18話 茜色の奏者
茜色に染まった、白い砂浜。
ペタペタと足跡を残せば、少しして埋もれていってしまう。それすらも気に留めず、ラピスはフルートを取り出した。
透き通った本体は、ほんの少しだけ水色を帯びている。しまっていたままだったからか、手から少しずつ冷たさが伝わる。
(そういえば、毎日此処に来ているな。あれ以来)
大雑把にチューニングをしながら、ぼうっと海を見つめる。ここに来てから毎日のようにここでフルートを取り出していた。
日課にも、日常にも。どちらともとれるこの行動は、誰も知らない――否、知らないはずだった。
「ん、ラピス?」
その声にバッと振り返ると、横方向から夕日を受けているアルト。距離は五歩くらい向こうか、ラピスは全然気がつかなかったようで僅かに目を丸くした。
真っ先に思い浮かんだ疑問をまずは冷たく投げてみることにする。手元のフルートへ視線を向けて独り言のように言った。
「……何か用? こんなとこまで」
「は? 特に無ぇけど。散歩してたら音楽が聞こえたからそれで来ただけだ」
もう一度アルトへ目を向けると、彼はフルートを見つめていた。ラピスは首をかしげて問いかける。
「これ、分かる?」
「え、ああ。フルートだろ? 楽器の」
アルトの答えを聞くと、ラピスは頷くこともせずに一音だけ吹いて見せた。
透き通った氷のような音が、一瞬だけ海岸に響く。泡を吹こうとしたクラブたちも、その音を聞いてゆったりと和んだ。
「綺麗、だな」
「……あたしのお気に入り。音が澄んでるの」
ラピスは懐かしむようにそっとフルートを撫でると、静かに口を付けて曲を奏で始めた。少し悲しげな、それでいて心を落ち着かせてくれる。そんな長くもない曲だった。
最後の一音まで吹き終えて、すっと目を閉じたラピス。それと同時に、音の消えた海岸にパチパチと別の音が響いた。
「やあ! すっごい上手だったね〜。ラピス音楽得意なんだ♪」
二人がそちらを向くと、器用に頭に巨大リンゴ――セカイイチを乗っけたマルス。それを回しながら手を叩くと言う行動には無理があるのでは、と思うが、実際に目の前でやられたら否定は出来ない。
どう口を利こうか、二人は言葉を選び悩んでいる。
「あー、親方様も今の演奏聴いてたのか?」
「うん! 途中からだけどねっ。アルトは最初から聴いてたの?」
必死で言葉を選ぶアルトの苦労を知らずに、ポンポンと会話をつないでいくのがマルスだ。ラピスはボケーっとしていて、加わる気は毛頭ないらしい。
しばらくそうやって話していると、「そういえば」と急に話題を切り替えてきた。
「僕の部屋に、飾り用のトランペットがあるんだ。今は埋もれて埃被っていると思うけど……それ、アルト興味ある?」
相変わらず頭でセカイイチを回したままで。くりくりっとした翡翠色の瞳は、少しばかし期待を含んでいた。
トランペット。元々「メロディ」というチーム名を決めた由来だし、たぶんそのことだろう。名付け親のアルトなだけあって、この話には胸が高鳴った。
「マジか!? じゃあ頼むッ!!」
「……食いつきが」
それこそ音速並みの速度で飛びついたアルトに、ラピスが若干呆れているのは伝わらず。
マルスはこくり、と頷いて終始頭の上で転がっていたセカイイチを降ろした。夕日の色も合わさって、綺麗な緋色になっている。
「うん♪ じゃあ、後で僕の部屋来てね。バイバ〜イ!」
今にも見えなくなってしまいそうな夕日を背に、ギルドへの道をてくてくと歩いていくマルスだった。
ラピスもフルートをケースに戻し、アルトと温かい砂浜をギルド方面へ進んでいった。
夕食後、本格的に夜になったところだ。メロディはトランペットを受け取るためにマルスの部屋へ来た。彼は扉が開いたのに気がつくと、黒いケースらしきものともう一つ物体を取り出した。
「あっ、来てくれたんだ! じゃあこれ、さっき言ってたのだよ♪」
「…………は?」
ニコニコとトランペットを手渡すマルスとは反対に、アルトの――メロディの反応は微妙だった。
リィは先程、アルトからこの話を聞いていたので、問題はそこではない。
本来輝く金色であるはずの本体が、くすんだ灰色になっているのだ。一ミリの隙間も空けずに。少し揺らすだけで、ふわりと埃が舞ってしまう。
「……ねぇ、親方様。これってさ……」
「うん、未使用だよ? 多分……この部屋に来てから一回も触っていないんじゃないかなっ?」
満面スマイルに、全員が揃って溜め息をついた。
確かに埋もれていて、埃も被っていて。長時間放置していたのは誰だって分かる。だからといって、ここまでは如何な物か。
(確かに飾りとは言ってたけど、でもせめてケースには入れろよ!)
アルトの掃除が大変そうだな、と言う思考回路。肩が重くなる。ぶんぶんと降って埃を落とそうとしたらラピスがパチリと頬の電気袋を鳴らしたので即中断した。
「あっ、そうそう! もう一つ言っておきたいことがあるんだ」
扉に手をかけた、丁度そのタイミングでマルスが声をかけた。
なんだよ、というような視線を無視して、話を続ける。
「遠征って知ってる?」
「俺は知らねぇけど……それがどうかしたのか?」
「私も分からないや。でも、何だろうね?」
ラピス以外は反応を示す。リィに至っては、首をかしげている始末だ。マルスはその答えを受け取ってから、ニッコリと笑って言った。
「遠征って言うのはね、選ばれたメンバーで遠くまで出かけて、宝を探しに行くことなんだよ♪」
「わあっ! 楽しそうだね!」
メロディの中でも特に探検好きなリィが、パアァと顔を輝かせて食いつく。皆で一斉に探検。わくわくとする気持ちを溢れさせてとても楽しそうに、続きの言葉を待っている。
「その遠征なんだけど……なんと! キミたちを候補に入れたんだ♪」
「マジか!?」
「やったぁっ!!」
「……候補?」
ラピスの忠告も耳にせず、アルトとリィは遠征について思い描き、楽しんでいる。
いつの間にか部屋に入ってきたチャトに呆れられるも、そんなのはお構い無しだ。
「じゃあ、そんなわけで遠征まで頑張ってね!」
最初の微妙な反応はなんだったのか、というくらいにテンションをあげて。大きく頷いて、笑顔で部屋を出て行った。
その光景が微笑ましくて、マルスとチャトは少しだけ笑っていた。
その後、メロディの部屋ではアルトがトランペットに付着した埃との戦いにいそしんでいた。ご丁寧に内側まで入り込んでいるので、かなりの重労働なのだ。
それでも、アルトの中では早く吹きたい、という気持ちのほうが勝っていて。苦手な掃除を何時間もこなし。
終わったのは一般民どころか、観察していたリィやラピスさえも爆睡しているような時間だった。それは再び命を吹き返して月明かりにきらりと光る。
「今からじゃ、流石に吹けね……」
言い終わることなく、アルトの意識は強制的に眠りの世界へ落とされた。
また、止めなくてはいけない。
夜闇に身を隠し、行かせまいと立ちはだかる敵は技で一掃。今回は威力強めで行っているので、傷は結構残るだろうが……まあ、そのあたりは気が向いたら反省しようか。
今俺が居るのは、難関不落のダンジョン……とは言われているらしいが、正直なところそこまで難しくは無い。戦闘は特に苦戦せずに進んでいる。
「まあ俺の情報だと、“難しい”ってのは別の意味らしいけどな……っ!」
――そんな独り言を拾ってくれる相手も、今は居ないのだが。
二つに枝分かれした道。複数人いるのならば、ここで揉め事が起こったりするのだろうが、生憎俺は一人だ。いや、複数でも会議なんて馬鹿らしくてやっていないが。
『目に見える物だけを、信じるな』
すっと手を伸ばし、吸い込まれる感覚を味わいながら、体を空間へ預ける。情報通りだ。今はいない仲間に無言で感謝を述べた。
「――貴方、ですか。先日の“時の歯車消失事件”の犯人は……」
「ああ。ただ、犯人とは口聞きが悪いな」
目の前に現れた、キッと俺を睨みつけるポケモンを目の前に、カリッとタネを噛み切る。聞こえたのか聞こえていないのかは知らないが、ポケモンはそのスライムのような体を攻撃態勢にさせる。
番人であろうそのポケモンは、それを皮切りに技を出そうとする。
「……あいにく、手加減なんてしてる暇はない」
俺の最大威力をもってそれを迎え撃つ。しばしの攻防の後、そのポケモンは倒れたようだった。悪いなと小声で言い渡して奥に繋がる道へ足を進める。
湖の光が反射して、何よりも幻想的なその景色。
俺自身、この景色を見るのは二回目だったので、とくに魅入ることもせずに歯車に手をかけた。
歯車の発する眩しい光に目を細め、言い放つ。
「これで、二つ目だ――!!」