53話 惑わす月光
「星の……停止?」
「一体なんなんだそれは?」
息を呑み、その単語を口で、頭で、そして心で復唱する。
誰もが初めて聞く言葉だった。しかしその文字面から想像できるものは決して穏やかではない。
「んん〜なかなか大変そうだねぇ。もしだけどぉ、星の停止になったとしたらどうなるの〜?」
そして、その穏やかでないことを理解しているとは言い難い口調で問いかけたのはリズム。いつも通りと思える者はそれでよいのだが、リズムをあまり知らないポケモンは怪訝の目をした。
ちなみにメテオは前者にあたり、口調は特に気にしないまま表情に影を落とした。
「星の停止した世界は風も吹かず天気も変わらない。昼も来なければ四季も移らない。まさに暗黒の世界、世界の破滅とさえ言えるでしょう」
ぱっと色が消えた、温度が消失した。そんな景色が皆の瞼の裏に投影される。人影も気配も存在していないらしく、一人ぽつんと取り残されたような寂寥さえ感じられる。
喉がひゅうと鳴るような呼吸をしたことでアルトは我に返った。実際に見た景色でもないのにやけに鮮明な白昼夢。
(怖い……? でもなんでこんな、吸い込まれるみたいな恐怖感が)
きっと彼の説明が上手かったから。そう解釈して、未だ早い心拍数とともにメテオの話の続きを待つ。
「最近時が狂い始めたのも、すべては時の歯車が失われたことに起因するのです。彼らを野放しにしていては、やがて世界は滅んでしまうでしょう」
「そうだったのか……」
「これはまずいな、なんとかしなくては!」
焦りや失望感を浮かべるポケモンも多数の中、ラピスは相も変わらず冷たい視線のままでいる。
一区切り入れた話はあまりに奇怪で突飛だ。それだけど疑う者は少数派だった。多くのポケモンが傾聴し話を飲み込んでいる中、一人手を挙げたポケモンがいた。
「ヘイ! 質問があるんだけど……」
ギルドの一員、カティはその赤いハサミを高く挙げていた。メテオは特に戸惑う様子もなく続きを促す。
「今大変なことになっているのはよくわかった。けどわからないのはメテオさん、あなたのことだよ」
「……と言いますと?」
その場にいるポケモンたちの不思議そうな目は一斉にカティに注がれる。掲げていたハサミを下ろした彼はメテオと目を合わせて続けた。
「物知りなのは知っているし、尊敬もしている。だからこそ……どうして未来の話までそんなに詳しく知っているんだい? ヘイヘイ!」
確かに、とポケモンたちは首を縦に振った。やけに克明に描かれた星の停止の説明、シュトラの本性。どれも通常は知りえないものである。
訝しげな視線を受け、メテオはふむという声とともに片手を胸に当てた。
「なぜ私が未来まで見通しているのか? それは……私も“未来から来たポケモン”だからです」
「「「ええええぇぇぇ!!?」」」
うるさい。状況を簡潔に述べるとそうなるのだが、この感想を抱く余裕のある者など皆無だった。電気を流したように衝撃が駆け抜ける。
開いた口がふさがらない。唖然とした数々の顔を見て、メテオは申し訳なさそうに眉をさげた。
「今まで黙っていてすみません。本当はもっと早くに言えたらよかったのですが…… 。いきなりそう告白しても信じてもらえないかと思い」
「いやいや謝らないでくださいよ!」
「そうだよ! 仕方なかったんだから!」
湧き上がる声たちにメテオは小さく感謝を告げた。やはり隠し通していることは、彼自身も相当心苦しかったのだろう。
「私の目的はシュトラを捕らえること。そのためにも、私が未来から来たことは秘密にしておいた方が良いと思ったのです」
「それなら尚更、シュトラを捕まえなきゃね♪」
今まで黙っていたマルスもにっと笑う。一帯から上がる賛同の声は、微力でも捕獲に協力する意思を示していた。弟子達や番人たちはもちろん、戦いが得意でない住民たちでさえ。
心強い反応してに安堵の息をついたメテオは「そこで」と新たに切り出す。
「そこで……共犯についても皆さまに知っていただく必要があります」
「望むところだぜ!」
「どんなやつでもとっちめてやるよ!」
やる気は十分、今にでも走り出す勢いとともに。
探検隊の面々が頷いたのを見て、メテオは長めの時間をかけて息を吸った。それまでとは一転、神妙な顔つきとなる。
頼む、その続きは言わないでくれ。そう思ったのはきっとアルトだけなのだろう。
「シュトラと行動を共にしていたのは……皆さんも存じ上げているでしょう」
「へっ?」
広場のあちこちから素っ頓狂な声が上がる。含みのある表現に、一抹の不安が広場を駆け抜け軌跡を残す。
「その名は……ラスフィア。ラスフィア・ウィルです」
一瞬意識が飛んだのではと錯覚するような静けさ。そして舞い戻ったかのように耳に響きだす喧騒。
一段と賑やかなその喧騒の中には、おかしそうに笑う声も含まれていた。そのうちの一人は笑顔のまま口を開く。
「もーう、さすがに冗談キツいです! ラスフィアさんがそんなことすると思います? ハハッ!」
「そうですよー! ラスフィアってあのブラッキーの子、ですよねっ。彼女もトレジャータウンの仲間なんですから」
ヴァイスも諭すような口調でマリーネオに続けた。二人は互いの顔を見合わせて意見を確認する。
双子の言葉にはっとさせられたトレジャータウンの住民からは再び笑い声が上がる。今度は安堵の意味を含むものが多かった。
「その通りだよなー! あのラスフィアさんが犯人なのかと思って焦ったぜー!」
「まったく、ヒヤヒヤさせないでくれよー!」
「ホント、ラスフィアちゃんを疑っちゃうところだったわぁ」
「一時的とはいえうちのギルドのメンバーだったんだ。そんな子なわけがないじゃないか♪」
そんな言葉の欠片達からは彼女への信頼がみて取れる。弛緩した空気はとても和やかで。彼女は今どうしているのかを思案する会話さえ聞こえてくる。
けれどもアグノムは振り払うようにゆっくりと首を振った。
「――いや」
無意識的にぽつりと発せられた言葉は案外よく通り、広場のすべての姿勢を声の主に集めた。アグノムは向けられた視線を返すように、まっすぐに観衆を見据える。
「僕は確かにジュプトル、そしてブラッキーと戦った。そしてここは少し曖昧なんだけど……ブラッキーの方はラス、と呼ばれていたような気がする」
「えっ……」
「おいおい、嘘だろ?」
静まり返る総員。何か言葉を紡ごうとして、作り損ねて。そんな状況だった。
エルファはすっと瞼を下ろした。そして空閑とした雰囲気に零し落とすように言葉を投げる。
「さっき言っていたラスフィアと会ったって言葉。それはつまり、時の歯車を奪おうとするあの人と対峙したっていうこと。……ですね、先輩?」
腕を組んで、どこか距離を感じさせるようにアルトに渡した問いかけ。見下ろすようだけど彼の顔に笑みは一切浮かんでいなかった。
それに対しアルトもリィも目を逸らした。頷きはしない、できない。
――だって今でも認めたくはないから。あれほど戦っても、それでも夢だったのではと頭の中の自分は語りかけるから。
「でもさー、俺はそれで納得したよ? 気の合いそうな二人がどうして互いに避けるようにしていたのかってね」
「言われてみれば確かに……。うちもラスフィアとメテオさんが話してるの見たことないや」
胸のところで手を握りながらシイナは続けた。その表情は不安を描いている。
エルファの意見には、アルトもリィも、それぞれ思い当たる節があった。
<メテオさん、ですね。……はじめまして>
最初にメテオがギルドを訪れたときのワントーン低い声の挨拶。
<ラピスは今日は一緒じゃないの?>
エレキ平原から帰還した後のそっけない対応。笑顔の素振りさえ見せない冷たさ。そして――
<彼女が昔の知り合いに似ていたもので>
考え込むような態度からのメテオの言動。
すべて辻褄が合った。敵同士だからこそ、あそこまで冷たくなっていたのだ。
「うーん、そうだねぇ。それなら正直に言ってくれたら僕たちも協力できたかもだけどぉ……。でも、それで僕自身がラスフィアをすぐ敵に回せたかっていうと、だなぁ」
口調はそのままなのにどこか大人びた雰囲気のリズム。彼の独り言のような話はもっともで、自分もだと呟く者は数名見受けられた。
「そのとおりです。彼女がトレジャータウンにいる間に動いたところでうまくいくかは不安でした。これほどまでに信用されていたのなら尚更」
この反応を見れば動かずにいたのは賢明と言えるだろう。下手にその話を出して彼自身が疑われてしまっては本末転倒だから。
エルファは長めに垂らしたスカーフの結び目を手に嘆息した。彼自身は既に話を受け入れ、彼女を捕まえるのに協力する心づもりである。
そんなエルファを横目に、ラピスは呆れたように口を開いた。
「……じゃ、具体的にどう動くの? アイツら、そんな簡単に捕まらない」
口は一文字、だけど瞳は射抜くように。ラピスはメテオに問いかけながら腕のリングを強く握りしめた。
「そうですね」とこぼして考え込む姿勢になったメテオ。策を巡らしている彼とは反転、自信有り気なアグノムが手を挙げる。
「アイツらはたぶん、水晶の壁を壊すためには僕を倒さなきゃいけないことを知っている。だから時の歯車を手に入れるために僕を倒しに来るはずなんだ」
「そこで、『私たち三人が時の歯車を二度と奪われないように封印する』といううわさを流すというのはどうでしょう」
そうすれば必ず彼らは現れるから。ユクシーは最後そう付け足した。
「なるほど、囮作戦ですか。……でもそれではあなた方が危険な目に遭うのでは?」
「それくらい望むところだよ! 覚悟は出来ているさ」
胸を張って宣言したエムリット。番人達の決意を秘めた表情を見て、メテオはしっかりと頷いた。
「わかりました。皆さん! 今から作戦を言いますのでしっかり聞いてください!」
その作戦を簡潔にまとめるとこうだ。
まず「アグノムたち三人が時の歯車を封印するために水晶の湖へ向かった」とうわさを流す。アグノムたちには実際に湖へ向かってもらい、うわさを聞いてそこに現れたラスフィアとシュトラを捕まえる……という手順である。
「そして……申し訳ないのですが、彼の捕獲は私一人にやらせてください」
「ええっ、大人数の方が確実じゃないのか!?」
「そうです、わたくしたちもお手伝いしたいですわー!」
士気を高めていた面々、特にギルドメンバーのうちの数名は抗議の声を上げた。もちろんそうでない者も目を見開いたが。
メテオは軽く頭を下げて、感謝とともに言う。
「心意気はとてもありがたいのですが、彼ら……特にシュトラは用心深い性格です。仮に湖に来たとしても、大勢がいるために警戒して身を潜めてしまう可能性は否定できません」
「……それはわかる。けど、アンタ一人で、アイツらを相手にできるの?」
そう問いかけるラピスは無表情……いや、目つきだけはそうではない。普段の気だるげな半目とは違い、それはきりりとした吊り目となっている。
真意が端から読み取れないところは相変わらずだが、彼らの強さを確信しているようなのはどうにか伝わっていた。一対二という状況を案じているのだろうか。
挑発にさえとれる質問に答えたのは、一歩前へ進み出たユクシーだった。
「それについては任せてください」
「うん。僕たちも実際に水晶の湖へ行くからね。何かあったときの加勢くらいは出来るよ」
「そうそう、そしたらこっちは四人だしね! 負けはしないさ」
それぞれ自信満々に言う番人達を視界の端へ映すと、ラピスは何も言わず瞼を下ろした。場が静かになったのを見て、今度はアルトが口を開く。
「こっちはとにかくうわさを流せばいいんだよな?」
「はい。あまり不自然にならないように、会話のついでに伝える程度で広めていただけると」
それを聞いてアルトはわずかにほっとした表情になった。いや、正確にはアルトだけではないのかもしれないが。
どこかにラスフィアと再び顔を合わせたくない気持ちがあるのだ。星の停止の話を聞いたら尚更。
マルスはふうと気持ちを切り替えるように息を吐いた。それと同時に翡翠色の目はまっすぐな光を携える。
「みんな! ラスフィアが時の歯車を狙っていたのはショックだけど……ギルドとしてやることは変わらないよ。絶対に時の歯車を守って、犯人を捕まえるためにも!」
一息おいて続けた言葉は――。
「頑張って裏方に徹してねっ♪」
転びかけた、遠い目をした、ため息をついた。
反応はそれぞれの個性が溢れていた。わかっていた答えではあるけれど、それだけ雄弁に前置きしてから言って欲しくはなかった。
一気に緊張感のほぐれた空気。ギルドの弟子たちは呆れ笑いとともに互いの顔を見合わせる。
「ま、とりあえずは俺たちも乗らなきゃいけないかな?」
エルファはぴしっと空を指差して。そこに自然と集まるのは弟子達の視線。
「総員――裏方に徹せよ!」
「「「お、おおぉぉぉぉぉおお!!」」」
一瞬の戸惑いはすぐに決意へ変換。エルファの合図とともに轟いた元気いっぱいの声に、広場全体が楽しそうに笑う。
そんな中でただ一人、広場を慌ただしく確認しながら。
「いやいやいやなんでエルファが仕切ってるの!? そしてなんで当然のようにみんなノってるのっ!? ねえ!!」
――シイナだけが唯一、ごもっともなツッコミを入れていた。