51話 手繰る幻月
向けた視線の先では、アグノムがふらふらと飛んでいるのが見てとれた。どうにかしてあっちに加勢したいけれども、この場を抜け出して参戦させるような隙など与えられそうにはない。
ならどうすれば良いのか。今現在、答えは一択しか残されていない。
「ううっ……マジカルリーフ!」
――戦う。
技名と共に出現した葉は不規則な軌道を描く。まるで、まだ心に渦巻いている迷いを表すように。
ラスフィアは一目でその技のようすを確認したかと思うと、自身に黒いオーラを纏い始める。今度は縁が刃状にならない代わりに、ラスフィアの周りを囲う小さなドームを形作った。
マジカルリーフはそのドームを貫かんと、その鋭利な葉先を光らせる。
「お願い……っ!」
「当たらないわ。――打ち消して!」
ラスフィアの合図と共にそのドーム状の膜は膨らむようにして弾け飛んだ。虹の螺旋は夜の朧雲に捲かれて光を失う。
そんな光景を目に留める気もなく、シールドの消えた隙を狙ってアルトは一気に距離を詰めた。
「電光石火っ、からのはっけい!」
「あ……っと」
懐に飛び込んだと同時に、重ねた両手から衝撃波が波紋を描いた。ラスフィアは後ろ足に体重をかけて滑る体を押しとどめる。
リィもその隙にと自身の周りに葉を浮遊させる。
「はっぱカッターっ!」
技名を聞いた瞬間に、ラスフィアは欠片の飛び散った床を蹴り飛ばす。元からかけていた体重も利用し、くるりと後方へ宙返り。
「悪の波動っ!」
空中からはじき出した黒い波は次々とリィの技を相殺する。けれども、先陣を切っていた幾つかの葉は打ち消しきれなかった。掠ったところを一瞥し、ラスフィアは深く息を吸い込んだ。
「最初に比べたら迷いは消えてきたかしらね。迷ってるうちは手加減を、とも思ったけれど、もうその必要もなさそう……ねっ!?」
目つきはそれまでより鋭く。叫んだと同時にアルトたちを見据え、距離を詰めんと駆け出した。
その瞬間アルトに悪寒が走った。このまま攻撃を続けるつもりだったアルトは、技の構えを取ったままその手を止めた。何か違和感がある、そう感じる頃にはすでに手遅れ。
「メランクルスタロっ!!」
「えっ、真上……っ!? 嘘でしょ?」
そう零した刹那の間にアルトとリィに牙を剥いたのは闇を湛えた刃。避ける隙も与えないまま二本一組、計四本のつららが落ちる。
「何も私の周りだけでしか作れないわけじゃない。ある程度なら場所は変えれるのよ」
走った勢いを自然消滅させるように速度を緩め、ラスフィアは足を止めた。それはちょうど、アルトとリィの間少し後ろ。
「……ずっと気になってたんだが」
じんじんとした痛みに顔をしかめながら、アルトは体勢を変えてラスフィアを視界に映す。ラスフィアも同様にしてアルトと向き合う形になった。
アルトは自分と同色の瞳を睨みつつ続ける。
「ラスフィアは……いや、お前もシュトラも。なんで 時の歯車なんか奪おうとしてんだよっ!」
言い切るとともにアルトは右手を振り上げた。放たれた真空波は目にも留まらぬ速さでラスフィアを巻き込む。
相性の関係もあったのか、ラスフィアは僅かに眉をひそめた。それでもなお平然としたようすで淡々と述べる。
「そうね……。でも、私はあなたたちからしたら裏切り者でしょう? 仮に本当のことを言ったとして、あなたたちは私の言葉を信じられる?」
「それ、は……っ」
言葉を返せなかった。
確かに時の歯車を奪う者となった今、彼女は裏切り者として烙印が押されていた。そこまでは事実だ。
もちろん彼女を信じる気持ちはある。けれど彼女の言葉通り、それが本当に存在するものなのかは懐疑的にさえ思えた。
「信じる気がないのなら言っても混乱するだけよ。あなたには関係ないってわけではないけれどね」
「ま、待ってよ。信じるから教えてよ! なんでっ、なんで時間を止めようとするの……っ!?」
叫ぶようなリィの言葉にラスフィアの目の色が変わった。殺意さえ感じられる目つきで、聞こえないくらいに小さな声で何事かを呟いた。
ラスフィアの瞳に水晶のきらめきが映り込む。
「……時の歯車を取って時間を止める、それは前置きでしかないの。何もそんな――ッ!」
言いかけのまま残し、おもむろに顔を上に向ける。その視線の先には――。
「月……?」
洞窟の天井すれすれのところに、優しげな淡黄色の光を添えた丸い物体が浮かんでいた。アルトもリィもそのときまであるのは気がつかなかった。淡い光は場違いに穏やかで、見ている者の心を落ち着かせる。
ラスフィアはその月に向かってぽつりと言葉を届ける。
「月の光――ヒーリング」
言葉を受け取った月は、にわかにその光を強めた。かと思うと、月から光の束がラスフィアへと降り始める。
「な、何が起こっているの……?」
「技を受けている? だけどアイツの表情……」
そう唖然と呟く頃には、ラスフィアにかぶさっていた光のベールは霧散し、月も消滅していた。
再び顔を出したラスフィア。その表情には余裕、と。そう浮かんでいた。
「ふふっ、月の光ってなかなか使い勝手いいのね」
そう言ってスカーフのシワを伸ばす彼女からは、傷も疲労も何一つ感じられない。確かに受けているはずのダメージでさえも。
体力は全快。それは端から見ても明らかな事実だった。
手加減の必要がないと零す以前を含めても、アルトたちが与えられたダメージはたかが知れている。ましてやそれ以降となると、より隙をつくことなど厳しい状況だ。それなのに相手は回復技さえも使ってくる。
(無謀だ、いや無謀だった。コイツを止めるなんて)
ここまできてようやく気が付いた。アグノムが倒される前にこの状況を切り抜け、かつシュトラを止められるか? おそらく無理だ、いや絶対に無理だ。そもそもラスフィアをどうにかする術さえ思い浮かばないのだから。
ギルドメンバーの到着を待つにせよ、彼らもまたラスフィアを打破せねばならない。それらがすべて間に合うのか?
それにアルトは一つ気にしていることがあった。
(サイコキネシスを使ってこない……?)
それはアルトがもっとも警戒していた技。念力然りのあの拘束感を備えた技はアルトが苦手とするものではある。それがここまで一度も発動されていなかった。
奥の手として残してあるという説も否定は出来ないが、アルトたちもよく知るそのカードを残す必要性がわからない。今のラスフィアから真意は読み取れそうにないが、これをわざわざ質問するなど使ってほしいと頼むようなものだ。
ただ彼女の手札にそれはあるはず。尚更広がる絶望感は思考力を蝕むように奪っていく。
アルトは不安感から、ルビーをぎゅっと握りしめていた。時空の叫びなんか起こらなくたっていい。打開策など望まない。ただ、少しだけでも心を落ち着けられたなら。そんな想いで。
けれどそれを知ってか知らずか。視界は暗転し、外の音は全て遮断された。
<本当にすごい能力よね……。いつもありがとう。頼りになるわ>
色の変わる水晶のところでも聞いた声のうち、一つが感嘆を交えて話し始めた。
そういえば本日三回目か。そう余計なことを考えている間に注意が疎かになっていたようだ。少し会話が飛んだのを惜しみつつ、アルトは声に耳を傾ける。
<……くらいしか取り柄無ぇから、さ>
<そんなことないだろう。お前は本当によくやってくれてるし、俺たちも助けられている>
二種類の男の声。これも先ほどの場所で聞いたものと同じのようなので、続きの話だったりするのだろうか。
男の子の声が謙遜しているようなことを言ったあと、最初の声が何かに気が付いたように声を上げる。
<テナー。ふふっ、弟ばかり面白くないの?>
<違う、そんなことない。別にそんなこと思ってないもん>
苦笑いとため息の音はふっと小さくなる。そのあとも何か続いているようだったが、既に聞き取れる音量ではなかった。
しまった、時空の叫びは時を止めて聞けるわけではなかった。至極当たり前のことなのだが、発動するとついそちらに注意を削がれてしまう。
「だましうち」
「あぐっ……!」
現実に戻されたと気づく頃には、既にラスフィアは目と鼻の先。思い切りよく技を打ち込まれた衝撃で腹部が鈍く痛む。
リィが名前を叫ぶのが耳に入る。けれどもそれに反応する隙もないままに、ラスフィアの技の準備は完了していた。
「……行って! メランクルスタロ――ソロ!」
今までとは違う単独のつらら。力を一つに集約した分、形成されたつららはより大きくて。細い黒い煙状のものが、取り巻くようにして螺旋を描いていた。それはまるで、つららとそれに追従する冷気のように。
対抗策としてアルトは手を伸ばした。そこに全神経を集中させ、一気に技を完成させようと狙う。
(せめて真空波で衝撃を弱めるくらいは……ッ!)
けれどその思いも虚しく、メランクルスタロは容易くアルトの体力を奪い去った。
意識がぐるりとかき混ぜられたように混濁する。伴って視界も歪むけれど、それはもちろん時空の叫びによるものではない。
感覚の痺れた耳の奥で、先ほどの技名とリィの悲鳴らしきものが響いた。
力が抜けていくのに抗って精一杯の握力をかける。思うような力は入らないけれど、感覚はしっかりと残っていた。
それを頼ってどうにか体を起こすアルトを、ラスフィアは無言で見つめていた。
「もし、ここでお前もシュトラも止めなかったら――!」
色を失う世界、動くことのない万物、当てもなく広がる静寂。
地底湖で一瞬だけ見た景色はしっかりと心に刻み込まれていた。だからこそ、ここで止めなければ。
かといってあれから何が思い浮かんだかというわけでもない。それどころかリィはぐったりとしたままで意識が無さそう、つまり戦うのは難しい状態だ。
ここで頼れるのは自分一人。むしろさっきよりも状況は厳しい。
「そう。それが今のあなたの答えなら……」
顔を伏せたラスフィアは、一音をしっかりと刻むように低い声で告げる。
「今までありがとう。残念だけれど、ここでお別れね」
上げられた顔は懐かしむような笑顔。それを見て感情が湧き上がったと同時に、一つのつららがラスフィアの眼前に形成された。
けれどそれはメランクルスタロのように悪タイプらしい風貌ではない。まるで月光のような優しげな光を纏い、光の粒子がその周りで揺れていた。
「セレンクルスタロっ!!」
これじゃあさっきの繰り返しになる。それだけを理解すると、足に入れられるだけの力を込めて床を蹴った。動こうとすると襲い来る、ぐらりと傾くような気持ち悪さを振り切って。
背後で水晶が砕け散る音がした。避けきれた、と実感した瞬間に足から力が抜ける。
「もう一度、お願いっ!」
「……っく」
バランスを取り戻したところへ、ラスフィアは再びセレンクルスタロをぶつけた。光の粒はしばし彷徨ったかと思うと、アルトに吸い込まれるように消えてゆく。
それが霧散するや否や、視界が一瞬途切れる。頭に鈍い痛みが叩きつけられたと気がつくのは、どさりと倒れこんでから。
その直後、口の中に何かが押し込まれる感覚がした。何かの正体を探る間もなく振りかかってきたのは、全身の倦怠感と異様な眠気。
(眠い……なんで、こんなに?)
チカチカとする景色、泡が弾けていくように止まる思考。瞼を降ろした瞬間、アルトはその感覚も手放した。
ラスフィアはアルトを一瞥すると、彼の後方へ視線を投げた。そこではこの犯人らしきポケモンが片手を首元に当てているのが見てとれた。見覚えのある顔に、ラスフィアは小さな声で話しかけた。
「ラピス。やっぱり来ていたのね」
「ちょっと隠れてただけ。……久しぶり、ラス」
ラピスは瑠璃色の瞳を綻ばせるとラスフィアへ一歩近寄る。ラスフィアもそんな彼女を見ておかしそうに笑った。
「もう、せっかく月の光も使って後から回復するように仕向けたのに……。台無しじゃないの。本当容赦ないんだから」
ラピスはさっきの技を思い起こした。優しげな光を纏っていたのはそのせいか。時間差で回復できるものなのかと疑問が浮かんだので問うと、始めてやったからわからないと照れたように返された。流れるようにラピスはため息をついたが。
「知らん、アンタも大概だし。殺すのかと思って焦った」
むっとした様子でラピスは続けた。けれどきょとんとした顔のラスフィアを見て、意味を掴み損ねているのだと判断し話を付け加える。
「だってアンタの言葉そう取れたんだもん」
「ふふっ、そんなわけないじゃない。というかそれならあなたこそ大概よ、思い切り眠らせているし。……睡眠の種、辺りかしらね?」
「ん。……アンタと喋るには、この二人にはちょっと意識飛ばすくらいしてもらわなきゃ」
冗談めかして言われた言葉を受け、ラピスは気まずそうに目を逸らした。言い訳のように紡いだ言葉は本心だったのではあるけれど。
笑顔を引っ込めたラスフィアは小声のまま続ける。
「とりあえず五つめは取れるか怪しいわ。もし取れなかったら、そっちには引き続き――っ!!」
言いかけたラスフィアの目の前を紫色の玉が通り過ぎる。はっとして軌跡を辿ると、彼女の視界に新しい影が映る。
「二人とも揃っているとはな! おかげで探す手間が省けたぞ。……ラピスさん、ここは私に」
メテオはラピスとラスフィアの間へ滑り込んだ。ラピスは聞こえないように舌打ちをすると、足を後ろに引き彼から距離を取る。
あらかじめ予想をしていたとは言い難いものの、想定の範囲内だったのは確かだ。それなのになぜ、こんなにも驚いていたのか。ラスフィアはすっと冷たい空気を吸い込んだ。
「こんなところまで……。随分と執念深いのね――メテオっ!」
バックステップで彼から距離を取りつつ、ラスフィアはその赤瞳を鋭くした。
「ラス!」
そのやり取りを聞いたシュトラも、アグノムとの戦いを中断してそちらへ加勢しに行く。ラスフィアの隣に立った彼は、キッとメテオを睨んだ。
「随分と時間をかけてしまったが……シュトラ、ラスフィア。もう逃がしはしないぞ!」
「フン、誰が貴様なんかに――」
シュトラはラスフィアと視線を合わせる。互いに頷き合うと、彼はメテオへ何かを投げつけた。
「捕まるかッ!!」
ぶつかり合う固い音。転がった際のからんと乾いた音とともに、瞬く間に辺り一面は光で覆い尽くされた。ラピスは咄嗟に光源から背く形でうずくまる。
やがて光が収束したとき、彼らの姿はそこには無かった。メテオはぐるりと辺りを見渡すと、その右手を握りしめる。
「奴らめ! 逃がすものか!」
メテオはすぐに彼らを追うべくその場を去る。ラピスがそれを聞いて立ち上がったとき、耳にはきはきとした声が届く。
「えっ、あっ、どうしたの!?」
「先輩……? 何が起こったんですこれ?」
フリューデルだ。シイナとエルファは、倒れているアルトとリィを見た途端焦ったように話し始めた。リズムはきょとんとした顔でラピスへ目を向ける。
ラピスは彼らを一瞥すると、苦しそうに咳き込むアグノムの方へ一目散に走った。