37話 憧れる者
夜明けの瞬間、日の出を見ていた者は勢いよく振り返った。
“彼女”以外誰も居ない部屋の、扉がきしむ。
「……嫌な予感がする……どうして?」
「……アイツらいないだけで、静か」
「いや、いつもと変わらねぇと思うんだが?」
あくびを噛み殺しながら、アルトはラピスの言葉に反応を示した。
ラピスのいう“アイツら”とは、もちろんチェローズのこと。なかなかテンションの高い――といっても主にコトフィなのだが。そんな賑やかなチームだったため、なんとなく静かになったような錯覚を覚えてしまうのだ。
ふらふら、うとうとと舟をこいでいるリィは、今日もまぶたが落ちかかっている。むしろ沈みそうなくらいには。
本格的に修行も再開を始めた朝。それでも眠気交じりのゆったりとした時間は変わらずに、朝礼まで続く。そう思っていたが――突然見張り穴から、ラウンが声を張り上げた。
「あ、足型がありません……!!」
「はぁ! 足型が無いィ!?」
起こしに行っているためにいないジオンの代わりに、チャトが声を張って応答した。
少し機嫌が悪いのだろうか、少し眉がつっている。
「そんなわけないじゃないか! ちゃんと見ればいいだろう!?」
「うるせぇな鳥! ちょっとは声落とせ!」
チャトの大きな一言に、アルトが不機嫌全開で舌打ちを飛ばした。遠征の間は忘れていた、喧嘩の光景。
リィは分かりやすいくらいに眠たそうにしているので、聞いているのかどうかは謎だ。けれど他の面子は完全に起きているため、特にラピスからの睨みが酷い。
ラスフィアは喧嘩をして周りを見ていない二人に、苦笑いをする。何かを思いついたように、すたすたと見張り穴へ向かった。
「ラウンさん、その方に名前と種族名聞くのは可能なの?」
「あ……はい!」
大人の対応、とでもいうのか。喧嘩組に比べて、ものすごく落ち着いていた。比べていいのかは不明だが。
訪問者と話しているのか、一旦静かになる見張り穴。もう一度ラウンの声が聞こえたのは、それから長い時間はたっていなくて。
「えっと、種族がヨノワールで、名前は……えぇ!? メテオ・オルビットさんっ!?」
「「「「「「ええぇぇぇぇ!?」」」」」」
チャトの声よりも大きい声には、誰もうるさいとは思わなかった。それだけ驚愕のことなのだろうか。
先程の声で起きたであろうリィも含めて、こてん、といくつかの首がかたむく。主にメロディの。始めて聞く探検家だが、メロディ以外は皆知っているような素振りをしているのだ。
慌てていたり、騒いでいたり、眉をひそめていたり。その中に、ラウンの「中へどうぞ!」と言う声がかすかにとけた。
「こんな突然に、すみません」
「いやいや、いいんだよー! ギルドのみんなも歓迎しているみたいだしね!」
ギルドの広間に降りてきたポケモンは、マルスとにこやかに会話をしていた。
お化けのような姿は、マルスよりも大きい。一つの目は、落ち着いた光を携えていて。けれど優しそうで丁寧な声色なので、興味を持って話しかけにいく弟子もちらほら居る。
その他の弟子は、ひそひそとした声で話していた。その中でもアルトの耳に届いてくるのは、憧れの念を込めた言葉ばかりだ。
「ねぇ、アルト。あの人って知ってる?」
「知ってるわけねぇだろ! 俺よりリィのほうがこっちの世界詳しいくせに」
「あ、そっか……ごめんね?」
ぺこりとリィが頭を少しだけ下に傾けてから、もう一度メテオを見やる。
矢次早に繰り出される質問にも、笑顔で答えていて。話し終わったらしき弟子たちは、元気に依頼を受けに梯子へと向かっている。普段に負けず劣らずの、ほわっとした雰囲気。
アルトも何か話に行こうかなと考えていると、チャトが考えを妨害するかのようにやってきた。
「メロディ、ちょっといいか? あぁ、あとラスフィアも」
「へっ?」
そのときにアルトが小さく舌打ちしたのは、聞こえていたのだろうか。一ミリもを崩さない表情は、機嫌がいいせいか僅かに明るい。
話があるとメロディの弟子部屋まで、遠いとわかっていながらも向かう。ラスフィアも、心当たりが無いようで首をかしげている。恐らく、メテオに対しての配慮か何かだろうと、メロディは予測していた。それがあたっていると確信するのは、それからいくらかの時間がたったときだろうか。
「今日はお前らは――依頼を休め!」
「は……っ!?」
外に響かないようと配慮されて落とされた声は、余分な真剣味を帯びてしまっていて。
何で、と聞く前に、チャト自らが理由を述べた。
「お前らはおととい、どんなお尋ね者と戦ったのか覚えているのか!?」
「う、うん……? ええっと、リンゴ好きなワルビルだったよね?」
確認するように振り返ると、それぞれが当たり前だだったり眠いだったり、肯定の意味を含めた頷きを返してくれた。
チャトは呆れで頭に羽を乗せると、悪く言えば恨みがましそうな目を前に向ける。それに対して、アルトが睨むような視線を投げ返したのはいうまでも無いか。
「そこじゃなくてだな……! ランクがあまりにも高すぎるという自覚はあっただろう!?」
「依頼についてはコトフィが勝手に選んだ! だから俺は何にも知らねぇし! ついでに言うと、昨日も休んでただろ!?」
今度はアルトが、軽く舌打ちをしてから不満全開で反論をする。わざわざ場所を変えた理由が、分かっているのかいないのか。
ラピスがガキ、とこぼしながらスカーフをもてあそぶのすら、チャトは目に入れてない。そのくらい激昂しているということか、ほかは無気力派が多いせいでやけに目立つ。
いよいよ収拾がつかなくなってきた。そう判断したラスフィアが、やんわりと仲裁に手を出す。
「ええっと……その件に関しては申し訳ありません。ただ、アルトさんのとおりで依頼選びはコトフィさん単独でしたので。私達も内容については向こうで知ったのですが……無事ならなにより、じゃないでしょうか?」
正論を見事に収めてあたりを見渡す。チャトは一瞬で返答を思いつくことが出来ず、言葉探しに顔を少し引きつらせた。賑やかなチャトが黙ると、それに反論していたアルトも同じく黙る。つまり、静寂が流れるという事で。いつもは賑やかなのに対して、これは想像以上の破壊力を持っていた。
沈黙を破ろうとして言葉を探すけれど、どう切り出せばいいのかが分からない。アルトがちらりとリィを見てみるも、彼女も言葉を探すために天井を仰いでいるところだった。流石に気まずい。どうしようかと本気でアルトも悩んでくる。
そのとき、ラピスがすくりと立ち上がり、眠たそうにあくびをひとつした。半分落ちた瞼の向こうからチャトを睨み、右手を前に突き出す。
「……電気ショック、冷凍ビーム」
ぽつりと呟いたその言葉は、アルトが耳で拾うと同時に技を発動させる言霊になる。
ラピスの腕から走った電流は、共に生まれた冷気と共にチャトに向かう。「えっ」とリィが遅れてこぼす頃には、綺麗な焼き鳥シャーベットが出来上がっていた。
バチリ、と散った火花が、塵になってわらのベッドの上へと落ちる。
「煩かった。……あたしは依頼行く。アンタらも来て」
「……え、ちょっ、ラピス!? えぇ、待ってってばー!」
知らん、といいたいのがいわずとも分かるような、頬が膨らんだ不機嫌顔。無愛想なのは元からだが、今日も中々に機嫌が悪い。
さっさと行ってしまったラピスと追いかけたリィを、アルトも追いかけようと一歩進む。しかし、先程からチャトが視界の端に入るのが不思議で仕方が無いのだ。それも、普通ならともかく見事に焼き氷とされているので、余計な違和感が重なっている。
「この焼き鳥シャーベットどうすりゃいいんだよ……!? このまま部屋に置いとくのか!?」
「……でしょうねー……。本当は、ラピスがどうにかしてくれるのが一番なのだけれど」
焼き鳥シャーベットと化したチャトを哀れんだ目で見ながら、いつもとは違う方向に頭をひねる。
元の立ち位置からして、焼き鳥シャーベットは扉がギリギリ動かせるくらいの位置に居る。言い換えるなら、扉を開けた瞬間にドッキリが出来る位置。本体を動かそうとしても、オクタンの吸盤でもついているかのように動きが悪い。床ごと固まっているというのか。
ラスフィアもなすすべが無い、と言う風に目を少しだけ伏せて、苦笑い。一応メロディのリーダーなのでアルトがどうにかすべきなのだろうが、これをどうしろとというのが正直な感想。よく見ると均一な厚さになっている、氷のオブジェ。溶けたら普通になるのだろうが、それまで此処においておくのも頭が痛い問題で。
数分悩んで出した結論。「どうでもいいから放置しておこう」、という考えは、ラスフィアの苦笑いも少しだけ加速させていた。
リィとラピスを追うために、雑談交じりで掲示板へと向かうアルトとラスフィア。通過した広間では、マルスとメテオが笑顔で談笑しているところだった。
横目で見ていると、会話が自然と耳へ流れ込んでくる。
「うーん……。遠征は失敗だったんだよね。何も見つけられなくてさー」
「そうなんですか、かの有名なギルドでも無理だったのですね……」
どうやら“霧の湖”について話していたようで。マルスの顔が心なしかバツが悪そうに見えるのは、ユクシーとの約束を守ったからか。つまりは嘘をつくという事で。きっと、彼自身も嘘は好まない性格なのだろう。
そんなことを考えていると、マルスが「やぁ」と声をアルトたちにかける。
「アルト、ラスフィア! 今日も依頼頑張ってねー!」
「ああ、それはもちろん……ラスフィア?」
ふと、先程からラスフィアが俯き気味なのに気がつく。呼びかけに反応し、とってつけたように相槌を打った。
そして、ラスフィアはメテオを一瞬だけ見やる。メテオは何かいいたそうなのだが、ラスフィアがいうまでは言わないほうがいいと判断したらしく、静かにしている。社交家な彼女なのでさっくりと挨拶してしまうと思いきや、また目を伏せて声を出す。
「メテオさん、ですね。……はじめまして」
伏せていた睫毛を持ち上げて、薄く笑う。そのまま背を向け、当初の目的だった掲示板へと向かう。
慌ててアルトが追いかけるのを待ち、一緒に梯子を上った。
(意味が分からねぇ……)
ぼすんとベッドに沈んで、仰向けに転がる。窓からのぞく空は暗くて、星がきらめいている。淡く入り込む月光は、暗さに慣れてしまえば部屋に居るのに不便を感じない程度だ。
結局掲示板では二人から「遅い」と、戻って来た後ではチャトに怒られと、なかなかハードな一日だった。チャトに関してはもう一度、ラピスに焼き鳥シャーベットにされかけていたが。
それでも気になるのが、ラスフィアとメテオ。彼らの間に何かあるのか、単純にラピスの虫嫌いのようなものなのか。
薄ぼんやりな天井を仰ぐけれど、しばらく答えは出てきそうにはなかった。