50話 行くのは前か裏側か
「来ていたんだね、ラスフィア! あのね、知ってると思うんだけど、そのジュプトルは時の歯車を奪ってて……。それでね、私たちも捕まえに来たの!」
リィは緊張感のない笑顔でそう告げた。久しぶり、と挨拶を交わしつつ。その相手たるラスフィアは耳を澄ませるかのように静かに佇んでいた。
「……私たちも、ね」
紡がれた声色は彼女にしてはやけに温度が低い。落ち着いたトーンは水晶に溶け込むように霧散していく。
シュトラを背に、かつメロディと向かい合うような形で。彼女は凛と立ちながら長い耳をひらりと揺らした。
「地底湖の奴ら……。ラス、お前の知り合いだったのか」
「ふふっ、ちょっとした関係よ。そっちこそさっき言ってた探検隊って彼らのことだったのね。……そっちは任せるわ」
ラスフィアは振り向くことなくシュトラに返すと、足音を立てずにアルト達の正面へ立った。ぴりぴりとした緊張感が辺りに走る。
アルトは向けられた彼女の視線に自身の視線も重ねた。わかっている、わかっていた。けれどここまで頑なに否定してきた。
「お前もシュトラの仲間、かよ!」
「えっ? ラスフィアも時の歯車を狙っていたっていうこと、なの……?」
眉を下げたリィの顔には困惑の文字が浮かぶ。ラスフィアはゆっくりとまばたきをして、無表情に笑顔を塗った。
「ええ、私とシュトラは前からの知り合いだったので。彼が時の歯車を集めていることは指名手配される前から知っていたの。いや……いたんです」
ラスフィアはいつもどおりの、ギルドのときと同じような口調に戻りながら告げる。
あっさりと渡された肯定の印を、リィは素直に受け取ることができなかった。言葉を探すリィを視界に留めつつ、ラスフィアは再びアルトと目を合わせた。
「あなたは最初から勘付いていたみたいだけれど……そうね」
ラスフィアはそこで一旦話を切り、何か考えているかのようにまぶたを降ろした。訪れた静寂に耳を傾けてから、それを破るように続ける。
「おおかた――時空の叫び、辺りでしょうかね?」
「なっ……!?」
なぜそれを。首を絞められたように息が詰まり、一瞬だけ呼吸が止まる。
記憶を辿ってみても思い当たる節はない。時空の叫びについて話されたタイミングでは、彼女はいなかったはずだから。
「なんでお前がそれを……ッ!」
「正解、という意味で受けとらせてもらうわ。さぁどうしてでしょう?」
おもむろに笑ったかと思うと、アルトとリィの前の水晶が欠片へと変貌した。彼らは寸前で後ろに飛んで避けたので被害はなかったが、深々と突き刺さった黒いつららはその威力を無言で物語っている。
用が済んだとばかりにさらさらと槍のようなつららは崩れ落ちた。それを気に留めることなく、ラスフィアはまた新たに槍を作り出した。合計四本のつららが、ふわりと彼女の周りで浮き上がる。
「悪いけれど、私たちは時の歯車を集めなきゃいけない。……邪魔なんてさせてあげられないのよ」
冷酷に告げるとともにつららの先端が二本ずつ、それぞれアルトとリィを射程に捉える。
水晶のような形をしたそれは綺麗とも形容できるだろう。自身に向けられてさえいなければ、の話だが。
「メランクルスタロっ!」
「……わかったよ! 時の歯車を守るためなら!!」
――こうなったらやるしかない。
リィのように、こちらの味方だと願ったりもしたけれど、その望みは既に散っていた。
自身の腕ほどの大きさの針をしんくうはであしらい、アルトは力強く地面を蹴り飛ばした。そのままラスフィアの眼前へ躍り出ると、右手に波動を集める。
「はどうだん!」
「……悪の波動」
水晶色の波動は呆気なく撃ち砕かれた。そう認識する間も無く夜色の波紋はアルトにまで届き、彼を数メートル押し返す。
(強ぇ……)
数回咳き込みながら最初に浮かんだ感想がそれだった。
相性上はさして問題ないはずだが、至近距離なのがまずかったか。いや、こっちの技を打ち消した上でだったから、そもそもの威力が桁違いなのか。アルトは痛みに顔をしかめつつ、リィへ視線を向けた。
「リィ! アイツはもう味方じゃねぇよ。……倒さなきゃいけないやつ、なんだよ!」
「うん……。でも、でも……っ。まだ、信じられないの」
踏み出さなきゃ、時の歯車を守らなきゃ。そのくらい十二分に理解しているつもりだ。それでも信頼という名のストッパーは意識とは裏腹にその足を止める。リィは狼狽するように視線を泳がせた。
その視界に飛び込んだのは、ラスフィアの後方で繰り広げられている攻防。言うまでもなくアグノムとシュトラだが、形勢はアグノムの方が圧倒的に不利なのが見て取れる。
「ねぇ。もしアグノムが倒されたら……あの水晶の壁は解かれちゃうの?」
「おそらくね。そのためにも、あなたたちをあちらへ加勢させるわけにはいかないのよ」
水晶の要塞を気にかける彼女を見据えつつ、ラスフィアは再びメランクルスタロの用意をする。四つの黒いつららを携えた彼女の風貌は、いつになく威圧感を伴っていた。
深呼吸の最中で長く吐いた息に、ラスフィアは言葉を乗せる。
「ところでひとついいかしら?」
アルトはそれに睨むという形で返す。ラスフィアはもう一度すっと息を吸うと、明瞭な響きを持つように言葉を紡いだ。
「――“彼女”はいないの?」
「は……!?」
「えっ……」
隙などと憂う気も無いまま、アルトとリィは弾かれたように辺りを見渡した。もちろん彼らの思い浮かべた者の姿はない。
メロディの男女比の都合上、彼女と呼べるのはふたり。当然リィは目の前にいるわけなので彼女以外となる。つまりは――
「ら、ラピス!? なんでっ、ここに来るまでは一緒だったのに……」
リィは目を見開き、記憶を繋ぎ合わせた。水晶の洞窟、三本水晶の間、そしてそこからの――大水晶の道とでも言うべきか。そこまでは確かにいたはずだ。そろそろ奥地かな、などと会話を交わした覚えも確かに存在する。それなのに、だ。
言われてみれば奥地まで来てから彼女の声を聞いていない。ラスフィアの技もふたりを対象としたものだった。
「くそっ、なんでアイツ……!!」
もう一度フロアを見渡すけれど、この水晶の煌めきの中にピカチュウらしいあの色はどこにも確認できない。
言葉に表せない焦燥はアルトにも降りかかる。焦りに混乱。思考回路は伝染していくようにその動きを鈍らす。
「……そう。残念ね、彼女も来るって想定をしていたのだけれど……。仕方ないみたいね」
ラスフィアも不思議に思う気持ちはあるのか、当惑しているふたりをきょとんとした顔で眺めていた。けれどまばたきの間にそれは毅然とした眼差しに変わる。
「とにかく、時の歯車を集める。そのためなら……あなたにだって容赦はできない」
メランクルスタロは、トーンを落としたラスフィアの声に共鳴するように一層大きく膨らむ。重厚感を得たつららは、ラスフィアが一歩後ろへ下がるとともにアルトたちへと進撃する。
「威力は高そうだけど……!」
最初のものに比べたらその速度は遅い。アルトもリィも、余裕を持って避けるのは容易かった。その代わりとして砕け散った水晶の欠片は、床に広がって足場を少し悪くする。
反撃をとアルトは顔を上げる。けれどそこに映ったのは荒々しく開いた小さな穴、そして砂と化した水晶のみ。
「だましうち!」
「っ!」
突如聞こえたその声は、衝撃とともに背後からやってきた。完全に死角だった。且つメランクルスタロに気を取られていたせいで不意打ちとなる。
「くっ、さっきのは囮か……!」
「正解よ。……さて、続けなきゃ、ね」
そう、速度を犠牲にしてまで巨大化させたのはダメージソースにするためではない。威力に警戒させたところで不意をついた一撃を。その起爆剤として使われただけのものだった。
リィはラスフィアの行動を注視しつつ、アグノムの方へ不安そうな視線を投げた。
「ねぇねぇエル君、シイちゃん〜」
リズムテンションで話しかけて来た彼に、呼ばれたふたりは何かと聞き返した。
フリューデルは現在大水晶の道を進んでいるところだ。現れたニャルマーをエルファとの絶妙な連携で倒してから、リズムは話を続けた。
「このダンジョンに入る前って、なんか水晶の柱みたいなのがあったよねぇ。僕さ、おかしいと思うんだよね〜。あそこでダンジョンも区切れてるんだもん」
「えっ、おかしいの? 単純にそこが中継地点とかじゃなくって?」
シイナの返答にリズムはふるふると首を横に振った。そしてキミはどうお、と言わんばかりにエルファに視線を投げる。
エルファは次に質問が飛んでくるのがあらかじめわかっていたかのように、すらすらと話し始めた。
「んーっと、仕掛けも無いまま進んでるのが変ってこと?」
「エル君正解〜! すごいねぇ」
「えっ、ちょっとずるいよ! いやずるいとかじゃなくってえっと……もういいよそれで!」
「へーえ? なんで俺がそうなるんですかねシイナさん?」
「すみませんでしたエルファさん!!」
悪戯っぽく笑うエルファにシイナは全力で頭を下げた。およそダンジョンの中とは信じがたい空気だが、フリューデルはいつもこんな風に周囲を自分達のペースに巻き込んでいるので、彼らからしたらいつも通りの流れだった。
大水晶の道へ進んでも、壁から水晶が顔を覗かせてたり、そこで反射した光が神秘的な空気を生み出したり。特徴的なのは変わらない。
リズムはきょろきょろと階段を探しつつ、先ほどのと話についての見解を述べた。一通り話し終わると、シイナはそれに返すための言葉を探し始める。
「ええっと……じゃあじゃあ、あそこが何か仕掛けがあったけど既に解除されていた。なら誰かが先を行っているんじゃ、ってこと?」
纏めきれていないシイナの言葉を最後まで丁寧に聞くと、リズムはこくりと頷いた。
「うん〜。それがジュプトルなのか、はたまたギルドのメンバーなのかってところなんだけどねぇ」
もしそうだとしたら、僕も謎解きしたかったなぁ。リズムは残念そうな顔をしながらそう繋げた。
アクラ達からの話だと、彼らは前回「水晶の三本生えた広間で引き上げた」とのことだった。もちろんフリューデルは現在既にそこを超えている。特徴たる水晶は、洞窟の入り口に阻まれて二本しか確認出来なかったけれども。
「とにかく俺たちより先に奥まで行っているのは確実だよね。その謎解き者さんはさ……っ!」
にわかにエルファの表情が固まる。彼の視線は通路から顔を覗かせた一匹のポケモンを捉えていた。
頭から伸びた一本の角はなめらかな曲線を描く。長い白銀の体毛は動くたびにさらさらと揺れており、その風貌は誇張抜きにしても美しい。
「アブソルかぁ〜。珍しいねぇ」
「うえぇ……すごく強そうなんだけど……」
シイナは左足を後ろに下げながら言った。威圧感を携えたアブソルと戦うのは気が重いのだ。
ダンジョンのポケモンである以上戦うのは避けられないものと思ってよい。今回も例外ではなく、リズムはくるくると踊りながら炎を身に纏う。
「よいしょっと……。エルくーん? どうかした〜?」
「えっ、ああうん。アブソルはあんまり見ないよねってだけだよ。まぁ現れた以上倒させてもらうけど……ね?」
しばらく意識を他の方向に飛ばしていたエルファは、一拍遅れてリズムに返答した。リズムは一瞬何かを想うような顔をしたが、すぐに元の表情戻ったかと思うと炎を辺りに弾けさせる。
その様子を見て、エルファも参戦しようと足を進めかける。けれどそれはどことなく重くて。エルファは冷え切った心臓の音を聴きながら、リズムと攻防を繰り広げているアブソルを見据えた。
(アイツじゃないとはわかっているんだけどさ。同じ種族を見たらこんなに驚くものなんだね……)
軽く手を叩いて気持ちを切り替える。今自分の考えていることは関係ない、目の前のことに集中しよう。
右手をまっすぐに伸ばし、念じるように目を閉じる。するとたちまち、彼の手の先には萌葱色の球体が現れた。
「エナジーボール!」
エルファが技名を叫ぶとともに、シイナも別の角度から水の波動を打ち込む。
もともと手強い相手の多いこのダンジョンだが、深くなるにつれてそれの傾向は更に強まっている。一戦ごとの手数が増えているのを感じながら、エルファはアブソルを注視していた。
奥地こと水晶の湖まで――あと五フロア。