52話 語られる未来
「ここ、は……?」
アルトはうすぼんやりとしながら目を開いた。見慣れない天井は、薄く青紫色をかぶっている。
眠気の残る体を起こすと自分の置かれている状況は即座に理解できた。簡単な医療器具、窓から覗く景色も。紛れもなくギルドの医務室だった。
外では朝の光がきらきらと辺りを照らしている。それを眺めながら、アルトは最後の記憶、すなわち昨日のことを思い返していた。
「……ラスフィア」
――時の歯車を集めなきゃいけない。
そんな毅然とした言葉や敵意を秘めた瞳、彼女の操る黒いつららも。それらは一つも欠けることなく記憶に刻まれていた。
一瞬夢かとも思ったが、色々状況を踏まえるとそういうわけでもなさそうだ。アルトはふとルビーに手を当てた。
(そういえばあのとき、時空の叫びで誰かの名前みたいなのを……。テナー、だっけ)
確かそんなことを言っていたはずだ。無愛想な声の主のことだろうか。
それについてしばらく考えを巡らせていると、後ろの方で唸るような声がした。振り返ると、別のベッドでリィが体を起こしているところだった。
「おはよう、アルト……。ええっと、ここはギルド?」
「ああ。もう朝みたいだから結構気を失ってた……いや寝てたのか?」
記憶の途切れた地点はともかくとして、今の直前となると睡眠になっていただろう。疲れの取れた腕を伸ばしながらアルトはそう考えた。
「話し声も聞こえてきたね……。みんな集まっていそうだし、私たちも行こっか」
お互いに頷き合い、リィとアルトは部屋を後にした。
そのまま広間へと出ると、飛び交っていた会話がぴたりと止んだ。視線が一斉に注がれたかと思うと、再びギルドの面々は騒ぎ始める。
「よかったああああ!! 行ったら倒れてたから心配したんだよね!」
「きゃー! 二人とも無事でしたわー!!」
「全然起きないから心配したんだぜ!」
「本当によかったよ〜。おはよう〜!」
シイナに至っては思いっきり飛びついてきた。そのせいでリィはバランスを崩しかけ、それにみんなが笑って。
アルトはその中に黄色くて赤い頬袋を持った影を探す。少し期待はしていたのだ。なぜ彼女がいなくなったのかは不明だし、戻ってきているなんて保証もないけれど。
大きな筆で色を塗り替えるかのように辺りを見渡していると、とある一点で目が止まった。
「ラピス!!」
広間から廊下へ繋がるところ。そこから顔をのぞかせた影は、名前を呼ばれるとてくてくと歩み出てきた。
「……おはよ」
「いやおはよじゃねぇよ!! お前いつから……っ」
声を荒げたアルトに、本人たち以外はきょとんとした顔になる。リィはその後納得したように声を上げたが。
エルファはしばらく考え込むように手を顎に当てていたが、やがてぽつりと話し始める。
「いつから、って? ずっと一緒にいたんじゃ……?」
「ラスフィアと会ったときだよ! お前あのときどこへ――」
「「「「ラスフィア?」」」」
あっ、と思わず声がこぼれた。
アルトは助け船を求めリィの方へ振り向くが、彼女も困ったような表情をしていた。背後から聞こえるどういうことか、と言う声が痛い。
ここで全てを話してしまってもよいのか。説明を思案しているところで、チャトが場を仕切り直すように羽をばたつかせた。
「それも含めてまずは朝礼だよ! さあ並んだ並んだ」
チャトがそう言うと同時に、突如耳うるさいサイレン音が空気を揺らした。
妙な不安を煽るそれは案外すぐに鳴り止んだ。入れ替わるように、ラウンの幼く高い声が響く。
「コイルさんから、ジバコイル保安官より緊急の連絡だそうです!」
緊急の連絡。その言葉にぴりりとした緊張が走り、顔つきが強張る。
紹介を受けたコイルは、普段耳慣れない電子音で話し始めた。
「今カラスグニ、トレジャータウンノ広場ニ集マッテ欲シイトノコトデス。ギルドダケデナク、周辺ノポケモン達ニモ集マルヨウニ声ガ掛ケラレテマス」
重要な話があるから、と締めくくってその声は途絶えた。弟子達は互いに顔を見合わせる。
「重要な話ってなんだろうな……」
「とにかく広場に行ってみようぜ! ヘイヘイ!」
行かねば何も始まらない、それは火を見るよりも明らかだった。
朝礼を後に引き伸ばし、次々とトレジャータウンへ向かい始める弟子達。それぞれ、話の内容の予測を立てながら。
アルトもリィと、そしてラピスと。告げられた場所へ向かう。その間彼らの中に会話は無かった。
リィは不安感から、ラピスはいつも通り。アルトはというと、話の内容が察せてしまって、きっと昨日のことが絡んでいるという推測で。それに意識が取られていたからだった。
広場には賑やかさが溢れていたが、それはいつものほのぼのとしたものではなかった。周辺のポケモンにもというのは本当のようで、見慣れないポケモンもちらほら見受けられる。
そんな中、ヴァイスはアルトを見かけるとひらひらと小さな手を振った。
「メロディさん! 昨日水晶の洞窟へ向かったって聞きましたけど……大丈夫、でしたかっ?」
「ああ! ジュプトルには逃げられたけど、時の歯車は守れたんだ」
「おおおすごいですねっ! というかあそこって本当に時の歯車があったんですか!? はーぁ僕も本物見てみたいです!」
今から行ってきますかね、と冗談交じりに言うマリーネオ。ヴァイス然り、今日はいつものカフェエプロンは身につけていなかった。
疑問符を浮かべたアルトが問いかけたのに対し、ヴァイスがにっこりとして答える。
「ああ、これですね! 今日はリサウンドはお休みで探検の方へ行く予定なんですっ」
マリーネオとヴァイスは三日はカフェで、三日は探検隊として、そして一日は休日、というサイクルで生活している。つまりカフェリサウンドは七日のうち半分も稼働していないわけだが、そのレアな感じが噂になりつつあるんだとか。
しばらく談笑していると、視界の端を青い影が横切る。見ると、アグノムがユクシーとエムリットの元へ飛んでいるところだった。
「アグノム! 大丈夫? 怪我はない?」
「うん、僕ならこのとおり。全然大丈夫だよ」
アグノムはその場でくるりと一回転してみせた。まずここにいることにアルトは驚いたが、元気そうな様子に安心した。さすが番人の名は伊達でないということか。
ユクシーもほっと胸をなでおろすと、小さく首を傾げた。
「そういえば時の歯車は?」
「水晶の湖。今は水晶が覆うように守っているから、簡単には奪えないはずだよ」
はきはきと喋る様子からは、あの要塞の硬さと自信が伺える。ラスフィアがアグノムを倒さなきゃ解除できないと推測していたことも合わせると、防御性能は相当高いようだ。
仲よさそうに話している番人達。それを皆が物珍しそうに見ているのに、本人たちは気づいているのかいないのか。
しばらくすると、前で皆の様子を見ていたジバコイルが一歩前へ進み出た。
「エー、話ヲ始メタイト思イマス。今回ハ最近、時ノ歯車ガ盗マレテイル事件ニツイテデス」
ジバコイルの横には二匹のコイル、そしてメテオが控えていた。
まばたきの頻度が低いジバコイルは、どことなく水晶の洞窟のダンバルを彷彿させる。まさかジバコイルがこのまま弾丸となって飛んでくるとは思わないけれど、あの時の感覚が蘇りリィは複雑そうな顔をした。
そんなことには誰も気づきはしないまま、ジバコイルは抑揚のない声で続ける。
「盗マレ続ケテイタ時ノ歯車デスガ……ナント! 今回、ジュプトルノ魔ノ手カラ守ルコトガ出来マシタ!」
「おおっ!」
「本当か!? やったぜ!」
途端に歓喜が溢れかえる。近くにいる者とハイタッチをしたり、飛び跳ねたり。拍手の音も一つ二つのものではない。
紙吹雪が舞っているような錯覚さえ覚える雰囲気に乗せて保安官は続ける。
「守ッタノハアグノムサン。ソシテアグノムサンヲ救イ、ジュプトルヲ追イ払ッタノガ……ココニイルメテオサンデス!!」
さらに強まる歓声、その間を駆け抜ける指笛の音。向けられる賞賛に、メテオは照れくさそうに目を笑わせた。
アルトは最初に到着した自分たちが無かったことにされているのに不満を覚える。けれどもさすがにこの空気に水を差すのも躊躇われたので、言いたいことをぐっと飲み込んだ。
そんな風にアルトが気持ちと戦っている中、メテオがすっと口を挟んだ。
「保安官。ここからは私がお話を」
二人は立ち位置を入れ替える。皆の注目を浴びる形となったメテオは、息を大きく吸い込んだかと思うと、聞き取りやすいゆっくりとした大きめの声で話し始めた。
「みなさん! 確かに今回は時の歯車を守ることができました。ですが……その犯人、ジュプトルには逃げられてしまいました。彼は再び時の歯車を奪いにくるに違いありません」
演説のように雄弁に述べられるそれに、一同は一句も逃さない勢いで耳を傾ける。
アグノムも同様にして聞いていたが、話の区切れたところで小さな手を挙げた。
「ねえメテオさん。あの……共犯さんにも逃げられちゃったの?」
「なんだと!?」
「きょ、共犯だってぇえええ!?」
叫ぶように聞き返したのはチャト。けれどそれは至極普通の反応なのだろう。知らされていなかった役者の登場に水を掛けられたような衝撃が走っていたこのときならば。例外はメテオ、アグノム、そしてメロディのみだ。その中でもアルトとラピスはうるさいと言いながら耳を塞いでいたが。
エムリットはでも、とそれに話を繋げる。
「私やユクシーのところへ来たとき、アイツは単独行動だったじゃないか!?」
「はい。私も油断していましたが……その時点では確かにジュプトルは単独でした。彼女はおそらく、ジュプトルが水晶の湖へと向かっている間に合流したのでしょう」
メテオはゆっくりと一同を見渡した。それぞれの緊張した、怯えた、驚いた。そんな面持ちを確認するように。
「今からする話は、皆さんにはとても信じられないものでしょう。しかしこれは事実なのです」
今までで一番冷静に、落ち着いたテンポで。
アルトは心臓が縮まるような緊張を感じていた。雰囲気のせいなのか、それは思う必要のないはずなのにしっかりと心に居着いている。
ちらりと横目でリィを見ると、彼女の俯いた顔が目に付いた。彼女もまた同じような気持ちでいるのだろう。
「まずはジュプトル、シュトラ・ノイファルベ。こちらはもう皆さんご存じですね」
「当たり前だよ! 忘れるわけがないさ」
エムリットの眉はつり上がっていた。怒りというものは少なからず持っているのだろう。見ると、ユクシーもわずかながら掌を強めに握りしめていた。
「彼は……シュトラは未来から来たポケモンです」
「「「えっ、えええぇぇぇぇ!?」」」
未来。それはこれから起こるべきことであって、今起きていることでも、起きたことでもない。
あまりに非現実的な方向から始まった話は、早くも聞くポケモン達の頭を混乱に陥れる。そんなところから来れるのか、という声も少なくはない。
「未来世界でのシュトラはやはりとんでもない悪党でした。指名手配されて各地に名を知られた彼は、そこから逃げるために過去の世界へ来て……そこである悪巧みをしました」
「それが時の歯車を奪うこと、ね」
独り言のように投げられたエルファの言葉にメテオは頷いた。リズムは面白いなどと言いながら納得したように聞いている。が、シイナについては慌てているようすなので、彼女がどこまで理解できているのか少し怪しく思えてしまう。
エルファが続きを促すように手を軽く差し伸べるのを見て、メテオは話を続けた。
「時の歯車を取るとその地域の時が止まりますよね? 色んな地域の時が止まり、やがてはこの星自体の時が停止する。そう、彼の企みこそが……」
カチリ、と頭の中の歯車が噛み合う音がした気がした。
彗星の軌道は今までで一番低い声色で告げる。
「その成れの果て、――“星の停止”を起こすことなのです」