48話 残るピースは
さらさらと風が駆け抜ける。気づけばもう夜は明けそうで、顔のない太陽と細い月がかすかに道を照らしていた。
砂漠地帯にまだ近いため、辺りに遮るものは少なくて空は大きい。消えかけの星空を何気なく眺めながらそのポケモンは足を進める。
「残り一つはあそこか……。砂嵐はないだろうし、少しは楽だろうか」
そのポケモン、シュトラは手近な岩の横に座り込む。お尋ね者として知れ渡ってしまった以上、あまり悠長にそこに向かっていては捕まるリスクが大きくなるので早めに行きたいところだ。
それでもこんな見晴らしのいい場所通りたくはなかったが、最短距離を選んだ以上致し方ない。
残り一つも例によってダンジョンの奥のようだ。体力を回復してから行きたい気持ちもあるが、安心して身を隠せそうな場所を見つけない限りそれも叶わないだろう。
「……アイツらは今どうしてるだろうか」
腰を上げて踏み出した一歩とともに心に浮かんだ顔は、途中ではぐれて以来一度も見ていなかった。きっとどこかにいるだろうけど、会えないやはり不安は強い。
仲間のことを考え始めると、しばらく思考がそれに占有される。それで周囲への警戒がおろそかになることはそのとき視野に入ってなかった。
ふと顔を上げると、ポケモンの影が見えて心臓が一瞬止まりそうになる。それでもリーフブレードを構え、戦える体制は整えておく。
(ここまできて捕まるわけにはいかない)
そのポケモンは少し離れたところで足を止め、顔を上げた。その顔は淡い曙光に照らされて認識するのは容易い。
まさか、とシュトラは技の構えを解かないままそのポケモンに近づく。相手はその場で静かに佇んでいたが、シュトラの顔を見るとくすりと笑った。
「ふふ。久しぶりね、シュトラ」
その声も顔もどこか懐かしい。そんな気持ちが心を満たす。
シュトラはその瞳を見ると、不器用な笑みを彼女に返した。
ところ変わってギルド。
四つ目の時の歯車が奪われた。その知らせを聞きギルド全体な呆然となるものの、メロディが帰ってきたときには既に夜になっていた。そのため疲れていたメロディは、手短に報告するとすぐに寝てしまった。
そして現在は日付が変わった朝。ギルドには保安官のジバコイル、そしてその部下のコイルたちが来ていた。
「ジュプトルノ捜査アリガトウゴザイマス。エムリットはコチラデ保護致シマシタノデゴ安心クダサイ」
コイルの声は無機質な電子音でなかなか耳慣れない。単調にさえ聞こえるそれを、アルトは寝起きの頭でなんとか処理する。
「今後モ何カ手ガカリガアレバゴ連絡クダサイ。ジュプトルノ逮捕頑張リマショウ!」
そう告げるとジバコイルはギルドを去っていった。彼らの背中を見送りながら、エルファは口を開く。
「まぁびっくりだよね、あそこが地底湖につながってたなんてさ?」
「そうだよー! よく流砂の中飛び込もうって思ったよね!」
「僕たちも同行したかったなぁ〜。もう一回時の歯車見てみたいやぁ」
前に一緒に行ったフリューデルからはそんな言葉を貰ったものの、そのときに飛び込むことが思いついたかと言われたら否だ。それでも、もし彼らも一緒だったら守れたのでは、そんな思いがぐるぐると駆け巡る。
「まぁまぁ、次捕まえれば大丈夫だよ〜。僕たちもすぐ帰ろうなんて言ってごめんね〜?」
「う、ううん。私たちこそ、その場にいたのに何もできなくて……」
リィは言い切る前にしゅんとした表情になる。それと同時に、地底湖での色を失っていく世界が鮮明に脳裏に浮かんだ。これ以上あんな世界なんか見たくない、作りたくない。
「そのためにも……残りの時の歯車の場所を探さなきゃ、だよね」
「ああ! 次こそは絶対に逃がさねぇ」
「……でも、次の手がかり、ないんでしょ」
燃えていたアルトとリィを鎮火したのはラピスだった。つられるようにギルド全体が静まり返る。
シュトラは残りの在処などとうに知っているはずだ。それならこちらが呑気に探索する時間など無いに等しいし、それならエムリットかユクシーかに聞く方が早い。ただ、二人ともジバコイル保安官のもとで保護されていると聞いたばかりなので会いづらくはある。
どうするんだ。そう誰かが声を上げたとき、メテオが一歩前へ進み出た。
「いや、手がかりはあります」
はっきりと述べられたそれを聞いて、皆は彼の紡ぐ言葉一つ一つに耳を傾けた。
「まず霧の湖ではユクシー、地底湖ではエムリットがそれぞれ時の歯車を守っていたんですよね?」
その言葉に一同は首を縦に振る。静かな空気の中メテオは淡々と続ける。
「彼らは三匹で精神世界を司っており、世界のバランスを保っているという言い伝えがあります。知識の神、感情の神、そして意思の神です」
「三匹? あと一匹いるの?」
ラウンが聞き返すと、メテオははいと肯定の返事をした。
突然突飛な方向へ話が移動したので戸惑いつつも、アルトは次に耳を傾ける。
「それぞれユクシー、エムリット。そして意思の神アグノム。そのポケモンもまた、時の歯車を守っている可能性が高いでしょう。それもおそらくは湖で」
霧に隠された高台の頂上に、砂漠と流砂に埋もれた地底。一口に湖といっても、常識的な場所に置いてくれてはいないだろう。
チャトはふんふんと頷いていたかと思うと、羽を拍手するようにたたき合わせた。
「いやいや〜、さすがメテオさんです! 改めて尊敬しちゃいますよ♪」
「そ、それほどでも……」
チャトに続くように自分もと声を上げるギルドメンバーに、メテオは照れたように頭に片手をまわす。
そもそも北の砂漠と言い出したのも彼だ。その判断の正しさを思えば自然と尊敬の念は湧いてくる。
「――そこでアルトさん、アクラさん。それぞれに頼みがあります」
「は?」
「あっし……でゲスか?」
突然名前を挙げられた二人に自然と視線が集まる。不思議な組み合わせは本人たちさえ疑問で、お互いに顔を見合わせた。
「まずはアクラさん。確か以前水晶を拾ったとおっしゃっていましたよね? それを貸してはいただけませんか?」
「い、いやでゲス! あれは大事な宝物で……」
その返事にしょんぼりと肩を落としたメテオ。そうですか、と寂しげに言うのを見て、アクラも申し訳なさそうにトレジャーバッグに前足を入れた。
「ううっ、わかったでデスよ……」
そこから取り出した水晶を渋々メテオに手渡す。彼はそれを受け取ると、今度はアルトの前へと移動した。
アルトの三倍近い身長のせいで、目の前に立たれると威圧感が尋常じゃない。アルトがそんな関係ないことを考えていることなどお構いなしに、メテオは水晶を差し出す。
「あなたにこれを触ってみてほしいのです」
ラピスは眉をひそめ、ギルドメンバーは首をかしげる。ただアルトとリィのみ、その言葉にはっとした。
「時空の叫びを使うってことか」
アルトは真剣な顔つきでそういうと、水晶を受け取る。
その重さを感じる間もなくすぐに眩暈が起こり、バランスを崩しかける。視界に暗幕が降ろされたかと思うと、その中を閃光が一筋走り抜けた。
今度は映像付き、それもそこにいるかと錯角するくらいには鮮明なものだった。
その洞窟らしき場所には溢れるように水晶、そして三匹のポケモンがいるのが確認できた。
<悪いがもらっていくぞ、五つ目の時の歯車は>
<うぐっ……。ダメだ、あれを取ってはいけない……ッ!>
そのうちの一匹――シュトラの言葉に、傷だらけで倒れているポケモンは苦しそうな顔で答える。容姿はユクシーやエムリットに似ているが、二匹のどちらとも違う青い色合いである。
青いポケモンの言葉を聞き、シュトラの横にいたポケモンが一歩前へ出る。
<そういうわけにもいかないのよ>
その影は技の溜めだろうか、周囲に黒い何かを纏った。
「――アルトにそんな能力があったとは……!」
入れ替わるように聞こえてきたのはギルドの音。文脈からして時空の叫びの解説でもしていたのだろうか、すごいなどと言うのがあちこちで聞こえる。
けど、水晶を持つ手は汗ばんでいて、心臓はうるさいくらいに早まっていた。
「あっ、アルト。何か見えた……?」
目を開けたことに気がついたリィが横から顔を覗き込みつつ問う。アルトは水晶に映る自分の顔を見ながら答えた。
「青いエムリットみたいなポケモンが傷だらけで倒れてた。それでシュト……ジュプトルが時の歯車を奪おうと」
言いかけた名前はどうにか飲み込む。そういえばこれはポスターに書かれていない情報だった。メテオとラピス以外は特に不審がることなく、アルトの話に聞き入っている。
もう一匹にも触れようかとアルトが言葉を選んでいるとき、ざわめいた中からチャトの声が耳に響いた。
「おそらくはその青いポケモンがアグノムだろうな。アルトが見たのは過去か未来のどちらなんだ?」
「……わかんねぇ、よ」
そう、過去か未来かの判別はアルトにはできない。例えばシルヴィの居場所を突き止めたときは未来、滝のときは過去で法則性は無さそうだ。ただ時の流れの一部分のみを切り取ったそれから得られる情報は少ない。
「じゃ、じゃあもし過去だったら……」
震える声でいうジオン。他にも慌てたようなメンバーは多く見受けられた。
悔しそうに水晶にかける握力を強めたアルトを見て、メテオはいや、と続ける。
「未来の可能性はあるでしょう。まだ五つ目が盗まれたとの情報は入っていません。彼も昨日から今までの間に移動し、更にダンジョンを突破したとは考えづらい」
その言葉に一同は冷静になる。まだ可能性は消えてはいないのだ。
「それに水晶からその映像が見えたのなら、水晶の洞窟のどこかに時の歯車に通じる道があるはずです!」
「そっか……! その可能性に賭ければいいんだね!」
ギルド全体の士気が上がる。
もうこれは水晶の洞窟に行くしかない。行って何がなんでも奪われるのを防がねば。
チャトがくるりとマルスの方へ振り返る。
「親方様! さっそく号令を……親方様?」
「……ぐぅ……すやぁ」
マルスの目はぱっちりと開いている。けれどその口からは……寝息。
立ったまま寝ている親方様に、呆れるものもいればおちゃめだと笑うものもいる。チャトはというと、焦りながら羽をばたつかせる。
「これじゃあ皆に寝ているとバレてしまう……親方様ー!!」
「いやもうバレてるからね!? 今ので確信したからねっ!?」
「……はっ」
チャトの呼びかけとシイナのツッコミの甲斐あってか、マルスは反応を示す。微動だにしないようにさえ思えた翡翠色の目はぱちぱちとまばたきをした。
「エート、最初から説明しますとね…… 」
「皆! 絶対にジュプトルを捕まえるよ!!」
マルスは強引にチャトを遮った。遮られた本人は慌てたように目を白黒させる。
「たあああぁーーーーっ!!」
「「「「お、おおーーーッ!!」」」」
弟子たちは声を揃えると、各自準備をしに散らばる。その顔には苦笑いだったり、決意だったりが見受けられる。
「あはは……私たちも行こっか?」
「……ん」
ラピスが短く返事をするが、アルトからはない。俯いて何か考えているようで、リィは不思議そうな顔をした。
「アルト? どうかした?」
「……は、えっと……なんでもねぇよ」
へへ、と無理やり笑顔を作り、梯子を登る。その頭の中には時空の叫びで見た映像が流れていた。
シュトラとアグノム。そしてもう一匹。
――そういうわけにもいかないのよ。
明瞭な声と、彼女のその後ろ姿。それはアルトに一抹の不安を呼び起こすのだった。