29話 お気楽制裁者
進んでも、また霧が濃くなるわけでもない。くっきりとした景色が、ゆっくりと歩みに合わせて流れていく。緑色と、白っぽい色の地面。
霧の湖へは、決して近いわけではない。時々上を見上げては、空と湖を見比べて溜め息を漏らす。
そうやって数歩先へ行ったところで、ラピスがぴたりと歩を止めた。気がついたアルトとリィは、不思議そうにラピスを見る。
「……そこ」
「――ククッ、良く分かったな」
ラピスが睨みつけた先から零れてきた笑い声、その本人の姿。アルトは舌打ちを飛ばして攻撃態勢に入り、リィはやっと思い出したかのような声を上げた。
「あっ、ドクローズ!? しつこいよ!」
「「やけにはっきり言うな!?」」
「……とりあえず、謎解きご苦労様だぜ」
リィの言葉にクルガンとヤレンが、飛びつくように勢い良く反応した。言葉の持っていき方が分からなかったデスポートは、少し困ったように御託を並べた。紙以上にぺらぺらの。
はぁとラピスが溜め息を漏らしたのを皮切りに、アルトもつい言葉が飛び出す。迷走しそうな思考回路が、偶然にもとあるところにたどり着いたからだ。
「最初から、俺らに謎解きをさせるためだったのか!?」
「クククッ、思った以上に頭がいいんだな。そうだ、ハナからそういうつもりだったぜ」
もう一度、大きめの音で舌打ちをしてしまう。
ドクローズは最初から、遠征に“協力する”なんて気はさらさら無かった。メロディに謎を解かせて、自分たちで宝を奪い去ろう、という魂胆で。
確かに最初から、各自疑いを持っていたのは確かだ。けれどやっぱり、こうやって断言されるとどうにも頭に血が上る。
普段は睨んだりしないリィですら、今回ばかりは大きな赤色の目で一生懸命に睨んでいる。
「チッ、んな奴……!」
「酷いよ……。だったら自分でやればいいじゃん!」
「……ホント、アンタらバカ」
拳に力を入れたり、技の構えをとったりと。既に攻撃する気は満タンだ。
確かにドクローズがこのままでは、折角たどり着けそうな目的ですらたどりつけくなってしまいそうだ。だからここで倒しておく、という方法も間違いではないのだが。
「物騒だな……。とにかく、お前らにはここでくたばってもらう!」
「俺とアニキの――」
ヤレンの言った最初の部分だけで、さっと緊張の度合いが強まる。脳裏を走った、リンゴの森での記憶。クルガンもいつの間にか後ろへ下がっている。
手の内は見えた。けれど対応がわからなくて。
「――“毒ガススペシャルコンボ”!!」
「――あーんっ! 待って、ボクのセカイイチィィィーッ!!」
ドクローズ二人が叫ぶと同時に、技を発動させようとして――出来なかった。どこからか飛んできた呑気な声に、阻まれてしまったからだ。全員がそちらに、不思議そうな視線や迷惑そうな視線を送る。
その視線にあわせるように、大きな赤い物体がコロコロと転がってきた。その赤い物体ことセカイイチは、メロディとドクローズの間でぴたりと止まる。セカイイチを追ってきた人物は、二拍遅れてやって来て、セカイイチを大切そうに持ち上げた。
傷の具合を確かめてから、キョロキョロとメロディとドクローズを見比べる。そしてにぱっと頬を緩ませた。
「メロディに友達ー! こんなところで何やっているの〜?」
(((友達!?)))
そう、その人物とは親方マルス。
思いもよらない言い回しに出かかった言葉を、一歩手前で飲み込んだ。この人には何を言っても無駄だ、と今までのギルド生活で学んだからだ。
「親方様……? どうしてここにいるの……?」
「セカイイチがボクから逃げて行っちゃってさぁ。それで追いかけてきたら、此処に来たってわけ! まったく、セカイイチったらー」
もう一度セカイイチを嬉しそうに見つめて、悪い子を叱るように軽くぺしりと叩いた。
かと思えば、その場でセカイイチを頭に乗せて回しだす。楽しそうなので何も言えないが、メロディもドクローズも心境は一致していた。
……「とにかくこの人どうにかして!」と。
通じたか否かは不明だが、マルスはメロディに目を向けて微笑んだ。
「ほらさぁ、サボっちゃダメだよ、メロディ!」
「は? 何がだよ」
「ちょ、う、さ! だよっ。早く“霧の湖”について調べて来てよ? ボク楽しみなんだぁ」
決して咎めたり、という雰囲気ではなく、あくまで嬉しそうに。クルクルとセカイイチを頭でまわすほどの、何事も楽しむようなほんわかさ。アルトが何か言いたそうにするのと同時に、メロディだけに伝わるよう、口元だけで考えを言い渡す。
「(ドクローズのことは、ボクに任せて)」
声のない伝言に、思わずふっと笑みが零れた。
スッとマルスの横を、そしてドクローズの横を通り越して、先へと歩を進める。途中でリィが思い出したかのように、頭の葉っぱを翻してくるりと振り返った。
「それじゃ、行ってくるねーっ!」
「うんっ! 結果楽しみにしてるよー! いってらっしゃ〜い♪」
ひらひらとピンク色の手を振って、メロディを見送ってくれた。
向こうの姿が、バチュル以下のサイズにしかにしか見えなくなったところで、アルトがふぅと息をつく。
「っつーか、マルス来てくれてよかったよな! またあれ受けたくなかったし」
リンゴの森で受けた“毒ガススペシャルコンボ”を思い出して、少し不満げに舌打ちをする。リィやラピスも、同じことを考えていたようで、「あぁ」と遠い目を空に向けた。
空気が重くなり始めたのを察して、リィが弾けた声で道の向こうを指す。
「ね、ねぇ! あれ進む道じゃない?」
指――もとい蔓で指したのは、ぽっかりと空いた洞窟のような穴。分かれ道も無いので、ここで間違いなさそうだ。
先程の空気を振り払って、気合を入れて洞窟に入る。
入り口になっている赤茶色の岩が、うっすらと一筋、白い煙を立てた。もやりと水蒸気を立ち上らせて、見送っているような光景でもあったそうな。
所変わって、マルスとドクローズサイド。マルスはメロディの向かった方向に目をよこしたまま、呟くように話しかける。
「結果楽しみだね♪ あー、待ちきれないよっ」
その言葉のとおり、ウズウズとしているのを押さえられないようだ。ドクローズの方に向き直ってから、セカイイチをせわしなくしゃくしゃくとかじる。
そんなマルスを一瞥し、そちらに聞こえないような音量でクルガンが口を開く。呆れたように羽を一回、ゆっくり揺らして。
「(……どうするんすかアニキ! あれじゃあメロディに先を……!)」
「(どうするも何もな……)」
マルスのほうを睨むようにして、デスポートが悪態をつく。このほんわり親方の登場により、ドクローズの霧の湖への道は、霧がかかったかのように思えてしまう。
仕方が無い、と面倒くささを隠せないようにマルスに話し掛ける。
「あの、親方様。私達も探索に行きたいのですが……」
「えっ、ダメだよ! 友達を危険な目に合わせたくないもの! メロディがやってくれるから、心配しなくても大丈夫だよ♪」
「ここで待っていよ?」と慌てたように、それでいてなだめるように手をバタつかせる。
振り出し逆戻り。今のドクローズはそんな状態だった。はぁと溜め息を漏らしたデスポートを見て、ヤレンがぱっと思い出したように提案をする。
「(もうアレ使っちゃってよくないすか?)」
「(ちょ、ちょっと待て! アレですかい……!?)」
デスポートが重々しく頷くのを見て、クルガンの顔が青ざめる。
アレとは勿論、“毒ガススペシャルコンボ”のことである。だがクルガンとしては、一般ポケモン同様に苦手な技である。よって気分は落ちるばかりだが、他の二人は完全に乗り気だ。
芯だけになったセカイイチを、物欲しそうな目でじっと見つめているマルス。まだこちらの状況は、目に入っていないようだ。
「おいマルス!」
「ん? どうしたの、そんな怖い顔して?」
デスポートが怒気を孕んで、眼光を鋭くする。
けれどマルスは、どこまでも呑気だった。リズムにも劣らないお気楽さは、天性のものなのか。
セカイイチの芯とデスポートを交互に見比べて、「あっ!」と嬉しそうに声を弾ませた。
「にらめっこがしたいんだね! それなら早く言ってくれればいいのにさぁ〜!」
「「「はっ?」」」
予想だにしない展開に、間抜けな声が漏れてしまう。どこをどう解釈したらそうなるのか。ドクローズの各メンバーの心境は、見事なまでに一致していた。
けれどマルスは、そんなドクローズなんて知らんぷり。
「僕強いんだよ? 見ててねっ。……んん〜! んべろうあぁ! ぐわぁ!」
一生懸命に、カクレオンの色変化のごとく顔を変化させている。あまりにも真剣すぎるため、止めようにも止められず。もう最終的には、何がなんだか分からない状況にすらなっていた。
こうなったら強行突破。もうドクローズには、それしか思いつかなかった。
「くそ……くたばれマルス! “毒ガススペシャルコンボ”ッ!!」
半ば叫ぶように、先程発動しそびれた“毒ガススペシャルコンボ”。濁った紫色の煙は、あっという間にマルスの姿を覆い隠してしまった。
完全に姿が紫色に溶けて消えたところで、思わずぐいと口角が持ち上がった。
「フン……案外呆気なかったな。行くぞ、ヤレン、クルガン――」
「――誰が呆気ないんだって?」
耳に届いたのは、デスポートが求めた声ではなくて。
壊れたからくり人形のほうに、ギシギシと声の発生源に頭を向ける。
「やっぱりねぇ。警戒しておいて正解だったみたいだねっ♪」
真剣な雰囲気の中に、一拍だけ笑いを込めたマルス。いつもの笑いではなく、感情の抜けた冷笑で。
からくり人形が、見たことも感じたこともの無い威圧感に、ぴったりとその場で固まった。マルスの前では、ヤレンとクルガンが伸びている。
マルスはデスポートに真顔を携えて、ゆっくりと近寄る。デスポートはさっきまであんなに強気に振舞っていた。けれどそんなことはじめから無かったかのように、今は情けなく距離をとろうと後ろに下がる。
「キミたちの噂は、被害を受けた探検隊から聞いていたんだ。相当悪い探検隊みたいだね。懲りてくれた?」
ピンク色の往復ビンタを一発飛ばすだけで、それこそ呆気なくデスポートは地面に張り付いた。デスポートの朦朧とした意識の中では、マルスが新しいセカイイチを取り出していた。
一言だけ、倒れている三匹に向けて小さく、それでいてしっかりと告げる。
「じゃあね、ドクローズ」
その言葉は、ドクローズの誰にも届かなかった。