47話 揺るぐ地底湖
エムリットはこちらに向けた目を怪しげに光らせた。それと同時にアルトに締め付けられるような感覚が走る。以前似たような技を受けたことがある。――シルヴィ戦で。
「念力か……!」
「正解よ! アンタが一番倒しやすそうね」
エムリットが目を閉じるとともに念力は解除され、アルトは地面に叩きつけられる。無意識かどうかは判別できないが、エムリットの言葉はアルトの神経を逆なでしていた。
「倒しやすそうだとか……ッ! はどうだん!」
「フン、それくらいがなんだっていうの!?」
はどうだんに念力をかけて軌道を逸らし、本人ら軽々と避ける。避けられたはどうだんは湖に落ち、エメラルドの欠片を散らした。
「これだから番人は……電気ショック」
ラピスの電撃は、くるりと宙返りをすることで避けた。軽やかな身のこなしは鮮やかでさえある。
ここまでのやりとりを見てリィは打つ技に迷った。遠距離は避けられるし、近距離に持ち込めば自分が念力で飛ばされる。
それになにより、自分達は盗賊じゃない。戦いたくない気持ちの占める割合は大きかった。
けれど彼女……かどうかは定かではないが、エムリットの瞳を見れば説得が不可能なことなど火を見るよりも明らかだ。つまり戦う、それしか道がない。
「うう、ごめんね……。リーフスパイラル!」
言葉を手向けた相手の中で謝罪が挑発へ変換されたことなど、言った本人は気がつかない。
生み出した幾千の葉はエムリットの周りを覆うように囲った。数枚は命中できただろうか、リィがそう感じるとともにラピスとアルトも加勢する。
「この隙にっ……冷凍ビーム」
「しんくうは!」
ふと口をついて出たその言葉と共に、アルトは拳を振り上げた。そこから巻き起こった波は、まっすぐにエムリットに降りかかる。
技の衝撃を受けつつもぴょんと飛び上がったエムリットは目を光らせてこちらに手をかざした。
「スピードスター!」
「えっと……は、葉っぱカッター!」
降り行く流星群はあまりにも物騒すぎた。それをリィが相殺している間に、ラピスは大きくジャンプして相手との距離を詰める。
「アイアンテール」
「ぐあ……っ!」
目と鼻の先にまで近づいたラピスは、浮いていたエムリットを突き落とすように尻尾で叩きつけた。高度を落としたエムリットにアルトは電光石火で突撃していく。
「……放電」
伸ばされたラピスの両手から走った電流は、バチッと弾けてからエムリットへ向かった。蛇のようにうねる閃光、その余波で麻痺も受けたようだ。痺れでいう事を聞かない体を叱咤してエムリットは浮き上がる。
「そろそろ、ね……!」
「は……?」
意味深に言われた言葉の真相はすぐにわかった。
一拍置いてアルトに降りかかったのは衝撃波。それも念力とは比べものにならないくらいの。
大幅に削られた体力にくらくらとする。予備動作などないように見えたし、あっても痺れを振り切って技を出すのは厳しい。その考えをあざ笑うようにエムリットは言う。
「未来予知で攻撃をね……どうお、リオル! アンタもそろそろ厳しいんじゃないの!?」
その場で一回転して言われたそれは、麻痺が消えたことも示していた。
案外回復が早かった。麻痺している間に説得を試みたかったリィは顔を曇らせながらバッグに蔓を突っ込む。
「あたしもいるから……電光石火!」
「えっと……あった! アルト、これ!」
エムリットの気がラピスに向く中、リィはバッグからあるものを取り出してアルトに渡す。
それは青くて小さな木の実――オレンの実だった。アルトは小さな声でお礼を言うと、それを受け取って手早く口に含む。食べるとともに体はすっと軽くなった。
「ああもう、面倒ね! スピードスター!」
「こっちはまねっこで――スピードスター!」
星々が砕け散り、星屑となって地面に消える。冷静に見ていたのならば、その光景は時の歯車も合わさり綺麗だったのだろう。だが戦闘に必死でそうもいかないままに儚い景色はうち消える。
再びエムリットの目が光る。それに気が付いたラピスは舌打ちをして、電気を纏わせた尾をエムリットに振り下ろした。
アルトの目を一瞥し、ラピスは淡々と言葉を繋いだ。
「……未来予知くるかも」
「なんで未来予知を予知してんだよ!?」
至極冷静な、いやこの状況にしては冷静なツッコミをしながらアルトは電光石火で畳み掛ける。
エムリットは苦しそうに顔を歪ませる。それを見てリィの心はきゅっと締め付けられた。やっぱり、私はこの子と戦うべきじゃないの。そんな気持ちが、ほぼ無意識のうちに言葉が叫びとなってこぼれる。
「ねえエムリット、私たちは本当に盗賊じゃないのっ!」
それと同時にリィに衝撃波が飛んでくる。おそらくは未来予知だろうが、それでもリィはエムリットの瞳から目を逸らさなかった。
――やっぱり説得しなくちゃ。ただ戦うだけじゃ伝わらない。わかってもらえないよ。
エムリットは肩で息をしながらも、頭を強く横に振った。
「違う! 霧の湖の時の歯車が盗まれたってユクシーから聞いたんだ!」
「だからそれは俺らじゃねぇって!!」
アルトは声を荒げる。探しに来たまでは事実だが、それは奪うためではないのだ。どう伝えよう、どうすれば伝わる。言葉を探す焦りから余計に空回りをしていくのがわかる、それさえもさらなる焦りを生んで。
「なら……なら他に誰がいるっていうの!?」
はぐらかすな。そう言いたげなエムリットの瞳は鋭い。歯をくいしばり歯車を庇うようにふらつきながら浮き上がる。
「それは……!」
「――それはたぶん、俺のことじゃないのか?」
響いたのは低くて凛とした男の声。全員が声のした方へ振り向くと、その正体は壁にもたれるようにしてこちらの様子を伺っていた。
アルトたちからすれば高めの身長。頭部や腕からは切れ味の良さそうな、鋭く細長い葉が伸びている。
そして赤い瞳から放たれる冷たい目つき。
「じゅ、ジュプトル……?」
そう、その顔は昨日手配書で見たあのジュプトルと同じだった。
彼はリィの質問など答えるまでもないという風にこちらに歩み寄ってきた。
「手配書まで出回ってたようだが知らなかったとはな。俺が正真正銘、時の歯車を奪ってきた盗賊だ」
「お前……ッ!」
アルトの激昂から放たれたはどうだんを、光らせた腕の葉で二つに斬る。斬られたエネルギー弾は一瞬光りすぐに消滅した。
その過程でジュプトルははどうだんに視線を向けていない。腕も軽々と動かしており、余裕そうな立ち振る舞いだ。
ラピスはその様子を冷めた目で見ながらエムリットに向きなおる。
「そういうこと。アンタは勘違い。……体力残ってないんでしょ」
「……ごめんよ、疑って」
エムリットがそうぽつりと言うのにあわせ、頭の左右二本ずつに分かれた房が力なく垂れる。唇を噛んだエムリットを見たジュプトルは静かに目を伏せた。
「お疲れのところ悪いが、時の歯車はいただいていくとするぞ」
「……させねぇ」
時の歯車へ歩を進める彼と湖との間にアルトは立つ。先程の戦いで疲労はあれど、もう戦えないわけじゃない。まっすぐにジュプトルを見据え、手に波動を纏わせる。
「目の前で奪われるわけにはいかねぇんだよッ――シュトラ!」
ジュプトルの目が見開かれる。そうして動きを止めた隙にアルトははっけいを腹に打ち込んだ。
決まった。そう思うのも束の間、伸ばした右腕に走る痛み。それに思わず腕を引っ込め、バックステップで距離を取る。見るとジュプトルの腕の葉が光を帯びてより鋭利になっていた。
腕を押さえるアルトに、ジュプトルは驚愕を込めた声で言う。
「なぜお前……俺の名前まで知っている?」
「……は?」
今自分はなんと言った? 数十秒前の記憶からそれを抜き出す。
“シュトラ”、それが彼の名前だと言うのか。アルトもほぼ無意識のうちに口をついた言葉なのだが、どうやら的中のようだ。
だがそれにいつまでも戸惑っているわけではない。ジュプトル――シュトラは再び葉に光を集める。
「いや、あいにく悠長に聞き出す時間はないな。リーフブレード!」
「うっ……ッ!」
いとも簡単にアルトは飛ばされる。リィはアルトに駆け寄ろうとするが、足は吸いついたようにその場を離れない。
(なんで? 今まさに時の歯車が奪われようとしているのに……どうしてなの?)
すくむ脚はなかなか前へ出てくれない。目の前で、現実で起ころうとしていることを体は受け入れていないのか。
震えを振り切るように踏み出した一歩はとても頼りなく、重い。
シュトラの足が湖の前まで来たところで止まる。歯車を庇うようにその前を浮いていたエムリットは、シュトラに手をかざす。
「時の歯車だけは絶対に守り抜く……! スピードスター!」
「無駄な抵抗はよしておけ、身のためだ」
彼はそういって足に力を込めて地面を蹴る。シュトラは高度を上げてリーフブレードの一振りで星々を切り裂き、続けての二振り目でエムリットに当てる。エムリットは苦しそうに咳き込み、地面へ伏せた。それを見て何事か小さく呟く彼を見て、リィは足を踏み出した。
とにかく守れ、守るために走れ。相変わらず足は少し震えるけど、でも振り切らなきゃまた奪われてしまう。それも自分の目の前で。
「守れるなら守りたいの……っ!」
絞り出した声は頼りなく細い。顔にも声にも体にも、恐怖は表れているという自覚さえある。
やけに大きく鳴り響く心拍音、それに合わせるように視界が揺れる。
「……俺も無駄に傷付けるまねはしたくないんだ、勘弁してくれ」
シュトラはそう言ってリィの方へ振り返った。かと思うとその姿はまばたきの間にリィ視界外へと動く。
リィが探そうと首を動かした瞬間、背後から殴られたような衝撃が走った。
「たたきつける」
「きゃっ!」
叩きつけられた衝撃で肺に残っていた空気は全て吐き出される。それはシュトラにとって何割の力だったのか。側からはわからないものの、リィが軽々と数メートル向こうへと飛ばされるほどの威力を誇っていた。
シュトラは湖に足を踏み入れる。時の歯車の手前まで行くと、まっすぐに手を伸ばす。
「これで――」
ある者は悔しさに涙を滲ませ、
ある者は怒りに歯を食いしばり、
ある者はまばゆい控えてに目を奪われ、
ある者は震える足から抜ける力を感じて、
そしてある者は――誰にもわからないくらいに小さく口元を歪ませた。
「あと一つ……!」
ぱっとあたりが暗くなった。かろうじて互いの顔が確認できる程度の明度である。
そう、地底湖を照らすしるべは消えた。シュトラはそれを右手で強く握りしめると、瞬く間にその場を駆け抜けて姿を消す。
その瞬間、地底湖は轟音とともに揺れ始めた。時の歯車のあった場所を中心に色を失っていく。
アルトは背を縮めてバランスを取りながら、モノクロ調に変貌を遂げる壁を睨む。
「なんだよこれ……ッ!」
「時の歯車がなくなったから時が止まろうとしているのッ! ここにいたら危険よ!」
エムリット自身そうは言いつつも体はうまく動いていないようだ。ラピスは咄嗟にエムリットの元へ行き、かすかに震えていた手を握る。
「アルト、バッジ!」
地響きの中でもその声は確かにアルトの元へ届いた。アルトは即座にバッジを取り出し、転送ボタンを握りつぶすくらいの握力で押す。
途端、バッジから漏れ出た光が彼らを包み込んだ。その光が霧散したとともに彼らの踏んでいたその地面も色調を失った。