56話 上下関係
「いやぁ助かったよ♪ ありがとうなお前たち♪」
「はあぁ……」
上機嫌にセカイイチを回収していくチャトにラピスは重々しくため息をつき、その場にぺたりと座り込んだ。
今メロディとチャトがいるのは食堂だ。そこにある倉庫にセカイイチを入れていく作業。それを何故か手伝わされているメロディを、リンは夕飯の準備がてら微笑ましげに眺めている。
サボり始めたラピスを見てじゃあ俺もとアルトが思った瞬間、チャトからの視線が痛々しくなった。なぜわかった、とアルトはチャトを睨み返す。
二人の間に火花が散ったのを感じ取り、リィはそっと口を開く。
「え、ええっと、あと少しだから頑張ろう……?」
「だってよラピス」
「あたしは疲れた」
ラピスはそう言いながらも、一番近くにあったセカイイチを両手で抱え上げた。小柄なラピスには一つ持つのも案外大変だったりする。
「飽きた……」
「ちょっと早くない……!?」
「こらお前たち! 手が止まっているよ!」
「それさっきのラピスにも言えただろ!」
そうやってわいわいと騒いでいるうちに、広げられていたセカイイチはほとんど倉庫の中に収まってしまった。
そのほとんどに入らなかった一個を持ち上げ、チャトは倉庫の扉を体で押すようにして閉める。
「それじゃあ私は親方様にこれを届けてくるからな。お前たちも解散でいいぞ」
それだけ告げると、チャトはほんのりと甘酸っぱい香りの残る食堂を後にした。今度は今朝ほど素早くはなくて、どこからあの速度が生まれたのかとリィは不思議に思ったりもする。
「うーん、夕飯までどうしようか?」
窓からは茜色が、夕飯にはまだ早い食堂に遊びに来ている。リンにもまだ時間はあると言われたし、それまでここで待つのも退屈だろう。
それならばアルトの考えは一択であった。
「海岸……というかトランペット! 最近あまり吹いていなかったし」
「フルート」
「あはは……じゃあ決定だね!」
議論の間も無く意見はまとまった。一応時々は吹いているものの、最近は帰りが遅かったり召集があったりと隙を見失いつつあったのだ。暗くなってからはさすがに吹けないし、となると意外とタイミングが難しい。
久しぶりに吹ける、とアルトは足取りを軽くした。海岸へ向かうためにもまずは食堂を後にせねば。そうして広間を通過しようとしたとき、ふと二つの影が視界に飛び込む。
「……あっ、リズムにシイナだ!」
「リィかな? あれっ……ってそっちからなの!? なんで!?」
リズムと話していたシイナは梯子、弟子部屋と見渡してからの反応であった。ちょうど食堂を背にする形で話していたせいで、どこからの声かがわかりづらかったようだ。その反対にいたリズムが楽しげなのは、シイナの反応が面白かったからか。
「アンタらのせい」
「えっ、うちら何かしたっけ? ごごごごめんねっ、何のことかさっぱりだけど!!」
よくわからずともとりあえず謝るスタイルはラピスとは正反対である。そう思いながらリィはやんわりとラピスを止めにいく。
「シイナ、気にしなくて大丈夫だよ……?」
「いやそれすっごく気になるやつだよね! 気になって眠れないやつだよね!!」
「シイちゃん寝つきいいから大丈夫だよ〜」
「その寝つきが悪くなる話じゃないのか?」
リズムはニコニコとした笑顔を崩さない。聞けばシイナの寝る速度は尋常じゃないなどと教えてくれた。別に知らなくてよかったけど。
最初こそアルトも早く海岸に行きたいと興味なさげに観戦していたものの、このペースに乗ってしまう辺りさすがフリューデルクオリティか。
「そういえばエルファは? ……アイツいないだけでだいぶ平和なんだが」
寝つき談義の区切りを見てアルトは切り出した。常に三人一緒にいるイメージが強かったので、エルファがいないと案外違和感が強いのだ。賑やかさの面にしても。
そこに関してはリィとラピスも気にしていたようで、話し始めたリズムを注視した。
「エルくんはリサウンドの二人を探しに行ってくるって出かけたよ〜。ふふん、エル君がいるとおもしろいよねぇ」
「確かに……。なんていうか独特だよね、色々と」
苦笑いしながらリィは続ける。
彼がいるだけで空気が塗り変わるような独特の雰囲気は、なかなか印象強いものがあった。例の召集の後でさらりと皆をまとめ上げていたのもさすがと言える部分の一つだ。
「なんかさ、エルファって俺らのことだけ敬語なのがすっごく気になるんだが……。あっ親方とかもそうか」
話の流れに乗せて、アルトはここぞとばかりに気になっていたことを切り出した。
最初こそリズムとシイナ以外には全員敬語だったものの、最近はそうでもないようなのだ。マルスチャトコンビはともかくとして、なぜ自分たちにも敬語なのかというのがアルトの目下の疑問である。
「あぁ〜、それはねぇ……あははっ」
「ぷっ……まって、ねぇ……!」
「……何?」
何があった。
リズムはお腹を抱えて笑い始めたし、つられるようにシイナも吹き出した。なぜだ、とラピスが冷たい視線を送るのにも気がつかずに。
わけがわからないとメロディが互いの顔を見合わせる。 ちょうどそのとき、嘲笑を内に秘めた声が空気を揺らした。
「えー、そんなの最初の反応が面白かったからに決まってるでしょ?」
「――エルファ!」
「あはははっ。エル君おかえり〜」
梯子の中ほどから身軽に飛び降り、エルファはにやりと目を細めた。
「ただいまっと。俺がいない間に何の話をしてるかと思ったら、ねぇ?」
それだけ言うとエルファもふふっと笑った。
なんというか、コイツが笑ってると理由はどうあれ煽られている気分になる。アルトとラピスはそう思いつつエルファを睨みつける。
「ってか反応が面白かったってどういう意味だよ!」
「……えっ、そのままですけど?」
「そうじゃねぇ!!」
急に無表情になって告げるものだから、返しの本気度が伝わってくる。しかしそれでどうしろと。思う回答を得られず言葉を探すアルトを見て、エルファもスカーフの位置を直しながら話し始めた。
「やー、最初は全員に言った方がいいかと思ったんだけどさ? みんな気にしてないみたいだし、むしろ敬語は無しでいいよって言われたから」
――でも誰かさんたちは面白くてさ?
悪戯めいた言い振りは、彼の言うことが本心だったと示していた。エルファが直し終わったスカーフをひらりとはためかせたとき、水色に近い青色が彼の後ろで軽やかに踊った。
これは完全に煽っているやつか。アルトがそう察するのも案外簡単で。
「なら今すぐやめてもら」
「嫌ですよー?」
「お前……ッ! なんで即答してくるんだよ!」
けらけらと笑うエルファの目元には雫が一粒乗っていた。それを見てラピスの怒りが沸点にまで到達したようだ。
「…………」
「あわわわ、ラピスストップ! ね……っ!?」
凍らせんとするラピスをリィが必死で止めるという攻防さえも巻き起こっている。アルトはそれを前も見た、と思いつつ朝のやり取りを重ねていた。
「あはは〜。まぁそういうことだよ〜」
「ぜってぇ納得しねぇ!!」
「はああぁアルトありがとうね!」
「それでなんでシイナはお礼言ってくるんだよ!?」
がしっとアルトの左手を両手で握ってきた辺りでいよいよわけがわからなかった。シイナの目はキラキラとしていて、感動していますとでも言いたげである。
攻防に勤しんでいたリィとラピスも、けらけら笑い転げていたエルファとリズムも。その行動は意外だったようで呆気に取られながら状況を見守る。
「あのねっ、いつもこれうち一人で止めてくのすっごく大変だから……戦友だ! って!!」
一瞬で腑に落ちた。理由の単純さとフリューデルらしさにかすかな感動さえ覚える。
「うん……シイナ、いつもお疲れ様」
「リィ〜! ほんといつも大変なんだよぉぉぉおお! 今日すっごく楽で嬉しいんだよねっ!! 今日っていうか今の方がいいのかな!?」
ぱっとアルトの手を離し、複雑そうな表情のリィのところへ飛んでいくシイナ。確かにエルファリズムコンビの暴走を日々止める苦労は甘くないだろうが。リィに憐れみのような感情があることさえ、当のシイナは気が付いていない。
「よし。リズムー、シイナがはしゃぎ足りないってさ?」
「らじゃーだよ〜! どうしたらいいかなぁ?」
「ねぇそこ作戦会議始めるのやめよう!? エルファはほんと企むのやめてねっ!?」
「えー、まだ企んでないよ?」
「嘘だッ! 既に何か思いついてるでしょーっ!?」
ああ、これは大変だ。
シイナの本音を聞いた後だとそれがよくわかった、というよりもそればかりに目がいってしまう。
まぁそれでも、彼女自身楽しそうではあるのだが。わぁわぁと騒ぎつつも、なんやかんや言いつつも、その表情は明るいから。
「……で、戦友さんが加勢してこないから俺のターンね」
「俺も入ること前提かよ!!」
「んん〜、リィとラピスもだよ〜?」
リズムは当然だと言いながらその二人に笑顔を投げた。突然話を振られたリィは辺りに目線を彷徨わせる。
「えっ、何をしたらいいの……?」
「……あたしに聞かれても」
ラピスに至っては呆れ顔である。めんどいと零すのはリィにしか拾ってもらえず、エルファ達の暴走は加熱していく。
そうは言われてもどう入り、何をするべきか。リィがうろたえていると、耳を心地良い音が通り抜けた。
「みなさーん、ご飯の時間ですよー!」
その呼び掛けに、一部から歓喜の声が巻き上がった。最初こそメロディとフリューデルだけだったここも、いつの間にかたくさんの弟子達が見受けられる。
「……は、嘘だろ?」
アルトが窓を一瞥する。その色は紛れもない藍色だ。
きっとそこから広がる空には、星が瞬き、月が煌めいているのだろう。まぁつまり何が言いたいかって、それはとても単純なことで。
「お前らのせいだッ!!」
「アンタらのせい……!」
ぴたりと重なったアルトとラピスの声に、リズムはぱちぱちと小さな手をたたき合わせた。
「息ぴったりだねぇ〜」
「いやいやそこじゃなくって!! だから何がうちらのせいなの!? あとラピスそれ今日二回目だよね!?」
「……アンタらのせい」
「はいっ三回目!! ねぇそんなに何かしたっけ!?」
そんなことシイナ達が知る由もないし、その反応は当然とも言えるのだが。
向こうのペース支配力の凄まじさを実感した夕暮れであった。フリューデルといると時間を忘れる。アルトはそう心に刻みつけながら食堂へと向かった。
「時空の叫びが実在する、か……。中々面白い情報であるな」
足元で欠片ほどの小石が蹴られ転がった。月明かりに一瞬だけ煌めいて、その姿は闇夜に溶ける。
そっと後ろへ振り向くと、星空の間に小さな灯りが揺らめいているのが目に入る。ギルドなどと言うものが火でも点けているのだろう。穏やかな橙色は、星や月とはまた違う夜の色味を生み出していた。
視線を正面へ戻し、そのポケモンは再びゆっくりと歩みを進める。少し前に聞いた情報の興味深さに、その目は煌々としていた。
(もう少し聞き出せば使い手についても情報が得られただろうか……。実在するとだけ言われようとこちらは動けぬのだ)
とはいえ、自分もそこに感嘆するあまり質問するという選択肢を忘れていたのは事実だ。
別に話そうと思えば不可能ではない相手なのだが、自分はあまり他人の前に姿を晒したくはない。故に、トレジャータウン周辺に在するその相手との会話のタイミングは少なかった。今回だって情報収集にとふらふら放浪していたところで偶然出会えただけなのだ。次がいつになるかの予想など到底できそうにない。
後悔が浮き彫りにされ、そのポケモンは歩く速度を早めた。
「……それにしても」
最近の世間の動きは中々革新的である。時の歯車を奪う犯人が判明したり、あとはその共犯もいると言ったか。そして何やら名高い探検家が犯人達を捕まえるべく作戦を実行中だという。
目まぐるしいくらいの情報量は、これが十日に満たぬ期間の出来事とは到底信じがたいほどである。
(シュトラに……ラスフィアと言ったか。ラスフィアの方はあのギルドとやらに所属していたとも聞いたが……。なぜああも目立つように動いていたのであろうか)
面識も無ければ、彼女に関する情報もさして持ってはいない。だからなのか、断片的な情報から得られる彼女の軌跡を辿るだけでは不可解な部分が多すぎた。考えるほどにその謎は深まっていく。
(まぁよいか。ともかく捕まってさえくれればこちらの脅威にはならぬから)
徹底的に考え尽くさねば納得できない体ではあるので、この考察は後でじっくり煮詰めるとしよう。そうまとめて、ひとまずは頭の隅に押しのけておく。
光の少ない環境で、人通りのない道で、そのポケモンのかすかな笑みは誰にも気がつかれない。
例の召集、そして作戦開始からは、一つと半分の一日が経過しようとしていた。