30話 吉報は凶報へ
ジュワッと熱々しい音が、白い水蒸気を上げて洞窟内に響く。赤茶色の地面の上を、敵ポケモンがまばらに行き来をしては、攻撃を仕掛けてくる。
「暑い……ッ! なんでこんな暑いんだよここ!」
「ホントだね、倒れそうだよ……」
リィはそういいながらも限界のようで、ぺたりと地面に座り込む。オレンのみをかじっても、疲労感はあまり消えていかないようだ。
ここ、“熱水の洞窟”は、水路が多く気温も高い。リィのように暑さの苦手なポケモンは勿論、ほとんどのポケモンが酷に感じる温熱条件だ。
その横で、涼しい顔でコロトックを倒していたポケモンも、実際にはいたりするのだが。
「つーかラピスズルいぞ! なんで一人だけ氷タイプの技使えんだよ!?」
「そ、そーだよ……。いいなぁ……!」
汗一つかかず、眉をひそめて二人をちらりと見やる。
ラピスは自身の冷凍ビームを使って、氷を生産していた。そのため、暑さを激しくは感じていないようだ。
「……何? 冷凍ビーム食らいたいの」
暑い暑いと叫びながら、こういうところで騒いでエネルギー消費。それがアルトとリィだ。
ラピスは仕方ないな、と冷凍ビームをかなり弱めて二人に放つ。体感的には思った以上に涼しくなったようで、明るい声でお礼を言った。
単純だなぁ、と思う反面、いつもは冷凍ビームしたら怒るくせに、と頭の中で正論を下す。そしてまぁいいか、と通路の先を見つめる。
またしても現れる敵の対処を無言で二人に押し付け、自分はすみっこでまたしても氷を生産。
「チッ、なんで炎タイプなんだよ! 波動弾!」
「きゃあ、ちょ!? 火の粉撃つのやめてって……!」
二人が対峙しているのは、炎タイプのブビィだ。しかも二匹。容赦なく炎を飛ばしては、辺りの気温をぐんぐん上げて行く。
火の粉で軌道のそれた波動弾を追わず、技を当てるために電光石火で距離を詰める。はっけいは命中したが耐えてしまったので、リィが蔓のムチを当てて倒した。
そこまでは良くて。
「いって……! 火傷かこれ?」
はっけいに使った右手が、じんじんと熱と痛みを帯びている。ブビィの特性、「触れた相手を火傷させる」。恐らくそのせいだろうか、思わぬ怪我に顔をしかめる。
見かねたラピスが、無表情でアルトの方を向く。そしてぽいと不機嫌そうに、癒しのタネと氷を投げ渡した。
「さんきゅ」と短く伝えつつ、ふと彼女が氷タイプの技を使う疑問が、今更ながらわきあがってきた。
どうにも黙っているのが嫌だったので、思い切って氷を飲み込んで聞いてみる。
「そいやぁさ、ラピスはなんで冷凍ビーム使えんだ?」
「あ、そうだね。今まで聞いたことなかったけど……なんでなの?」
リィもこの話題に、ここぞとばかりに乗ってきて。ラピスはスッと視線を下げて、不機嫌そうに蚊の鳴くような音量で呟く。
「…………さぁね」
少し感情の色が混じっているような、そんな声色だった。なんだか、聞いてはいけないことを聞いてしまったような。そういう後ろめたさが生まれてしまって、気がついたらリィは、ぽつりと謝っていた。
けれどラピスは「別に」と顔を上げて、丁度部屋に入ってきたカモネギに電気ショックを浴びせる。
その電気の勢いも、いつもより強くなっていた。
同刻。ギルドのベースキャンプには、カティが激しく息を切らしながらたどり着いたところだ。体全体で呼吸する勢いで息を整え、本部となっているプクリンテントの入り口に手をかける。
するとタイミングを合わせたかのように登場したチャトが、一つふわりとあくびをする。
「ん……? カティ、どうかしたか?」
息を上げているのが不思議なようで、首をかしげながら能天気に尋ねる。確かに話をするのがやっと、の息の切れ具合だ。それでも朗報を伝えようと、息を吸って必死に言葉をつなぐ。
「霧の、湖が……見つかったんだ!!」
「「「「何ッ!?」」」」
キャンプ一帯に聞こえる程大きな声に、各自のテントにいた者たちも顔を出す。それぞれ、驚きだったり喜びだったり。様々な感情を顔に浮かべていて。落ち着いているものは極僅かだ。
チャトがぐるりと見渡して確認をするが、あいにく全員ではないようだ。
「とりあえず今いない者については、後で連絡をする! カティ、そこへ案内してくれ!!」
そういって、先程メロディが居た石像のあたりにきた。
もちろん、メロディは熱水の洞窟にいるため、その場にはメロディ抜きのギルドメンバーしかいない。先程いなかったメンバーも途中で合流した。
その場にいるメンバー全員が、首の痛くなりそうな角度で石像を見上げていた。
「おっきぃでゲスね……!」
「わぉー! ねぇねぇ、これってポケモンかなぁー?」
「うん。とりあえずリズムは、石像に不用意に触らないほうがいいんじゃね?」
さまざまな意味合いの言葉と視線が、すべて石像に向けられている。相変わらず大きく傾いたまま。動くはずも無いのに威圧感と、それ同等の存在感を放っていて。
チャトはしばらく羽をあごに当てて考え込むようにして、石像から目を離せないままに口を開いた。
「これは……グラードンか?」
「「「「グラードン?」」」」
ほとんど呟いていたつもりだったので、弟子たちの反芻合唱にぎょっと一歩だけ後ずさる。咳払いをして自身を落ち着かせると、石像を指し示しながら神妙な面持ちで解説を加える。
霧が薄く和紙のように立ち込めている。それも関係ないかのように弟子たちはチャトの話に耳を傾ける。
「大昔、水を蒸発させて大地を広げたとするポケモンだ。確か……伝説のポケモンだった」
「「「「伝説ゥゥ!?」」」」
弟子たちがまたしても繰り返す。互い互いに顔を見合わせていて、“伝説のポケモン”という単語に反応したようだ。
そんな中、良く通る女の子の声がチャトを制した。
「あのさ、チャト。ここにそれ全部書いてあるよ……!?」
「何ッ!?」
シイナだ。リィが読んだプレートの反対側に、もう一つプレートがあったようだ。
こういうところでは、シイナは思ったことをしっかりと発言する。もう一つのプレートから目と指を離さないままで。
自分の解説はなんだったんだ、と落ち込む耳には、伝説のポケモンの話題がこれでもかと言うほど飛び込んで来る。
「伝説のポケモンかぁ……。実際にあったのは始めてだ」
「いや会ってないと思いますよ……? 石像なので……」
ぼんやりと夢を描くように呟くジオンに、やんわりとツッコミを入れたのはラスフィアだ。若干ジオンは落ち込んだようだが、ラスフィアに「すみません」と頭を下げられて戸惑っていた。
そこまで言ったところで、ラスフィアの頭にある仮説がひっかかった。
「チャトさん。その、グラードンは霧の湖を守っているんでしょうか?」
「可能性はあるな……。実際に石像があるわけだし」
相槌を打つように、チャトが石像にチラリと目をやる。それを聞いて、張本人のラスフィアではなくカティの顔が青ざめていく。
「グラードンは伝説のポケモンですし……戦ったら勝ち目は薄いですよね」
「そりゃそうですよね!? 勝てるポケモンなんて、そうそういるとは思わないですよ?」
空を見つめるラスフィアと、それに反応するエルファの会話すらも、カティの耳には届いていない。
ようやく絞り出した声は、小さくて震えていて。
「メロディは……霧の湖に向かったんだぜ……?」
長いように感じる一拍の沈黙は、辺りを凍りつかせるようなとんでもない威力を持っていて。
動揺を隠しきれていないチャトは、今まで見せたことの無い勢いで目を見開いている。なんとか紡ぎ出した言葉は、石像にも森にもこだまするようだった。
「メロディを――お、追いかけるぞ!!」
そんな騒ぎどころか、グラードンの存在すら忘れかけているメロディサイド。大分進んで、しばらく前に中間地点を抜けたところだ。
先程の重い空気も、暑さで溶けてしまったようになくなっていて。アルトとリィ、時々ラピスで音楽談議をしながら、敵ポケモンをスイスイと倒していく。
すると、場の空気を少しだけ揺らす低い音がした。
「グォォォ……」
「ん? 今なんか声しなかったか?」
「え、ちょっと? えっ、それは聞かなかったことにしてい――」
「……あたしには聞こえた」
「ラピスーっ!」
アルトが話を中断して、フロアを見渡す。けれどそんな低い音を出しそうなポケモンは、今視界に入る範囲ではいなかった。
気のせいか、と結論付けてアルトが右足を前に出したのと、全く同じタイミングで。
「グォォォォ……!」
リィの頭の葉がびくりと跳ねる。
なぜならば、さっきよりもハッキリと。大きな音量で唸るような音がしたからだ。お互いに、なんだろうと顔を見合わせる。
一定の間隔で聞こえてくるそれは、どんどん音量と威圧感を増していって。
「ここのボス、なのか……?」
「私は何も聞いてない聞いてない聞いてない……!」
「……リィ、反応」
ラピスがリィの葉をちょこんとつつき、見えてきた階段を睨む。
流れる汗をぬぐってから深呼吸をし、アルトは後ろの二人に振り返る。リィは、桃色のスカーフをしっかりと握る。そしてラピスは、ピーピーマックスというドリンクのようなものを一気に飲み干して。
「「大丈夫」」
「ああ! んじゃ、行くか」
階段を下りると、ダンジョンに張り巡らされていた水路は姿を消している。地面も赤茶色から白っぽい色に変わっていて、奥地に出たという事を示していた。そのせいか、多少気温が下がっているようにも感じた。
あの低い声は、いまや毎朝隣から聞こえてくる、ジオン目覚ましレベルにまでなっている。そんな声から来る悪寒には、誰も気がついていなくて。
「グォォォォォオオ!!」
「……! 近ぇな……!」
地面が揺れる感覚に反応し、アルトは頭に着いている黒い房を無意識に持ち上げる。
少しだけ広いところに出るが、特に目立ったポケモンも仕掛けも無い。
「じゃあ、さっきまでの声は――」
「グオオオオォォォォッ!!」
何だったのかな。
そんなリィの言葉をさえぎり、比較的速いテンポの足音と思わず耳を塞ぎたくなる大声が耳をついた。
キッとそちらを睨んだアルトが、その細めていた目を開いて、心底信じられないと言う声を出す。
「石像のポケモンッ!?」
「貴様らッ、ここへ何をしに来たッ!?」
アルトの声すらもかき消して、石像のポケモン――グラードンは大きなツメを振り回す。あまりのうるささに、チッと舌打ちをする。
キンとする耳を押さえて、リィが恐怖で震えた声を上げる。
「霧の湖に行くためだ、よ……?」
「何だと!?」
ギロリと目に殺意が宿る。黄色くて小さな目を、光らせるようにして。
威圧感のせいで、冷静なラピスですら冷や汗が頬を伝う。
「我はグラードン! 霧の湖の番人だ!!」
迂闊だった、とラピスは頬の内側を強く噛む。石像があった時点で、気がつかなかったのか、と。他の二人も同じようで、戦うということを避けられそうに無い状況を、上手く飲み込めていないようだ。
「どうしても、霧の湖には行かせてくれねぇのか!?」
「当たり前だ! だとしたら番人の意味がなかろう!!」
そりゃそうか、なんて言えるほど状況は甘くは無い。既に戦闘が始まってしまいそうな体制で、グラードンが睨んでいるからだ。
アルトはふと視界の隅に入ったリィを見て、なるべくグラードンから視線をそらさないように声をかける。
「リィ! お前なら大丈夫だ!」
「えっ?」
「あんときより、ぜってぇ強くなってるからッ!!」
その一言に励ましをもらえたせいか、体の震えも少しおさまる。
全員が戦闘体制に入ったところで、グラードンが地面すらも揺らすような声でほえる。
「侵入者は生きては返さない! 覚悟しろッ!!」
――メロディと番人。バトルの火蓋が切り落とされた。