオさんだー!!」
「うおー! ありがとうメテオさん!!」
ファンさながらの歓声に愛想良く笑いかけながら彼は登場した。メテオの後ろには二匹のヤミラミ、そしてその二匹に挟まれるように歩いているシュトラ。彼らは時空ホールの前まで来ると、そこで足を止めた。
シュトラは手や体、更には口までを縄で縛られており、見ていて痛々しい。リィは俯き、さっと顔を背けた。
「あれがシュトラだな……」
「ケッ、いかにも凶悪そうなヤツだぜ」
「アイツのせいで世界が滅ぶところだったんだから。ほんっといい迷惑よ」
歓声はいつの間にやらシュトラへの批難に変化していた。先ほど熱かった視線は、合わせたくもないような冷たさになり。矢継ぎ早に各所から繰り出される針の雨は、聞いていてあまり心地よいものではない。
それでも彼のせいでこんな事件が起こったのは事実であり、彼に対する思いは共通なのだろう。便乗していく者も少なくはなかった。
「……なんか、シュトラが悪いポケモンっていうのはわかっているんだけど、この雰囲気は……」
ぽつりとリィがこぼしたのを拾ったアルトは、反射的に彼女の表情を伺った。まるで自分が言葉の針に刺されているような顔だ。その気持ちはアルトにもあって、飛び交う言葉に胸がチクリと痛んだ。
そんな二人をよそに、メテオは一つ、大きな音とともに手を叩いた。
「さあみなさん! この度ついにこの大盗賊、シュトラを捕獲することができました!」
両手を広げて述べられる言葉に、広場一帯から轟々と声が湧き上がった。シュトラはそんなメテオに何か言いたげだが、なにぶん口を縛られており言葉にはなっていなかった。
歓声の轟く中、一匹のポケモンが胸に手を当て深呼吸をした。息を吐き終わり、もう一度大きく吸い込んで。人混みの一番後ろから声を張り上げた。
「あ、あのっ! メテオさんっ!!」
「……どうかしましたか?」
たぶん自分が聞かずとも、この話はいずれ言ってくれる。そうはわかっていても、マリーネオの一刻も早く確認したい気持ちは抑えきれなかった。
「ラスフィアさんは……ラスフィアさんは共犯じゃなかった、ってことですかっ!?」
まっすぐにその目を見据えて。半ば叫ぶようなマリーネオの言葉に、広場から声が消えた。
視界が揺れるほどに心臓が高鳴っている。それでいて締め付けられるような、幾度とない緊張にマリーネオはごくりと唾を飲んだ。
メテオは腕を組んでまぶたをゆっくりと下ろした。
「いや……そうではないのです。向こうも私たちの動きを警戒し、予め別行動をしていたようでした」
「そう、ですか……」
マリーネオは自分の足元を眺めた。やはり絵空事を描いていたのは僕だったか。そう心に呟くとともに唇を強く噛んだ。
「まあメテオさんが嘘つくわけがないもんなー」
「そうだそうだ! あのラスフィアってヤツも捕まえなきゃな!」
二日前の戸惑いは何処へやら、観衆の半分以上はラスフィアに敵意を向けていた。当然だ、一度は仲間であれど、今は完全なる盗賊側なのだから。
マリーネオはちらりとヴァイスの手元を確認した。胸の辺りで祈るように握られた手が意味する考えは。長年の経験からそれを読み取ると、彼もまた俯いて嘆息した。
「そういうわけですのでまだ安心はできません。ラスフィアもまた、時の歯車を奪うべく動くでしょう」
「……! ――ッ!!」
身をよじらせるシュトラを、横に控えていたヤミラミが抑えつける。宝石を象った目がきらりと朝日を跳ね返した。
「それでは……とりあえずシュトラを未来へ送りましょうか」
冷酷にさえ聞こえるそれを合図に、ヤミラミ達はシュトラを時空ホールの前まで連行していく。
彼らが互いの目を見合わせた後は一瞬だった。シュトラが突き飛ばされたかと思うと、その身は禍々しい渦潮に溶けてゆく。あっと言う間にシュトラの姿は見えなくなっていた。
「あ、あれで本当に未来に行っちゃったのか……」
様子を見守っていた群衆は、実感が湧かないようで茫然と時空ホールに釘付けになったままである。そんな皆をよそに、メテオはヤミラミ達になにやら話していた。
(メテオは顔見えねぇし、ヤミラミは表情わかりにくいし……何話してるんだ?)
その会話を聞き取ろうとアルトが耳を向ける頃には既に手遅れだったようで。
ヤミラミ達がこくりと頷いたかと思うと、彼らは時空ホールにその身を投げていた。それは、およそあの得体の知れない物体に飛び込むような身のこなしではない。まるで階段を数段飛び降りるような、そんな軽めの足取りであった。
「えっ、えええ!? ヤミラミ達も未来へ行っちゃったよ!?」
「安心してくださいシイナさん。彼らも未来から来てくれた私の仲間です。未来でのシュトラの処遇については先ほど連絡致しましたので、あとは彼らに任せましょう」
それで任せきれるものなのかとアルトは言いかける。けれどもあの束縛によってシュトラの戦闘力はほぼ封じられたようなものなのだし、抵抗はできないか。そこに気がつくと、出かかった言葉は跡形もなく消え失せた。
静かになった広場をメテオは見渡した。彼の後ろにはまだ時空ホールが渦巻いている。
(時空ホールって、まさかずっとあそこにあったりはしないよな? どうやって消すんだ)
アルトはそんな少し今更な気もする疑問を抱えつつ。エルファがあー、と切り出したのを聞くと、意識はそちらに引きつけられた。
「じゃ、俺たちはラスフィアを探せってことになるんですね?」
どことなく気だるげではあるけれど、彼の本心は既に固まっていた。言葉は淀むことなく紡がれているし、視線も迷いなくメテオを捉えていて。
エルファの横では、シイナがぱたぱたと足踏みしながら唸っていた。
「うううー……ほんとにラスフィア捕まえなきゃだめ?」
「そりゃあね。そうじゃなきゃ、うちのギルドは何のためにこの事件に関わっていたのってなるしさ?」
あくまで時の歯車を守るのが優先だから。
その声はワントーン低いだけなのに、妙な威圧感と説得力を得ていた。
エルファはシイナの目を見下ろすように見据えた。シイナはそれに気がつきつつも下を向いたまま目を合わせない。けれどシイナの腕に巻かれていたスカーフはへなりと生気を失った。
未だ広場の音は少ない。その中で次に声を発したのはユクシーであった。
「現れるとしたら、やはり水晶の湖の確率が一番高いでしょうか」
「んん、どうだろうねぇ。何か新手を打ってきそうな気もするけどなぁ〜」
囮作戦自体は一度使ってしまった以上、ラスフィアは必ずそれを警戒するだろう。再びやるにしても、その効果にはあまり期待できそうになかった。
どうすれば彼女は、そもそも彼女は今どこに。各自で頭を回転させて意見を絞り出していくが、ほとんどの者の表情は険しかった。難航しているようである。
そんな中、普段通りの表情の一匹が声を発した。
「ねぇアグノムさん。時の歯車を守っている水晶なのだけれど……あれってアグノムさんを倒す以外は突破できないの?」
そのポケモンはヒメグマ、アグノムのすぐ近くで集まりに参加している者だった。時々トレジャータウンにおり、リングマと行動を共にしている者だろうか。彼女の側にリングマの姿は見えないけれど、きっと同一人物だろうとアルトは結論づける。
小柄な体躯を背伸びさせつつ、浮いているアグノムに問いかけた質問。アグノムは両手で革袋の紐を握り、ぶらりと揺らしながら答えた。
「もちろん僕自身の意思で解除することもできるよ。……あとは、力づくで壊すくらいかな。でもそんなにヤワじゃないし、この方法は厳しいと思うよ」
「そうなのね。それじゃあラスフィアが水晶の湖に向かう可能性は低そうかしら?」
ヒメグマは口元に手を添え、ほんのりと笑みを浮かべた。
「ふふっ、もちろん断定はできないけれどね? 今やあそこ、彼女にとっては危険なだけじゃないかしら」
ヒメグマの考えを聞き、広場の所々から小さく感嘆の声があがる。確かに、水晶要塞を突破できないのならば、水晶の湖へ行っても彼女は成果を得られない。それどころか捕まる危険性が高そうな場所にわざわざ行くのも愚行にあたるという二重苦である。
「水晶の湖には行けない。ならば打てる手は残り少ないと思うわ」
その話を黙って聞いていたリィは、じゃあとそれに繋げる。
「それなら……直接アグノムに会いに来るかも、ってこと?」
「そうね。だってそうじゃなきゃ――」
口元に当てていた手はいつの間にか下ろされていた。ヒメグマは大きな目をまぶたで隠して深呼吸を一つ。息を吐き終わると同時に、その幕はゆっくりと持ち上げられた。そこからの視線はまっすぐに一点を射抜いて。
彼女の固めに結ばれていた口元からは、実際そうなのかそう感じただけか。低速再生の音声が流れ出る。
「――奪えないでしょう?」