12話 瑠璃色の瞳
翌朝。
あの後リィはすぐに寝てしまったが、アルトは中々眠れず、結局朝にまでなってしまった。睡眠不足からか、頭が少し重く感じる。
何かないかと部屋を見渡すと、薄暗い外を映し出す窓が目に留まる。つられるように窓から外を眺めていたとき。
「すげぇ……」
ゆっくりと、朝日が昇り始めた。
やわらかい光が嵐で濡れた街をキラキラと光らせる。海は刻々ときらめきを増やしていく。辺りは少しずつ、確実に明るくなっていって。包み込むように光をもたらして、あっという間にトレジャータウンを朝日色に染め上げてしまった。
アルトは初めてみるきらめいた景色に目を輝かせ、必死に記憶に焼き付ける。思わず頬が緩んでおり、とても幸せそうな顔をしていた。
太陽の丸い形が完全に確認できるようになったとき、不意に広間のほうから声が聞こえた。賑やかなので、おそらく何名かが起きてきたのだろう。
(ま、暇だし行ってみるか)
そう決めると、まだ夜の冷んやりとした空気の残る広間へと足を踏み入れた。
一瞬だけ集まる視線も、すぐに明るい挨拶に変わって。
「おはようですわー! 今日は早いのですね!」
「おはようございます、アルトさん!」
「早いな、ヘイヘイ!」
「ああ、おはよう!」
皆の笑顔で溢れるギルド。まだ起きている者は全員ではないけれど、それでも十分賑やか。
嵐のことなんかを話していると、急に弟子部屋の方向で耳を突き抜けるような大声がした。驚いてその方向を見ると、大声を出してすっきりとした顔のジオン、目が閉じかけているアクラ。そして、足取りがふらふらと危なっかしいリィがやってきた。
「うぅ、おはよ、アルト……」
「おはよう……って言うか危なっかしいな」
「だって、眠い、んだもん……ふわぁ」
リィが一言を言った瞬間。乾いた痛い音が広間に響いた。その音の方向には、右頬を赤く染めたリィと、何故か笑っているアルト。
「お、起きた!」
「ちょっと痛いよ! あんなの酷いよ、ねぇ……!?」
((((起きた、完全に起きたよアレ))))
全員がアルトの荒々しい起こし方に驚愕している。が結果論目はぱっちりと開いていた。しかし、ジオンに関しては「自分よりもいい起こし手が居る」との理由で少しヘコんでいたとか。
これで広間には十匹――親方様と、何故かモンスを除く全員が集まっていた。
「えー、それでは朝礼を始める……前にだ」
なぜか歯切れの悪い言い方。チャトの表情も少し曇っていて、嫌な予感を全員が感じたとき。チャトが重々しく口を開いた。
「“キザキの森”の時が……止まってしまった」
「「「「止まった!?」」」」
チャトの言葉に、全員が声を揃えて聞き返す。
時が止まる。なかなか想像がつかないが、それが本当にありえることなのか。そう思った者も少なくない。
その中でソラがある考えにたどり着き、声を上げる。
「まさか……“時の歯車”?」
「正解だ。キザキの森にあった時の歯車が、何者かによって盗まれたようだ」
「「「「ええええぇぇぇぇぇぇ!?」」」」
またしても皆の声が揃う。しかし、今回は知らない単語ばかりで着いていけなかったアルトだけ、声を上げなかった。
皆口々に「嘘だろ?」などと言いながら顔を見合わせている。
騒がしくなった広間を静めるように、チャトが大きく翼を羽ばたかせる。
「と、とにかく! 怪しい者がいたら保安官に連絡するように!」
戸惑いつつも、ギルドの皆が頷く。その表情は、お尋ね者を倒すときの表情に似ていてきりっとしていた。
「じゃあ、仕事に掛かるよ!」
「「「「お、おぉーーーー!!」」」」
珍しく暗かった朝礼が終わると、いつもどおりに皆が持ち場につく。例え時が止まっても、こういうところはいつもと変わらない。いや、変わらないままでいてほしい。
メロディも掲示板へ依頼を探しに行こうと、梯子へ向かったとき。
「あ、メロディ。ちょっといい――」
チャトがメロディを呼び止めようとした瞬間、不意に床がぼこりと膨らんだ。そしてそこから、朝礼未出席だったモンス。そして――闇のように真っ黒のマントを羽織ったポケモン。
それに気がついたメロディとチャトは、目を見開いてポケモンのマントを引き剥がす。いたるところに穴やほつれが出来、あの嵐の中にいたのかぐっしょりと濡れていて水がしたたり落ちている。中から表れたポケモンはぐったりとした顔をしている。
「このポケモンって……」
「ピカチュウ……!?」
黒いマントに埋もれていたのはピカチュウだった。黄色い体、稲妻のようにギザギザの尻尾、先の黒い長い耳。そして腕には、ピカチュウには少し大きい銀色の腕輪がはめてあった。
アルトは体温の奪われた手をそっと握る。浅いけど呼吸はしているから大丈夫だとは思うが、その手の冷たさに心臓が縮まる。
その様子をみながら、モンスの真ん中の頭……中央ディグダとでも言えばいいのか、それが話し始める。
「ワシが今朝サメハダ岩に行ったらな、このポケモンが倒れていたのだ! それで意識が無いようだから慌ててギルドへ連れてきたのだが……」
モンスによると、今朝方トレジャータウンのはずれにあるサメハダ岩と言うところに行ったところ、このピカチュウが意識を失った状態で倒れていたらしい。
(それにしても、この腕輪見覚えがあるような……気のせいか?)
アルトがそんなことを考えていると、急にモンスが「掲示板の更新に行く」と言って去ってまた床へ潜ってしまう。それに続いて、チャトもピカチュウを医務室に運ぶ。
「メロディも手伝ってくれ!」
「ああ!」
「うん!」
メロディがギルドの医務室に入るのは、これが初めて。
白で統一された部屋に、ぐちゃぐちゃに物が詰め込まれた引き出しや出しっぱなしの道具が見受けられる。簡単な設備ではあるが応急措置ていどなら十分可能なそうだ。
「医療係はリンだったか……今から探してくるから、ちょっと待っていてくれ」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。残されたメロディはピカチュウをベッドに寝かす。リィは心配そうにその子の横についてやり、アルトは部屋が気になって漁り始める。少しずつ床に落ちているものが増えていっているのは気のせいではない。
「……う……?」
「あ、起きたんだ! 大丈夫?」
最初の二倍くらいのものが散らかったとき、唐突にピカチュウが目を覚ました。上半身をゆっくりと起こし、辺りをキョロキョロと見渡すとリィに視線を定める。
「……誰」
まだ眠たいのか、それともちょうど窓の向かいで日光の直撃が眩しいのか。目は細められている。それに加えて、 声には温度が感じられないため、相当な威圧感を放っている。
「え、えっと……私はリィ。リィ・フォル――きゃあっ!?」
「……黙って……! ラスをどこへ……!」
語気を強めて、リィに手をかざして技を放つ。自分から聞いておいたのだからこの行為は相当理不尽にあたるが、当のピカチュウは気にした様子も無い。凍りついた医療器具とメロディを冷たく睨みつけている。
リィが技を受けたところを見るとそこだけ赤くなっていた。技の威力が結構なものだったことが伺える。ただ今気になるのは技の威力のことではなくて。
「今の技――」
「冷凍ビーム……? ピカチュウが? なんで!?」
二人が驚愕を顔に浮かべる。ピカチュウは本来冷凍ビームを覚えない。めざめるパワーが氷タイプだったと考えられなくもないが、先ほどのは明らかに真っ直ぐにリィへと軌道を描いていた。
目を丸くする二人を他所に、ピカチュウは訝しげな顔をする。
「ピカチュウ……? あたしが?」
「ああ、その体はどこからどうみてもピカチュウだぞ?」
先ほどのメロディ以上に驚愕を顔に浮かべてつつ、ピカチュウは自分の体を見渡す。しかし何度見ても、彼女の体は正真正銘のピカチュウだった。耳はぴこぴこと落ち着きなく動く。
アルトには、その仕草に見覚えがあった。まさか、と思いながら。信じられない、と思いながら……。
「お前、“元ニンゲン”だったりはしない、よな……?」
「……。なんで……?」
見開かれた目は、しっかりとアルトを捉えていた。
瑠璃色の瞳が驚きと動揺で揺らめいている。
「え、キミもアルトと同じ……!?」
「アルト……?」
「ああ、俺はアルト・エストレジャ。俺は元ニンゲンで、記憶喪失……らしい。それで俺がリオルって気づいたときと反応が似てたから……」
ピカチュウが一旦目を閉じて何かを考え込む。少ししてもう一度開かれた瑠璃色は真っ直ぐな光を携えている。
「…………ラピス。ラピス・シャイニー」
二人の耳に僅かに聞こえるくらいの音量で、小さく自分の名前を言った。俯いてしまったためその表情は確認できない。
「……ここで、何してる?」
その声色は、まだ警戒を解いておらず冷たいままだ。疑っている様子は消えそうにない。
「俺らはこのギルドで探検隊をしているんだ」
「ふーん」
探検隊、と聞いて少しだけ笑みを浮かべる。それにメロディは気がついておらず、ただ警戒しているが故の質問だと思っていた。
ラピスはその笑みを消して顔を上げる。太陽の光の眩しさに即座に目を閉じてまたゆっくりと開く。
「……アンタらが許すなら、あたしもそれ入る」
「は!?」
「え……!?」
先ほどと変わらず温度の無い声。それでもその内容はかなり重大な意味をはらんでいた。
ラピスは体のあちこちの痛みに顔をしかめつつ、顔を見合わせた二人をじっと観察する。
「……うん、いいよ! ね、アルトもいいでしょ?」
「は? ……ああ、わかった! 俺も構わねぇよ」
にぱっと笑うアルトに、ラピスはほっと胸をなでおろした。ここで断られたらどうしようか心配だったのだ。さっき言った連れ――ラスも探さなきゃいけないけれど、行く当てもないし。それに探検隊も面白そうだ。
一方のアルト達も、新しい仲間が増えるのは心強い。お互いに、利益のある提案だった。
「それじゃあこれからよろしくね、ラピス!」
ニッコリと笑うリィにつられて、ラピスも頬を緩めて右腕のリングをそっと撫でる。嵌め込まれた宝石が笑うように輝く。
――とりあえずは、今はここに居よう。そのときが来たらどうにかすればいいから。