54話 架橋の筆跡
「おはようございますっと。これお願いしますー」
「お、お手紙のお届けですね! お任せください!」
受け付けのエテボースはニコニコと笑いながら右手で胸を叩いた。先が手の形になっている特徴的な尾に気を取られていたエルファは、一拍置いてから封筒を手渡した。
外では一匹のペリッパーが膨れ上がった鞄と共に飛び上がっている。それを新鮮そうに窓から眺めているのは、いつも通り楽しげなリズムと頭を押さえているシイナ。
なぜフリューデルが郵便局にいるのか。当然手紙を出すとエルファが言い出したからであるが、その経緯について少し時間を遡ってみるとしよう。
「リズム、シイナー。今日この辺り行きたいんだけど」
エルファが広げた地図を、呼ばれた二人が横から覗き込む。彼が示すのはトレジャータウンからさほど遠くない地域だった。
召集の話も終わり、広場のポケモン達は散り散りになっていた……というほどではなくて。半分くらいはまだその場に残り、何かしらの会話を交わしている。
リズムは指し示された地点を背伸びするように見ていたので、エルファは黙って地図を持つ手を下げた。
「ん〜、僕はいいけどどうして?」
リズムは見やすい位置にしてくれたことにお礼を述べつつ聞き返す。
「一番近い郵便局ってこの辺りでしょ? 別に手紙出すだけだから、依頼ついでに通りかかるくらいでいいんだけどさ」
そう言って地図を折りたたみ、代わりにバッグから取り出したのは一つの封筒。麻色の包みには、しゅっと大人びた字で宛先などが書かれていた。
手紙を出すには郵便局へ行くのが一番確実だ。街中にポストがあるところもないわけではない。けれどもあまり設置数は多くないし、時々ポストが壊されたなんて話もあるので利用する気が起きないのだ。第一、トレジャータウンからなら直接郵便局に行く方が早いくらいである。
シイナは取り出された手紙を見て、目を輝かせながらエルファの表情を伺った。
「ねえねえそれって誰宛て? もしかしてこいび」
「お兄ちゃんだよ。しばらく会ってないし、近況報告でもどうかなーってことで残念ですねシイナさん?」
「いやいやわかってたしー! エルファがそんな文通なんてロマンチックな恋なんかするわけないよねって!!」
目の先に突きつけられた宛先を押しのけるようにしてシイナは叫ぶ。エルファは封筒にシワが入らないようにとそれをかわすと、大切そうにバッグにしまいこんだ。
そんな攻防を見ていたリズムがぽつりと、
「それってロマンチックかなぁ……?」
「リズムごめんさっきのは勢いで言ったから! でもなんかそんな感じしない!?」
「あはは、しないかなぁ〜?」
「しないねー?」
「なんかごめんね!!」
やりとりもひと段落したところで、まずはお店へ。フリューデルは大抵道具を揃えてから依頼を選ぶ。確かに普段ならばギルドと町とを往復する手間はあり面倒だ。それでも確実に更新されているという点、比較的空いているという点をエルファは好んでいた。
さくさくと準備を済ませ、依頼も郵便局から近いものを選び取り。階段の前に立ったシイナは、崖からの雄大な景色を見下ろしながら体を伸ばした。
「手紙かぁ。うちも家族に書こうかな?」
ギルド名物とさえ言える長い階段を降りながら、独り言のようにシイナは呟く。それを聞いたリズムは、あははと笑いながら
「ヴェレちゃんなんかは心配してそうだよねぇ。一緒に付いてくって言われたんだっけ〜?」
ヴェレ・ゼーリャ。シイナの妹で元気なところはシイナとそっくりだ。ただシイナよりもしっかりしていて、ミスをしたときはフォローに回る良きサポーターだった。
「そうそう! 『お姉ちゃんはヴェレがいなきゃ何もできないでしょ!』って言われたんだよひどくない!?」
「まぁヴェレちゃんなら言いかねないよねー?」
元々誰かをちゃんなどと付けて呼ぶことは少ないエルファだが、まだ幼さの残るヴェレに対しては珍しくそう付けていた。
エルファの煽るような言いぶりに、シイナは顔を赤くして返す。
「誰かさんが師匠なおかげでね!? ほんとなんでエルファがお師匠とか呼ばれてんのかわからないんだけどっ!!」
「あ、それは俺もわからないんだごめんね?」
「ちょっとお師匠ーっ!?」
シイナは妹の真似をしてぴょんぴょんと跳ねる……のはいいのだがまだ階段の途中だ。そこで不用意に跳ねるとなると、この後の展開は自ずと浮かんできて。
「きゃああああ!?」
「あらら〜……あまり高くじゃなくてよかったねぇ」
「本当にね……」
エルファとリズムは呆れながら、シイナを追うように足早に階段を降りた。
そんな今朝の様子を思い浮かべつつ、エルファはカウンター越しの会話を繋いでいた。
「そういえばこちら、苗字一緒ですけどご家族です?」
「兄ですねー。ちょっとした近況報告でもってことで。俺も最近は探検活動ばっかりですしね」
「そうなんですか! そういえばどなたかこういった苗字の方いましたよね! 探検隊連盟の会長さんですっけ」
「あっはい、それで合ってると思います」
どうしてだか、その話になると乾いた声になってしまう。誤魔化すように、エルファは営業スマイルを形作って探検隊バッジに目をやった。
元々エテボースの方から始まった話ではあるのだが、この流れならチャンスはあるだろう。会話途切れさせないように細心の注意を払って雑談に勤しんでいた。
エルファはそっとエテボースの表情を伺う。そのときちょうど訪れた話の区切れ目を狙い、エルファは思い出したような演技をした。
「ところで時の歯車を守るのに成功した話って聞きました?」
「ああ、それなら知ってますよ! 先ほど号外を配り始めたところなんですよ!」
にっと歯を見せるエテボース。既に配れる段階に来ている辺り、さすが仕事が早いといったところか。メテオを讃えている話に移ったところで、エルファは笑顔を絶やさないよう気を払いつつ少し声のボリュームを上げた。
「俺もさすがですわって思いましたよー。二度と奪われないように時の歯車を封印するとも言ってましたっけ?」
「ええっ、そうなんですか!? そこまでは知らなかったです!」
しめた、エルファはにやりと笑みを浮かべた。
あくまで郵便局であって新聞社ではないので、エルファ自身さして拡散力には期待していない。けれどここにはたくさんのポケモンが訪れるだろうし、ある程度の期待値はとるはずだ。
その後数言雑談をしてから話を切り上げ、こちらも談笑しているリズムとシイナの元へ行く。
「おかえり〜! さすがエルくんって感じだったねぇ。ちゃんと裏方に徹してるやぁ」
「このために手紙書いたわけじゃないんだけどさー? 良いタイミングだからついでにね」
郵便局を後にしながらのエルファは自慢げな顔だ。のんびり歩きつつ依頼で指定されたダンジョンを目指している。
「エルファのお兄ちゃんってすっごく優しいイメージあるんだよねー! 今は何してるの?」
興味津々なシイナはひょこりとエルファの横に顔を出す。元々フリューデル三人が幼馴染という関係だったおかげで、兄弟間の面識も多少ならあるのだ。
エルファは一瞬だけ顔に影を落として、でもそれをすぐに笑顔で塗りつぶして。
「んーと……まぁ何もしていない、かな?」
冗談めかして発せられた言葉にシイナは目を丸くした。
「えっええ!? そんなキャラじゃないよね! 真面目の塊みたいな感じだったよねっ、エルファの反対を行く真面目さだったよね!」
「……へーえ? 俺が問題児ってことかな?」
「すみませんでしたーぁ!! ……でも本当に仕事とかしていないの?」
思いきり謝ったところでエルファはわずかに眉をひそめた。シイナの声はよく通るのだが、少しその音量が見誤られていたようだ。
口をへの字に曲げてリズムは俯いている。ただ仕事をしていないとか、それだけの話でないことは彼も知っているのだ。エルファはその様子を確認すると、表情を隠すように大きめなため息をついた。
「ま、そうだねー……。とりあえず俺たちも仕事をしなきゃ、ね」
バッグから取り出された一枚の紙切れ。そこには今回行くダンジョン名や依頼内容などが記されている。
一度は目を通したそれを、エルファは再び食い入るように読み始めた。確認のためもあるけれど、今はひとまずは思っていることが顔に出ないようにするために。シイナに暗い表情を見られないために。
時はそこからしばらく流れ、空もその色を変えてきた。よくもまぁ毎日あんなにも表情が変わるものだと感心しつつ、ラスフィアは千切れた雲を見上げている。
「さて、どうするべきかしら。ちょっと厄介なことになっているみたいね」
夕暮れ色の木漏れ日を浴びつつ、ラスフィアはそう問いかけた。もちろんその相手はシュトラである。
既に種族まで知られている以上、下手に動いては相当警戒される。もっともこの世のジュプトルはシュトラしか居ないというわけではないので、誤魔化すことは不可能ではないが、やはり至難の技であろう。
そこまで考えがたどり着いたところで、ラスフィアの中の疑問が一つ芽吹く。
(もしかして……私たち以外のジュプトルやブラッキーの方々、肩身の狭い思いしているかしら)
軽く唇を噛み締めた。地面を握った。そうして生まれた砂の擦れる音さえラスフィアは聞いていなかった。
ラスフィア自身の話がどう広まっているかを知る術は彼女にはない。だが少なくともシュトラは、種族と時の歯車を盗んだことくらいしかポスターには書かれていなかったはずだ。
――もしそのせいで誤解を受けていたら?
視線が冷たい程度の話では済まされない可能性がある。仮定の話ではあれど、それらの示す光景に申し訳なさが募ってきたのだ。考えが深まるにつれてラスフィアの心はずんと重くなってくる。
「……名乗った方がよかったかしら」
「は?」
シュトラの素っ頓狂な声にラスフィアははっとする。考えていたことが無意識に口に出ていたのだと、それを理解するのに一拍を要した。
まぁどの結論に達しようとも、自分たちが時の歯車を求めることに変わりはないが。ラスフィアはそう締めくくって弁解の言葉を考えた。
「ええっと、ちょっと考えごとしていて」
「……お前、自分から聞いておいたくせに、俺の答え聞いていなかっただろう。全然噛み合ってなかったんだが」
「ふふっ、よくわかってるじゃない。というわけでもう一度聞いてもいい?」
気の抜けたような笑顔にシュトラは頭を抱えた。それでもきちんと、ラスフィアが聞いているか確認する視線とともに答えた。
「この話はただの噂に過ぎないと言った」
「それもそうよね。時の歯車を封印だなんて、そんなこと出来ないくせに」
実際、聞こえてくる会話に耳を澄ませると、例の噂話が高頻度で飛び込んできたのだ。会話に聞き耳を立てるくらいなら人前に出ずとも可能だ。それで近況を探っていたラスフィアは、時の歯車の処置を案ずるとともに不可解にも感じていた。
「けれど番人たちが湖に帰ったというのが気になるわ。事実ならばアグノムを倒すチャンスが回ってきた、ってことだから」
「アグノムを倒す、か……。あの時は想定外だったな。仕掛けがあるとは思ってもみなかった」
圧倒的な硬さを誇る要塞を思い浮かべ、シュトラはその手を強く握りしめる。アグノム戦の最中何度か技を当ててみたものの、傷一つない涼しげな風貌に変わりはなかった。
「それでお前は、湖までアグノムを叩きにいくつもりか?」
「ええ、どちらにせよ時の歯車は取らなきゃいけないわけだし。――機を待つ時間さえ惜しい、でしょう?」
機を待つのところだけ一段階声を低くしてくすりと笑う。それが自分のモノマネだったと気がつかないままに、シュトラは話を進めていく。
「待ち伏せされている可能性は?」
「あったらそのときよ。とりあえず薙ぎ払えばいいかしら」
素通りされたと気づいたラスフィアはわざとらしく頬を膨らませる。けれど相も変わらずシュトラが気がつく様子は無さそうだ。
ラスフィアが不満そうにシュトラの顔を見ると、その顔に浮かんでいる呆れが見て取れた。
「お前ほんと九割まではしっかり考えるのに、残り一割に関してはすこぶる適当だな」
「八割よりは多いわよ?」
「そういう意味じゃない」
冗談よとラスフィアは笑う。すでにモノマネの件に関してはどうでもよくなったらしく、その笑顔は屈託のない、けれど少し悪戯めいたものだった。
シュトラは一度辺りを見渡すとすたすたと歩き始めた。ラスフィアもその足跡をなぞるように歩を進める。
「とりあえず湖へは向かう。一緒に行動するが別行動でいくぞ」
「ええっと……一定の距離をおいて行動しろ?」
「待ち伏せされてたとして、二人一緒に捕まる危険があるのは危ないだろう。もちろん捕まるつもりなどないがな」
なるほど、とラスフィアはシュトラから見えないながらも頷いた。
元々一緒に行動していた仲間も、先程のシュトラ同様に言葉を端折ってわかりづらくすることが多々あった。おかげで身についたそれらを補うスキルは今回も役に立っている。
(そういえばラピスの言葉……あれも少しわかりづらかったのだけど)
水晶の洞窟で出会ったラピス。彼女と交わした数言の中に、気がかりなものが混ざっていたのを思い出した。
足早なシュトラの背中を追いながらその声を脳内再生する。
――アイツはアルトのこと勘づいてるかも。
(アイツ……ってメテオ? シュトラではなさそうよね……。ああもう、表情も変えずに言うものだから誰かっていうのが曖昧じゃないの)
たぶん前者だと憶測に終止符をうった瞬間、ラスフィアはぴたりと足を止めた。
「……メテオが勘づいてる? アルトのことを?」
それが何を意味するのか、たどり着いた答えにラスフィアは一種の感情を抱く。
いや、今はそれどころではない。この瞬間の間に半分ほどの大きさにしか見えなくなった長い葉を見て、ラスフィアは力いっぱい地面を蹴った。
――もしかしたら、こっちで勝手に単独行動させてもらうことになるかもしれないわ。
喉元まで出かかった言葉は、その後もシュトラに告げられることはなかった。