32話 光彩の湖
「倒した……か?」
全体像の把握すら難しい巨体が、地面を揺らしながら倒れ込む。舞い散って視界を奪い去る砂煙に、アルトは鬱陶しげに舌打ちを飛ばした。
疲れと暑さでグラグラと歪む視界に眉をひそめ、ラピスが溜め息混じりに目の前で踊る砂を払う。
「油断大敵。……まぁ、あたしもそうは思うけど」
「え、これ以上私は戦えないよ……? とにかく暑いーっ!!」
「知らん」
クレーターが生々しく残る地面に寝転がるリィに、アルトも誘われるように疲れがどっと溢れ出る。伝説のポケモンと戦ったのだ、無理もないだろう。
戦闘が終わったころから、少しずつ弱まっていた太陽。今ではいつもと同じくらいの強さにまでなっていた。
けれど体を動かしたばかりなので、かなりの熱が体に残ったままなのだ。
しばらく話していても、ピクリともしないグラードン。そろそろ存在を忘れようか、と言わん限りのメロディだ。けれど異変に気がつくのは、それから時間のあまり経っていないときで。
「な……っ!?」
突然、グラードンの体がまばゆい光に包まれた。危険を感じ、反射的に目を瞑る。
そして目を開け、ぱちりと目をしばたかせた。あれほどの存在感と威厳を併せ持ったグラードンが、その場から跡形もなく消えていて。
ぱちくりと上下するまぶたを気に止めることもなく、ただ互いの顔とグラードンの居た場所を見比べることしか出来ない。
「消えた、よな……?」
「うん、消えたね……?」
「……なんで……?」
目をこすることさえ忘れ、じっとクレーターの残る地面を見つめる。どう見ても、グラードンはそこにはいなかった。
何か起こるかもしれない、という杞憂の元で、ツヤを持った青色のオレンの実をかじる。あの戦闘のあとだというのに、三人の実に目立った傷は無かった。
そしてちょうど食べ終えた頃、辺りに光が軽くもやを作り上げた。
「――あのグラードンが、本物ではないからです」
落ち着いた雰囲気で降ってきた声の発生源は、光のもや。だんだんと形を留めてゆき、そこに姿を現した。
黄色い頭と、固く眠たそうに閉じられた目。何故かふわふわと浮いている。見たところポケモンのようだが、メロディにとっては初めて見る姿だ。
「え、あ、えっと……本物って……? ていうかそれ以前に誰……!?」
初対面に誰、とは少々よろしくないかもしれないが、パニックになっているためそれどころではないようだ。
そのポケモンは長く垂れた尻尾を揺らし、穏やかに口を開いた。
「……わたしはユクシー。この湖――“霧の湖”の守り人です」
「「「ユクシー!?」」」
そのポケモンの種族名には、前に聞き覚えがあった。ベースキャンプでリンの言っていた、記憶を消す能力を持ったポケモン。それと同じなのだ。
ユクシーはメロディの反応をものともせず、口調を変えないままに告げる。
「……悪いですが、貴方たちの記憶を消さして頂きます」
「ちょっ、待て! いきなりすぎんだろ!? つーか、その前に一個聞いて言いか?」
焦りが酷い事を悟り、慌てて息を吸い込む。戦闘の影響か、かなり脈が早くなっているのだ。
しっかりとユクシーから視線を逸らさずに、ベースキャンプで思ったことを。
「最近ここに誰か来て、ソイツの記憶消したか?」
あっ、とリィが息を飲む。ラピスも僅かに眉をひそめた。
ユクシーは怪訝そうな顔で、首を横にゆっくりと振る。
「いえ……最近記憶を消した者はいません」
「そっか……」
少しがっかりすると共に、記憶が戻るかもしれない希望が薄くなったのを感じた。
視線を泳がせたアルトを見てか、ユクシーが奥の方へ少し進む。それからゆっくりとメロディの方を向いて、優しく言葉を紡いだ。
「怪しい者ではないようですね。霧の湖に案内しますよ」
「えっ、ダメじゃなかったの!?」
思わず身を乗り出して、ユクシーにぐっと詰め寄る。普通に考えて失礼にあたるだろうが、リィにはそんなの知ったこっちゃない、という勢いだ。
「あなたたちなら、と思ったのですが……嫌ですか?」
「ううん! そ、そんなことないよ! ありがとユクシー!!」
ラピスに何言ってんの、という視線と電気を貰ったが、リィの興奮は止まらない。クレーターの上をぴょんぴょんと跳ね、キラキラと目を輝かせる。
「ねぇ、案内してくれるって! 行こ?」
「ああ、勿論! つか、アイツ先行かず待っててくれてんだな?」
「……早く行きなよ」
いつもどおりの雰囲気と、いつも以上のテンション。
先程からやりとりを静かに傍観しているユクシーのところへ、減った体力のことを考えずに足を動かす。
そのせいで、主にリィが疲労でむせ返ったのは仕方の無いことか。
「――こちらになります」
ユクシーがゆったりと指を差した先を見て、思わず言葉を失った。いや、言い表すだけの言葉が見つからなかった、のほうが正しいか。
いつもなら音楽タイムとなっている、空の燃えている時間帯。赤々と燃えている空を気にする余裕も無く、目の前の光景に魅入っていた。
「すげぇ……。光っている、歯車……!?」
「ホントだ……! 本当にあれから光が出てるよ!」
蒼色と、翡翠色の淡い光に包まれたセカイ。その光を霧の湖本体の水面が受け止め、あらゆる方向に優しく輝かせている。
リィが魅入りすぎて、目の前の深く透き通った緑色の湖に落ちそうになる。それをラピスが何とか止めているのだが。
「……“時の歯車”、と? これが本物……」
眩しそうに湖に浮かんでいる歯車を見つめ、うわごとのように呟いたラピス。その言葉に、ユクシーがピクリと反応を示した。
「知っていたのですか? そのとおり、これは時をつかさどる物、時の歯車です」
ラピスを訝しげに見つめながら、ユクシーが光彩を放つ歯車へと手を伸ばす。
湖の真ん中に浮かぶ天然の噴水の中に、丁寧に落ち着いている“時の歯車”。距離があるために触れてはいない。が、神々しい光の中のユクシーは、少し誇らしげに見えた。
それを見ていたアルトが、はっとしたように湖に落ちるギリギリまで近寄る。
「は、え、これが本物の時の歯車か!? どおりで綺麗なわけだよな!」
「そっか……! もう景色の時点でお宝だよねっ!」
リィが湖のふちから少しだけ離れ、ニッコリと笑った。それとタイミングを合わせるようにして、新たな音が場に響く。
「――なんだ〜、お宝は“時の歯車”かぁ。じゃあ、持って帰れないね」
「「「親方/親方様!?」」」
「やぁメロディ。大手柄だね! ボク驚いちゃったよっ?」
思わずぽかんとするメロディ。急に自身の親方様が現れたとなれば、誰だって少しは驚くだろう。
一瞬だけ警戒する素振りを見せたユクシーも、霧の湖を優しく見つめるマルスを不思議そうに見つめている。
話の進めかたに困ったリィが来た道に目をやると、そちらにもいくつか影が出来ているのが分かった。だんだん近づいてくる辺り、ちゃんと見なくても誰だかわかる。
「親方様、先に走って行かないで下さいよ! 既に弟子が何人がダウンしてますけど!?」
「あーあー、全然生きてたね? 伝説と戦って生きている人、ここにいましたか」
「きゃー! これが霧の湖ですわね!!」
親方様に詰め寄るチャトと、薄く面白げに笑うエルファと、一足早くはしゃぎだすソラと。
ちなみに、メロディはエルファの言葉の意味について知らなかった。そのため、後にラスフィアに教えてもらったんだとか。
湖発見に騒ごうとする矢先、ギルドメンバーの上に大きな影が現れた。
その正体は――
「「「「グラードンッッ!?」」」」
先程倒し、更には消えたユクシー曰く“幻影のグラードン”。
メロディはそれを知っていたからいいものの、知らないほうとなれば焦りなどの域ではいない。傍から見たら素晴らしい逃げ足で距離をとっている。
けれどまぁ、全員とは行かないのがこのギルドだ。
「おお〜っ、これがグラードンかぁ。思った以上に大きいねー!」
「うん、リズムもそう思うよねっ? グラードン、ボクはマルスっていうんだよ! よろしくねー!」
警戒も恐れも知ったこっちゃ無い、お気楽組。ユクシー本人は多少遊びの意味を込めたらしいが、あまりにも以外だったようで唖然と会話を見つめている。
「このお気楽はどうしたらいいのだろう」、と全員の気持ちを一致させるのに、五秒もかからなかった。
話が一つ落ち着いたところで、ユクシーが幻影を消す。名残惜しそうな二人を置いて、藍色の空と透き通った湖とを見比べた。
「もうすぐですね。湖に注目してください」
「もうすぐ……?」
誰かがぽつりと呟いたとき、噴水の水の勢いが少しだけ強まった。
バルビートとイルミーゼがやわらかい光を発しながら、湖の上を優雅に飛び回る。桃色や黄色の光も取り入れながら、湖は幻想的な風景へとコマを動かした。
夜に近くなってきたこともあってか、宝石のような光がぼんやりと辺りを照らしていて。
「綺麗、だな……!」
「そうだね! 来れて良かった……!」
「……うん。これ、凄い綺麗」
全員が時とまばたきを忘れるくらい、淡い色の幻想曲。
光の螺旋の軌跡を見つめながら、アルトは遠征の成功を実感していくのだった。
「一つだけ、約束とお願いがあります」
湖の光が落ち着いてきたころ、ユクシーがギルドの面子のほうに向けてそう切り出してきた。
絶景の感動でいっぱいになっている頭に、何とかして余裕をもたせる。ユクシーが真剣な声色だったため、自然と神経を耳に集める。
「約束のほうですが、あなたたちの記憶は消しません。ですのでどうか……このことを秘密にしてはいただけないでしょうか?」
「なぁんだ、そんなこと? もちろん、誰にも言うつもりは無いよ♪ ギルドの名にかけて、ね」
マルスが微笑んでそう告げると、ユクシーはほっと胸をなでおろしていた。一言お礼を付け加えて、欠けの少ない月を見上げる。今日は青を帯びた光を、やさしく放っていた。
同じように月を見上げたマルスは、すぅっと息を吸い込む。
「これにて遠征終了! じゃあ皆、ギルドに帰ろう!!」
「「「「おおおおぉぉぉぉーーーッッ!!!」」」」
みんなで月に向かって、楽しそうな表情で手を伸ばした。