55話 ラピス専用訓練メニュー
「ああ、メロディさんじゃないですか!」
背後から飛んできた声を受け取るように、ラピス以外の二人はその身を翻した。案の定、声の主と彼の相方がとことこと駆けてくるのが目に入る。まだ新鮮な朝の香りが残る木々からの光に照らされて、その二つの影は頬を緩めた。
見覚えのある姿に、アルトはあっと声をあげる。
「マリーネオにヴァイス、だよな? なんでこんなところに?」
「あっあれ疑われてる感じですっ?」
「いやそうじゃねぇけど!! ……あー、でも一瞬は」
勢い任せに切り返したものの、実際疑っていたのは間違いではなかった。嘘を言ってしまったという小さな罪悪感が顔を覗かせる。
目を逸らしたアルトに、双子は大丈夫ですよと楽しげに笑いかけた。カフェエプロンの代わりとして、彼らの肩からはバッグが掛けられている。決して新しくはないものの、彼らなりのちょっとしたアレンジが加えられたものである。
「このステッチとかおしゃれだね……!」
「これはですね、ヴァイスがデザインを考えてくれたんですよー! 僕もお気に入りなんですっ、ふふん」
リィはきらきらとした目でアレンジに見惚れている。既に触発されかけている顔で、リィとマリーネオとの裁縫談義が始まっていた。
ヒートアップしていく二人を冷淡な目で見つめていたラピスは、それを微笑ましそうに眺めていたヴァイスに視線を向けた。ヴァイスも程なくそれに気がつき、にっこりとした表情を返す。
「ラピスさんどうしました?」
「……二人は、ダンジョンどこ行くの?」
「あっおいラピス!」
表情と内容から質問の意図を察したアルトは音速でラピスを止めにかかった。ラピスはうるさいと頬で電気を弾けさせたが、アルトが気にするようすはない。
理由を知らないヴァイスはそんな攻防をぽかんと眺めていた。けれども少し待っても収まりそうにないと悟り、おそるおそるという感じで口を開く。
「ええっと……オレンの森、それからその周辺で木の実採集、です……よっ?」
お店での材料調達も兼ねているんですよ。
ヴァイスの説明を聞いたラピスはぷくっと頬を膨らせる。それを縮ませながら重そうなため息をついたラピスを見て、アルトも安心したような顔になった。
二人の反応のわけが全くわからないヴァイスは、口ごもりながら首をかしげる。
「それがどうかしたんですか……?」
「ラピスが虫タイプ苦手だから、今日リンゴの森に行くの嫌だっていう」
ラピスを睨むように言うアルトに、ヴァイスはふむふむと頷く。
「……あれっ、じゃあなんでその依頼を?」
「ギルド命令」
刃のような切れ味の返答にヴァイスは苦笑いをした。ラピス自身が相当嫌だということか。もちろん今アルトが述べた理由もあるのだが、命令されてというところもラピスの不満の一つではあった。
今朝の朝礼で言われたのは「昨日に引き続き裏方を頑張ってくれ」とそれだけであった。つまりはいつも通りの生活を、という意味である。
そんなわけで依頼選びにでも行こうかと足を動かした瞬間、チャトはメロディに呼びかけた。昨日のメテオの話以来、彼もギルドの面々も心なしか顔が暗い。
「すまないがまたセカイイチを取ってき」
「やだ」
即答。あまりの勢いにその場から音がしばし消えた。
普段ぼそっとした声で話す彼女とは対照的な、いやにはっきりとした声色である。言い切ったラピスの顔は気だるげなジト目ではなく、きりりとしたジト目。まぁ瞼が半分閉じている事に変わりはなかったのだが。
「……こういうの、一番後輩のヤツがやるべき」
「フリューデルか? まぁメロディならこの仕事を一度やったことがあるわけだし、今回も引き続きということだ」
「理不尽……」
ラピスは頑なに姿勢を崩さない。しれっと提案したフリューデルに押し付け案を切られてしまい、多少ムキになりながらの最後の言葉であった。
この際なので正直に言おう、アルトもリィもあまり乗り気でない。
「あれスピアーの群れに追いかけられたんだよな……! 俺も二回目経験するくらいなら行きたくねぇ」
「あの、お前たちなぁ……?」
「結構タイプ相性が悪いっているのはあるよねー……。あとは……」
「り、リィまでっ!?」
呆れていたチャトも、リィの反応にはわずかにショックを受けたようだった。他二人はともかくとして。
リィの頭に浮かんだのは紫色のあのポケモン達。セカイイチを前に不気味に笑う彼らを思い出してリィは苦い顔になる。今日は大丈夫だろうとはわかっているけれど、あのような事は一度あると頭からなかなか抜けないのだ。
二人の挙げた反対意見を後ろ盾に、ラピスはもう一度押し込みにかかる。
「行かない、断る」
チャトは思わず頭を抱えた。ここまで一様に反対されるとは思ってもみなかったのだ。ラピスの虫タイプ苦手もドクローズの件も、彼は知らないので当然ではあるのだが。
しばらくして、チャトは頭を抱えていた羽を下ろした。淡々と述べていくその前には、咳払いを一つ。
「えー、反応意見多数――であってもメロディがやる! いいねっ!」
「なんでだよ!! ぜってぇ話聞いてなかったよな!?」
なぜだ、どうしてそうなった。
アルトのツッコミはもっともである。こちら側の意見を聞いていたのかと思うのは皆共通である。
もっともアルトとリィは気が重いだけで、行くと決まれば素直に従うつもりではあったのだが。
「立場の差と少数意見の尊重だよ!」
「二つ目は何か違うと思うの……」
「……凍らせる」
「わあぁラピスストップ! やめよう落ち着こう、ねっ……!?」
リィがラピスに引っ付くと、不機嫌そうな顔ではあれどその手に溜めていたエネルギーを解き放った。水色の光が一瞬ふわりと舞い消える。
「助かった……もう焼き鳥シャーベットは勘弁だよ」
「……じゃあ焼くだけで」
「だからやめろって言われてんだろ!」
チャトが胸をなで下ろすのを見て、今度は電気を溜め始めた。リィがあたふたとする中、アルトがラピスの頭に手を振り下ろす。
鈍い音とともに響いた痛みに、ラピスはうずくまるようにして頭を押さえた。
「……裏切り者……!」
「いや俺何も裏切ってないよな!?」
「……行きたくない」
そこまでか。そこまで嫌なのか。
チャトはさすがに心配になってきたものの、今更発言を撤回するのもと心にブレーキをかける。
裏切ってないという言葉からしてアルトもまだ納得していない可能性があるが、さてこれもどうしたものか。そう難しい顔をし始めたとき、バンと大きな音が弾けた。
何事だ。振り返ると親方部屋の扉が解放されていた。つまりそれを開けた人物がいるというわけで。
「チャトー、セカイイチはー?」
「えっ、あっ、あの、親方様っ」
ニコニコとして問いかけるマルスによって、チャトの顔から色が抜けていく。
チャトは勢いよく飛び出した。その逃げ足の速さは、アルト達が止める間もないくらいの勢いで。そんなチャトの後ろ姿を見ながらマルスは言う。
「僕は今セカイイチが食べたいんだよねーっ♪」
「それはいつもだろ……!」
「――お、親方様! 持ってきましたっ!」
声をかける間もなく逃げたと思ったら、今度はセカイイチを抱えて戻ってきた。マルスはご満悦な表情でセカイイチを頭に乗せて踊り始めた。
それらの一連の流れの早さ、実に十を数え切るかどうか。スピードに驚くとともに、アルトはふと気がついてしまった。
「まだ在庫あるじゃないかよ!!」
「お黙りッ! これが最後なんだよ!!」
「えっ……」
場違いに悲しげな声に、壊れかけのからくりのようにチャトは振り返った。メロディもそれにつられると、あったのはしゅんとした様子のマルス。耳が元気なく垂れ下がっていた。
「セカイイチもうないの……?」
「あっあー、それはですね……メロディが今から補充してきますので!! 安心してください!!」
言ってしまわれた。もはやヤケになった声は、その場にいる者たちの鼓膜を豪雨のように叩いた。
ぱあぁと光の差していくマルスを見てアルトは察する。これはもう行かなきゃいけないやつだ、と。
「よろしくねっ、メロディ!」
「えっと……うん、いってきます……。ラピス、行こ?」
「う、……やだ」
リィに引きずられるようにしてラピスもその場を離れる。さすがのラピスも親方様には逆らえないということのようだ。
ちらりとアルトはマルスの顔を確認する。とても嬉しそうにセカイイチをかじる彼を見ると、アルトも諦め半分で重い足を進め始めた。
「あはは……大変でしたね」
経緯を聞いたヴァイスの苦笑いという反応に、アルトは頷いて返した。
このことはラピスの愚痴にアルトが解説する形で話していた。アルトも愚痴を言いたいところではあるが、解説を入れるのに精一杯でそんな暇はなかったのだ。
「それで行き先聞いたんですねっ。すみません、私たちも森だから……」
「……別にいいけど」
目論見の外れたラピスはあからさまに不機嫌そうな様子だった。 申し訳なくなるヴァイスだったが、生憎行き先を変えるわけにもいかない。そんな彼女の困った顔を見て、アルトにもちょっとした罪悪感が芽生えた。
「ヴァイスー! アルトさん、ラピスさんー!」
不意にマリーネオが三人を呼ぶ声が聞こえたので、アルトたちはそちらに目を向けた。その横で満足げな顔をしているリィは、余程ハンドメイド談義が楽しかったということなのだろう。
「僕たちの行き先がリンゴの森のすぐ近くなんですが、途中まで同行していいですか?」
「もちろん! オレンの森、だっけか?」
「ああ、既にヴァイスから聞いてたんですね! そうです、リンゴの森のすぐ隣のダンジョンなんですよー!」
アルトの問い返しに、マリーネオは元気いっぱいに肯定してくれた。地図を見てみると、確かに木と青い点の絵がリンゴの森のすぐ横に描かれている。
アルトが地図をバッグに戻したとき、既にマリーネオとリィは先へ進み始めていた。二人の会話は、断片的に聞こえるだけでも楽しそうなのがよくわかる。
「じゃあ俺らも行くか、っと。……ラピス」
「……ラピスさん、訓練だと思って頑張りましょう……!」
「やだ……っ!」
そうは言いつつも、ラピスはとことこと歩き始めた。なんやかんやでやるべきことはやるスタイルなのだ。その横を進むアルトとのコンビを、ヴァイスは微笑ましそうに見つめた。
「なんか……お二人ってきょうだいみたいですねっ」
ヴァイスの言葉に、二人は足を止めて振り向いた。その顔はぽかんとしていて、口がわずかに開いている。
「ラピスと?」
「あははっ、もちろん冗談ですよっ? でもなんていうか……似ているような、そんな気がしまして」
やりとりも兄弟げんかみたいだ、と言うのはさすがにはばかられたのでヴァイスはそれをぐっと飲みこむ。
アルトとラピスは不思議そうに互いの顔を見合わせる。性格も口調も全然似ている自覚がなかったので、そう言われて疑問符が浮かんだのだ。
「あ、あのっ、本当に冗談ですからね……っ?」
本気にしかけている雰囲気を感じ取り、ヴァイスは慌てて間に入った。
ラピスははぁとため息をついて、足早に先導のマリーネオたちに合流しに行ってしまった。彼らにアルト側の話は聞こえていなかったようで、そこで飛び交う会話は別の話題である。
「えっ、怒らせちゃいました……っ?」
「アイツいつもあんな感じだから気にしなくていいぞ? 今日はもともと機嫌悪かったし」
ヴァイスは相変わらずおろおろとしているが、アルトは特に気にしていない様子だ。大丈夫だと笑い、ヴァイスとマリーネオたちを追いかけ始めた。
「ここが入り口ですねっ! それじゃあ良い探検を!」
「ラピスさん、私たちも応援してますね……っ!」
始めて来たときはさして気にしなかったが、改めて見ると確かにオレンの森に近かった。オレンとリンゴとが入り混じっている辺りで、双子はひらりと手を振る。
ラピスはいよいよかと不満げに唸り、リィは苦笑いで、アルトは覚悟を決めたようすで。リンゴの森へ入っていくメロディを見て、マリーネオも一歩足を進める、けれども。
「……マリーネオ?」
そこでぴたりと止まってしまった。その手はぐっと力が込められていて。ヴァイスが首を傾げて表情を伺うと、そこには普段の彼らしからぬ顔があった。
「ああやって賑やかに話している間は忘れられるけれど。……やっぱり僕はラスフィアさんを疑えない。あの話を信じられないんだ」
「……私も、だよ。確かに筋は通っていたけれど、メテオさんの話は突飛すぎたから。それで敵って言われても、なんだよねっ」
やはり気にしていたか。昨日の召集の後から元気は無いし、夜もそのことについて話していたりもしていたけれど。
ヴァイスだってあの話を完全に信じてはいなかった。未来から来たポケモンがいて、星の停止を起こそうとして、挙げ句の果てに知り合いもそれに加担したと言うのだ。
――それをどうして信じられようか?
「未来からポケモンが来るなんて、そんなの絵空事だ」
言い聞かせるマリーネオから、ヴァイスはそっと目を逸らした。正直なところヴァイス自身は、あの話を信じる気持ちが半分に信じない思いが半分である。だからこそ、まっすぐに疑う片割れを直視できなくなっていた。
「……今ごろ、ラスフィアさんはどうしているのかな。あの話が広まっていたらきっと、いや絶対に、大変な思いをしているよね」
考えることなくするすると口から流れ出た言葉。それが本心なのか、どれが本心なのか。本人でさえも曖昧になっている。
ヴァイスは胸元で自分の手を握った。ぎゅ、と。あらん限りの力を込めて。
「とりあえず今は気にしても仕方ないし……行こう、オレンの森」
「うん。……明日はお店なんだし、僕たちもあんまり暗い顔していちゃあダメだよね! はは」
マリーネオの笑顔はわかりやすいくらいに引きつったものだった。嘘でも笑え、そんな心情など容易に読み取れてしまう。
(そんな笑顔、お客さんには見せられない。けれど……私も、私も明日ちゃんとした笑顔でいられるんだろうか)
まだ太陽は南を通過してはいない。それなのに明日の心配をしてしまうのは気が早いのかもしれないけれど。
とりあえず二人でいる間は、今日だけはもう少し気持ちを整理する時間にしよう。ヴァイスは風が葉を楽器にする音に、そっと長い耳を揺らし傾けた。