49話 混迷クリスタル
水晶の洞窟は名の通り、目に映る世界の全てが水晶で飾られているような空間であった。もちろん床も水晶のように透き通っている場所があり、その上を歩いたりそこで戦ったりするのはいささか抵抗があったりもする。
「ハブネーク……」
こちらに気が付いてスピードをあげたハブネークを見ると、ラピスは一歩後ずさった。ハブネークは虫タイプではないけれど、なんとなく苦手な気持ちが出てきてしまう。同じヘビでもツタージャは大丈夫なのになどと思いながら素早くリィの後ろに回りこむ。
「……パス」
「待って! 私もアルトも相性悪いんだよ……!?」
盾にされたリィは咄嗟にハブネークへマジカルリーフを放つ。
わかってはいたけど、あまりダメージにはなっていないようだ。むしろそれを怒りに変換しパワーアップしている始末。鋭く長い牙をむき出してアルトに飛びかかった。
「避けきれねえ……電光石火ッ!」
アルトはその場からまっすぐ、つまりハブネークへと突撃する。目前まで迫っていた牙を寸前で避け、相手の腹にはっけいを打ち込んだ。
その様子をぼんやりと眺めていたラピスは、リィの真後ろというポジションのまま頬に電気を溜め始める。
「アルト離れて。……放電」
「きゃあぁっ!? ちょっと待ってよラピス……!」
巻き添えを食らわないようにリィは横へと走る。アルトもハブネークから距離を取ったのを見計らい、ラピスは両手をハブネークへ向けた。
電気ショックよりはるかに強い電流は、不規則な踊りをしながらハブネークにまとわりつく。そして雷光が収まったかと思うと、ハブネークは静かに床に伏した。
「あれっ、その技新しいやつ?」
「……昨日も使ってたけど」
問いかけたリィを呆気なくあしらったラピス。実は昨日休んでいる間、つまりアルト達がフリューデルと探索している間に練習していたのだった。海岸の洞窟の奥地で黙々と電気を溜めては放つ、そんな派手なようで地味な作業だったが。
放電にしてはまだまだ威力不足。そんな寸評を心に書き留めて、ラピスはちらりとアルトに目を向けた。
最近何か考えて込んでいることがあるとは思っていたけど、今日もどこかぼんやりとしていた。
「……何かあったの?」
「……いや、この後シュトラとまた戦うのかなって思ってただけだぞ」
アルトの目が一瞬泳いだことにラピスは気が付いた。
実際には、時空の叫びで見た映像が頭から離れていないだけだった。何度も蘇っては不安を呼び起こす。それだけは嘘の未来であってほしい、アルトは切にそう願った。
「とにかく奥まで行かなきゃ何もわかんねぇよな……っと!」
アルトは向こうから伸びてくる軌道から逸れるべく大きくバックステップ。彼の元いた場所には弾丸が突進し、床の水晶を粉々に砕いた。
その弾丸ことダンバルはふわりと浮き上がると、一つだけのじっとこちらを見つめてきた。大きな目から覗く瞳孔はぎこちなく揺れている。そして瞳孔がリィをロックオンすると、今度は彼女に向かって体を宙に滑らせてきた。
「あわわ……っ」
ひたすら突進。動きが単調なので避けるのは簡単だが、無機質でパターン化された動きはとにかく不気味だ。
しばらくそんな風に避け続けていると、ダンバルはしびれを切らしたのか突進の速度をあげる。あくまで突進、だが。
「突進以外の技無いのかよ!」
アルトはそう言いながらひょいと横へとジャンプし難なくかわす。弾丸は壁の水晶から欠片を弾けさせている。アルトはその背後から手早く生産したはどうだんを打ち込む。
「ギ……」
それ受け取ったダンバルはその場に墜落し目を回した。リィはほっと息をつきつつ、その場でぺたりと座り込む。
「倒せた……けど怖かったぁぁぁ……!」
「これで一撃なのかよ!? 頑丈そうな見た目してるくせに」
「……水晶に激突しまくってた、から? あれ痛そう」
そんな会話をこぼしながら、今しがた見つけた階段を降りる。
アクラ達から聞いた話をもとに考えると、今いるのはまだ前半にあたるところらしい。先は長い上にいつシュトラと会うかはわからない。体力はできるだけ温存しておきたい、という気持ちはそれぞれにあった。
「奥地……?」
見晴らしの良い空間とそれまでとは違う雰囲気。柱のようにそびえ立つのは見上げるほどの巨大な水晶。荘厳な雰囲気を醸すようにその水晶製の三本柱はそびえ立っていた。
青、赤、紫。それぞれの色の水晶は煌々と光を反射し、跳ね返された光は更に別の水晶へと向かって。光のハーモニーは幻想的ですらある。
「綺麗だ……。本当に時の歯車があるって感じだな」
アルトは思わず目を奪われた。水晶自体はここまでのダンジョンでずっと見てきたとはいえ、この三本柱の輝きは格別だ。飽きなんてものはまったく感じない。それどころかむしろ惹かれ、引き込まれていくようで。
しばらくその世界に吸い込まれていたリィは、そっと一本の水晶に前足を伸ばした。
触れたところから波紋が広がる。水晶はその波紋に沿って、晴れた空のような色からだんだんと夕焼けを帯びた色へと塗り替えられていく。やがてはルビーのように赤くなったところで変化は止まった。
「えっ、色変わっちゃった……!? どうしよう!?」
「……また触ればいいんじゃないの?」
あたふたとするリィを冷たく制し、ラピスは種族柄短めの指先で水晶をつつく。
今度は草原のような緑色へ。先端まで色が行き渡ったのを見上げてラピスは目を細めた。水晶はそれに答えるように一度きらめく。
「色は何種類かあるってこと、だよな」
「うん。これなら元に戻せそうだね……! 戻らなかったらどうしようかと思ったの」
えへへ、と笑うリィにアルトもつられて頬が緩む。
何度か触るうちに、水晶の色は元の透き通った青色に戻る。リィはよかったと呟いてほっと胸を撫で下ろした。
「六色、かな」
ラピスは折っていた指を開きつつアルトの表情を覗き込んだ。
改めて水晶に映る景色をぼんやりと眺めていたアルトは、少しの望みをかけてそっとその水晶に触れる。再び、水晶の中では急速に夕方を迎えていく。それと同時に強いめまいがアルトに訪れた。
(よし、来た……。時空の叫び!)
間も無く視界はシャットダウンされるが、アルトは一人勝ったような笑みを浮かべた。
<すげぇ……道が出てきた>
少し高めの男の声、いや男の子と言った方が近いか。映像が無いので姿はわからないものの、その表情は感嘆するような声色から容易に想像できる。
<……アグノムの色に揃える。単純>
<解けたんだから良いじゃない。さすがね、二人とも>
続いては二種類の女声。最初の方は呆れるような言いぶりだが、アルトは彼女がアグノムの名を上げたことが引っかかった。
それについて考える間も無く声は続く。今度は低い男のものだ。
<……おい、無駄話してないで早く行くぞ>
<わかっているわ。それにしてもこの道、通った後はどうやって戻しているのかしらね>
<……知らん>
ぶっきらぼうな返しとともにいくつかの足音が不規則なリズムを生んだ。その足音が遠ざかったのか、はたまた時空の叫びの時間切れか。音はどんどん小さくなっていった。
(アグノムの色……)
時空の叫びが途切れたとわかると、アルトの頭にはその言葉がぐるぐると渦巻いた。無愛想な女の声は確かにそう言っていた。
もう一度目の前の水晶に目をやる。「色に揃える」と言っていたからにはこれをいじくれとのことだろう。だが肝心の色ははっきりとは語られていなかった。
どの色かとしばらく考え込んでいると、思考を渡る船はとある記憶の元で止まった。
(ギルドで時空の叫びを使ったとき、アグノムらしきポケモンが見えていたよな……。どんな姿だっけ)
回想していってもなんだかおぼろげなイメージしか出てこない。あと指一本届かない、半歩足りない。掴みかけの状態はどうにもじれったい。
「……あー! アイツ喋るならもっと喋れよ!!」
「え、っと……何のこと?」
きょとんとするリィとラピスを見て、そういえば二人は聞いた声の事を知らないんだとようやく気づく。二人から見たときの自分は、と考えると少し気恥ずかしかった。
顔の温度が上がるのを感じながら二人に時空の叫びの内容を話す。
「そっかぁ。それでヒントが得られたけど……ってこと?」
アルトは再び赤色に塗り替えられた水晶を睨みつけつつ肯定の返事を返した。リィも心当たりが無いようで、色の順番を思い返しつつ唸る。
するとその様子を見ていたラピスが赤い水晶に手を当てながら話し始めた。
「エムリットはピンク、ユクシー黄色。ならアグノムは青っぽいの、じゃないの?」
「そういう理由かよ!?」
「あっ、でも確かに。水晶の洞窟って全体的に青っていうか、水色みたいな色してるよね……!」
リィが辺りをぐるりと見回す中、ラピスは水晶を青色に変えた。リィの言葉を聞くと適当そうなラピスの意見にも多少の説得力が加わる、多少は。
「じゃあとりあえず青に揃えるか」
アルトは他の二本の水晶の色も変えにいく。両方とも海色になったとき、不意に違和感が訪れた。その正体はすぐに判明した。
突然唸るような響きが辺りに轟く。それと同時に地面がぐらぐらと揺れ始めたのだ。
「地震……ッ!?」
「違う、離れて」
いつもより大きめのラピスの声は、凛としていてよく通る。全員が水晶から離れたとき、地鳴りは一層強まっていった。
ただそれもほんの数秒で。地鳴りがおさまったのを感じたリィは、無意識に水晶に目を向けた。
「うそ、でしょ?」
その言葉に弾かれるようにアルトも水晶を確認する。
水晶は左右に一本ずつ、正面奥の方に一本見えるはずだった。しかし奥の一本は阻まれていて目視できない。
何に? それは水晶が折り重なった洞窟。真ん中にぽっかりと穴が開いているものだ。左右二本の水晶が門柱のように佇んでいる。
「時空の叫びで言ってたのはこういうことか……! あそこから時の歯車のところへ行ける、のか?」
「そう、行こ。シュトラももういるかもしれない、から」
ラピスは走って洞窟に飛び込んだ。その背をアルトはリィと追いかける。
細い一本道を抜けたかと思うと、視界の端にいたタツベイと目が合った。
そう、この洞窟もダンジョンだ。早く進みたい気持ちを抱えつつ、アルトは手を振り上げてしんくうはの構えをとった。
より透明度の高い水晶は、穏やかな水面とともに静謐な空間を生み出している。その湖の中央からは翡翠色の光が粛然と放たれていた。
その光の見守る先には三匹のポケモン。そのうちの一匹が静まり返った空間に音を落とした。
「終わり、か……。ユクシーよりは楽だったな。お前がいてくれて助かった」
「ふふ、私も合流できてよかったわ」
リーフブレードの構えを解いたシュトラは隣にいたポケモンにそう告げる。話しかけられたポケモンはふわりと微笑んだかと思うと、アグノムに視線を投げた。
アグノムは傷だらけで倒れており、痛みを耐えるように歯を食いしばっている。
「さてと、アグノム……。悪いがもらっていくぞ、五つ目の時の歯車は」
「うぐっ……。ダメだ、あれを取ってはいけない……ッ!」
紡がれる言葉には苦しさが滲んでいる。咳き込みながら言うアグノムに向かって、シュトラの隣のポケモンは静かに目を伏せた。
そうかと思うと、彼女の周りに黒いオーラのようなものが現れる。そのもやはだんだんと円板状にまとまっていき、縁は刃状になり鈍く光る。
「そういうわけにもいかないのよ。……あそこにあるのが時の歯車ね」
「だろうな。行くぞ」
シュトラが湖の方へと駆けると同時に、女性の技がアグノムへ牙を剥く。アグノムは痛みに顔をゆがませつつも、とても小さな声で呟くように言った。
「待つんだジュプトル……それに共犯さんも」
その言葉とともに、アグノムの目はあやしげな光を帯びる。何をする気だ、そんな問いを声に出す前に答えは導き出されていた。
地響きとともに湖から突き出してきたのは――幾千の水晶。それは時の歯車を、湖を覆うように折り重なる。ただただその光景を理解している間に、湖は完全に埋まってしまった。
「……何をしたのかしら、番人さん」
「時の歯車を守るための秘策だよ。本当は僕の手で守りきれたらよかったんだけど……もしものときのための切り札さ」
水晶の鎧に包まれた湖を一瞥し、シュトラは腕の葉に力を込めた。光をまとったそれを睨みながらアグノムは凛とした声で告げる。
「時の歯車は絶対に渡さない。僕の命を賭けてでも!」
「貴様……ッ! 俺たちはなんとしてでも時の歯車を手に入れる!」
「ええ、あなたを倒してでも、ね!」
アグノムの顔には決意の文字が浮かんでいた。肩で息をしながらもその瞳は揺るいでいない。
シュトラはリーフブレードを構え、アグノムへの距離を詰めはじめた。それと同時に、深閑とした空気は切り裂かれる。
「――待って!」
切り裂いた刃の正体はとある少女の声。彼女の声は水晶に反射することでより通りやすくなっていた。
当然それはアグノム達の耳にも容易に届く。その場の三匹は訝しげに声の主の方へと振り返った。
(……やっぱり時空の叫びで見た通りだ。何一つ変わっていない)
そして彼は心の中で叫んだ。重なる目の前の景色、声。それは視界に焼きつくように鮮明に記録されていく。
「やっぱりお前も……お前も来ていたんだな、ラスフィアッ!!」
ラスフィアと呼ばれたブラッキーは、無言のまま声の主へ一歩近づいた。そうして翻されたスカーフの先端が彼女の頬をやさしく撫でる。
睨むような目つきのリオル、そして希望を見出したように顔をほころばせたチコリータに向かって。ラスフィアは穏やかに笑いかけた。