27話 霧雨ダークパスト
「わぁ……霧、深いね……」
そんな感想ですら、塗りつぶしたような白が吸い込んでしまう。
ツノ山を抜けると共にかかってきた霧は、今や互いの姿さえも白く塗りかえる始末だ。ダンジョンでないのが幸いか。途中から合流してしまった計七名で、ベースキャンプへ向かっている。
といっても、リィはバテているしシイナは落ち着きが無いしで、半分空気は重くなっているが。
「……あのさシイナ、俺のスカーフ掴まないでもらっていいかな? そろそろ苦しくなる……」
「うっ……。そ、それは仕方ないでしょ!」
「わぁ、かくれんぼしたくなってきたやぁー」
「ここではしねぇよ!? するんならギルドでやれよ!」
あまりのマイペースさに、アルトですら声を上げざるを得なかった。ラピスはリンゴ片手に霧を眺め、ラスフィアはそんなメンバーに苦笑いをしていた。
その苦笑いすら、霧に溶け込んでしまうのだが。
「あら、お疲れ様です。遅かったですね?」
ベースキャンプで真っ先に出迎えてくれたのは、鈴の音を響かせているリンだった。どうやら、来ないのを心配してくれていたらしい。
リンに連れられて中へ向かうと、ぼんやりと見えていた景色が少しずつはっきりしてきた。ギルドで各自、テントを張っていたらしい。そのなかでも一際目立つプクリンテントは、一瞬でも怪訝な顔をしてしまう。
悪趣味。自分たちのギルドなのだが、こう思わざるを得なかった。
「んんー……。あっ、メロディとフリューデルとラスフィア! 一緒だったんだね!」
そんな心情を知ってか知らずか、プクリンテントから同じ顔の親方が顔を出した。ぐいっと伸びをして、待ってましたと言わんばかりにくりっとした目を向ける。
マルスに軽い報告を預けて、自分たちのテントへ滑り込むように潜る。メロディはいつもどおりのメンバーで、一つを使うらしい。
マルスから渡された夕飯を主にラピスが配り、リィはその横で早速の睡魔と戦っている。こくりこくりと頭を揺らしては、眠気を払うように目をぎゅうっと瞑る。
(あー、疲れた。今日はトランペット吹けねぇな……)
ラピスとリィの様子をしばし傍観していたアルトは、バッグの奥底からそっとケースを取り出した。しばらくの間、眠たそうに見つめる。
軽くご飯を食べて、完食と同時に目を閉じる。幾つかの寝息が規則正しく聞こえてきたのは、それから間もないとき。
夜闇をぼんやりとかすませている霧は、時間と共に深みをましていった。
暗黒は、どこまでもずっと。
叫ぶことも許されない喉の痛みと、自分でも信じられないような速い呼吸。僅かでも気を抜けば倒れてしまいそうなほど、けれど懸命に走りつづけ。
もう、この暗闇に吸い込まれそうだ。そう感じたとき――
「――っは、……!」
うなされていた意識を吐き出すようにガバッっと起き上がり、知らないうちに上がった呼吸を整える。
少し周りを見て、リィとラピスが寝込んでいるのを確認してからテントの外に出た。体を巡る冷たい空気に、なんとか落ち着きを取り戻す。空を見上げても霧に阻まれて、月明かりすらも確認できない。
(さっきの夢……俺の過去?)
ぼんやりと霧のようにかすんだ夢の記憶は、アルト自身のトラウマをえぐるようだった。軽く首を振って映像を取り消し、眠気の無い目で闇を見つめる。
とここまできて、ふと疑問が生まれた。
(だったら何で今? それにここ、なんか来たことねぇはずなのに、来たような……)
考えても、答えは一向に分かりそうにない。
舞うような霧雨には気がつかず、夜風を浴びながら目を閉じた。
霧も無かったかのように晴れ、昨日は分からなかったキャンプの景色が分かった。あたりには森が広がっており、テントを張ったところは丁度広場のようになっている。
「えー、全員集まったな。それでは、これからの流れについて説明する!」
チャトが朝早くから嬉々としたような真面目そうな、どちらともとれる声をあたりに響かせた。時々、誰かのあくびの声もそれに重なる。
いつもは直立不動のマルスも、今日ばかりは楽しそうにチャトの言葉を待っている。
「霧の湖は霧で覆われていて、どうにも発見しにくいらしい。見つけ次第、私か親方様に報告するように! 質問があるものはいるか?」
ぐっと場の空気に気合がみなぎった。それぞれやる気が高まり、今にでも出発しそうなものもちらほらいる。
「あの〜、いいですか?」
「ん、リンか。どうした?」
そのやる気に少なからず圧倒されているのか、少し詰まらせるように声を出した。本人は「さっき質問あるか、っていいましたよね?」などと思っていたらしい。
「質問ではないんですけど……。他の方から聞いた話で、“霧の湖”はユクシーというポケモンが守っているらしいんです」
聞きなれない単語、“ユクシー”に首を傾げるものや復唱するもの。それぞれの反応を一瞥して、話をつなぐ。
「ユクシーは記憶を消す能力があるらしく、そのために“霧の湖”についての情報がほとんど無いだとか……。あくまで噂らしいですけれど」
その言葉に、高まっていたやる気が風船がしぼむように落ちていくのが感じた。そして少しの不安も混ざり合い。
アルトだけは、自分の記憶にユクシーが繋がっているのではないか、などと皆と違うことを考えていた。それならこの既視感も、アルトですら説明されて納得がいく。
「――まあユクシーについては後々調べておく。今日も頑張っていこうー!!」
「「「「おおぉぉぉぉーーー!!」」」」
ふわっと意識が浮いていた状態から、急に重力が発生したかのように周りの音が耳に入ってきた。上の空だったアルトは反応に遅れたが、幸いリィとラピスはまだ出発していないようだ。
「ねぇアルト、私達も早く行こうよ!」
「……尻尾、痛い」
眠たそうなラピスの尻尾を掴みながら、ぴょこぴょことリィが飛び跳ねる。余程楽しみなのか、先程の話を忘れているのか。どちらかはよく分からなかった。
地下にもぐるもの、ペアやグループを組んで森へ向かうもの。それぞれの行きかたは様々だ。
軽く鞄を漁り、持ち物の最終確認を済ます。
「ああ! 早く“霧の湖”見つけような!」
緑に囲まれた森の中を、しばらく雑談しながら歩いている。するとアルトの目に、少し不思議なものが入った。
「石……?」
手に取ったのは、ほんのりと良く熟れた果実のように赤い、手のひらサイズの石だった。アルトのルビーは燃えるようだが、こちらはほんわかと暖めてくれるような色をしている。
その例えもあながち間違っておらず、触れている手がじんわりと温まってくる。まるで生きているようだ。
「アルト? なにそれ、綺麗だね……!」
リィが興味を示して駆け寄ってくる。石に手を触れ、その暖かさに心を緩ませる。
ラピスも普段は無反応だが、今回は気になったのかてくてくと見に来た。瑠璃色の目の中に、紅色がほんのりと混じっている。
何かの役に立つかもな、と鞄にそっとしまう。大切な物を扱うかのように。
「んじゃ、行くか!」
「おーっ!」
「……テンションたっか」
はしゃぐ二人を横目に見ているラピスも、内心では右手を上に突き出したかったりしている。証拠に、右手が少し上向きに握られている。
赤い石の入ったアルトの鞄は、ほんの少しだけ温まっていたそうな。