21話 お勉強と隠し部屋
ドクローズとの再会から一夜明けて、おやつの時間とも言われるような時間帯。まだ白い太陽の光を、古びた大きな本棚が吸い込んでいる。
「うっわ、埃すげぇ……」
今アルトがいるのは、ギルド内の図書室兼資料室。親方部屋の横にあるが、ほとんど使う人がいないので今まで知らなかった。それに、意外と埃が溜まっていて、微妙にカビ臭いような……そんな感じだ。
先に断言しておくと、アルトは資料を調べたりといった頭を使う作業がかなり苦手だ。実際ここに来る足取りも重かったし、本音はトランペットの練習のしたさが、大きく勝っていた。
「つーか、結局この世界の文字読めねぇままだったんだ……!!」
不満を静かに吐き出しながら、相変わらず足型文字が読めないことに憤慨する。
部屋には本と埃とアルト辺りしかいないので、もちろん返事は無い。リィはトレジャータウンに遊びに行ったし、ラピスに至っては海岸の洞窟に行った……らしい。
先程のとおり、アルトは未だに足型文字が読めない。流石に不便を感じてきたころなので、勉強をしよう、と無理矢理自分に言い聞かせた。気分は全く上がらない。
そのため、どの本を見れば分かりやすいのかがさっぱりなのだ。どの本も誰かが歩いたかのように、ひたすらに詰まっているだけで。
はあ、と溜め息をつきながら、適当に開いた本を一瞬で閉じたとき。
「あ、いたんだ? ……けはっ、埃が」
小さくむせ返っているエルファが、扉を半開き状態にして立っていた。窓から無断侵入してくる日差しに目を細めている。
アルトの手に収まっている本を物珍しそうな目で見ながら、自身も本棚から目的を探している。
「『この世界の成り立ち U』……ふうん?」
「成り立ち……?」
題名も読まずに開いただけだったので、そんな重要そうなことだとは思いもしなかった。意味も無く、エルファの言葉を復唱してみる。
それをエルファは理解していないんだと思い込み、解説する。実際間違ってはいないのだが。
「題名に書いてあるとおり、この世界がどうやって出来たか、ってこと。大長編シリーズだったような。ていうか、まさか題名も読まずに開いてたりしました?」
「…………んなわけねぇだろ! そういうエルファはどうしたんだよ?」
図星を疲れて不機嫌にそっぽを向く。本を探し終えたエルファは、アルトの正面の席に腰掛ける。
ずい、と重厚な茶色の表紙を自分のほうに引き寄せ、軽く埃を払ってからひらく。軽く変色を起こしていて、結構前のものだという事が分かる。
「……さっきの長い間はなんですか。俺はただの調べもの。ていうか、図書より資料のほうが多そうですしね」
言い終わるや否や本の世界に没頭してしまう。足型文字は読めないけれど、挿絵くらいなんとなくは分かる。次にエルファがめくったページには、歯車のような何かがセピア調で描かれていた。
アルトは時の歯車だと勝手に予想をつけて、手に持っていた本を本棚に戻す。当初の目的を達成するために部屋をふらふらしてみるも、これがさっぱりソレっぽいものが見つからない。
幸いエルファは本の世界にのめりこんでいるため、こっちには気の一つもくれちゃいない。
(リィに聞いたほうが早そうだな……。でもあー、言いにくい)
気がついたら、とある扉の前にいた。あまり大きくは無く、アルトがギリギリ通れるくらいの。
取っ手はすでに錆付いていて、ざらざらとした感触が何とも気味が悪い。それに木製の扉自体、腐食が所々に見られる。何か模様が描いてあるようだが、ボロすぎて読めなかった。
壊れる可能性も考慮して、弱めに扉を開ける。するとキイィと金属特有の薄気味悪い音を立てて、向こう側へ扉が移動した。
片足を踏み入れながら、本棚の陰に成りかけているエルファのほうを振り向く。彼は全く気にせず、ただただ手元のページを切り替えていた。
扉の中への一歩を踏み出したときの心境は、とてもわくわくしていたんだと。
隠し部屋。
この場所に最適な言葉はそれだ、とアルトは言う。確かに扉も本棚の影にあり、その上色が保護色だった。
ここは窓も無く、メロディの部屋よりも小さい、三畳程度の小部屋だ。しかし机なども置いてあり、実質二畳あるかないかの狭すぎるところだった。
背後から差し込む、資料室からの明かりでアルトの影が“セイタカノッポ”をしていて。夜に入ったら怖いだろうな、なんて思考は今は無くて。
「何の部屋だよ、ここ……?」
一旦落ち着いて部屋の中を見回してみると、思った以上に綺麗だった。
資料室は汚かったのだが、ここは反比例するように綺麗だ。きっとマルスか誰かが掃除に来ているのだろう。それが余計に隠し部屋の意見を助長していて。
ひんやりとした空気が、ゆったりとアルトに退出をささやく。
それでも好奇心のほうが勝っていて、机の上においてあった小さな紙切れを手に取る。足型文字の数行下に何か別の文字が書いてあって、それはアルトでも読めた。
『この文字、ニンゲンのだっけ? よく残ってたよね』
文通だろうか、軽い口調で書いてある。たったそれだけの文字列だったけれど、アルトにはどうしても一つ引っかかる部分があった。
――『ニンゲンのだっけ?』
この“ニンゲン”と言う単語に、目を奪われた。
もしかしたら自分のことも、なんて淡い期待を抱きつつ他の資料を探したけれど、それっぽい紙はそれ意外に見つからなかった。
そんなものか、と肩をすくめ、外へ行こうとしたとき。
「――ッ!?」
あのときの目眩が襲ってきた。何故こんなタイミングに、と思ったけれど今はそれどころではなかった。
ふらつく足でなんとか体を支えこみ、目眩を耐えようとする。
<ねぇ、そういえばなんでこんな文通してるんだっけ?>
聞いたことの無い、高めの声。口調からして、誰かと話しているようだ。
<うーん、まあ楽しいからいいんじゃ……あ、でも>
もう一つの声、さっきよりは低いけれど、女の声か男の声か、といわれたら迷うところだ。今回は映像がないので、より気になる部分だったり。
<……ん? どうしたの?>
<……やっぱなんでもない>
<ちょっと!? すごい気になる!>
二人ともとても仲がよさそうで、ずっと明るいトーンを保っていた。
賑やかそうな声は、時間と共にに薄れていった。
顔を上げると、いつのまにか夕方になりかけている資料室。もうエルファはいないため、部屋は少し赤みを帯びた光と埃が舞っているのみ。
先程の声が誰のものか、今は分からないけれど、いつか分かるのだろうか?
そんな事を考えながら資料室の扉を閉め――思わず溜め息と共に、ちょっとどころかかなり自分に呆れてみた。
「結局、足型文字一文字も覚えられてねぇ……」